「おー……そろそろだな」


俺はふわっと風が吹いた瞬間、校門付近にある桜を見上げた。
大きくてどしっとした幹には細くてたくさんの枝があって。
その先には、堂々とした幹には似合わないほど繊細で淡い色をした蕾がついていた。
俺はその光景に感嘆の声をあげる。


「たまにはこうやってじっくり見るのもいいかもな」


この校門は毎日通っているのに、こんなにも桜を見つめたのはこの時期になって初めてだ。
登校してくる時には部活に遅れないように急いでくるし。
下校の時はケーキやら何やらを奢らせようとくっついてくる連中をあやすのに忙しいし。
だからこう、卒業前になって一人で下校することも多くなったこういう日は珍しい。
赤也は部活で慣れない部長の仕事を頑張ってるみたいだし。
ブン太とは相変わらず放課後を一緒に過ごすけど、たまにある補習で今日みたいにいない日もある。
だから、こうやって一人で下校するというのは本当に珍しいことで。


「満開になるのが楽しみだな」


まあ、その桜が満開になる頃には俺たちはここを卒業しちまうんだが。
寂しいと言えば寂しい。
だけどまあ、エスカレータ式だからほとんどの奴がまた高校でも顔を合わせることになるんだけどな。
と、そんな風にまだ蕾の状態の桜を眺めながら歩みを始めると、


「ジャッカルくん待ってええええええええええ!」


後方から聞こえる叫び声。
俺はぎょっとして振り向いた。
すると目に見えたのは……物凄い速さで走ってくるクラスメイトの姿だった。


「ぜえぜえ……げほっ!」
「お、おい…大丈夫かよ」


かなり無理して走ってきたのか息は荒くて、おまけにむせている。
俺は苦笑を浮かべながら声をかけると、


「ジャッカルくん!」
「うおっ」


目の前の女……クラスメイトである桜花が勢いよく顔をあげた。
俺は驚きながらも、俺を真っ直ぐ見つめる桜花を同じように見る。


「ジャッカルくんのジャケットのボタンください!」
「えっ……はああ!?」


急に何を言っているんだこいつは。
元々突拍子もなくて馬鹿な奴だとは思っていたが……。


「待て、落ち着け桜花。お前はおかしい」
「お、おかしくないよ!この学校は学ランじゃないからジャケットのボタンって言ってるだけで、今でもちゃんと第2ボタンをもらう風習っていうのはあるし、それに…」
「いや違う。俺が言いたいことはそうじゃない」


そうきっぱり言うと、桜花は不思議そうに首を傾げた。
そして何か考え付いたのか、はっとした顔になったと思うと今度は悲しそうな顔をして、


「もしかして……もう誰かにあげちゃったとか……」
「あげてねえよ!俺が言いたいのは、まだ卒業式まで2週間あるっていうのに今もらうのはおかしいって言いてえんだよ!」


方向違いなことを言っている桜花に、思わず早口で言ってしまった。
今俺が言った通り、卒業式までまだ2週間ある。
それなのにボタンを貰いにくる奴なんていないし、それにあげたところで俺はジャケットのボタンがないまま残りの日数を過ごすことになる。
そこに気付いていないのか、こいつは……。


「じ、じゃあ…ジャッカルくんのジャケットのボタンはまだ健在なのね…」
「……ああ。この通りな」


何故か嬉しそうに言う桜花に、俺は呆れながらもジャケットのボタンを見せる。
しっかりと確認した桜花は安心したのか再び顔を綻ばせた。
ったく……こんなふうに優しい顔をしたら桜花も普通に可愛いのにな。


「よかった…。なんかごめんね、私焦っちゃって」
「いや、別にいいけどよ……なんで急にボタンのことを…」
「……だって、他の子に取られたくなかったんだもん」


俺が聞くと、桜花はむすっと口を尖らせて言った。


「取られるって……俺はブン太や幸村じゃないんだから」


自分で言ってて少し情けなくなるが、仕方がない。
あいつらが異常なくらいモテているのがおかしいんだ。
俺は普通だと言いたい。


「そんなことないよ!!」
「!?」


すると桜花はくわっと怖いくらいの顔でそう言った。
まさか反論されるとは思っていなかった俺は、思わぬ反応に目を丸くする。


「ジャッカルくんは自分で気付いていないのが恐ろしいよ!その優しさと心遣いにどれだけの女の子をその気にさせてきたことか!それなのに本人に自覚がないから私たちは深く落ち込んできたっていうのに…!」
「ちょっと待て落ち着け!お前はまず落ち着け!」


あまりの形相と早口でどんなことを言っていたのか理解できなかったが…。
とりあえず、両手を前にして桜花を落ち着かせた。


「……じゃあ、予約ね」
「え?」


ふう、と溜息をついた桜花は悪戯を仕掛けたような子供みたいな顔で言った。
俺はまたも予想していない言葉に聞き返す。
するとまた、桜花はにこっと笑って。


「ジャッカルくんのボタン!私が一番に予約したから、他の子にはあげないでね」
「お、おう…」
「ふふっ、やったあ!絶対に、絶対だよ!」
「ああ……わかったって」


子供みたいにはしゃぐ桜花を見て、俺は少し口元を緩めながら言った。
まったく、こいつには本当に驚かされる。
ボタンのこともそうだが……まさかこうまであからさまな好意を向けられるとは。


「早く来ないかなぁ、卒業式!」


俺の隣を桜花が歩く。
こんなことに、まさか特別≠感じられる日が来るなんて。


「あ、ボタンを貰う時、ジャッカルくんにサプライズワードを言うから!」
「へえ……楽しみだな」
「まだ内容は秘密だけどね!それまで少しドキドキしてて!」
「わかったわかった。俺も今のうちに考えておくぜ。………そのサプライズワードとやらの返事をな」
「!」


俺の言葉に桜花は珍しく驚いた顔をした。
だがそれもすぐに口元から緩んでいき……いつもの、にへらとした笑みへと変わった。


これでまた一つ、卒業までの楽しみができた。





あの桜が満開になる頃に、
(俺たちの間にも、新たな何かが芽生えるかもしれないな)




そろそろ卒業シーズンなのでこのネタを。
誰からボタンが欲しいかって想像したとき、ぱっと浮かんだのがジャッカルくんでした。
ボタンをねだられて困っているジャッカルくんが書きたくて!
純な恋愛を書こうと思ったら……とんでも少女のできあがりでしたが;
というか、途中まで書いてて「あれ?立海って学ランじゃなくね?」と気付きましたが気合いで乗り切りました。
いいじゃないですか。ジャケットボタン。いいじゃないですか。
初めてのジャッカルくん夢、優しくて苦労人でイケメンなあなたが好きです。