二人を見送った後、椿はまた縁側で一人雨を眺めた。
そして先程、桜に抱きつかれた時のことを思い出す。


「……本当に、桜の力なのね」


桜の持つ『珍種』の力を目の当たりにした椿は、切なげに呟く。
これだけはどうしても変えることができない。
自分と彼女の大きな違い。
そのことを悲しく思いつつも、椿は零に向けた掌を見つめた。


「これも、桜を護るため……」
「本当にそうですか?」


小さく呟いたその言葉は、いつの間にか背後に立っていた平家には聞こえていたようだ。
リビングに姿がないとは思っていたが、まさかこんなタイミングで現れるとは思っていなかった椿。
少しだけ驚いたように目を見開き、平家と目を合わせる。


「覗きですか」
「いえいえ、偶然ですよ」


全くそうとは思えない、相変わらずの笑みに椿は呆れ、口を閉じた。


「大神君に気付かれるのは痛いですからね」
「………」


言いつつも、実際のところ面白がっている平家。
その平家の気持ちは重々承知しているのか、椿はそれを指摘することはせずに溜息を吐いた。
平家の言っていることはその通りであり、椿も先程まで零に気付かれることを恐れていた。
桜が意図せず、椿が自らにかけている異能を消し去ったこと。
その微々たる違和感に気付き、零が疑問を口にしようとしたこと。
油断していた。桜の温もりを感じて、警戒するのを忘れていた。
だが、今はもうそれらを危惧することはない。
元々鈍感な桜は自分がしたことも、椿の変化にも気づいてはいない。
そして零も……先程の椿の様子については覚えていない。
いや、忘れてしまったのだ。椿の異能によって。
とりあえず、この状況を保つことができたことに椿は安堵する。
そして、零にしたように……自らの掌を、自らの頭へつける。


「……また、忘れてしまうのですか」


その行為を見て、平家は笑みを崩さないものの、少し寂しく感じているように呟く。
それを聞き、椿は思い留まるように動きを止めたものの、


「これが一番良い。一つだけ残して、あとは忘れてしまった方が良いの」


着ぐるみで見えないが、穏やかな微笑を浮かべて。
椿はただそれだけ言い残し、自らに向け異能を放った。
ふらっと、零の時のようにバランスを崩して倒れようとする。
その軽い身体を平家は簡単に抱き抱えた。


「本当に、あなたは……すぐ自分を犠牲にする」


大切なものを護るために、自分の大切なものを犠牲にする。
傍から見たら何と健気な行為だと思うだろう。
だが平家は、それは一種の逃げと変わらないのではと思っている。
こうして、自分の存在が誰かに勘付かれそうになる度に。
椿は望まずして手に入れた異能を使い、自分を隠し続ける。
それでも、平家は何も言わない。自分が何を言おうと、椿のこの行為は止まらないことを知っているから。
平家は無言のまま、意識を手離している椿が起きるのを待つ。
そして、


「……あれ?平家、さん」


目を開けた椿は、少し前と同じ無機的な声を発する。
頭痛がするのか、頭を抑えている。
その声を聞き、平家は悲しい気持ちを隠すように微笑んだ。
立つのは辛いだろうと思い、平家はそのまま椿を姫だっこした。


「桜と、零は……」


そのことに驚くことなく、椿は二人の名を呟く。
だがすぐに思い出したのか、続きを言うことはなかった。
どうやら、椿が異能で消し去ったのは先程の記憶ではない。
もっと深く、もっと大事なこと。


「桜小路さんと仲直りはできたのですか」
「……うん。桜、優しい。私のこと、抱き締めてくれた」


そのため、『珍種』の力を受けたことや、零の記憶の一部を無にしたことは覚えている。
もちろん……平家との会話の内容も。
そんな椿の言葉から、嬉しいという見えない気持ちを感じ取る平家。
椿の部屋へと足を進めながら、笑みを浮かべた。


「それはワンダフルですね」
「だから、私、もっと頑張る。桜を護れるように、頑張る」


そう強く思いを告げるも、その声に抑揚はない。
きっと、着ぐるみの下に隠された素顔にも、表情らしい表情は浮かんではいない。
今までの経験により知っている平家は、その言葉すら素直に喜べない。
そして小さく、悲しく、独り言を呟く。


「……一つだけ、残されたものとは」
「……?」
「桜小路さんを護りたいと思う、強い忠義心ですか」


雨の音と着ぐるみの壁により、その呟きは椿の耳に届くことはなかった。
不思議そうにこちらを見上げる椿。
例え自分が心配に思う気持ちが届かなくても、平家はそれでよかった。
着ぐるみを着ても、すっぽりと両腕に収まる小さな椿。
確かに存在しているのだと思えるだけで。
切ないと思う気持ちも、辛いと思う気持ちも、まだ少し……我慢できるのだから。





後日、いろいろな想いが交錯した雨の人は打って変わり、からっと晴れた日のこと。
渋谷荘の元に大量の家具や荷物が届いた。
それらは全て刻のもの。零と同じように、刻も渋谷の元へ弟子入りをしにきたのだ。


「渋谷生徒会長。よろしく……ご指導ください」


普段のチャラチャラした雰囲気の全くない、真摯な態度で言う刻。
確かな覚悟でここに来たのだと窺える。
そして渋谷から良い返事がもらえ、刻はほっと安心した。
お辞儀の姿勢から顔を上げると、目の前に椿が立っていることに気付いた。
先程まで姿が見えなかったため、刻は驚いて何も言えずに椿を見つめた。
すると、椿はそっと手を伸ばし……刻の口元にある傷に触れる。


「なに?心配してくれてるノ?」


大丈夫だよ、とくしゃっとした笑顔で椿に言う刻。
さり気なく椿の手に自分の手を重ねているところが抜け目ない。


「……刻、ごめんなさい」
「椿チャン?何で謝るノ?」


小さく呟かれた声に、刻は困ったように笑って言う。
まさか虹次との闘いを止めなかったことを謝っているのかと思ったが、次の言葉でそうではないことが分かった。


「私、刻に、頑張れって言った」
「………?」


頑張れ。その言葉を聞いて、刻は昨日のことを思い出した。
零の修業の様子を見て、少し馬鹿にした時に椿が言った言葉。

「刻も頑張る」

零と同じように頑張れと、促した言葉。
それを刻は思い出した。


「私、言う資格、なかった。私も、頑張れてなかった」
「椿チャン……」
「だから、ごめんなさい。刻、あんなに、頑張った」


撫で撫でと、刻の傷を優しく撫でる椿。
その行為と言葉を意外そうな顔で受け止めた刻は、思わず口元が緩んだ。


「いいっていいって。オレは、頑張るなんて柄じゃネェんだヨ」
「でも……」
「今日からのオレはニュー刻様だぜ!見てろよ椿チャン、うんと強くなってやるからサ」


どこか心許無い様子の椿を元気づけるように、刻はにかっと笑って言う。
刻のそんな表情を見て、許してくれたと感じた椿はほっと息を吐く。
その様子を見ていた零も、どことなく安心してその場を離れた。

だがその後、部屋にケチをつけた刻が問答無用で桜のいる部屋を開けてしまい、


「……刻、覗き、だめ」
「わざとじゃネェヨ!?」


見損なったように椿に呟かれてしまった刻であった。


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