目が覚め、部屋から出てきた桜は渋谷荘に住むと決めたことを告げる。 心配した零や刻だが、桜は嬉しそうに笑って言った。 「皆で一緒に暮らす……同じ時間を一緒に過ごすなんて合宿みたいで、とても嬉しいことではないか」 純粋にそう思って言った言葉も、刻は不純な妄想をし、零は気苦労が増えたと肩を落とす。 だが、隣でその言葉を聞いた椿はそっと桜の傍に立ち、 「嬉しい。桜と一緒、私、嬉しい」 「そうだな椿!仲直りもできたことだし、これからもっと仲良くなろうな!」 共感してくれたことが嬉しいのか、桜は意気込むようにして言う。 女性二人が楽しそう手を取り合う(椿は無表情だが)姿を見て、 「そ、そういや椿チャンも一緒なんだったナ……」 ほぼ無意識のうちに呟いた刻。 その鼻の下を伸ばしながらの言葉に、零は呆れるように返す。 「椿さんはずっと着ぐるみのままですよ」 どうやら、刻の考えは手に取るようにして分かったらしい。 零のきっぱりと告げた言葉に、刻は驚き目を見開く。 「え!?じゃあもしかして、お前一度も見たこと……」 「ないですね」 さらりと言う零に、刻はマジかよとがっくり肩を落とす。 どうやら、一緒に住むことで少しは素顔が見られるかもと期待していたらしい。 あっさりとその期待を裏切られ、刻は大きく溜息を吐きながら自分の部屋探しに戻る。 5号室をぶち抜くと提案した刻は、渋谷の音速並みの阻止により却下された。 そして、5号室の住人を恐れるようにして桶に隠れている渋谷を見て、刻はとある予想を立てた。 5号室の住人は、コードブレイカーのコード:05ではないかと。 「留守中にオレの『渋谷荘』を汚してんじゃねーよ」 桜と刻が買い出しから帰ってきたと思えば、一緒に現れた泪。 積まれたままの洗濯物、汚れた床と壁、洗われていない食器類を見た途端、リビングでくつろいでいた零、遊騎、渋谷に頭突きをする。 そして持っていた釣り竿で渋谷を縛り上げてからの一言が今の言葉。 さらにドスを効かせ、 「テメェの正体バラされてぇか、『渋谷』ぁ……」 と言った泪の言葉は桜と『子犬』も茫然とさせるほどの威力があった。 それを気にせず、泪は辺りを見回して誰かを捜す。 そして、リビングの隅でぼうっとしていた椿に同じように頭突きを送った。 「お前がいながら、どうしてこうなってんだよ」 「……泪、おかえり」 刻の修業のため、桜との買い物についていけなかったことに落ち込んでいた椿はようやく我に戻り、目の前の泪を見た。 頭突きを痛がっている様子はない。かといって、泪が手加減した様子もない。 痛みに対しても無反応なのかと刻が心配そうに二人を見る中、泪は椿からそっと離れた。 「泪、お昼からお酒、だめ」 「……オレに言う前に、このメタボに言ってやれよ」 「わ、私は決してメタボではないのだよ!いかにも!!」 頭突きの時に酒の匂いを感じたのか、椿はそっと呟く。 それに泪は呆れたように渋谷へと矛先を向けた。 慌ててメタボではない着ぐるみだと訂正する渋谷を余所に、今度は零に何やら忠告をしたと思えば、部屋に戻って行った。 どうやら、この渋谷荘は泪の恐怖により支配されていることが分かった。 渋谷維新だなんだと会話が弾み始めた中、桜は複雑そうに呟く。 「……王子殿と皆はあまり仲良しではないのだな……」 コードブレイカーの中で唯一会っていない人物、コード:05の八王子泪。 その人物が予想していた以上に荒々しく、コードブレイカーたちと仲が悪いと見えた桜。 仲良くできるか、自信なさげに言う桜に零は何かを理解しているような穏やかな表情で言う。 「……王子がどんな奴かは、すぐに……わかりますよ」 意味深で、確信を持ちながら。 そんな零の言葉に、少し意外に思う桜。思わず無言でその背中を見つめる。 更に、桜の中で泪がどういった人物なのかという疑問が大きくなった。 立ちつくして考えている桜に、椿は後ろから声をかけた。 「私は、泪、好き。桜に、嫌って欲しくない」 「……椿」 「でも……どうしても、泪を、好きになれないのなら」 真っ直ぐ桜を見上げ呟くように言う椿。 桜は驚きで一瞬は何も言えなくなってしまったが、続いた椿の言葉を遮るように言う。 「そんなことないのだ!今はまだ、詳しく王子殿のことを知らぬが……きっと、仲良くなれる気がするのだ!」 明るく、笑顔で。 更には拳を作って椿に心配いらぬと伝える桜。 その様子を見て、どこか安心したように用意していた言葉を捨てる。 どうしても泪を好きになれないのなら。 私も泪を嫌いになるから。 悲しくも断言しようとした言葉。 桜のためならば、それすらも厭わない椿の決心。 だが、明るい表情を取り戻した桜を見て、椿は何も言わずに頷いた。 そして翌朝。 目覚めの良い朝日を眺め、リビングへと降りた桜は驚きで目を丸くする。 とても豪華な朝食が用意されていたのだ。 それだけでなく、洗濯物は全て干され、廊下も埃一つないほど綺麗になっている。 さらには禁煙グッズ、オムライスといった心のこもったおもてなしまであった。 桜の隣に座った椿の席には、限定物と書かれた栄養ゼリーが置かれていた。 その横に添えるようにして置かれていた朝食には目も向けず、椿はそれを手に取る。 「まさか……これらは王子殿が……!?」 驚いているのは桜だけで、コードブレイカーたちや椿は疑問に思ってすらいない。 それを見て何やら勘付いた桜は、そう口を開く。 直後、朝から酒を片手に泪が現れた。 「起きたかノロマども」 悪態をつく泪に、刻や遊騎はすぐに警戒し構える。 そうして始まった言い合いを、桜は茫然とした様子で見つめた。 隣では、何も気にしていない風に椿が着ぐるみの中で栄養ゼリーをちゅるちゅると食べている。 誰も止めないのかと見かねた桜が止めようと声をかけると、 「……チッ。しゃーねーな。維新ゴッコも飽きたし、当番表通り動いてやるカ……」 「当番かー。めんどーやけどしゃーないなー」 刻、遊騎、そして零の3人が呆れたように溜息をついて言う。 今までとは違い、素直に従う3人を見て桜は言葉が出なくなり3人を見つめた。 椿は最初からこうなることが分かっていたのか、また興味がなかったのか、食べ終わった栄養ゼリーの容器をくるくると丸めた。 そして目の前で繰り広げられた寸劇のような維新ゴッコからの、本当の信頼関係が見える4人のやり取りを見る。 それは桜にも伝わったのか、王子殿は優しいと笑って言った。 3人が止めるのも遅く、泪は褒められたことに照れて暴走し始め、椿はその暴走に巻き込まれないよう一足先に桜を遠ざけた。 「……王子殿には色々とびっくりしたのだ」 泪の暴走により渋谷荘の修理という仕事が増えた3人を置き、桜は部屋から出てこない泪を呼びに行く。 その途中、困ったように笑いながら椿に言った。 「もう桜、泪、嫌いじゃない?」 「もちろんだ!むしろ、とてもお優しい方で好きなくらいだぞ」 泪と初めて会った時のような緊張感がなくなった桜に、椿はそう聞く。 そして返ってきた明るい声と、椿にとっても嬉しい言葉に椿はほっと安心した。 「……私も、」 「昨日椿が言いたがっていたことがよく分かったのだ」 少しだけ振り絞って、告げようと思った椿の言葉は、重なるようにして桜の言葉に遮られた。 それに気付いた桜は言ってから椿へと視線を向ける。 「ぬ?何か言ったか?」 「……ううん」 その真っ直ぐな目を見て、椿は小さく言い首を横に振った。 特に気にすることはなく、泪の部屋の前に来た桜はノックをしながら泪を呼ぶ。 そんな桜の後ろ姿を椿は憧れでも見るような目で見つめた。 私も、桜が好き。 無意識に言ってしまいそうになったその言葉はまだしばらく……口にすることはないと思いながら。 そう静かに思いを秘めたすぐ後、泪が女だと気付いた桜の絶叫が渋谷荘に響き渡った。 |