「………?零、桜を元気づけてる……?」


桜第一主義の椿は、左腕が喋ったことへの驚きはなく、零が桜の胸を揉んだことについて疑問を抱いていた。
これも頬をつまむのと同様、桜を元気づけようとの行動なのだろうかと首を傾げた。


「ノンノン。違いますよ、久留須さん。これはただのセクシャル・ハラスメントです」
「ちょっ、平家!」


人差し指を立てて説明する平家。
濡れ衣を着せられてたまるかと思ったのか、零が更に声を上げて平家にそれ以上言わないようにと釘を差す。


「……セクシャル・ハラスメント……?」


呟きながら、零をじっと見る椿。
その視線に気付き、責められているのかと感じた零はまた慌ててぶんぶんと首を腕を横に振った。
椿はその言葉の意味を理解しておらず、零を責めた目で見ているわけではないのだが。
あまりの焦りに零はそう勘違いしてしまったらしい。
ここまであからさまに動揺しているのを見て、零は本当にわざとやっているわけではないようだ。
そのことを何となく理解した桜や刻は、左腕が喋っていることに目を丸くしていた。


≪久しぶりだなっ≫


と、どうやら左腕は零に話しかけているようだ。
だが零は知らないと冷や汗を垂らしながら小さく呟く。


≪オレの声だ。『コード:エンペラー』様のな!!≫


零の左腕は、青い炎を生き生きと発しながらそう名乗った。


「……って確か、大神の左腕の昔の持ち主のはず……。どういうことなのでしょう?」


その名前に聞き覚えがあったのか、桜が隣にいる平家にそう疑問を投げかける。
対する平家は片手を顎に添えながら、きっぱりと言い放った。


「話しているのはまぎれもなく『コード:エンペラー』。おそらく魂の分身のようなものが左腕に残留思念として残っていたのでしょう」


そう分析する平家。
桜は未だ驚いた表情のまま、轟々と燃えている零の左腕を見つめた。
『コード:エンペラー』……何千何万という悪を燃え散らした煉獄の業火。
以前それを操っていたのが、その人物だった。
そして零の左腕が零の意思とは反し、桜の胸へと飛びつく。
桜は目を丸くし、刻にエロ神と罵られ、また弁明をしようとする零の顔面に突撃したもの。
それは渋谷……桜の実の父親だった。


「私の前で堂々と桜小路君のお胸を揉むとは、大した度胸じゃあないか……」


実の娘に対する所業を見てしまったからには、当然の態度とも言える。
その黒々としたオーラを放つ渋谷に対しても、零はオレじゃないと弁明する。
そして轟々と燃える自らの左手を抑制しようとする。が、それは収まりきらなかったのか零の左手の親指にはめてあった指輪がはじけるようにして砕けた。
それを皮切りに、零の左腕の付け根から青い炎が暴走し、零は苦しそうに唸る。
そしてその炎が大きくなり桜たちが零から少し目を逸らしたその一瞬のうちに、零の姿は消えてしまっていた。





零を心配する桜の頼みを断り切れず、零の捜索をし始めた皆。
部屋や物置など、めぼしい場所は探したがどうしても零は見つからない。
唯一探していなかった風呂場へと向かった桜たちは、風呂場に鍵がかかっているのを知る。
そこに零がいると断定した桜たちは、こぞってその風呂場を無理矢理開けようとした。


「………桜」


あまりの勢いに、口を挟もうとする椿の言葉は誰の耳にも届いていなかった。
皆ロスト中。風呂場についている鍵……それらで、おおよその見当がついている椿。
そして、風呂場の鍵を破壊した皆は零の名前を呼びながら引き戸を開ける。
するとそこに居たのは、


「人魚―――!?」


人魚姿にロストしていた、泪の姿だった。





「……ったく、椿。こいつらを止めてくれたってよかっただろ……」
「………ごめんなさい、泪」


しばらく風呂場で一悶着があったが、無事元の姿に戻ることのできたコードブレイカーたち。
コホン、と恥じらいを紛らわせるかのようにして泪が咳払いしながら椿に言う。
それに対し、反省したように謝罪をする椿。
だが、泪も椿が桜たちの行動を止められるわけがないと思っていたのか、それ以上責めることはなかった。
そんな泪が案内した場所……管理人室に、零の姿はあった。


「大神!!具合はどうだ!?」


桜が零の後ろ姿にそう声をかける。
だが、返事はない。
不思議に思った全員が、そっと零のすぐ後ろまでやってきた。
そして顔を覗き込む桜。
零の表情はまさに顔面蒼白といった様子で、目の前の火の玉のようなものを凝視していた。


「ずいぶんと長く眠っちまっていたようだが」


そしてその火の玉は淡々と話し出す。


「おはよう。オレが『コード:エンペラー』様だぞ」


振り返りながら言うが、その姿はとても皇帝という名を名乗るには陳腐な火の玉だった。
そんな火の玉を見て、思わず笑いが堪え切れずに芸呼ばわりする刻。
馬鹿にするような態度の刻が火の玉を覗き込むようにして見ると、


「気安く触んじゃねえよカスが」


火の玉……『コード:エンペラー』の機嫌を損ねたのか、ぼっと全身を青い炎で焼かれてしまった。
焦がされ地面にぶっ倒れている刻を必死で仰ぐ椿。


「まさにすべての者に恐れ敬われ、異能者の頂点に立つ『皇帝』ですね」


その火の玉の力を見て、平家がそう言う。
だが刻はまだ信じられないのか、今度はラクガキした火の玉みたいだと言ってしまう。
そのことに再び怒り、炎を乱撃する『コード:エンペラー』。
いきり立った『コード:エンペラー』が、渋谷荘を燃やすと口走ると、


「……ざけんなよ?てめえ……」


今度は泪が怒り、火の玉を足で踏みつけた。
どうやら相手が火の玉ということもあり、どれだけイキがろうが怖くない様子。
散々痛めつけられた刻、そして平家までも面白そうに火の玉虐めに加担しようとしたとき、


≪You scum……!!≫


という、まるで地響きのような唸り声が聞こえる。
そしてその瞬間、刻の体は巨大な青い炎に包まれた。
一歩でも動けば燃え散らされるような威圧に、刻が息を呑む。


「やめろ」


だが、そんな刻と、巨大な青い炎の間に立ちはだかった零。
その真剣な目が、しばし青い炎の中の目と対峙する。
そしてしばらく緊張の糸が張り詰めていたが、ふっと巨大な炎は先程の火の玉の姿に戻った。


「……まあ、零。お前が言うなら仕方ねえな」


そして、


「オレ達は一心同体……。お前の体はオレの体だってことだ。それとお前の心がわからねえオレじゃねえ。どやら、お前はコイツらが大事らしいからな」


言いながら、どこか良い表情をしている『コード:エンペラー』。
その言葉の意味がわからないと言う零に、素直じゃないと言いつつも、『コード:エンペラー』は零に向き合いどことなく真剣な表情で言う。


「オレが目覚めたからにはこの先、お前はいろんな連中に狙われるだろう。覚悟しとけ。コイツらを巻き添えにしないよう精々気をつけるんだな」


その忠告を、零も同じく真剣な面持ちで聞いていた。
言いたいことを言ったからか、背を向けて一休みをすると言う『コード:エンペラー』。
誰にも見えていないその表情は邪悪なものへと変わり、一人ぶつぶつと弱味を握るだの闇討ちをかけるだの言っている。
気付いた泪が怒って再び『コード:エンペラー』を踏み潰してしまったが。





その日の夜。『子犬』の用足しに動いた桜についていく椿。
途中、『コード:エンペラー』が皆の弱点を探ろうと渋谷荘を徘徊しているのを見つけた。
『にゃんまる』の本を読んで涙したり、テレビのオカルト番組を見て怖がったり、『8tears』の歌う姿を見て興奮したりとなかなか感情の起伏が激しい『コード:エンペラー』を見て、微笑ましく思う桜と、無表情で見つめている椿。
そんな『コード:エンペラー』を見つめていた二人だが、急に『コード:エンペラー』が動き出し思わず後を追う。
『コード:エンペラー』の向かう先に泪が居るのを見つけ、また起きていた零も加わり泪を追跡する『コード:エンペラー』を追跡することにした一同。
その先で見つけたのは、『8tears』として歌手活動をする泪の姿だった。


「探偵ごっこ(さんぽ)でもしようか」


泪が歌手活動をする理由を聞く零。
その問いに一度ははぐらかすような仕草を見せた渋谷だが、急にそんなことを言い出し、泪の行く手を追った。
が、その追跡はあっさりと泪にばれた。


「ん?」


そして泪が居た家屋で桜が何かを見つけた。
昔の泪が写っていると思われる、家族写真だった。


「じゃあここは王子殿の……」
「いかにも」
「渋谷!!」


察した桜がそう呟いたのに、何か説明をしようと渋谷が口を開く。
それを封じたのは、泪の怒号にも聞こえる声だった。
それ以上言うなと真っ直ぐ渋谷を見つめる。
同じような視線を返す渋谷に埒が明かないと思ったのか、泪が勝手にしろと言いながら踵を返して皆の前から去った。


「泪……」
「いいんだよ、追わなくて」


泪の後を追おうとした桜と椿を渋谷は冷静に止めた。


「過去ってのは黙って独りで抱えている内は何も変わらない……。ただの過去のままなんだから」


言う渋谷は、いつもの雰囲気とは違ってどこか真面目なものに見えた。
そして静かに説明してくれた。
この家が泪が子供の頃家族4人で過ごしていた家だということ。
泪の家族は皆異能者で、その全員が事故に見せかけて殺されたということ。
だが両親が庇ったおかげで泪だけは生き残ったということ。
それ以降泪は家族のために、独り生き残った事を贖罪とする鎮魂歌のように歌い続けているということ。


「………泪の、家族」
「椿ちゃんも、このことは知らなかったよね」


渋谷の優しい投げかけに、椿は小さく頷いた。
泪が歌手活動をしていることは知っていたが、歌う理由、泪の過去までは知らなかったようだ。


「(家族……)」


自分はそれがどういうものなのか、よく分からない。
そもそも自分に家族というものがあったのかどうかも、椿はもう覚えてはいなかった。
だが、感情を失くしてから。渋谷荘で生活してからは。
ずっと傍に居てくれた渋谷を本当の家族と思って生活していた。
『捜シ者』と一緒に居た時は、その一派を。
信頼し、行動を共にする人物のことを、今まで椿は家族だと思っていた。
そして今の椿の家族は、渋谷荘にいるコードブレイカーたち。


「王子殿……」


悲しげに泪の名前を呟く桜。
そんな桜の姿を見て、椿はその認識は間違っていなかったと確信した。
本当の家族のことは知らなくても、自分にはこんなにもたくさんの家族と呼びたい人たちがいるのだから。


「泪は……私にとって、家族。慰めて、あげたい」


だから、今は悲しんでいる泪を元気にしてあげたい。
その優しい言葉に、渋谷はもちろん、隣でその呟きを聞いた桜も、微笑ましそうに椿をそっと見つめた。


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