「左腕獲ったり」


零の左腕が切断され、どさっと離れた地面に落ちると同時に遊騎が呟く。
椿はその光景を見て唖然と目を見開いた。


「これで……これで良かったんよな……これで、これで真理の命が救える」


遊騎が地面に落ちている零の左腕を見つめながら呟く。
それを見た零が、左腕を渡すものかと動こうとするが、途端、その場に倒れ込む。


「!?………零…?」


突然の出来事に椿はぽつりと呟いた。
だが、零が起きる気配はない。
左腕を失った零はうつ伏せのまま、振り続ける雨を全身で受け止めていた。


「れ……い……」


力無しに呟く椿の視線は零に釘付けだった。
視界の隅で遊騎が左腕を静かに見つめている様子も窺えた。
今からならまだ、思いきり走れば左腕を渡さずに済む。
だが、椿は零を見つめたまま、その場を動けずにいた。


「(死……ん、だ…の……?)」


心の中で椿はそっと呟く。


「(私、は……また、護れなかったの……?)」


切なそうに眉を寄せる椿。


「(……………また=H)」


そして自らが呟いた言葉をもう一度反復させる。
また、とはどういうことだろうか。
無意識のうちに思った言葉を、椿は不思議に思う。
さらに、どくんどくんと強く脈打つ自らの心臓も不思議だった。
胃の内容物が咽返ってくるような、妙な苦しさも。
かたかたと弱々しく震える唇や、力の入らない手足も。
どうして今、自分がこんな状態になってしまっているのかが、不思議でならなかった。


「………かな、しい」


そしてそうなってしまっている気持ちの予想を、素直に呟いた。
こんなにも身体の奥底が虚しくなるような感覚は、とても悲しいからだと椿はそう思った。


「これでっ、ええねん!」


遊騎が自分に言い聞かせるように言って零の左腕を掴もうとした時、それは桜によって憚られた。


「桜!」
「わたさぬ!大神の命は絶対にっ!」


いつの間に現れたのかと驚く椿だが、桜が零の元へ向かっていることに気付いた。
桜はまだ諦めていない。
そう思うと、椿もきゅっと拳に力が入った。


「……何度も、邪魔すんな言うたのに!」


桜の援護に向かおうとした椿だが、先に遊騎が桜に向かって攻撃を仕掛ける。
だが、それは桜には効かなかった。


「『音』が効かん!?やっかいな珍種や」
「……なぜだ、なぜこんなことできるのだ!?君は大神が死んでもいいというのか!?」


立ち止まった桜の隣に椿も立つ。
苛立たしげな表情をしている遊騎と再び対峙した。


「どんな目的があろうと大神は一緒に暮らした仲間ではないか!それなのに……」


必死に訴えかける桜の言葉を、隣でしかと聞きながら。


「君のいうともだち≠ニは違っていても、君は誰より大神が大好きだったではないか!それなのに……」
「知った口たたくなや」


その切々とした桜に対して、遊騎は冷めた口調と目で返した。


「ちいと一つ屋根の下で『ごっこ遊び』したら全てわかったつもりかい。本当のオレを何一つ知らんくせに。メッチャウザイわ」
「な……」
「何がわかる!?各々の目的の為『存在しない者』となったオレ達の何が……各々の目的の為に、友も、情も、命も、すべてを捨てて独りとなることを選んだオレ達の……」


遊騎の言葉にだんだん力が入っていくのを感じて、椿はさっと片手を桜の前に突き出し護る体勢を整える。


「その覚悟の重さの何がわかんねん!」


そして振り被った手が桜へと向かう。
桜はきゅっと目を閉じ、椿は鋭く遊騎を見据え、反撃のタイミングを窺う。
だが、横から駆け付けてくる多数の人影に、桜と椿の姿は護りかためられた。


「……!」
「……なっ」
「………」


遊騎、桜、椿の皆が驚いた。
遊騎から二人を護ったのは、先程校舎内へ追いやられたはずの桜のクラスメイトたちだった。


「さっきはごめんな、桜小路さん。オレらが盾になる!……だから、左腕を早く大神の所へ……!」


前田が代表として、皆の意志を伝える。
それを聞いて桜は瞳に涙を溜め、安心したような表情になった。


「………桜、こっち」


クラスメイトたちの気持ちを無駄にしないためにも、椿は桜の腕を引っ張り先導する。
遊騎が左腕を狙うのをクラスメイトたちが必死になって止める中、桜と椿も零の元へ向かうのに必死になった。
何度薙ぎ払われても、遊騎に立ち向かい続けるクラスメイトたち。
そして、後少しで零に左腕を届けられるといった瞬間、飛び上がりこちらへと向かう遊騎の影が桜に重なった。


「っ……」


桜を護る体勢は整えていた。
だが、それを更に庇うように、大柄な男……上杉が遊騎の拳を腹で受け止めた。
赤い血が滴る上杉の姿を見てクラスメイトたちは悲鳴をあげる。
椿も驚いたように眉を寄せた。
それは桜と自分を護ろうとした行動に対してではない。
明らかに、他のクラスメイトたちの動きとは違う。遊騎のスピードに追い付き、身を呈して桜を護った……そのことが、椿にとっては疑問だった。


「ろくばんが死んだら嫌なんだけは本当!?やかましいわ!そんなん……」


だがそれを深く考えるよりも、目の前の遊騎に対峙する方が先決だった。


「そんなん本当はオレかて……オレの方がお前らなんかの何倍も、何倍もっ……」


遊騎の表情は、前髪が邪魔をしていて見えない。
だが、声は切なそうに絞り出すようなものだった。
遊騎の気持ちは椿には分からないが、その声が悲しい°C持ちを含んでいることは、少し気付けたような気がした。


「それでもオレはっ……左腕を獲らなあかんのや―――!」


そして遊騎が桜の持つ左腕へと手を伸ばした時、見覚えのある青い炎が遊騎の身体へ向かう。
遊騎は咄嗟に後ろへと身を引いたため、その炎に包まれることはなかった。


「な……こ…この鼓動は……」


桜は燃え上がる左腕を見て目を見開き呟く。


「この匂い……この温もり……『エンペラー』殿ではない!?これは大神の……」


青い炎をまとう左腕を直に触っているというのに、桜は痛がる気配もない。
それは、珍種だからという理由だけではなかった。


「あたたかい……」


椿もふと左腕に指先を伸ばす。
着ぐるみも燃えることなどなく、少し熱を感じ、椿は呟いた。


「大神が……護ってくれたのか……!?」


そして桜の呟きを聞き、そっと…倒れたままの零を見つめた。


「(零は……零はまだ、死んでいない……)」


青い炎のぬくもりを感じ、椿はきゅっと手を握る。


「(あの時のように……)」


またも無意識に思う。
そのあの時≠ニは何か、自分でもよく分からなかったが。
それでも零の命に希望が見え始めたことを、椿はひどく安心していた。