※背徳的表現有



「こんばんは、ユズさん」


暗い森の中。
悟飯はその闇に溶け込むようにぼうっと立っていたユズの後ろ姿に声をかけた。
驚きはしなかったものの勢いよく振り向いたユズは目を合わせる前に駆け出し、悟飯に抱きついた。
そして無言のまま、悟飯の唇に自らの唇を重ねた。
突然の行為だったが悟飯は驚くこともせず、そっとユズの背中に手を回した。
そしてゆっくり、あまり肉付きのよくないほっそりとしたユズの背中を撫でた。
その感触すら味わう余裕も見せず、ユズは悟飯に貪るようなキスをする。
二人の耳に聞こえるのはお互いの微かな吐息と、暗い森のざわめきだけ。
終始ユズがリードしていたキス。それも突然終わりを迎えた。


「……あなたはこれで満足ですか?」
「………うる、さい」


キスを終えても目を合わせようとしないユズに、悟飯は少し冷静に、疑問を投げかける。
ようやく口を開いたユズは、小さく返した。
俯いて悟飯には見えないユズの顔。だが、安易にユズの感情は読み取れた。
少しだけ眉を寄せて、悟飯は目の前にあるユズの頭を撫でる。
だがそれもすぐに振り払われた。


「………なによ、笑いたいなら笑えばいいじゃない」
「僕が一度でもユズさんを笑ったことがありますか?」


至極優しく言うと、ユズはまた黙った。
悟飯から見ると小さなユズが、また余計に小さく見える。


「……惨めに、思ってるんでしょ」


今度の言葉は、先程まで強気だった言葉とは打って変わって、震えていた。
自分でそのことを自覚しているから、言われる前に言っているようで悟飯は悲しそうに眉を寄せた。
実際、悟飯は惨めとまでは思っていないが、目の前の彼女を憐れんでいた。
こうすることしかできない彼女を。


「っ……なに、」
「ユズさん、目を閉じて。リラックスして」


くいっとユズの頬に手を添え、自分の方へ向ける。
ユズが文句を言いたそうに口を開いたところで、悟飯はもう片方の手でゆっくりとユズの目を塞いだ。
まだ一度もユズと目を合わせていない。だが、それでもいい。


「ゆっくりと深呼吸して……そして、想像して。今ユズさんの頬を触っている手は、父さんの手だよ」
「!!………」


優しくあたたかい声でユズに囁く。
するとユズの唇は何かを言いたげに、だけどやめたのかきゅっと固く結ばれた。
ユズが素直に目を閉じたのが気配で分かった。
そして震える手で、頬にある悟飯の手を恐る恐る触れる。


「…………悟、空」


思わず零れたというように、ユズの口からその名が吐き出される。
悟飯は眉を寄せながら、それでも少しだけ微笑んだ。
きっと彼女は今、自分のごつごつした大きな手を、想い人である悟空のものだと想像して触れている。
自分にはあれだけ身勝手に抱きついて、不器用なキスをするというのに。
ああ、可哀想に。彼女は、密かに愛する人……自分の父にはそれができない。
悟飯はそっとユズの目を覆っていた手を動かす。閉じられたユズの瞼を見ながら、もう一度ユズの頭を撫でる。
ユズはびくりと驚きはしたが、今度はさっきみたいに振り払ったりはしなかった。
今、彼女の中でその行為をしているのは悟空≠セからだ。


「………」


悟飯は、何も言わずにユズを見つめる。
そしてユズが悟空にしてほしいであろうことを、ユズにしてあげた。
必死に自分の気持ちを押し殺しているユズに。
言わずもがな、自分の父は結婚しており、自分という子供もいる。
それでも悟空を好きになってしまったユズ。
その気持ちにいち早く気付いた悟飯は、ユズに声を掛けた。
報われない恋は止めた方がいいだろう、と。
ただただ辛くなるだけだろう、と。
それからだ。悟飯とユズのこの関係が始まったのは。
彼女は諦められなかった。悟空のことを愛してやまなかった。
悟飯は悲しくなった。彼女が憐れで仕方がなかった。
だから、顔や背格好の似ている自分と、疑似恋愛……いや、それ少し言葉が綺麗すぎる。
これは彼女の憂さ晴らしに過ぎない。
姿が似ていたとしても、所詮偽物は偽物。ユズの気持ちが晴れることはなかった。


「悟空………?」


悟飯の手が頭と頬で止まっていることを不思議に思ったユズはそっと呟いて悟飯の顔がある方を見上げた。
もちろん、目は閉ざされたまま。彼女は必死に、悟飯を悟空だと思い込もうとしている。
今日も、自宅近くまで来たらしいユズに呼ばれ、この暗い森までやってきた。
ユズには悟空の気持ちを無理矢理自分に向かせる度胸も非常識さも、なかった。
そして諦める勇気も。その姿が悟飯にはたまらなく、虚しく歪に見えた。


「んっ……」


悟飯は健気に待つユズの唇に自らの唇を重ねた。
突然のことに少し驚きはしたが、目を開けることはなかった。
先程とは違い、ユズは受けの姿勢を保ったまま。
……悟空が相手だと思うと、こうも態度が違う。
悟飯は薄目を開けユズの反応を見て、複雑なものだと自嘲した。
そして自らに問いかける。どうして自分はこんなことをしているのかと。
ユズを憐れに思っているのは変わらない。
だが、だからと言って自分はユズのことを好き、というわけではない。
悟空の代わりをやって、悲しいとも思わなければ悟飯として見て欲しいという気持ちもない。
自分を好きになってほしいとも。


「……っ、ユズ……」


だからこんなにも苦しいのだろうか。心をかき回されるのだろうか。
毒にも薬にもならない、この無意味な関係の意味を。
ただの同情で済ませていいのか。


「っ!」


急にユズの顔が離れ、自分の頬にユズの平手が飛んできた。
その威力は全然大したことないが、目を開けてユズを見ると、悲痛そうに自分を睨んでいた。


「……ごめん」


泣きそうにも見えるユズの表情を見て、悟飯は小さく呟く。
目を閉じて悟空を想像しているユズにとって、自分の小さな声すらも邪魔なのだろう。


「……ううん、私の方こそ……ごめん」


そして彼女自身も、煩わしそうに悟飯を殴った手を強く握った。
元は、自分の我儘でしている行為。最初に提案したのは悟飯だが、その相手に対してする仕打ちではなかったと、すぐさま反省したようだ。


「こんなこと……いつまで続ければ……」
「……ユズさんの中から、父さんが消えるまで」


後悔したように、自分の手で顔を覆うユズ。
その姿がなんだか小さく見えて、悟飯はそっと肩を抱いた。
また嫌がられるかと思ったが、今度は素直に受け入れてくれた。


「消えないよ……そんなに簡単に消えたら、こんなに苦労してないんだから……」


そっとユズを支えながら、悟飯は近くにある丸太にユズを座らせた。自分も、静かに隣に座った。


「じゃあ、父さんに無理にでも伝える?」
「っ……」


その息子から出るとは思えない言葉に、ユズは息を詰まらせる。
できないと分かっているのに、酷い質問だ。


「できないって自分でも分かってるなら、辛い期間を長くさせるだけですよ」


それはユズも分かってること。悟飯もそれか分かっている。
だが、言わずにはいられない。
自分と逢う度に傷つく彼女を、悟飯は放ってはおけなかった。


「……それか、本当に僕のこと好きになってみる?」


至極冷静に悟飯は言ってみる。
ユズは想像していなかった言葉なのか、はっと悟飯を見た。


「もしユズさんがそれを望むのなら、父さんのことを忘れさせることはできるかもしれないよ」


甘い、甘い甘言を悟飯はユズに囁く。
にこりと笑みも交えてみると、ユズは乾いた声で笑った。


「……親子そろって……酷い人ね」
「僕は本気だよ」


本気で、忘れさせてあげることはできると思っている。
忘れさせてあげる≠アとだけだが。
その真意に気付いているかのかいないのか、ユズは首を振った。


「誰を好きになるかは自分で決められる。……例えそれが、辛い選択でも」


ああ、こうして彼女はまた振り出しに戻るんだ。
一歩も身動きができず、いつまでも続く地獄の道のりを、入り口から見つめるだけ。
留まるも踏み出すも、どちらも苦痛を伴うと知っているから。


「悟飯、あなたは悟空とは違うもの」
「……そんなこと、言われなくても分かってますよ」


確かに悟空だったら、こんな回りくどいことをせずにこの問題を解決するのだろう。
だが、自分は悟空ではない。これが自分のやり方だ。
傷を舐めることしかできない自分とは、きっと違うだろう。


「………なに?」


ふと、悟飯はユズの頭を撫でてみる。
ユズは無理な抵抗こそしなかったが、訝しげに悟飯を見上げた。


「僕は、ユズさんを惨めには思っていませんよ」


それは、冒頭にユズが言った言葉への、気持ちばかりの返事だった。
そんなことか、とユズは興味なさげに目を伏せる。


「憐れには思っていますけど」


そうして放った言葉に、ユズが不愉快そうに悟飯を再び見上げた時。
悟飯はタイミングを計っていたように、ユズを抱きしめた。


「なっ……」


驚くユズを他所に、悟飯はユズの耳元で囁く。


「僕は父さんにはなれない。だけど、代わりはできる……」


何度も伝えているであろう言葉。
もう一度噛み砕くように伝え、


「ユズさんが満足するまで、利用して構いません。キスも…ねだればそれ以上のことだって……僕はユズさんにしてあげます」


小さな背中を撫でる。
こんな小さな身体で、重たい罪を望んで背負おうとしている憐れな子羊。


「僕はユズさんの味方ですからね」


その行く末が、どうなるかだけ見届けさせてもらうから。





君と僕との間に愛だけが無かった
(小さな同情から生まれた、残酷非道の興味)




悟飯くん……きみはそんな子じゃないだろうに……。
だがそれがいい。と言わんばかりに私はこんなどことなく無感情?な悟飯くんが好きです。
利害の一致が、ないんですよねえ。どちらかと言えばマイナスになりうる関係。
だけどヒロインは自分の感情に嘘でも救いが欲しいから止められない。
悟飯は哀れみしかなかったはずが、諦めないヒロインの気持ちにだんだんと興味が湧き、自分を下手に見せつつ、ヒロインの出す、もしくは陥る結論を見届けることにする。打算的な関係。