『捜シ者』を斃してからしばらく経った日のこと。
零が心おきなく城のプラモデルを作っている最中、その事件は起きた。
零と椿以外の異能者、そして珍種である桜や渋谷が全員ロストしてしまったのだ。
渋谷に言わせると、ロストは時々うつるらしい。


「……桜、服」
「おお、ありがとうなのだ」


零が急いで桜が小型化してしまった時用の小さな服を取り出す。
直接桜に渡すのは気がひけたのか、椿を通して桜の手に渡った。


「そういえば、椿はロストしていないのだな」


服を着ながら桜は言う。
すると椿は、どことなく悲しげに桜を見た。


「……ロストするほど、異能は使ってないから……」


そうだ。『捜シ者』との闘いで椿はほんの少ししか異能を使っていない。
そのためロストは免れていた。
だが、そのことが椿にとって若干引け目のようだった。


「椿ちゃんにとっては、それが一番のことだよ」
「……渋谷さん」
「でも、椿チャンのロストって何か気になるナー」


にししと笑いながら言う刻。
だが椿が答えるわけもなく。


「……別に、普通」
「フーン、そっかー」


答えが返ってくるとは思っていなかった刻は軽く流す。
そして他に、あれだけの死闘を繰り広げておきながらロストしていない零を見た。


「お前だけロストしないのって、やっぱりソノ『コード:エンペラー』の腕のせいだったりするワケ?ソレ何?」


若干咎めるような口調になる刻。
だが、零も答えたくはないのか、どうでもいいでしょうと言い放った。
そのすぐ後だった。第二の事件が起きたのは。


『戦後最大級の超大型台風が接近しています……』


床に置かれたラジオから、アナウンサーの声が聞こえた。
そう、こんな時に更に台風まで発生していたのだ。
いつもは泪と渋谷で補強しているが、今回は無理だと言う渋谷に、零は大袈裟だと笑う。
だが、天井に空いた穴に吸い寄せられるように飛んでいく桜、遊騎、子犬を見て零は前言撤回する勢いで渋谷荘の補強に励んだ。
ガンガンガンと窓に板を打ち付けて行く零。
次の窓の補強に移ろうとふと視線を壁に向けると、そこには椿が居た。


「………零」


何か言いたげな椿の声。
だが続きはなかなか発せられない。
一瞬は首を傾げた零だが、続きの言葉は自己解釈することにした。


「手伝いなら、必要ありませんよ」
「………それもあるけど、違う」


小さく首を横に振る椿に、零はまた不思議に首を傾げる。
そして、椿は一歩もその壁から動かないことに気付いた。
動かないどころか、若干その壁にめり込んでいることにも程なくして気付いた。


「椿さん!?もしかしてあなた、はまって……」
「………」


まさかと思い零が恐る恐る聞くと、椿はゆっくりと頷いた。
どうやら、先程天井に穴が空いてしまったように、壁にも穴が空いてしまっていたらしい。
そして強い風に吸い寄せられ、椿のお尻がその壁にはさまって自力では動けなくなってしまったようだ。


「そ、それならもっと早く言ってください……!」


状況を理解した零が金槌を置き、椿へと手を伸ばす。
引っ張り出してくれるのだと気付いた椿も、両手を零へと伸ばした。


「っ……!」


そして壁に足をかけながら、零は渾身の力で椿の腕を引っ張る。
だが、それは一瞬躊躇われた。
椿の腕があまりにも細く、このまま強く握っていると折れてしまいそうに思ったからだ。
はっとして零は力を緩めて椿を見たが、椿は特に痛がる様子もなく、零に身を任せていた。
そして零は『捜シ者』との闘いで知った、とある事情を思い出す。

椿が痛みも無≠ノしているということ。

『捜シ者』は知っていたようだった。
そのつながりも気になるが、零は先に思った疑問を口にした。


「椿さん、あなたはどうして痛みも消しているんですか?」


きゅっと、椿の腕を握る力を強くする。
その力も……今の椿には伝わっているのか、分からない。


「………私が、怪我をしても」


答えてくれるのか、期待は薄かったが椿はゆっくりと口を開いてくれた。


「桜を……絶対に、護れるように……」


痛みに躊躇って、行動が遅れてしまわないように。
取り返しがつかない事態になってしまう前に、桜を、大切な人を護るための事前処置。
椿の言いたいことはそういった意味でのことだと、零は受け取った。


「………あなたのやっていることのほとんどが、理解できません」


呆れたように言う零。
その言葉を、椿は何も言わずに聞いていた。


「でも、その心意気は素晴らしいと思います。正しいかどうかは別として」


そしてふっと笑った零を、椿はぼうっと見ていた。
しばらく、椿を引っ張り出すという当初の目的を忘れていると、


「ちょっと大神君!椿ちゃんの手を取って何してるの!」


小さな渋谷がぴょんぴょん飛び跳ねながら大神に怒鳴っていた。
その言葉を聞いて、ようやく自分が何をしようとしていたのかを思い出した零。


「椿さん、少し強く引っ張りますよ」
「……うん」


そうして零は力を込め、椿を引っ張る。
すると、すぽんっと効果音が聞こえるくらい、潔く椿は壁の穴から抜けた。


「む……椿ちゃん、はさまってたのかな……?」


無事椿を救出した零が二次災害を出す前にと急いでその穴を塞ぐ。
そして引っ張り出された椿が着ている着ぐるみのお尻の部分が濡れていることを見て、渋谷は何となく事情が分かったのかそう呟く。


「椿さん、着ぐるみ濡れてしまいましたね。ちょうどタオルあるので、拭いて……」


零がタオルを取り出し、椿の濡れてしまっている着ぐるみの部分へと手を伸ばす。
だがそれは、渋谷の勢いのよい体当たりによって阻止された。


「ちょっと!!何ナチュラルに椿ちゃんのお尻触ろうとしてるの!?」
「なっ……オ、オレは、着ぐるみを……」


零には、椿のお尻を触るという自覚はまったくなかった。
一度『にゃんまる』着ぐるみを着たことのある零にとって、その分厚さはよく知っている。表面を撫でる程度なら、触られる感覚などない。
だが何より、気ぐるみが水を吸っては不便だという気遣いが今の零の気持ちの大半を占めていた。


「………大丈夫。すぐに、乾く」
「でも……」
「いかにも。そんなに心配ならば私が拭くから。大神君は気にせず渋谷荘の補強を続けてほしいんだな」


どこか圧のある渋谷の言い方に、零は反論する気が失せたのか呆れたように背中を向け渋谷荘の補強を続けた。


「まったく。椿ちゃんもそう簡単に背後をとらせちゃだめだよ」


別に格闘をするわけでもないのに、渋谷はそう言う。そして小さな身体で背伸びしながら椿の着ている着ぐるみのお尻の部分を優しく拭った。
渋谷の言葉には、椿は素直に頷いた。
普通にだめといっても、椿にとっては不思議に思うだけだから。
戦闘の心得を持つ椿には、こう言った方が分かるだろうと思った渋谷の心遣いだった。
そして拭い終わった渋谷に「ありがとう」と小さく呟いた。


「………台風、強い」


零が補強した窓も、風に煽られガタガタ音を立てている。


「むむ、いかにも……椿ちゃんでも逃げきれないとなると、今回は本当にやばそうだね」


うーんと腕を組む渋谷。
そんな渋谷を心配したのか、椿はそっと渋谷を抱き抱えた。


「ん?」
「……渋谷さん、飛ばされないで」
「はは、大丈夫だよ。いかにも、私はそんなに間抜けではないよ」
「……………………」
「あっ!い、いや……今のは、壁にはさまってしまった椿ちゃんを間抜けと言っているわけではなくてね……!」


突然無言の重圧を感じた渋谷は慌てて訂正をする。


「おやおや、久留須さん、ベリーアングリータイムですか」


ロスト中なのか、鎧を纏った平家も椿の無言が何を意味するのか分かったようで口を挟む。
付き合いが長いためか、いつも同じに感じる椿の無言も、一つの会話のように二人は感じ取れるようだ。


「………あれ、桜、は?」
「あ、ああ!桜小路さんはさっき向こうにいたな!どれ、ちょっと様子を見てくるかな!」


どうやらはさまっている間に桜の居場所がわからなくなったらしく、きょろきょろしながら桜を探す。
椿が無言でなくなったことに渋谷は安心したのか、またこの機会にかこつけたのか、椿の腕からひょいと離れて走り去る。
その小さな姿を、椿は静かに見送った。


「平家さん………おそろい」
「おや?久留須さんにそう言われると、鎧も悪くありませんね」


姿を隠すために身につけているためか、椿はふと平家を見て言った。
その言葉に、あまり悪い気はしないのか平家は笑いながら答えた。


「ロストのこの姿はとても見せられませんからね。確かに今は、久留須さんと同じです」
「………」


見せられない姿。
椿はその言葉を聞いて、思わず着ぐるみ越しに自分の手を見た。
その様子を、平家はどこか寂しそうに見つめる。


「もう何年になりますかね……。あなたが、そうやって姿を隠すようになるのは」


その呟きにも、椿は何も言わなかった。
ただ無感情な瞳を、自分の掌に向けるだけ。


「………………………桜を、護らなきゃ」



沈黙を経て呟かれた言葉は、平家の言葉に答えたものなのか、今の状況を思ってのものなのか。
どちらとも言えない、不明瞭なものだった。
そうして桜を探しに歩き出す椿の背中を見送る平家。


「………あなたには本当に、自己犠牲する他に、桜小路さんを護る方法が与えられていないのですかね……」


それはただ本人が他の方法を知らないだけなのか。
この方法しかないと思いこんでいるのか。
この方法でないとだめだと、教えられているのか。
平家は遠い昔のことを脳裏に過ぎらせ、静かに目を閉じた。


「私は……今の姿も、昔の姿も、どちらの久留須さんも好きですよ……」


だってどちらも、久留須椿であることに違いはないのだから。
平家の呟きは椿に届くはずもなく、嵐の雨音にかき消された。
変わって、桜を探して廊下を歩いていく椿。
そして、てるてる坊主の真似なのか、身体に紐を巻き付けてぶらさがっている桜、遊騎、渋谷、子犬の姿を見つけた。
―――――――姿の透けている、零越しに。


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