私のことを知っている人はみんな、私のことを強いと思っている。 「あ、桜花先輩。ちーっす!」 「ちーっすじゃなくて、お疲れさまでしょ」 「へへっ、お疲れさまでしたーっ」 大きく手を振って、にこにこ笑顔でそう言う切原。 先輩に対しての態度があんなだけど、憎めないのは彼がとても人懐こいからかな。 全く、と私はペンとノートを持ってテニスコートを眺める。 今は日も大分傾いた放課後。部活も終わり、学校から生徒がどんどんいなくなる時間。 さっきまで気合のある声やボールの跳ねる音、黄色い歓声までもが響いていたコートもすごく静かだ。 「さてと……チェックしようかな」 この立派な設備を持つ男子テニス部、そのマネージャーを私はやっている。 全国大会優勝の常連校だから部員数も多く、個性的な選手も多いうちのテニス部。 それを私一人がまとめるのは中々大変なんだけども、その分やりがいがある。 「お疲れ、桜花」 「おっつかれーぃ」 そう気合を込め直していると、後ろから声をかけられた。 声の主はジャッカルと丸井だった。 「二人ともお疲れさま。今日も二人は息ぴったりの練習だったね」 「まぁな。俺はもう、こいつのこと何でも知ってるからさ」 「……そう言って、試合中一生懸命合わせてんの俺だけどな」 自慢げな笑顔と共に、調子よく言う丸井に少し呆れ顔のジャッカル。 だけど二人が仲が良いことは知っているし、これも一種のお約束みたいな会話なのを私は知っている。 「それより、赤也はもう帰ったか知ってるか?」 「切原?さっき校門の方に行くのを見たけど」 私が正直にそう言うと、ジャッカルは安心したのか、ふうっと息を吐く。 「そうか……それならいいんだ、ありがとう」 「ジャッカルのやつ、また赤也にアイスたかられないか心配してんだよ」 そんなジャッカルを不憫そうに、でも面白そうにも思っているのか丸井がにやにやしながら言う。 これ以上増えられると困るんだよ、とジャッカルは一番の原因である丸井を見ながら呟いた。 ……丸井にたかられることは、もう諦めているのね。 「切原は甘えるのが上手だものね」 相変わらず、こうして文句を言っている割には三人は仲が良い。 それがよく分かるから、私も控えめに笑いながらそう言った。 「全くだ。赤也も、お前くらい頑張ってるなら、そういう気も起きるんだがな」 「あいつはなぁ、遠慮も知らねえもんな」 二人とも、手を焼く弟を想うみたいな表情で言う。 そしてジャッカルの方は、私に自販機で買ったらしいカフェオレを手渡した。 「えっ、これ……」 「今日もこれから残るんだろ?あんま根詰めすぎんなよ」 「そうそう、俺からの差し入れ、受け取ってくれよぃ」 どこか優しい二人の表情に、私は思わぬ事態に一瞬言葉が出なくなる。 だけど嬉しくて、すぐに笑ってお礼を言った。 「俺からの、って、買ったのはジャッカルなんでしょ?」 「ちぇっ、それは言わねえ約束だろ」 どうやら当たっていたようで、丸井は嘘がばれた子供のような表情で笑う。 そしてゴソゴソとポケットを漁り、 「はいっ、俺からはこれな」 そう言って手渡されたのは、丸井が愛用しているグリーンアップル味のガムだった。 「ふふ、ありがとう」 「これを食って糖分補給すれば、桜花ならあっという間に仕事も終わるって」 「ああ、桜花は頑張り屋で弱音も吐かねえからな」 こちらも素直に受け取って、お礼を言う。 二人はにこにこと笑って、そう褒めてくれる。私も笑顔のままそれを聞いた。そんなことないよと、謙遜しながら。 そして二人はまた「お疲れ」と言葉を残し、校門へと向かっていった。 私はその二人の後姿をしばらく見つめ、貰った差し入れは仕事が終わってから頂こうと一旦部室まで戻る。 「お、桜花、今日も遅くまで残業かのう」 「いつもお疲れさまです。私たちも何かお手伝いしましょうか」 部室に入ると、もう誰も残っていないと思っていて油断していたが、仁王と柳生がいた。 二人とも制服に着替えているところを見ると、たまにしているダブルスの作戦会議かな? よくトリッキーなことをする仁王がいるから、柳生もよく頭を捻りながら丁寧に作戦を練り上げる……意外と陰で頑張っている二人だから。 「残業というか、これが私の仕事だもの。部活時間内でやりきれなかったから」 「そりゃあ大変じゃろ。一人で俺らの世話をしてくれてるんじゃからな」 「多少の仕事が残っても仕方ありませんよ。お一人で回せていることの方が凄いくらいです」 どこかくすぐったい誉め言葉を聞きながら、私は先程ジャッカルと丸井に貰った差し入れを机の上に置く。 「なんじゃ、これ」 「さっきジャッカルと丸井に貰ったの」 「差し入れですか。ジャッカルくんならともかく、丸井くんは珍しいですね」 確かに確かにと、仁王も否定しない柳生の口ぶりに、私も少し笑ってしまう。丸井、今頃くしゃみとかしていないといいけど。 「でも、そうじゃなあ」 「そうですね……」 笑う私を他所に、二人はほぼ同時に呟いた。 一体どうしたのか、不思議がる私に二人は申し訳なさそうにこっちを見た。 「申し訳ありません。私も、普段頑張っている桜花さんに何か……と思ったのですが、手持ちに何もなくて」 「俺もじゃ。歯痒いのう」 予想していなかった言葉に、私は慌てて胸の前で両手を振った。 「い、いいよそんなこと。何か欲しくて仕事をしているわけじゃないんだし……」 「そんな打算的なこと考えとらんのは知っとるよ。ただの俺たちの気持ちじゃきに」 「そうですよ。桜花さんがサポートをしてくださるから、私たちが伸び伸びと部活に励めているのですから」 にいっと笑う仁王と、爽やかな笑みで言う柳生。 ああ、二人の言葉はとても嬉しい。いつも頑張って良かったと、そう思える……。 「そうじゃ、仕事が終わったら、俺が桜花の肩を揉んでやるよ」 「に、仁王くん!それは少々……」 「なんじゃ……紳士は固いのう」 仁王がぱっと思いついた提案を言うと、横から柳生が眼鏡をくいっと直しながら口を挟む。 いつもの仁王の冗談だっていうのは分かるけど……柳生はあまり冗談が通じる相手じゃないからなぁ。 それを分かってて行動している節も否めないけれどね。 「もう、仁王も冗談はほどほどにね。私、そこまでやわじゃないんだから」 「はは、それもそうじゃな。桜花は十分、根性あるからのう」 「ええ……毎日毎日、桜花さんの頑張りは素晴らしいですからね」 ありがとう、と私は二人の厚意だけは受け取っておく。 どうやらまだ作戦会議は続けるらしく、しばらく部室に残るとのことだった。 二人も頑張ってねと言葉を残し、私は部室から出る。 また少し、陽が傾いた空を見つめながら、私はぎゅっとノートを握りなおして倉庫へと向かう。 無意識に早足になりながら、部室から少し離れたところにある倉庫への道を歩いていると、 「桜花」 また背後から声をかけられた。 私は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。 「お疲れ」 「ご苦労だな」 最初に声をかけたのは柳、そして隣には真田まで立っていた。 「二人とも、遅くまでお疲れさま」 私はにこりと笑みを浮かべながら二人の言葉に応える。 「うむ。桜花もな。どこへ向かっているんだ?」 「倉庫よ。在庫確認ができていなかったから……ごめんなさい」 「謝る必要などない」 真田の疑問に答えると、柳が首を振ってそう言った。 その言葉に真田も同意だったのか、そうだと口を開いた。 「我々部員がこなせない仕事をお前は一人でやっているのだ。手が回らんことの一つや二つ、おかしくもなんともない」 「ああ、お前はよく頑張っている。皆それをよく分かっているし、責める者などいない」 「………ありがとう」 二人が誰かをこうも手放しに誉めることは珍しい。 自分にも厳しく、他人にも厳しい真田が言うなら尚更。 柳は比較的いつも優しく、また褒め上手。だから切原も懐くんだろうけど。 「桜花がここまでよく努力をしていると、我々が卒業した後が大変そうだな」 「ふむ……それもそうだな。赤也のやつが同じようにやれるとは思えん」 なんだか話が派生して、二人は顔を見合わせていた。 「赤也は調子者で口達者だが、裏仕事に関してはすぐに弱音を吐くだろうし、手も抜くだろう」 「今の内から叩き込んでおくのも手だな」 この場にいない切原がなんだか可哀想にも思える内容……。 「でも、切原は部長になるんだから、裏方は覚えなくてもいいと思うよ」 「全く……桜花もあまり赤也を甘やかさないでくれ。元々、桜花もマネージャーの仕事を部長の幸村に教わっただろう」 「各々の役割や仕事を把握するのも部長の仕事だ。……まして、桜花が一人でこなしていることをできないとは、赤也も言えないだろう」 「ああ。いくら桜花が器用で手際が良いからと、言い訳はさせられんな」 二人の中で、後任の育成予定がどんどん膨らんでいく中、私は苦笑しかできなかった。 本当……二人とも、私を買い被りすぎだよ。 「その時は桜花、お前にも頼らせてもらう」 「それがいいだろう。弦一郎だけでは、赤也は逃げ出しそうだ」 「あ、はは……その時が来たら、私も頑張るよ」 ただでさえ切原は真田に対して苦手意識があるもんね……。 と、そんな他愛もない話はここまでで、私は区切りをつけて歩を進めた。 最後の最後、二人からも鼓舞の言葉をもらい、私はようやく目的地である倉庫についた。 「………」 私は少しだけ周りをきょろきょろと見回す。誰もいないことを確認して、倉庫のカギを開けた。 扉を開けると、独特な匂いと共に、道具類が綺麗に整頓されている光景が目に入った。 「あれ……」 おかしいな。いつも1、2年の子が道具を出し入れするから、あまり整頓されていないんだけど……。 「桜花」 私が呆然としていると、横から声をかけられた。 ……今日はよく声をかけられる。戸惑いながらも声の方を向くと、 「………精市」 夕日を背に、優しい笑みを浮かべた精市の姿があった。 驚いている私を他所に、精市ははいと私にメモを手渡す。 「備品の在庫確認、やっておいたよ」 未だに状況が把握できていないけれど、渡されたメモには確かに、私が普段確認している備品の種類分、数量が記入されていた。 「……どうして、」 「桜花はいつも頑張ってくれているからね、今日くらい、俺がやってもおかしくないでしょ」 そう言って、精市は無害な……とても綺麗な、笑みを浮かべた。 私にテニス部のマネージャーをやってみないかと誘った、あの時と同じ笑み。 「っ……余計なこと、しないでよ……!」 その笑みがあまりにも綺麗すぎて、優しさが、苦しくて……私は手に持っていたノートやペン、貰ったメモまで地面に叩きつけた。 そして両手が空気に触れたのも束の間、私は顔面を両手で覆った。 「こんなこと、私一人でできるのに……っ、精市に、頼らなくても……」 本当は叫びたかった。 だけど、他の誰かに聞かれるかもという万が一の心配をして、声を控えめに私は精市に言った。 せっかくの優しさを踏みにじるような……こんな態度をとられても、精市は穏やかな雰囲気を変えずに私の目の前に立っている。 「……桜花、ごめんね」 「!!」 何故か、精市が私に謝る。 どうしてと一瞬思ったけど……次の言葉で私はすぐに、その見当がついた。 「最近知ったんだ。君が……心無い言葉に晒されているのを」 やっぱり。精市はそれを知ったんだ。 だけど、それでも……あなたが私に謝るのは、あまりにも筋違いだ。 「男子テニス部のマネージャーをしていることを、気に食わない人がいるのに気付けなくて、ごめんね」 精市はゆっくり私に近づいて、泣きそうな顔を必死で隠す私の両肩に手をおいた。 「桜花は責任感が強くて、てきぱきと率先して動いてくれるし、小さい頃からそんな姿を見ていて……俺にとって、すごく頼りになる存在だったんだ」 少しだけ、精市の手が熱っぽいのが分かった。 いつも、涼しげで穏やかな精市の、見えにくい気持ちを……代弁しているようだった。 「だからマネージャーを頼んだ。……君に支えて欲しかったんだ。そうしたら俺たちが、いや、俺が心強いから」 「………っ」 「だけど、君は強がりすぎたんだね」 未だ精市の表情を見ることができない。 だけど、声が少し悲しそうなことは分かった。 「本当は、辛くて、苦しくて、悲しいのを……我慢していたんだよね」 精市とは幼馴染、とういわけではない。小中と同じ学校で同じクラスになることも多く、たまたま他の人より距離が近かっただけ。 だけど、私も彼のことを尊敬していた。彼が必死に打ち込むテニスに、興味があった。支えてみたいと思った。近くで見たいと思った。 そうしたら、自然と周りの仲間たちも目に入って……精市と同じ夢と志を持つ仲間が。 皆素敵で、頑張っていて……私もその姿を、応援したかった。 マネージャーの仕事は私の誇りだった。私が色々と頑張れば、皆が快適にテニスをすることができる。 「っ……私は、強くなんてないんだよ……」 ようやく発した一言。精市はうんと頷いてくれた。 「本当は弱音だって吐きたいし……根性だってないし……逃げ出したいときだって、あるんだよ……」 ごめんね、皆。 皆は私をそう評価してくれたのに。 今日、私が部活内にやりきれずに仕事を残してしまったこと。 皆はそれすらも、すごいと、頑張り屋だと、丁寧だと、褒めてくれた。 だけど本当は違うの。 サポートにも慣れてきて、皆とも仲間意識をもって接することができてきた最近。 彼らを応援している、他の子たちの目に私が邪魔者として映っていることを知った。 いつもコートの遠い外からしか自分たちは応援できないのに、あの女はずるい。 ……そう不満を持った一部の子たちから、陰口や無視など、そんな小さいことだけど……されるようになった。 コートに居るときは、人目もあるからそんなことはない。 だけど部室から少し離れた倉庫、ここに部活中在庫確認をしようとした時、待ち伏せをされて取り囲まれたことがあった。 暴力などは受けていない。大半は言葉の暴力、というやつだった。 目障りだ、マネージャーを辞めろ、とろい、皆の足手まといだ、など。 怖いといった気持ちが芽生えたわけでなない。ただ、悲しかった。そして悔しかった。 例え言い返したとしても、数の暴力、さらに倍になって返ってくる八つ当たりの言葉。 それが、耐えがたい苦痛だった。 「でも、皆は……私に期待をしてくれる。私も、それに応えたくて……それに、」 私はゆっくりと、顔を上げる。 心配そうに、切なそうに私を見つめる精市を目が合った。 「皆に泣きついたりとか……そんなことできないし、したくなかったの」 悲しいし、悔しいし、苦しい。 だけど、私はそれを皆に見抜かれたくなかった。 「……泣きたいくらい苦しいよ、でも、」 弱いと思われたくなかった。そんなことで弱音を吐くのかと失望されたくなかった。 皆はそんな風に思わないって、分かっているけど、それでも怖かった。 私の問題で皆の足を引っ張りたくなかった。それこそ、本末転倒だもの。 「……俺も、今まで桜花が泣いたところ、見たことなかったよ」 私の勝手な思い込みで今まで耐えてきた。泣けたら、楽だったのかもしれない。 助けてと素直に言えたら、もっと苦しい思いしなくてよかったのかもしれない。 「桜花は強いよ。だけど、弱いんだね」 「……私がもっと頑張れば、陰口も言われなくなる……そう、思って頑張ろうと思ったの。そうしたら……皆も、困らせることもない」 だけども私の心は弱いままだった。今日だって、その恐怖から逃げてしまった。 そんな私なのに皆は凄いと評価してくれる。助かってると頼りにしてくれる。頑張れと応援してくれる。 本当は嬉しいのに、すごく、複雑だった。張りぼての自分を皆は見ているような気がして。 「……だけど……っだけ、ど、」 ……少しだけ、本音を漏らしていいのなら。 私は……本当は、ずっと皆の前で泣きたかった。皆が思っているほど私は強くないよと叫びたかった。弱い自分を受け入れてほしかった。大丈夫かと心配してほしかった。助けてとすがりたかった。 問題を解決してとまでは言わないけれど……自分が抱えている不安や恐怖を、皆に聞いてほしかった。 皆に、慰めてほしかった。 「……桜花は、頼り方が下手だね」 言葉の続きは発せられなかったけど、精市は気持ちを汲んでくれたようだった。 優しく言いながら、大きな手で私の頭を撫でてくれる。 私がしてほしかったことを、精市はしてくれた。 「……精市は、私を見抜くのが上手だね」 皆を騙すことはできても、精市は騙せなかった。 泣きたいと、助けて欲しいと叫ぶ、私の心も見つけてくれた。 「桜花は、俺にとって大事な人だからね。気付くのが遅くなったのは、本当にごめん。情けないよ」 「……そんなことないよ、だって、」 精市の手があたたかくて。心が、言葉が全てがあたたかくて。 「私は今、すごく救われた気持ちだもの」 初めて、全ての感情が詰まったような涙が、私の頬に一筋伝った。 泣き虫になって、慰めて欲しかった (翌日から、早速精市は皆に事情を話し、陰口を言っていた子たちに自ら話をつけにいった) (部員の皆からは心配され、どうして言ってくれなかったのかと少しだけ責められた) (そしてマネージャーの仕事の一部を平部員に分け、私の仕事も手が空いた時は皆手伝ってくれるようになった) (甘えすぎかな?そう言うと、精市はそんなことないよ、まだ足りないよと、冗談ぽく笑った) 長い割に、内容が薄いような……そんな気がします。 なんだか各部員との他愛のない絡みがいらなかった気もしますが……どれだけヒロインが頼られているかを表現したかったんですね。うまくできませんでしたが。 幸村さんとの絡みが一番薄い気が……いや、というか幸村夢……? 一応友達以上恋人未満的な立場なのですが、それすらも伝えられなくて頭が痛いです。 |