「う……」
「ロスト寸前で止めてやった。ありがたく思いな」


体を震わせながら、なんとか立ち上がろうとする遊騎に零は無表情で言い放つ。


「もうやめろ遊騎。オレはお前の拳では二度と斃れない。絶対に」


そして今度は強い眼差しで遊騎を見据え、迷いのない言葉を送った。
俯き聞いていた遊騎は、歯軋りをしながら怒鳴る。


「ずるいやんか!オレが獲った左腕かえせ!なんで生き返んねん反則やろ!」


その言葉には怒気だけではなく、悲壮や悔しさが滲んでいた。
怒りに覇気がない。そのことに椿はすぐに気付いた。
そして零が遊騎の名を呼ぼうとしたが、遊騎はやかましいと一蹴する。


「真理がまっとるのに、なんで……あ……あのまま……」


脳裏に浮かべた人物を思い、遊騎は再び拳を握る。


「あのまま大人しく死んどけば……」


そして勢いのままに、零に殴りかかろうとする。


「……オレが死んだら」


だが零は、当然のように大人しく殴られてはくれない。


「オレが死んだらお前が、ただの人殺しに成り下がるだろうが……!」


そして激しい怒りを抱く表情で遊騎を殴った。
二人のやりとりを茫然と見つめる桜の横で、椿も同じように二人を見つめていた。


「だからオレは死なねえ……。死ねねえんだよ……」
「な……」
「……お前を、あいつらの二の舞にはしない……」


言いながら零の脳裏に浮かんだのは、かつて自分がその手にかけた仲間≠フ姿。


「お前に人殺しなんか似合わない。お前には『にゃんまる』目指して飛びまわってんのが似合ってんだよ」


大の字になったまま動かない…動けない遊騎をじっと見つめ、零は言う。


「だからもう、やめろ」


対する遊騎の瞳には、もう敵意は見受けられなかった。
零のこの言動が何たるかに気付いたからだ。
自分が幼いころ真理に教えてもらった、大事なともだち≠フ意味。
全部、自分の為を思った行動を零がとっているということを。
そのことに気付いた遊騎は両腕で顔を覆うようにした。


「なあろくばん……もっとはよう……ううん、『存在しない者』やない。異能もない世界でもっと、はよう会うとったら。したら、オレ……」


遊騎の少し震える声に耳を傾ける零。


「大神、お前とともだち≠ノ―――…」


その言葉を、とある異変に気付いた零が目を見開いて遊騎へと振り返る。
椿も妙な胸騒ぎにじっと遊騎を見つめた。
桜の両腕に抱かれた『子犬』も吠えだす。
様子のおかしい遊騎をまじまじと見た零は、遊騎の傍に転がっているある物を見つけた。


「首輪の薬!?お前、いったい何を飲んだ!?遊騎!!」


遊騎がいつもしている首輪のカプセルの中から、錠剤が零れていた。
咄嗟に、それを飲んだのだと気付いた零が声をかけるも、遊騎の体はガクガクと苦しそうに震えている。


「遊騎君!」
「……遊騎」


心配そうに近寄る桜と同じように、椿も一歩遊騎に近づき名前を呼んだ。
何が起ころうとしているのかと眉を寄せながら。


「遊騎君しっかり……」
「……まだ、や」


かろうじて言葉を紡ぐ遊騎。


「まだ……何も終わってへん」


汗を浮かばせ唾液を垂らし、ただそれでも何やら企んでいるような表情で言う遊騎を見て、椿は一瞬にして桜の前に出た。


「桜、危ない!」


直後、爆発するかのように遊騎から『音』の異能が溢れ出る。
また音波が復活したのだと恐れるクラスメイト達。
その衝撃から桜を守ることに成功し、一安心する椿だがそれは長く続かない。


「ロスト間近だったのにこんな異能が使えるはずが……」


呟く零だが、すぐに何かに気付いたようにまさかと目を開く。
そんな零を、遊騎は覚悟を決めた目で見た。


「強制的に異能量を増す薬や。これでロストもしーひん。観念せいや大神」
「遊騎……それが『コード:ブレイカー』としてのお前の覚悟なら仕方ない」


遊騎のその覚悟を肌で感じ、理解したのか、零もその身に再び黒い炎を纏わせる。


「来な」
「ド派手にかましたる!」


迎え撃つことに決めた零と、自らの強い覚悟をぶつける遊騎。
お互いの拳は大きな音を立てて衝突し、こうして対峙している時間は一瞬であり永久にも思えた。
その中で、遊騎はとある決断をしていた。
薬を使ってまで増長させたこの異能の力。
それを、最後の一撃に全てを懸けると。


「たいしたことないな。さっきから何一つ代わり映えしない……」


薬を使う前と変わらない単調な攻撃に零が挑発するように言う。
それでも遊騎は余裕を保ったまま、真っ直ぐ零を見返した。


「……その程度の異能量じゃあ『コード:ネーム』は斃せへんで、大神」
「!?」


にやりと笑みを浮かべる遊騎に驚いたも束の間、


「『音癒』」


遊騎の掌が自らの胸に触れる。


「お前、何を……」


不可解そうに眉を寄せる零だが、遊騎の手から血が飛び出し、自らの中に『音』、遊騎の異能が流れ込んでくるのを強く感じた。


「遊騎っ!な…何をして……」
「オレが間違っとった。……オレにはもう、大神や他の人を傷つけることはできひん」


苦しげに遊騎を見る零。激しい異能の流れに襲われ、まともに動くことができないでいた。
その様子を傍で見ていた椿だが、二人の間に割って入ろうとはしない。
椿もまた、遊騎の覚悟に気付いていたからだ。


「オレの異能、お前に全部やる。だから……どうか真理を助けたってくれ。大神、きっとお前なら―――…」


真っ直ぐ、射抜くような瞳で零を見る遊騎。


「(遊騎も……守ろうとしている。真理という人と、零を……)」


守りたいという感情を強く持っている椿にとって、その決意を邪魔することはできないと思った。


「!?何バカなこと……そんなことをしたら、お前の生命がなくなって死……」


たとえそれが、命にかかわることであろうとも。


「……まさか、お前」


口や鼻から血を流し、異能を与えている手からも出血が留まる事を知らない。
確実に、破滅へと向かっている遊騎の体。


「(……遊騎、あなたは、とても……凄い)」


だがその表情は、後悔や無念とは程遠い、とても穏やかなものだった。
穏やかに、死を受け入れていた。


「やっ……やめろ―――!!」


一際、轟々と異能が溢れる。
それは音波となって遠くへ遠くへ流れて行った。
真理や時雨、刻や平家といった人物たちにも音波は、遊騎の命の波動が届く。
その音波を最後に、遊騎の身体は地面へと倒れ落ちようとしていた。
力が抜けて崩れ落ちる間、遊騎は自らの心に生まれた光を思い出していた。
真っ暗闇に現れた、些細な日常の光。仲間という光。
きっとこれが走馬灯というものなのだろう。
だが何も悔いはない。自分は、自分の全てを零に託した。
零ならきっと、全部を護ることができるのだから。


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