「……しかし、椿の異能は『無』にしたものを戻すこともできるんだな」


本当の意味での再会をしばらく偲んだ泪と椿だが、ふと泪がそう言葉を発した。
以前共に過ごした時も、椿があまり異能を使わなかったために知り得なかった、新しい『無』の異能に関する情報。


「……『無』にしたことを『無』にする……そんな、感じ」
「そうか……全部思い出してもまだ、お前について分からないことはあるもんだな」


記憶を取り戻し、椿についての大体のことは思い出した泪。
どれだけ桜を大事に思っているのかも、『渋谷荘』で過ごしていた時以上に理解を強めた。
それゆえに、今まで椿が無茶をした過去も全て脳裏に過ぎる。
それこそ、虹次や雪比奈は既に知っていた椿の正体も。
泪はその小さな面影を追うように、椿の着ぐるみの頬に触れる。


「……着ぐるみのほうが、ずっとずっと苦しそうだな」
「………」
「この時みたいに、虹次のコート借りればいいじゃねえか……」


そう悲しく言うも、ほとんど泪の独り言に等しかった。
桜と出逢ってしまった今、コートなどで姿を隠し切れるわけがない。
だから必然的に全身を覆い隠せる着ぐるみしか選択肢がなくなる。
そのことを悲しく思った泪は、そっと写真の中の椿を撫でた。


「……この写真……大切、だけど、泪みたいに……大事には、できていなかった……」


『捜シ者』の元を離れることとなった泪が椿のために用意したもの。
泪も虹次と雪比奈と写っている写真は大切に持っていた。
ただ、泪の手持ちにあった椿が映る写真は全て、証拠隠滅をするように消されてしまったが。
刻に泪の持っていた写真が見つかってしまった時。
かつての仲間の写真を大事に持っていたこともそうだが……何より、関係を聞かれて何も隠さずに「同志」と答えることのできた泪を尊敬し、羨むような気持ちを抱いていた。


「私は………桜の、影……だから」


他の人物のことを大切に思うなど、おこがましい。
影は影として、他に大切なものなど作らずに生きるべきだ。
椿はそう思いつつも、どうしても思い出となる写真を手離すことはできなかった。
だが堂々と飾るわけにもいかず、机の上で……ずっと伏せられたまま、その写真立ては存在していた。


「椿……っ。いや、それでも十分だ。お前が……それだけオレたちのこと思ってくれてただけで……」


あれだけ、桜しか見えていなかった小さくて弱々しい少女が。
もうこれだけ成長したのだと……その気持ちだけで泪は十分に嬉しかった。


「それで……悪かった」
「………?」
「写真、刻に見つかった後……オレ、お前にひどいこと言ったな……」


ひどく後悔した様子で呟く泪。
泪の言う、ひどい言葉というのは。

「渋谷荘で少し一緒に居たからって調子に乗るな。お前にも関係ねえ。さっさと寝ろ」

同志だと正直に言った泪に嬉しく思った椿に、鬱陶しげに告げられたこの言葉。
そのことだと気付いた椿は、そっと首を横に振った。


「……いい。そう言われても、仕方のないことだから」
「………」


どこか諦めているような声音で呟かれた椿の言葉。
それを悲しそうに、泪は聞いた。


「これでわだかまりはなくなったか」


虹次が腕を組み、どこか晴れ晴れとした表情で言う。
椿は泪に思い出してもらえて嬉しいのか、すぐに頷く。
だが泪はまだ少し納得がいかなかったのか、むっとした表情で虹次と雪比奈を見た。


「虹次や雪比奈は椿のこと覚えてたんだろ?だったらどうして『捜シ者』との闘いの時に椿を傷つけようとしたんだよ」


やはり忘れることができないのか、泪は睨むようにして二人を見た。
その言葉にすぐに答えたのは虹次だった。


「オレは椿に手を出してはいない。邪魔は、しただろうがな」
「……虹次さんは、私を闘わせないようにしてた」


虹次の言葉に椿は淡々と言う。
すると泪はハイハイと言いたげに手を振った。


「今のはちょっと語弊があったな。椿に甘かった虹次が椿を傷つけるわけねえか」


そして視線を雪比奈へと向けた。


「雪比奈、お前は椿に攻撃しようとしてただろ」


キッと睨むように雪比奈を見る。
それは決して憎んでいるような視線ではなく、咎めるような、何故だと問う意味の強いものだった。


「……オレは、ちゃんと忠告した。何度も、敵だと」
「……雪比奈さんは、悪くない。私も、ちゃんと……分かってた」


敵だと言われ、椿もそのことを納得したうえで雪比奈に立ち向かった。
そんな椿の言葉を聞いて、泪も返す言葉をなくしたのか口を閉じる。


「………ああ、でも」


そんな中、雪比奈がふと思い出したように口を開いた。


「椿が必死な姿は、見ていて面白かった」


言われた内容に、泪はぎょっとして雪比奈を見たと思うと、拳を雪比奈に喰らわせようとする。
それは難なく雪比奈に受け止められたが。


「雪比奈!椿の健気な姿になんてことを……!」
「泪、怒りに任せた攻撃は単調すぎる」
「なっ……!」


椿に対して過保護ともいえる泪に、雪比奈は淡々と告げた。
そしてムキになっている泪を余所に、雪比奈は以前『捜シ者』の言っていた言葉を思い出す。

「……椿に攻撃する気はなかった。でも、必死に護ろうとしていたから」

護ることでしか、存在意義を見いだせない椿。
そんな椿が進んで誰かを護る姿は、見ていてどこか安心するような気持ちになる。
無感情で、無機的な椿が唯一自ら行動を起こす事柄。それが、護る≠ニいう行為。
誰かを護るために必死な椿の姿は、椿が生きているということを強く実感させる。


「(……だから、少し見ていたかったのかもしれない)」


『捜シ者』も、そして自分も。
やり方は良いとは決して言えないが。
何度か泪の拳を防ぎながら、こちらをじっと見る椿を雪比奈も見返した。


「全く、飽きぬ奴らよ」


どうやらこういった光景は以前にも何度かあったのか、面白そうに笑い呟く虹次。
『捜シ者』の元で、こうして4人集まっている時は。
決して自由とは言えない環境だったが、心は自由であろうとしていた。


「ったく……」


気がすんだのか、泪が溜息をつきながら腰に手を当てる。
雪比奈は無表情のまま、そんな泪を見た。結局、泪の攻撃は一発も当たらなかったようだ。
それでも泪は無理矢理納得するしかなかったのか、ふと椿を見る。


「椿、オレたちはそろそろ行くよ。一応、ここの生徒になっちまったからな」


言うと、泪は制服の襟元に触れる。
まだ自分だけ生徒なのが不満なのか、表情は浮かない。


「……わかった。私はここにいる」
「ああ。その姿で外には出られないだろうからな」


苦笑しながら泪は言うと、面倒そうな顔をして動かない雪比奈を引っ張る。
虹次はそんな二人の後ろを、何も言わずについていった。


「椿、無理はするなよ」


そして扉を閉める瞬間、虹次は優しく見える表情で椿に言う。
椿はこくりと頷くも、すでに虹次の姿は見えない。
この部屋で一人きりになった時、椿はぼうっと例の写真立てを見つめた。


「………」


泪が写真を元に戻してくれたのか、写真立ての中には少し前の花火大会の写真が飾られてある。
もう一度椿は、その写真を懐かしむように見た。
この時は、楽しかった。……そう椿の理性は判断した。
桜も花火が上がるまでは楽しそうにしていたし、零もなんだかんだ言いながら付き合ってくれた。
椿はそっと、その写真を着ぐるみの手でなぞる。


「………もう、戻れない…」


そして刻や遊騎、平家の姿を指でつつく。
零と同じコード:ブレイカーでありながら敵となった3人。
そのため、もう二度とこんな笑顔で皆が集まることなどない。
椿はそう思っていた。


「桜を傷つける者は……」


途端、椿のいる部屋のガラスがガタガタと揺れる。
風が吹いていないにも関わらずだ。
だが椿は不思議がることはなかった。


「絶対に許さない」


そして写真立てに背を向け、椿は窓ガラスが割れた途端に教室から飛び出した。
急な異変に驚き喚く生徒達の合間を縫って、椿は一直線に走る。
大切で、護るべき存在……桜の元へと。


「桜………!」


急いで来たつもりだったが、間に合わなかったようだ。
椿が桜と零の居る外へ続くドアを開けた瞬間、椿の目に飛び込んだのは桜の後頭部に遊騎が踵落としを喰らわせた場面だった。
地面へと倒れ込む桜。
その光景を見て、椿は一瞬とも思えるスピードで遊騎の目の前に現れる。


「椿さん……!」


何故ここにと、零は目を見開き驚く。
着ぐるみの姿で人前に現れるとは思っていなかったようだ。


「………『ひめまる』、おったんか」


椿を見ても、やはり表情を変えない遊騎。
冷たく見える目で椿を睨んだ。


「遊騎、桜に何をするの」
「オレの邪魔しようとするからや」


そう答える遊騎の瞳、言動に迷いはないように見えた。
いつも朗らかな遊騎の雰囲気など一片もない。
そのことを感じ取った椿も、地面でうつ伏せになって倒れている桜を見て、そして同じように無感情な瞳で遊騎を見つめ返す。


「『にゃんまる』が心配やろ?早う連れて行きや」
「……それはできない。私は、桜を傷つけるあなたを許さない」


椿の視線が桜に移ったその一瞬を見逃さなかったのか、遊騎はそう声をかける。
だがやはり、椿は動かなかった。


「桜を傷けるのなら、私はあなたを殺す」


遊騎以上に、椿の心や言動に迷いなどなかった。
そもそも……迷いを生む感情≠持ち合わせていないのだから、当然とも言える。
着ぐるみの中、確かに殺意が揺らめく椿の瞳が遊騎を捕える。
椿は桜の為ならば、目の前にいる遊騎を殺すことに躊躇うことはない。
それが良いのか悪いのか……その答えは、誰にも知り得ることはなかった。


×