「刻……虹次さん……」 平家と雪比奈の二人が相まみえようとした時、激しい揺れが辺りを襲う。 椿は小さな声で、二人を心配するように呟く。 つい先日、二人の闘いを目の前で見た椿にとって、脳裏に刻のぼろぼろの姿が浮かぶのは容易だった。 だが、それからの刻の頑張りも目の前で見てきた。 心の中ではそっと、刻を信じ応援している。 もう、あの時のような悔しい思いをしてほしくはないと。 それと同時に、虹次にも傷ついて欲しくないと思ってしまうのは欲張りなのだろうかと椿は思った。 そして、にゃんまるの姿を模した無線機から聞こえてきた会話。 それにより刻が敗北したという事実が椿だけでなくコードブレイカー全員が察した。 胸が苦しくなる想いに駆られる椿だが、そう悲しんでいられる時間はなかった。 目の前で再び平家と雪比奈の闘いが始められたためだ。 それらはとても激しく、こちらにまで被害が及ぶ。 「……泪、大丈夫……?」 「ああ、心配すんな。……とばっちりくらい防げる」 そう言いながらも額に汗を滲ませる泪。 自分だけでなく、日和まで庇うところが泪らしいと椿は無表情のまま思った。 家族。日和に向かって言った泪の言葉に嘘はない。それは今でもそうだ。 そのことが分かっただけで、椿は嬉しい気持ちに似たものを感じた。 「ぐあっ!!」 「!」 そう心が和むのは束の間で、日和は泪から鍵を奪った。 椿は予想外の出来事に目を見開く。 そして焦る泪と同じように椿も慌てて日和の後を追う。 「ま、待ってっ……」 が、意外とすばしっこい日和の行動に追いつくことはできず、逃げられてしまった。 鍵を奪われたことにより、休戦状態となっている平家と雪比奈。 泪は項垂れ、椿も力無しに膝をついた。 だが、そうしている時間はあまり長くはなかった。 『人の命を粗末にするものは、この「にゃんまる仮面」が許さんぞー!!』 無線機から聞こえたこの声。 椿は迷う余地もなく、その声の主に気付いた。 ここから逃がしたはずの、大切な人物。 「桜……!」 椿は呟きながら目を見開き、耳をすませる。 無線機の先では、桜と零が口論を交わしていた。 元気な桜の声が聞けて、正直安心感が強い椿。 だが、今の状況を考えると、そんな悠長なことは言っていられない。 なんとか言い争いをやめた桜と零だが、危険はすぐそこまで迫っていた。 『さ、「捜シ者」!!……まさか、それが「パンドラの箱」!?』 無線機から聞こえる桜の言葉により、『捜シ者』が現れたことが分かった。 それだけでなく、『捜シ者』が『パンドラの箱』を持っていることも。 「っだめ……」 椿の手が震える。 渋谷に今日のことを聞かされた時の言葉が一瞬にして思い出される。 「『捜シ者』が『パンドラの箱』を手に入れたら……きっと、桜小路君を傷つけるだろう」 だから、わざわざ全員で芝居をしてまで、桜を遠くに追いやった。 それなのに。 「椿、行け……」 「……泪」 「桜小路はお前が護るんだろ?だったら早く……」 至る所にある傷を庇いながら、体制を立て直した泪が椿に言う。 その目は、どことなく優しげだった。 親が子の後押しをするかのような、穏やかな目。 「……うんっ」 泪の気遣いを無駄にできず、椿はさっと立ち上がる。 そして瓦礫が崩れて足場の悪いのも気にせず、椿は走った。 ごめんなさいと、口にしたら怒られそうなことをそっと心の中で呟きながら。 泪のことももちろん心配だ。だが、ここでそれを理由に桜の元へ向かわなかったら。 それこそ泪に怒られる事態になる。 ずっとずっと昔から、桜を見守っている自分を見守ってきてくれた泪だから。 椿はこうして、桜を第一に護ることに一生懸命になれるのだ。 「……黙って見送っていいのですか?」 「俺が口出しすることじゃない。椿の勝手だ」 止めるわけもなくじっと見ていた雪比奈に、平家が不敵な笑みを浮かべて言う。 だが、返ってきたのは冷たくも思える言葉。 それを聞きながらも、平家はどこか面白そうに口角を上げるだけだった。 桜たちの元へ向かう道中。 椿は無線から聞こえた渋谷の言葉に悲しげに眉を寄せる。 桜が自分を珍種だと自覚してしまって『存在しない者』になってしまう。 それだけは、どうしても阻止しなければならない。 それこそ、椿が桜を護ることなのだから。 そのために自分が存在を無くし、桜を護るために強くなろうとしたのだから。 「(お願い……桜)」 息を切らしながら走る。 大切な大切な人物の元へ。 「(……いなくならないで)」 あなたは私の光であり希望だから。 何度も何度も、あなたの笑顔に救われた。 護りたいと思える、私の全て。 あなたがいなければ、私だって存在しない。 影武者として生きることさえできなかったかもしれないのだから。 だから、生きて。決して、その存在を失くさないで――― 椿は高まる鼓動に急かされるように、走り続けた。 そして無線機から聞こえたのは、零がうまく珍種パワーを誤魔化そうとした会話。 それを信じた様子の桜は、一人で盛り上がっている。 だが、それでよかったのだ。 走りながら、ほっと胸を撫で下ろす椿。 そして桜を信じると言った零の言葉も。 椿はどこかあたたかい気持ちで、聞いていた。 「……さく」 そしてようやく全員が集う場所へと着いた。 自分の目で桜や零たちの無事を確認できたからか、椿は少し抱いていた緊張感を緩めた。 そんな椿が桜の元へ駆け寄ろうとした途端、『捜シ者』がカッと刀を鳴らした。 「あぐっ……!」 太刀の攻撃範囲内に入ってしまっていた椿は、反射的に防御態勢をとる。 だがそれでは足りないくらい、太刀の威力は強かった。 その証拠に、時雨に庇われたはずの日和が瀕死の状態となっている。 そして何の躊躇いもなく時雨に刀で止めを差す『捜シ者』は、何かの気配に気づいたように視線を遠くに向けた。 「……ああ、君も居たんだ。迂闊に近付くから巻き込まれるんだよ」 無表情のまま言う『捜シ者』の言葉に、桜と零ははっと同じ方向を見る。 そこには、瓦礫などをもろに受け、ところどころ着ぐるみが裂けてしまっている椿の姿があった。 「椿……!」 「……っごめんなさい……桜、護るの……遅かった……」 着ぐるみと一緒に裂けてしまったのか、椿の左腕から出血しているのを桜が見つける。 そして顔を青色にして、唇をかたかたと震わせた。 だが椿はそんなことを気にする必要もないといった様子で、桜を護れなかったことを悔しく思っている。 「桜小路桜を護れなかった君に、存在意義はないよね。ついでだから、私が殺してあげるよ」 「っ………」 ひどく冷たい目で椿を見つめ、刀を向ける『捜シ者』。 椿は左腕の出血部を押さえながら『捜シ者』と対峙した。 存在意義はないと言われたことに、心臓を握り締められる程の苦しみを感じながら。 「……ざけんな」 そう低く言いながら、零が立ち上がる。 それに気付き、『捜シ者』は足を止めて零へと振り返った。 「あんたはいつもそうだ。人をモノとしか思わない。たとえそれが、自分の母親であっても」 そう言い放った、例の鋭く冷たい目を……椿もじっと見つめた。 言動はとても静かなのに……燃えるような激情を、肌で感じた。 零と『捜シ者』がお互いに間合いのようなものをとっている間、椿は負傷した身体のまま桜の元まできた。 「……桜、怪我……痛い……?」 「わ、私のものなど掠り傷にもならぬよ。それよりも、椿の方が……」 桜の身体を心配する椿に対し、桜はそう告げる。 その心配の言葉を受け取らないよう、椿は首を振った。 「……私は大丈夫。……桜、これからは私の後ろ、離れないで」 「っだが……」 「絶対に私が護るから」 そう決意の込められた強い言葉を聞いて、桜は思わず言葉が出なくなる。 そしてすぐ後に零と『捜シ者』が動き出したため、そちらに視線を向ける。 零の確かな太刀により、『捜シ者』を負傷させることができたことに桜は驚いたようだ。 一瞬は勝機を見出せそうだった桜だが、『捜シ者』がロスト中だということを知り、目を見開く。 自分のロストについて少しばかり語る『捜シ者』の言葉を、零と椿は黙って聞いていた。 「だからなんだ?」 口を開いた零は、椿と桜を護るように手を横に広げた。 「『パンドラの箱』は珍種の血がなければ開かない」 その言葉を聞いた椿も、より心を引き締めるようにして桜の姿を『捜シ者』から隠す。 それを見た『捜シ者』は、少しばかり楽しそうに椿を見つめた。 「実際に護ることができるようになって、嬉しそうだね、椿」 「………」 「今まで、ずっと我慢を強いられてきたからかな?」 「……今まで?」 無言のままでいる椿に向け、言葉を続ける『捜シ者』。 その言葉に不思議な点を見つけたのか、桜が椿の後ろで首を傾げた。 「……それ以上、言わないで」 着ぐるみで見えないが、きっと強く『捜シ者』を見つめる目が椿にはあった。 声量こそは小さいが、大きな意志の込められた言葉を聞いて『捜シ者』は口を閉じる。 そして満足したのか、零へと視線を向けた。 既に次の攻撃に移る準備が整えられている零は、体制を更に低くし、『捜シ者』を睨む。 緊迫した空気が流れる中、 「あうっ!」 楽観的な声と共に、渋谷がこの場に現れた。 |