「本っ当、最低!」 夕暮れ時の静かな教室に悲痛そうに震える声が響いた。 ぐっと握る拳が客観的に見て分かるくらいに震えていた。悲しみなのか怒りなのか、はたまた両方なのかは分からないけど。 それを言われた彼は特に何かしらの表情を作らず、はぁーと面倒そうに息を吐くだけだ。 彼が何も言わないということは、彼女の言葉は私に向けられたものなのかもしれない。まぁ、どちらでもいいんだけど。 彼、仁王雅治と私はついさっきまでこの教室でキスをしていた。そしてそれを仁王の彼女であるこの人に見つかったというわけだ。つまり修羅場だ。 「そんな人だなんて思わなかった!」 「……そうか?俺はてっきり、そういう奴だと分かった上で一緒におると思うとったんじゃが」 喚くように言う彼女にようやく仁王は口を開く。 だが面倒そうな態度は変わらず、彼女の方を見ようともしていない。 それを私はどこか他人事のように見ていた。私はこの場から去った方がいいのかな。彼女泣きそうだし。 「っ……ひどい……私は、本気だったのに……」 「それはありがとさん。でも残念じゃが、それはお前さんだけだったということじゃ」 うわあ、悲惨。私が言うのもなんだけど、酷い言葉だと思う。よくそんなこと平気で言える。 仁王の辛辣な言葉に彼女は拳だけでなく全身をわなわなと震わせた。返す言葉も見つからないようだ。 そして行き場のなくなった感情の捌け口に私を選んだのか、彼女は怖い目で私を睨んだ。 「あんたがたぶらかしたんでしょ!」 「……うーん……たぶらかしたというか、」 「うるさい!この泥棒猫!」 少し言葉に語弊があるから説明をしようとしたらうるさいと言われた。理不尽。 そしてつかつかと私の元へ歩いてきて渾身の力で平手を打ってきた。 ビンタされたのは初めてで、痛かったけど貴重な体験ができたなぁと思ってしまった。 しかも泥棒猫って実際言う人いるんだ……と冷静に思い、感動すらした。 「もういいわよ!こっちから振ってあげる!もう二度と私に関わらないで!」 私を殴って少しはすっきりしたのか、彼女はまた喚きに近い形で仁王を振った。 バタバタと駆け足で教室を去っていく。 なんだか急な嵐に見舞われたような気持ちになる。少しだけ呆然と教室のドアを眺めていたけど、思い出したように仁王の方を見た。 「そもそも告白した覚えもされた覚えもないんじゃがのう」 どこか嘲笑するような表情で吐き捨てるように言った。 そして私の方へ向き直り、そっと殴られた私の頬に手を添えた。 「ビンタまですることないじゃろうに。痛かったじゃろう」 まだジンジンとした痛みと熱があるため、きっと仁王から見れば赤く腫れていることだろう。 でも仁王はあまり心配そうな顔はしない。形式的な言葉をかけているだけのような気もした。 「痛いよ。でもそれだけ彼女があなたを愛してたってことじゃないの?」 私も特にこれといった表情を作ることなく仁王に向けて言った。 すると仁王は少しだけ嫌そうに眉をひそめた。 「愛、のう。それは全然違うぜよ」 でもすぐに自嘲気味に笑って否定した。 「あいつは、自分の男だと思っとった奴が別の女とキスしたから怒っとるんじゃ。自分のものを横取りされたことに怒っとるんじゃよ」 「……だから、そこに愛があるんじゃ……」 「愛やのうて、ただの独占欲じゃ。自分の玩具を取られて癇癪を起こす子供と一緒じゃ」 まるで仁王は彼女の心の内が分かっているかのように決めつけて物を言う。彼女の気持ちなんて知りようがないのに。 でもそれは私も同じで、自分の陳腐な頭では到底彼女の心理が理解できないため、仁王の言葉を信じることにした。 「愛って、なかなか見つからないのね」 「そうじゃよ。俺も困っとる」 私は真剣に呟いたというのに、仁王は飄々とした態度と半笑いの表情で言う。 そして今度は私を見て笑った。 「痛い目も見たことだし、やめるか?」 言って、私の反応を窺う。 ああやっぱり、この人は評判通りの詐欺師だ。紛れもない最低男だ。 だからこそ私は仁王を選んだんだ。 「やめないわよ。まだまだ、始まったばかりなんだから」 「ほう……やっぱり、変な奴じゃ。お前さんは」 そう言いながら仁王は私の頭を慣れたように撫で、そっと引き寄せキスをする。 変な人に変な人と言われるのは少し腑に落ちないけど……私は特に何も反抗せずに目を閉じてキスを受け入れた。 彼女が教室に入って来る前にしていたことと同じ。 放課後の遅い時間といっても、また誰かが入って来るかもわからないのに、懲りない人だ。 懲りないというより、さっきの彼女の激昂を見てもきっと何も感じなかったんだろう、この人は。 自分のことながら大した興味もなく、他人事なのだろう。 しばらく角度を変えながら啄むようなキスをしていたと思えば、突然唇をこじ開けるようにして舌が入ってきた。 最初はこのぬるっとした感触が苦手で眉を寄せたけども、慣れてしまえばそれすらどうでもよくなった。 慣れる、とはいっても私が仁王とキスをするのは今日が初めてで、今のが2回目だ。 最初のキスでまさか他人(というか仁王の彼女)に見られるとは思ってもいなかったけど、その可能性は十分にあることは分かっていた。 仁王は所謂、超がつくほどの遊び人。その評判はきっと同学年だけでなく下級生のところでも有名なことだろう。 女の子をとっかえひっかえは当たり前、複数と関係を持つことも当たり前、身体だけの関係も当たり前。そんな最低な男。 それでも私が本命だと哀れにも信じるさっきの彼女みたいな子もいるから驚いたものだ。 このキスも、初めてな私でも違和感なくできているということは、きっと仁王が上手いのだろう。経験値の差だ。 「桜花、もっと口を開けんしゃい……」 先生が生徒に教えるような優しい口振りで言う仁王の言葉に私は従う。 するとさらに深いキスを仁王はしてきた。舌が食べられてしまうんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。 実際、私と仁王は先生と生徒みたいな関係に近い。 私は生まれてこの方、恋愛というものをしたことがない。まだ中3だしそれも普通だと思われるかもしれないけど、恋愛をしたことがないだけではなく理解もできなかった。 テレビに出る俳優やアイドルを見ても、確かに見た目は良いねとは思うけど好きという感情は湧いてこなかった。 三次元がだめなのかと思ってアニメみたいな二次元も見てみたけどやっぱり好きは分からない。 同年代の女の子がよく見ている、胸キュン必至といわれる恋愛漫画も片っ端から見てみたけど……好きだと思うどころか登場人物たちの心情が全く理解できなかった。 愛してるから甘えたいとか、毎日一緒に居たいだとか、触れたいとか。 逆に愛してるからこそ叱るだとか、離れるだとか、触れられないとか。 一つも理解できなかった。 愛≠ニいう無形のものがどんなものか知りたかった。見てみたかった。感じたかった。 だからこそ、そういう色恋にたくさん触れているであろう仁王の元に来た。 この人なら愛とは何たるか知ってると思って。女の子なら誰でもよさそうだし、ほぼ初対面な私にも教えてくれると思って。 そうして放課後呼び出してその旨を告げた。 愛と言うものが何なのか知りたい。あなたはきっと知っているでしょう。 だから教えて欲しい。愛って何なの?好きってどういう気持ちなの? 楽しいの?嬉しいの?切ないの?悲しいの? 笑顔になれるの?泣きたくなるの? 自分が強くなれるの?それとも弱くなってしまうの? 今まで誰にも言えなかった疑問を全部投げつけた。 たくさんの人と恋愛関係になっている彼なら、きっと全部答えてくれるだろうと思った。 彼は最初黙ったまま、訝しげに私を見るだけだった。 最初から飛ばしすぎたかな、と自分の言動を反省し始めた時、彼はゆっくりと歩いて私との距離を詰めてきた。 そしてにやりと笑って私の頬に手を添えた。ついでに腰にも手を添えられた。 「それは新しい口説き文句かのう?」 自嘲気味に笑いながら彼が呟き、私の是非も問わずキスをした。 もちろんびっくりした。私の知りたい愛の形から二、三段ほど段階をすっ飛ばしていることも分かった。 だけど荒療治……というものでもないけど、形から入るのもありなのかと思った。 テレビドラマでも漫画でも、恋愛にキスはつきものだった。愛し合う男女の最高の愛情表現。それがキスだという認識。 仁王との間に愛情はないからか、キスは柔らかくてあたたかいという認識しかなかった。だけど、そのうち愛情が芽生える可能性があるかもしれない。 それが叶う叶わないはどうでもいい。愛さえ知ることができればよかった。あとは、どうでもよかった。 「………」 「………」 長いキスかが終わり、私と仁王の唇が離れる。 久しぶりに空気に触れて唇がひやりとした。 でも、それだけ。 キスが終わって名残惜しいとか、もっとして欲しいとか。何も感じなかった。 「……お前さんの言葉は信じちゃる」 無表情のままの私を見て、仁王はぽつりと呟いた。 私は評判だけで仁王を選んだ。でも、それは少し間違いだったのかもしれない。 彼女と仁王のやり取りを見て思った。 彼女の行動について深く考えようともせずに切り捨てた仁王。 傷つけたのではと思うことすらせず、むしろ自分が傷ついたような態度さえとった。本人はそう思っていないかもしれないけど、私にはそう見えた。 たぶん、彼も私と同じだった。 「お前さんは、本当に俺のことを何とも思ってないんじゃな」 「……ええ。私はただ、愛が何なのかさえ知れればいい」 言うと、仁王はくつくつと笑った。 確認するように言うということは、最初の私の言葉は本当に信じていなかったのね。まあ別にいいけど。 色々な女の子に色々な言葉で言い寄られた仁王らしい判断だ。 「無垢じゃな。可哀想なくらいじゃ」 また仁王は笑った。でも今度の笑いは、馬鹿にするようなそんな嘲笑ではない。 「そんな答えの出ないもん、よう考えようと思うぜよ」 切なそうに眉を下げた、同情に近い乾いた笑い。 やっぱり、彼は私と同じだった。 彼も愛を知らないんだ。知らないから、片っ端から手探りなだけなんだ。 そして私と違うところが一つだけある。 彼はきっと、もうずっと前から愛を知ることを諦めている。考える事を放棄している。 愛を知りたい私と、愛を諦めた彼。 ねえ、仁王。 愛って難しいんだね。 ただ、愛を知りたかっただけ (そんな疑問を抱くことすらきっと、彼にはひどく滑稽に惨めに見えるんだろう) 仁王くんの夢は久しぶりですね。もう口調が迷子です……。 最初は「※」ページの夢として書いていたのですが、どんどん内容が長くなってしまい短編置き場へ。 内容としては「※」ページの方が合っているんでしょうが、たまにはこういうのもありでしょう。 仁王くんが悪者みたいになってしまってすみません。ですが遊び人詐欺師がまた似合うんですよね……個人的にツボです。 |