「うわ、今日も来たよ…幽霊」 私が教室の扉を開けると、それまで楽しそうに会話をしていた人たちの表情が変わる。 そして一斉に陰口を始める。それらは全て私に向けられていたもの。 それだけで分かるように、私は世間一般に言ういじめられっ子≠セ。 真っ黒で、長い髪を背中まで伸ばし、前髪なんて…切る前は鼻の下まであった。 そして性格なんて最悪。社交性はゼロ。無口で暗くて……存在感なんて皆無。 そんな私に相応しいのか、クラスメイトからのあだ名は一貫して幽霊=B いつも無表情で。無感情な目をして。誰とも関わろうとしない私にはぴったりだと思う。 ……うん、自分でも本当にそう思う。 だけど悲しいなんて思ったことない。私にとってこれが普通だから。 学校というものに縛られるようになってから…友達なんてできたことない。 人見知りで。人とどう関わるのがベストか知らないから。 中学2年生になった今でも、それは変わらない。 でも、不登校になることはなかった。そうしたら本当に負けだと思ったから。 だから私は、いつもそこに居るのか居ないのか分からないように過ごしている。 ずっとずっとそうして生きてきた。 だけど……現在はそうはいかない。 「おはよう、芹名さん」 この…中2になって初めて隣の席になった鳳長太郎という人物のせいで。 彼はかなりのお人好し兼鈍感なのか、こうして私に話しかけてくる。 きっと、私が虐められていることに気づいていない。 ただ友達のいない女の子≠セと思って話しかけて、友達になろうとしてくれている。 そんな馬鹿な彼は、返事なんてしない私に今日も挨拶をしてきた。 「今日は久しぶりに良い天気だね」 青い空なんか嫌い。輝く太陽なんかもっと嫌い。 鳳くんの言葉に私は心の中で答える。 表情は……かなり鬱陶しそうな雰囲気を作っている。 本当は話しかけてほしくない。彼はあまりにも穏やかすぎて…見ていて苛々してくる。 2年に進級した当時は、何も知らない風に積極的に話しかけてくる彼に、からかっているのではないかと疑っていた。 だけど、嫌というほど人間を見てきた私は、彼の言葉や態度に悪気はないと気付いた。 だから余計にタチが悪い。 「芹名さんは?やっぱり晴れが好き?」 これだけ無視しているっていうのに、彼は話を止めない。 それには理由がある。 「………嫌い。雨の方がいい」 「あ、そうなんだ。俺も、テニスはできないけど、雨も好きだよ」 私が気まぐれで……こうして返事をするから。 その時は決まって、彼は嬉しそうに笑う。 相対して私は嫌そうな顔をする。 彼の意見にどれだけ反対する言葉を言っても…彼は笑って受け入れてくれるから。 だから私は不満なんだ。彼が苦手なんだ。 「それに、芹名さんが雨好きだって言うから……俺も、もっと雨が好きになるかも」 「………何それ」 彼は誰にだって優しいから。 人の優しさに慣れていない私は勘違いしてしまう。 愚かだって分かってる。馬鹿だって分かってる。 だけど……こんなに穏やかな笑顔を向けられたのは初めてだから。 私は知らないうちにあなたに惹かれてしまっていた。 不似合いだと自分でも思う。だから捨てたいけど捨てられない。 あなたへの、この醜い恋愛感情を。 あのテニス部の正レギュラーで、家柄も人柄も良い鳳くん。 容姿も、性格も、運動神経も教養も最低な私。 誰に聞いたって、愚の骨頂だと嗤われる。 傷つくだけだって分かってる。でも、初めてだから。 誰か、他の人間を好きだと思うこの感情が。 すごく、貴重なものだと思ったから―――――― 「………はぁ」 私は溜息を吐きながら弁当箱を広げた。 ここはあまり人の来ないお手洗い室。 その洋式便座の上に座り、そこで弁当を食べるのが私の日課だった。 皆も私がここに居ることに気付いているのか、お昼時は同じ学年の子はほとんど来ない。 そして、昼になって急に天気が悪くなって降ってきた雨の音を聞きながら…いつものように一人で弁当を食べる。 だけど、今日は違った。 「っ!!」 上から突如降ってきた大量の水。 それは私の頭から爪先までを濡らし、弁当までも濡らした。 ……まだ、食べていなかったのに。 「あっはははは!ざまあみろ!」 「お前なんかが鳳くんと話しているからいけないのよ!」 「さっさと消えちまえ!幽霊女!」 そして思う存分私に対して罵声を浴びせ……彼女たちは去った。 声から、クラスメイトの女の子たちだと分かった。 私は無言のままお弁当を片づけ、立ち上がった。 髪から、服から、弁当箱から水が止めどなく滴り落ちる。 冷たい。寒い。辛い。惨めで、苦しい。 直接的な虐めを受けたのは久しぶりで……以前持っていた負の感情が全て蘇ってきた。 中2になって、鳳くんのおかげで忘れられようとしていたこの気持ち。 あの笑顔を思い出せば、我慢できたあの悲しい感情。 それも……もう、我慢できないよ。 優しさを知ってしまったもの。あなたの、あたたかくて大きな優しさ。 負の感情とは全く違う、妙に心地良い感情を知ってしまったもの。 どうしてくれるの?あなたに会えば会う程、私は弱くなってしまう。 以前の私じゃなくなってしまう。 一体、どうしてくれるの………。 ぴちゃ、ぴちゃ。 私は濡れた姿のまま、教室へと向かった。 そして扉を開けると…一斉に向けられる視線。 だけど今回は少し違う、侮蔑じゃなくて驚愕。 数歩歩くと、異変に気付いた鳳くんが信じられないという形相で駆け寄ってきた。 「芹名さん!?どうしたの、こんなに濡れて…」 「………外、出てたの」 「え?こんなにどしゃ降りの中……?」 私の言葉に、鳳くんは部活用のタオルで私の頭から水を拭ってくれた。 やめて。お願い、やめて。こんなことしないで。 辛いの……クラスメイトたちの視線が。 前までは何とも思っていなかった憎しみの視線が。 「っ……鳳くん、そんな奴に関わるの、やめた方がいいよ…!」 「そうだぜ、幽霊女なんか、放っておけよ!」 ほら、痺れを切らしたクラスメイトが口々にそう言う。 その言葉に、鳳くんは眉根を寄せてクラスメイトたちを見回した。 「それって、どういうことだよ…」 「鳳くんは優しすぎるのよ!だから、その幽霊女に騙されてるの!」 「そうだぜ、お前がお人好しすぎるから、それに付け込んでるんだよ、その女!」 私は俯いたまま、黙ってその会話を聞いていた。 冷たい。未だに制服から滴り落ちる水滴を見ながら、私はひたすら俯いていた。 「皆何言ってるんだよ…?」 あれだけクラスメイトから言われても、鳳くんは私の傍を離れない。 そんな些細なことが嬉しくて。嬉しくて。 でも、 「っ…!どうして分かんねえんだよ!」 「もしかして…本当に、その女に騙されてるんじゃないの?」 「そうか…おい幽霊!お前鳳から離れろよ!」 矛先が私へと向かった途端…私は悲しい決意を決めた。 これ以上事が大きくなって、もし鳳くんが嫌われたら。 私はそんなこと許せない。私はどれだけ嫌われたっていい。 でも…優しい鳳くんは違う。こんな惨めな気持ち、知らなくていい。 馬鹿ないじめられっ子は、それ相応の立場にいなくちゃいけない。 ごめんなさい、鳳くん。 「っ!」 私は鳳くんを突き飛ばした。 大きな鳳くんは…数歩後ろによろけただけだったけど。 目をまん丸にして、私を見つめた。 「………もう私に関わらないで」 私は、あなたさえ嫌われなければ。 「私、あなたのこと元々大嫌いだったから」 学園の敵になってもいい。 「っ……芹名、さ…」 初めて見つめた、鳳くんの綺麗な瞳。 もう、身体を濡らす水滴が…水だけの所為なのかも分からない。 鳳くんが拭いてくれたはずの頬に、新たな水滴が伝っていく。 そして私はその場から逃げるように去った。 走って、走って……とにかく、誰もいないところを目指した。 もうすぐ授業が始まる時間。私が向かったのは、屋上へと続く階段の踊り場だった。 「………っ、ふ…」 知っていたじゃない。初めから。 私なんかが抱いた恋心……叶うはずもないって。 でもね、でもね…鳳くん。 「わあ……びっくりした。似合うよ、その髪」 「………」 「そんな顔しないでよ。本当のことなんだから」 初めて前髪を、目がしっかりと見える位置まで切ったとき。 驚きながらも笑顔で褒めてくれた。 他の誰もが不信がったのに。彼だけは……似合うよって。 その時に私は……気付いたんだ。 どうして急に前髪を切ろうと思ったのか。 それは、もっと鳳くんの姿が見たいと思ったから。 鳳くんにもっと見てもらいたいと思ったから。 鳳くんのことが好きだと気付いたから。 「っ……う、」 ごめんなさい。あれだけ優しくしてくれたのに。 あんな形で傷つけて。私は最後まで、あなたに迷惑かけた。 初めから出会わなければよかった。私なんか、知らなくてよかった。 そうすればこんな苦しい気持ちにもならなかった。鳳くんだって同じ。 でもね、これが最善の選択だと思ったの。 これ以上私に関わって、あなたが嫌われるのが怖かった。 本当に、怖かった。初めて、怖いと思ったの。 「ご、めんなさいっ……鳳くん……」 こんな私に、笑顔を向けてくれて。 「っ……好き、でした……」 そう呟いた瞬間、耳に聞こえる…階段を駆け上る大きな足音。 振り返ろうと思ったよりも早く、包まれる身体。 大きな手が……私の身体をしっかりと掴む。 「ここに居たんだ……芹名さん」 「っ……鳳、くん……?」 その声は確かに、鳳くんだった。 それは切なそうな声だった。 私は涙が零れそうなのを我慢して……鳳くんに告げる。 「………離して」 「離さない」 「………濡れるよ」 「構わない」 「………どうして来たの」 「君が心配だったから」 言葉を重ねるごとに強くなる鳳くんの腕の力が。 私の枯れかけた心に潤いを与える。 「やめてよ………お願いだから、離してよ…」 「どうして?君は今……泣いてるよね」 「泣いてなんか…」 耳元で聞こえる鳳くんの力強い言葉……。 振り払いたいのに、そんなことできなくなるよ……。 決めたのに。私はあなたに嫌われようと決めたのに……っ。 「私は、あなたのこと嫌いって……」 「もう嘘はつかなくていいよ」 必死に振り絞った言葉も、鳳くんの言葉で掻き消される。 どうして……どうして、そんなにあなたは私のことを心配してくれるの? それは、あなたの優しさ故なの? 「………私に優しくしないで」 「これは優しさなんかじゃないよ」 「………?」 「俺は……ううん、俺も、君のことが好きなんだ」 その言葉は私にとってとても衝撃的なものだった。 唇がかたかた震える。これは、嘘なの? ……ううん、私知ってる。この人は嘘をつくような人じゃない。 だとしたら……? 「君…さっき呟いてたよね。俺のこと好きだって」 「………聞こえてたの…?」 「うん。それで俺嬉しくて…」 ぎゅっと、鳳くんの腕に力が入る。 少し苦しかったけど……涙が出そうなくらい、心地良かった。 「それなのに…今まで気付けなくてごめんね。君が…あんな状況にあったなんて…」 「………ううん…いい。そんなこと、いいよ…」 「っ……俺、これからはずっと君の傍にいる……」 ああ、神様。 こんなこと……あっていいのでしょうか。 初めて好きになった人に…好きになってもらえて。 今まで不幸だった分…まるで帳消しになったみたいに、幸せです。 「鳳くん……っ」 「絶対に俺が守る。君を一人にしない。一人にさせないから……」 「っ……」 「だから、もう一人で傷つかないで。俺がいるから。頼りないかもしれないけど……」 「………そんなこと、ない…っ」 私は瞳から…大粒の涙が流れたのが分かった。 でもこれは悲しい涙じゃない。嬉しい涙だ。 「………本当に、いいの…?」 そう告げると、鳳くんは一瞬私を離して、向き合う形にした。 そして、私の大好きな笑顔で、 「もちろん。だって俺は、君のことが大好きだからね」 「――――――っ」 優しく、私を見つめて答えてくれた。 いじめられっ子恋物語〜両想編〜 (人を好きになれて…ううん、あなたを好きになれて、本当によかった) |