あのセルとの激闘を経て数年。
地球は依然平和なまま、ライと悟飯ももう16歳になっていた。


「悟飯、今日からいよいよ学校だけど、色々と気をつけてね」


玄関から外に出る悟飯の背中に向け、ライは少々心配そうに声をかけた。
大人びた落ち着きのある柔らかい声を聞き、悟飯は笑みを浮かべて振り向いた。


「うん。わかってるよ、ねえさん」


その悟飯の視線の先には、露出の少ないチャイナドレスに身を包み、心配ながらも笑顔で悟飯を見上げるライの姿。
髪型は幼少期のトレードマークであるお団子をやめ、背中の真ん中あたりまである髪を真っ直ぐ降ろしていた。
顔立ちも体型も大人の女性らしく成長したため、子供の頃ほど悟飯と瓜二つというわけではなくなっていた。


「寄り道なんてしたらだめだからね?いくら筋斗雲に乗っていくからって油断は禁物だよ?初日から遅刻なんかしてクラスメイトに悪印象与えたらだめだよ?」
「わ、わかってるって……」


まるで小さな子供を遊びに行かせる時のような態度を見せるライに、悟飯は頭を掻きながら苦笑する。
大人になったと言っても、昔のように心配性は治ってはいなかった。


「おかあさんもブルマさんも言ってたけど、ぜったいに正体がばれるようなことはしちゃだめだからね。世の普通の高校生にうまく溶け込んで…あ、虐められないようにね」
「ね、ねえさん……わかったから……遅刻しちゃう……」


昨日からずっと同じことを言うライに悟飯はおずおずと告げる。
やはり昔と変わらず、ライには頭の上がらない悟飯だった。


「…じゃ、行ってきます」


なんとかライの心配を振り切り、悟飯は筋斗雲に乗ってサタンシティにあるオレンジスターハイスクールへと向かった。
ライはその姿が見えなくなるまで玄関先に立っていた。


「……やっぱり心配だなぁ。学校なんて集団生活初めてだし、いくら見た目が逞しくなったって言ってもやっぱりどこか抜けてる部分は昔と変わらないし……」


うーんと首を捻りながらライは呟く。
今までずっとこのパオズ山という田舎で暮らしていたためか、やはり都会の学校に通うとなると心配はつきもの。
しかも悟飯一人でとなると、余計にライの心配事は増えた。


「そんなに心配なら、ライちゃんも学校に通うといいべ」


玄関先でのやりとりを見ていたチチが困ったように笑いながら言う。
それを聞いて、ライはううんと首を横に振った。


「あたしが学ばなきゃいけないことは学校にはないもの」


そしてにこりと笑って答え、玄関の戸を閉め家の中に戻る。
チチはその姿を少しだけ寂しそうに見つめた。
本当はチチも、ライを悟飯と同じように学校に通わせようと思っていた。
学者になるという悟飯は当然だが、ライも世間を学び、経験を積むために必要だと思っていた。
だが、ライはいつも同じ答えを返す。
ライにとって学びたいこと、それは漢字や計算などではなく、料理や裁縫といった家庭的なものだった。
立派なレディになってほしい。昔から言っていたチチの願いを叶えるために。
それともうひとつ。ライは口にしたことはないが、学費的な面も考えていた。
働き手のいない孫家ではチチの父、牛魔王の財産で今の生活を補っている。
安定した収入があるわけではないため、悟飯と同じく自分の分まで学費を捻りだすということは難しいのだとライは分かっていた。


「おねえちゃん、おねえちゃん」


部屋の中に戻ってきたライの服を、ちょいちょと摘まむ小さな子供。
その悟空にそっくりな見た目の子供を、ライはひょいと抱きあげた。


「どうしたのー悟天。もう遊びたいの?」


悟天と呼ばれたその子供は、見た目から分かるようにあの悟空の息子だった。
セル戦の前に悟空が残した新しい家族。
ライはもちろん、悟天のことが大好きでよく相手をしている。


「あれ……にいちゃんのじゃないの?」


抱きあげられた悟天はちらりと、食卓の上にある包みを指差す。
ライもそちらに視線を向けると、あっと顔をしかめた。


「ほんとだ、悟飯のだ……。おかあさん、悟飯がお弁当忘れてるー!」


食卓の上にある包みは確かに今朝ライが用意した弁当だった。
初日だからと気合いを入れて作った、重箱5段にもなるライの力作。


「あれま、悟飯ちゃんたら…初日からうっかりさんだべ」
「しょうがないなぁ。おかあさん、あたしちょっと届けてくるね」


その力作をすっかりと忘れて行ってしまった悟飯に少し呆れながら、ライは悟天を降ろすと弁当を大きな鞄に入れる。
チチも、そうするといいとにこりと笑った。


「にいちゃんとこ行くの?ボクも行きたい」
「悟天はだめ。都会は危ないから」
「えー」


面白そうに両手を広げる悟天だが、さすがに同行を許すわけにはいかない。
何かとやんちゃな悟天を、人のごった返す都会でずっと気にしているのは流石のライも無理だと思ったからだ。
不満そうに頬を膨らませる悟天を宥め、ライは弁当の入った鞄を持って外に出る。


「なるべく人様に見つかんねえようにな」
「うん、気をつける」


悟飯と違って筋斗雲ではなく、そのまま飛んでいくためにチチにそう心配される。
筋斗雲に乗っている姿を見られても十分不思議がられるのだが、それでも人が飛んでいるというよりは幾分かマシだという認識だった。
ライもそれは分かっているのか、素直に頷き、手を振ってその場を飛び立った。


「えーと…悟飯の通う学校は……」


悟飯とチチは手続きなどで何回か学校に行っているが、ライは行ったことがなかった。
だが、悟飯がどこに通うかぐらいは知っておかねばと、場所は頭の中に入っている。
初めての場所に少々迷いながらも、ライは無事悟飯の通うオレンジスターハイスクールの真上まで来ることができた。


「………来たのはいいんだけど」


果たしてどうやって届けるべきか。
途中迷ってしまったために、もうとっくに授業は始まっている様子。
その授業を邪魔するわけにもいかず、どうやって届けたものかと、しばらくライは腕を組んで思案していた。


「ん?」


すると、ライは悟飯の気を近くに感じたため、ふと下を見下ろす。
そしてグラウンドに数居る生徒の中から悟飯の姿を見つけた。
授業じゃなかったのかと安心し、悟飯の元へ近寄ろうとしたがすぐに止まる。


「(あ、危ない……空から現れたらさすがに不審がられるよね……悟飯に言っておきながら、自分がヘマしちゃうところだった……)」


直前で思い留まったために、最悪の事態は避けられた。
そしてしばらく様子を見ていると、どうやら休憩などではなく外での授業をしているのだと気付いた。


「あれは…野球だよね。とすると、こっちにボール来ちゃうかも……」


生徒の散らばり方や、ベース、バットの道具を見てそう察したライは場所を移動する。
ボールが高くまで飛んできた場合、自分の姿が見つかってしまうことを避けるためにだ。
そうして校舎側から再びグラウンドを見下ろす。


「……ふふっ、せっかくだから見学しようかな。悟飯がちゃんと学校生活送れてるかも気になるし」


そうして膝の上に鞄を乗せ、楽な体勢で野球を見学することにした。
ちょうど、悟飯もグラウンド上、ライトを守る位置に居る。
もしかしたら悟飯の活躍が見られるかもしれないと、少し楽しみに眺めていると、


「あっ!」


悟飯はシャプナーという人物の打った、明らかにホームランに思える長打を空高くジャンプをして取った。
それを見て、まだ常識のあるライは額を手で押さえる。


「悟飯のばか…」


あちゃーといった表情で、そのままサードにボールを送った悟飯を見つめる。
その、悟飯にとってはそーっと投げたボールですら、受け止めた人間が尻餅をつくほどの威力があった。
宙に浮かんで試合を観戦している自分が言うことではないが、明らかに常人離れしてる。
そのことを悟飯も途中から気付いたのか、帽子を深く被り表情を苦くしている。


「……やっぱり、とてつもなく心配だわ……」


今朝悟飯を送りだす時にしていた心配は的中したと、ライは深く溜息をつく。
そしてさらに、バッターボックスに立った悟飯を見てドキドキと心臓を高鳴らせた。
今度こそ目立ってくれるな……そう願いながら、ライは静かに見守る。


「ああっ!」


そしてライが見たのは、先程相手チームの打者だったシャプナーが放った剛速球を頭で受け止める悟飯の姿。


「(い、今のぜったいわざとだ!虐め…!?虐めなのね…!これが虐めってやつなんだわ…!)」


ライが心配になったのは、悟飯の現在の安否ではなくこれからの学校生活について。
あの球を喰らったところで悟飯がどうにかなるわけではないということは分かっていた。
ライは両手を頬に添え、顔を青ざめさせる。
学校というものを知らないライは、自分なりにテレビ番組や本を読んで勉強していた。
悟飯が学校で何か困ったことがあったときに、何もできずに見ているだけなのは嫌だったから。
その時に虐め≠フ存在を知った。今朝も心配していたように、転校生というのは虐めの対象になりやすいらしい。
このことはライの見た番組や本の受け売りで、完全なる偏見なのだが。


「あ…あれ……?」


デッドボールを受けた悟飯を心配する先生や生徒を見て、ライは目をぱちくりとさせる。
自分が思っていた展開……一方的な千本ノック、途方もないグラウンドの小石広い……そういったものにならなかったことに少しばかり拍子抜けしていた。
悟飯自身も安心したような表情で塁へ向かい、その後も普通に野球を行っているために、ライは自分の考えが取り越し苦労だということに気付いた。


「そ、それもそうよね……あたしが見たドラマは随分昔のだったし……い、今はそんなことしないのかも……」


ほっと胸を撫で下ろしながら、ライはそう呟く。
先ほどライが妄想していた出来事は、昔に作られたテレビドラマの中のものだった。
周囲の人間に心配されているところから、どうやら虐めの存在自体なさそうだった。


「……うん、ちょっとは安心できるかな」


その後は特に目立った行動を起こさず、当たり障りなく野球を終えた悟飯を見てライは優しく笑い呟く。
そして授業終了の合図が鳴り、教室へと戻っていく悟飯たちの姿を見て、ライも今だとばかりに動き出した。


「悟飯!」
「え!?」


教室へと戻ってきた悟飯に、手を振って声をかけたのはライ。
誰もいないはずの教室にライがいるのを見て、悟飯は目を見開いて驚いた。


「ど、どうしてここに!?」
「お弁当。悟飯、忘れてったでしょ」
「あ…ありがとう…」


そんな悟飯に、ライは両手に持っていた鞄を押し付けるように渡す。
責めるような口調だったが、素直に受け取り、すまなさそうな表情になる悟飯を見てライはすぐに笑った。
最初、自分のような部外者が簡単に学校の中に入れるのかと心配だったライだが、意外とあっさり入ることができた。
生徒は全員私服であり、自分も16歳と年相応だったために、校内を歩いても生徒と思われたらしい。
その上、先生に悟飯の教室を聞いたらすぐに教えてくれた。


「あれー!悟飯くん、その子誰?」
「見ない顔ね……」


ぞろぞろと教室に入ってきたクラスメイトたちの視線がライに向かう。
その中から二人の女の子が悟飯に声をかけた。


「イレーザさん、ビーデルさん…」
「こんにちは」


悟飯がそう呟くと、ライは友達が早速できたのかと内心喜びながら丁寧に挨拶をする。
その挨拶を受け、声をかけた二人も少し改まって挨拶を返す。


「あなた、どこのクラス?ていうか、この学校の生徒なの…?」
「あ、ごめんなさい。あたし、悟飯の忘れ物を届けにきただけだから…」


訝しむようにビーデルに言われ、ライは困ったように笑いながら答える。


「忘れ物って……その大きな鞄?」
「はい。お弁当なんです。もう、初日から緊張しているみたいで…」


イレーザの指摘にライが苦笑しながら答えると、二人は驚きその鞄を見つめた。
弁当一つを入れるには大きすぎる鞄。しかも、中身は重量感たっぷりに思える。


「ね、ねえさ………ライ、もう用事は済んだでしょ?早く帰ったほうがいいよ!」
「あっ」


クラスメイトのライを見る視線に耐えかねたのか、悟飯はそう言いながらライの手を引っ張る。
急なことに驚きながらも、しっかりとクラスメイトたちに向け丁寧にお辞儀をするライを、悟飯は泣きたくなる思いで教室から連れ出した。


×