「岳人ー!委員会のプリント持ってきたよー!」


昼休み、隣のクラスの岳人に用があって教室の外から声をかける。


「おー、桜花!もうちょい待って!」


すると教室の真ん中あたりの席から岳人の返事が聞こえた。
友達数人と携帯ゲームで対戦している途中らしい。
全く……こっちの気も知らずに呑気なんだから。
本当ならプリントくらい教室に入って岳人の机に置けば済む話なんだろうけど、いくら昼休みで人がまばらとはいえ、流石に他クラスに問答無用で足を踏み入れるほど私は度胸があるわけではなかった。
それに、このクラスにはあいつもいるし……。


「お、久しぶりやな、桜花ちゃん」
「っ……お、忍足……」


岳人を待っていると、私に気付いたのか忍足が私に近寄ってきて挨拶をしてきた。
声をかけられてしまった……私は動揺しながらも忍足を見上げる。
彼は穏やかで優しそうな微笑を浮かべながら私を見ていた。


「久しぶり……」
「すまんな、岳人熱中すると止まらへんから」
「い、いいのよ別に、岳人がああいう風なのは知ってるし……」


私はその微笑を1秒と見て居られなくて視線を下へ逸らした。
人の目を見て話さないのは失礼なことだとは思うけど、私はどうしても忍足と面と向かって会話をすることができなかった。
何というか……嫌い、というわけじゃないけど……苦手なんだ。忍足のことが。それは初対面の時から変わらない。


「そやな、二人幼馴染やもんな」


ふっと笑って言う忍足。見た目は誰もが格好いいと言うし私もそう思う。
今忍足が言った通り私と岳人は幼馴染で今でも仲が良い。
今は同じ委員会の件でここに寄ったけど、普段から色んなことを話せる大事な相手だ。
そんな岳人と忍足がダブルスのパートナーになったとうことで私と忍足に接点ができた。
ダブルスパートナーとしては勿論だけど、普通に友達関係としても二人は仲が良かったために、岳人からも紹介された。
それまで私は忍足のことはよく知らなかったけど、その時面と向かって話をして初めて、私はこの人が苦手だと直感で思った。


「良かったら、そのプリント岳人に渡しとこか?」
「えっ!?」
「桜花ちゃんもせっかくの昼休みに待ちぼうけなんは嫌やろ?」


別に忍足に変なことを言われたとか傷つくことをされたとか、そういうわけでは全くない。
今の提案も忍足の善意によるもの。気遣いもできて優しい人だと思う。
それにあの猪突猛進な岳人の相手をしてくれてるんだもの。凄いとも思う。
岳人が仲間として信頼しているのだから私も同じように思いたいんだけど……。
本当、自分でも理由はわからない。どうしても苦手が払拭できない。もしかしたら生理的なものなのかもしれない。


「だ、大丈夫!岳人ももうすぐ終わるって言ってたし!」


プリントを受け取るために差し出された手を見て私は後ろに半歩後ずさりをした。
そして苦笑しながら首を振って断る。
忍足は特に傷ついた様子もなく、わかったと頷いた。


「お待ちどーさん!」


ここでようやく岳人がゲームを終わらせてやってきた。
私は助け舟が来たような気持ちになり、ばっと岳人を見る。


「遅いよ岳人の馬鹿!」


忍足と二人きりだった気まずさから解放されたからか、私はぶっきらぼうに岳人に言う。
まさか罵倒されるとは思っていなかった岳人は不思議そうに首を傾げた。


「なんだよ、今日は機嫌悪いのか?」
「そ、そんなこともないけど……と、とにかくプリント渡しておくね!」


それ以上追及されると困るため、私はとにかくプリントを岳人に押し付けて背を向けた。


「明日の委員会について書いてあるから、ちゃんと読んでおいてよ!」


そして吐き捨てるように言って私はその場を去った。
ああもう……こんな風に渡したいわけじゃないのに。これじゃ情緒不安定だと思われる……。
岳人と二人の時は別に何ともないのに、忍足が傍にいると思うといつも通りにできない。緊張、とも違う気がするけど、とにかくその場から離れたくてたまらなくなる。
どうしてだろう。今まで、理由もなく人を嫌いになったことなんてないのに。





翌日の朝。
登校中に岳人とばったり会ったため、一緒に学園まで行くことになった。


「なぁ、桜花って侑士のこと好きなのか?」
「………は、はああっ!?」


並んで歩いていると突然岳人が変なことを言ってきた。
私は理解するのに数秒かかって……理解できた時、周りのことも考えずに大声を出してしまった。


「うるせーなぁ。近所迷惑だろ」
「なっ……そ、それは岳人の所為でもあるんだけど……!」


わざとらしく耳を塞いで私をジト目で見る岳人。
私は慌てて声のボリュームを押さえ、それでも岳人を責めるような声音で呟く。
普通こんな道端でそんなこと言う!?


「いくら図星だからって、俺の所為にすんなよ」


今度はしたり顔でそんなことを言った。
元々馬鹿だとは思っていたけどここまでとは思わなかった。


「図星じゃないし、好きでもないんだけど……」
「またまたー。俺には隠さなくっていいんだぜ?」


呆れた口調で言ってみるも、岳人はにやにや顔のままだった。
正直ぶん殴りたくなったけど、そうするわけにもいかず私は口元を引く付かせながら聞いてみた。


「ど、どうしてそう思うの……?」
「だってよ、侑士と話してる時の桜花の態度は他とは違うからな」


うん、忍足のことが苦手だからね。


「昨日も教室のドアん所で話してた時、桜花緊張してただろ」


緊張というよりは怯えてたんだけどね。


「俺が合流した時怒ってたのは、侑士との仲を邪魔されたからだろ?」


あの時私遅いよ馬鹿って言ったよね?


「前から思ってたけど、昨日のあれで確信したな。うん!」
「自己完結するんじゃない!」


岳人の中で考えがまとまっていくのを感じ、私は慌てて口を挟んだ。


「あのね岳人、私は忍足のことなんて少しも……」
「いーっていーって!確かに侑士は人気あるからさ。好きだっていうのは恥ずかしいよな」
「だから、違……」
「安心しろよ。俺誰にも言わねえし、なんだったら桜花の協力してやるし!」
「岳人いい加減……」
「あっ!そうこうしてる間に時間がやべえ!部活に遅れちまう!」


私が呼び止めるのも虚しく、岳人は猛スピードで私を置いて行ってしまった。
足の速さだけはいいんだから……私は追い付けるわけもないため早々に諦めた。
それにしても全く話を聞かないよね岳人は。昔っからこうなんだから……。
普通なら何て頼りになる幼馴染なのってときめくところなんだろうけど……というか岳人は自分でそう思っているだろうけど。
それが盛大な勘違いだということを早く教えてあげなきゃ。
また昼休みにでも会いに行こう。岳人は誰にも言わないって言ってたから、それは信用できるし。
ああ、学園へ向かう足取りが一気に重くなった……私、客観的に見たら忍足が好きみたいな態度取ってたのかな……それも少なからずショックだよ。





そして昼休み。
お昼を食べるのも後回しにして岳人の所へ向かおうと席を立つと、


「桜花ー!一緒に昼食べようぜ!」
「!?」


既に私の教室のドアから岳人がひょこっと顔を出し手を振っていた。
隣には忍足も連れて。


「すまんなぁ、岳人が今日は桜花と食べようって言い出して……」


呆然とする私の所にすたすたとやってくる二人。
この二人は平気で他クラスに入ってこれるのね……じゃなくて。
どうしてこうなった?
……なんて、答えは分かってる。岳人がいらない気を利かせたんだ。


「今日は天気もいいし、屋上に行こうぜ」
「ちょっ、私まだ食べるなんて……」
「ほら、やっぱり迷惑やろ」


俺に任せろといい笑顔になっている岳人に私は苦笑する。
そしてその苦笑を見て忍足も同じく苦笑して岳人に言った。
私はその気を遣っている忍足を見て、少し胸がずきっと痛んだ。


「いいって、侑士は気にすんな!ほら、早く!」
「………わ、わかったよ」


私は仕方なく岳人の強引な誘いに乗ることにした。
卑怯、とか不誠実、とか思われるかもしれないけど。
私は忍足のことを苦手だと思っているけど、それを忍足に悟られるのは嫌だ。
ここで全力で抵抗してしまえば、忍足は不信に思う。そして岳人は幼馴染のため、自分に原因があると思うだろう。
そうなるのは避けたかった。


「やっぱり屋上は気持ちいいな!」
「せやな。ちょっと風もあって心地ええし」
「………」


屋上に移動すると確かにぽかぽか陽気に少し風もあって心地よかった。
だけど私は素直に喜べない。これから三人でご飯を食べると想像しただけで憂鬱になる。
でもきっと、岳人はこの私の沈黙を照れだと思っているんだろうなぁ。
誤解を解きたいけど、忍足が一緒にいるためにそれができない。
本当思い立ったが吉日というか、行動だけは早いんだから困る。


「桜花ちゃん、そこ少し傷があるからこっちの方がええよ」
「あっ……う、うん」


座ろうとしたところにあるコンクリートに穴が開いているのに気付いた忍足が別の場所を勧めた。
私はその厚意を控えめに受け取り、少しだけ場所をずらした。
三人で丸くなってお弁当を広げて会話をしながらご飯を食べる。
会話といってもほとんど岳人が話題を提供していた。
それに笑みを交えながら受け答えする忍足。話したがりの岳人に最適な聞き上手を全うしている。
私も時折岳人からの振りに適当な相槌を打ちながら最低限会話に参加していた。
ああ……早くこの時間が終わらないかな。
立ち話だとなんとか距離を空けられるけど、座っていると難しい。
いつもより少しだけ忍足との距離が近くて、どうしたらいいか分からなくなる。


「そういえば桜花知ってたか?侑士のこれ伊達眼鏡なんだぜ」
「……そ、そうなんだ……」
「なんや岳人急に。そんなん別にええやん」


話の流れというわけではないけれど、岳人が急にそう言い出した。
だからといって私が興味を惹かれるわけじゃないけど……岳人からしたら、好きな相手の情報を知りたいだろうという気遣いだろう。
言われた忍足は、隠していたわけじゃなさそうだけど急に暴露されたからか驚いていた。


「テニスの邪魔になるし外せって言ってんだけどな」
「言うてそんな邪魔やあらへんわ。テニスに関してなら、岳人よりも視野は広い思てるで」
「なっ!クソクソ侑士!これでもくらえ!」


図星を突かれたからか、岳人は言いながらお弁当の中にあったミカンの皮を忍足の目の前で折る。
その勢いで数滴のミカンの果汁が忍足の眼鏡にかかった。


「……ったく、岳人はほんま短気やなぁ」
「いくらなんでも子供みたいだよ、岳人」
「桜花まで……。こういう時は口は回るんだな」


さっきまであまり話さなったことを皮肉に思った言い方。
でも気にしない。中3にもなってやることかと私は溜息をついた。


「えっと……忍足、大丈夫?」
「ああ、眼鏡のおかげで目には入らんかったしな。平気やで」


なんだか自分の子供が迷惑をかけてしまった親の気分……。
さすがに忍足が不憫に思えて声をかけるけど、忍足はほとんど気にしていないみたい。
岳人と違って大人だなぁ。そして岳人を嗜めはするけど怒ったりはしない。
良い人だな、と思う。そして自分はどうしてそんな良い人を苦手なのか、心が痛くなる。
少し胸がずきんと痛んだけど、それには気付かないふりをして目の前の忍足をちらっと見た。
忍足は眼鏡を取って自分のハンカチでレンズについたミカンの果汁を拭いている最中だった。


「――――――っ!!」


私はそれを見て心の底から驚いた。思わず声が出てしまいそうになるのを堪える。
初めて忍足の眼鏡をとった顔を見たからだ。
私は衝撃のあまり忍足の顔から目を逸らせない。いつもは無意識に逸らしてしまうのに。
瞬きをするのも忘れていた。どうして……どうして、今まで気づかなかったんだろう。
忍足って、こんなに格好いい顔してたっけ……?
いや、格好いいのは知っていた。周りがよく言っていたし。


「桜花どうした?」


私が呆然としていることに気付いた岳人が訝しげに問う。
それを聞いた忍足も気になったのか、眼鏡を拭く手を止めて私をちらりと見た。
眼鏡のない忍足と目が合う。私はいつもとは違う意味で心臓が高鳴り、顔が一気に熱くなるのを感じた。


「あ、もしかして侑士の顔に見惚れてんじゃねーの?」
「何を言うとるんや岳人。物珍しいだけや」


岳人が茶々を入れ、忍足がそんなわけないだろうという顔で言う。
私はようやくはっと我に返り、慌てて忍足から視線を下へと落とす。
そこで目に入ったのは忍足がいつもつけていた眼鏡……。


「俺かて、裸眼見られるん恥ずかしいんやから」


どうやら岳人の茶々は忍足にも多少なりダメージがあったのか、そう困ったように言った。
そんな会話がどこか遠くに聞こえる中、私は忍足の付けていた丸眼鏡を見た一瞬、遠い昔の出来事を思い出した。
あれはそう、小学校低学年の頃の話。
私は昔から岳人と仲が良かったため、その繋がりから結構男の子に混ざって遊ぶことも多かった。
とはいえ女の子の友達が少ないわけでもなく、普通に楽しい学校生活を送っていた。
だけど、たった一人の女の子から私は嫌われていた。誰も知らない所で悪口を言われたり、足を踏まれたり突き飛ばされたりと軽い暴力を受けていた。
きっとその子は岳人のことが好きだったんだと思う。だから岳人と仲が良くていつも一緒にいる私のことが嫌いになったんだ。
その子からの虐めのような行為は彼女が2年後転校するまで地味に続いていた。
行為はエスカレートしたりせずに、ずっとチクチク言われる悪口に、誰かに言おうにも偶然だと言い逃れできるレベルの暴力。
腹立たしいしどうして私がとは思っていたけど、でも助けを求めるほど辛かったわけではないため、誰にも言っていなかった。
それに彼女が転校してからは平穏無事だったため、今まですっかり忘れていた。
……つもりだったけど、2年間私の中に蓄積されたストレスや暗い感情、苦手意識は今でも私の中に残っていたんだ。
思い出した。
彼女もまた、忍足と同じような丸い眼鏡をかけていたことを。


「………桜花ちゃん、どうしたん?」


昔のことを思い出しており一瞬固まっていた私を心配してくれたのか、忍足はいつの間にか綺麗に拭った眼鏡をかけて私の顔を岳人同様覗き込んでいた。
私は全て理解した。
忍足のことを苦手だったのは、あの時の彼女と似た眼鏡をかけていたからだ。
私は忍足自身を苦手に思っていたわけではなかったんだ。


「……なんでもないよ。ごめんね」


今まで考えても考えても分からなかった原因が分かった。心の中にあった靄が一気に晴れていくのを感じる。
あれだけ目を見られなかった忍足の目も、眼鏡越しでも見ることができる。
初めてじっと見つめる忍足の目は少し切れ長で……でも私を心配する目には優しさが込められていた。


「……桜花ちゃんに見つめられるの初めてやな。なんや、嬉しいわ」


そして眼鏡の中の忍足の瞳は閉じられ、笑みを滲ませる。
忍足って、こんな風にも笑うんだ。


「桜花は意外と照れ屋なとこあるからなー。やっぱ、侑士の顔見て照れてたんじゃん」


にししと少し意地悪っぽく言う岳人。
また勘違いしてる……。と言いたいところだけど、今度はあながちただの勘違いではないかも。


「ふふっ……うん、そうかも。私、忍足に見惚れてたかも」


得体の知れない苦手意識から解放された私は、ほっと安心して肩の力を抜く。
いつもなら怒って否定した岳人のからかいの言葉にも、笑って素直に受け取ることができた。
忍足の前でこんな風に笑うのは初めてだ。


「桜花ちゃんが……笑った……」


忍足が驚いたようにぽつりと呟く。隣では岳人も驚いていた。
私は呆然と私を見ている忍足を見つめて、


「今までごめんね、忍足。私、ようやく分かったの」


そう言って微笑んだ。
すると少しだけ頬を赤くした忍足が困ったように首を傾げて「何が分かったんや?」と聞いてくる。
私はそれには何も答えず、ただにこりとだけ笑った。

現金だと思われるかな。
たった一つのチャームポイントに振り回されて感情を左右されるなんて。
でも、今回私の中に生まれた感情は得体の知れないものではない。
きちんとした、あなたへの恋心だった。


岳人の誤解も、解く必要はなくなっちゃったかな。





うそみたいなほんとのおはなし
(まさか、超苦手な人が大好きな人に一瞬で変わるなんて)
(だけどまずは今までのお詫びも兼ねて、ゆっくりゆっくり……一からお友達として関係を築いていかなきゃ)





久しぶりの忍足さん夢です。
いつも関西人ならではのノリを提供してくれるキャラで長編などでは重宝している存在ですが……たまにはこんな雰囲気の彼もどうでしょう。
なかなか迷走してしまい、長いだけのお話になってしまった感が否めませんが……。
たまには、ただただ良い人な忍足さんも素敵な気がします。