「と…刻君!」 ようやく、渋谷荘の外で起きた戦闘に気付いた桜。 急いで玄関の扉を開けたと思えば、目に飛び込んで来たのはボロボロの体で首を掴まれている刻の姿。 初めは目を見開き唖然としていた桜だが、気付いた時には大声を上げて虹次に殴りかかろうとした。 だがそれよりも先に虹次が桜に向かって刻を投げ、二人は地面へと崩れ落ちる。 桜や遊騎が刻を心配する中、その様子すら立ちつくして見ていた椿に桜は悲しそうに言う。 「どうしてなのだ、椿!」 「………え」 刻を抱え、切なげに眉を寄せて椿を見た桜。 突然の言葉に椿は訳が分からないまま、小さく声を漏らす。 「目の前で刻君がこんなに傷ついているというのに……どうして助けてやらないのだ!」 怒鳴ってはいるが、その原因は悲しみ。 あれほど自分のことを護ると言ってくれた椿が、刻のことを護ってくれないことへの悲嘆と絶望からくるものだった。 「いいって……桜、チャン……オレは、助けなんか……」 「だめなのだ!仲間が傷つけられているのを、黙って見ているのはよくないのだ!」 歎きにも似た声で叫ぶ桜。 その様子を見て、椿は自分でも気付かぬうちにコートを強く握る。 「わ、私、は……」 予想外の言葉を聞き、椿は目を見開いたまま何も言えなくなる。 桜からこんなことを言われたのは初めてだったし、こんな目で見られることも初めてだった。 そのため、椿の頭の中では状況と感情の整理が追いついていないのだろう。 互いに辛い気持ちを抱えた二人の間に入るようにして現れた零は淡々と告げる。 「生命よりも大事な覚悟。そのために死ねるのなら本望だろう」 言い放った後、零はちらりと椿へと視線を向ける。 「きっと、椿さんもそれを分かっていたから止めなかったんでしょう」 その言葉で、じっと無言のまま立ちつくしていた椿は驚いたように目を見開く。 零の、フォローにも近い……穏やかな言葉。 椿が気になったのはその言葉ではなく、一つ前の発言。 それと同じことを……どこか遠い昔、自分も言ったことがある。 「私は、死んでもいい。あの子を護って、死ねるなら……私は嬉しい」 あの時自分も、さっきまでがむしゃらに虹次へと立ち向かった刻と同じだった。 自分の覚悟を貫くことが大事で。そのためなら、自分の命を失おうと構わない。 だがその言葉を聞いて、その場に居た全員の表情が曇ったことを覚えている。 どういった気持ちなのかは分からない。あの人たちも、とある目的のために生と死の狭間を生きていたのに。 どうして自分だけ、そんな目で見られるのか理解できなかった。 でもその時は、どうしても自分が信条として持つ覚悟を邪魔して欲しくなかった。 零の言葉は咄嗟のフォローかもしれないが、あながち間違いではなかった。 だから、刻と虹次の闘いを見守るだけで止めることはしなかったんだ。 椿には穏やかに言うも、そのすぐ後、刻のネクタイを引き厳しいことを言う零。 その様子を見た虹次が発した言葉で、椿ははっと俯かせていた顔を上げる。 「その娘の言う通り、死に急ぐことが覚悟ではない」 それはまるで、昔の椿に言えなかったことを刻に向かって代弁するようにして放たれた。 椿は驚きながら虹次を見るも、虹次は椿を見ずに刻を見つめたまま。 「覚悟とは生きてこそ貫き通せるもの。強くなれ、刻……」 虹次の言葉は、刻にはもちろんだが……椿にも、重たく心に響いた。 そして同時に椿はようやく理解した。 あの時、悲しい顔で自分を見つめたのは。 何か言いたげに自分を見つめたのは。 このことを言いたかったのだと。 自分はあの人たちとは違い、覚悟と言いながら死に急いでいただけだと。 でも、それが生きる理由である自分のために誰も言わなかったこと。 その真相とあの人たちの優しさに、椿は切なげに目を細めて、虹次と雪比奈が去った後を見つめた。 せっかくこうして気付けたというのに、何も言うことができないなんて。 闘いが終わり、また雨がひどくなってきた。 多くの面子がリビングに揃っている中、刻だけは外から動くことなく座ったまま。 「刻は放っておくとして……椿さんはどちらへ?」 「……椿ちゃんは縁側にいるよ」 静かな空気の中、零が呟く。 それに少しだけ苦しそうに渋谷が答えた。 桜がいる時は必ず傍を離れようとしないのに、一人でいる椿をその場にいる全員が珍しく思う。 その理由が自分にあると思った桜は、悲しそうに口を開いた。 「私のせいだ……。激情に駆られたとはいえ、椿を責めるようなことを言ってしまった」 椿に言った言葉を後悔しているようだ。 自分から仕掛けてしまったことであるため、ばつが悪そうに目を伏せる。 本当ならすぐに傍に駆け寄った方がいいのだろうが、刻と同じように、かける言葉が見つからない。 「気にすることではありませんよ。あなたも椿さんも、自分の意思を尊重しただけです」 「だが……っ」 「そんなに心配なら、オレが様子を見てきます」 言いながら、歩みを始めた零。 それを見て桜は、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。 「いや、原因は私だ。私が椿に謝りに行く!」 先程まで悲しみで小さくなっていた人とは思えない行動に、零は驚いたように桜を見る。 だがすぐに、桜らしくなったことに安堵の表情を浮かべる。 仲裁役も必要だろうと思い、椿の元へは零もついていくことにした。 渋谷も本心ではついていきたいが、腹の上で寝ている寧々音と無下にすることはできない。 遊騎はじっと座っていたと思えばいつの間にか寝ていたため、結局二人で向かうことにした。 零に案内され、椿がいる縁側まで来た。 そこにいるのかいないのか分からないくらい静かに、じっと雨を見つめている椿。 妙にその空間に溶け込んでいるような気がして、若干声をかけるのも躊躇われるほどだ。 「………椿、先程は本当に済まぬ。酷いことを言ってしまった」 だが、意を決して桜はその後ろ姿に声をかけた。 スカートをきゅっと握り、心から後悔している桜。 桜たちが後ろにいたことに気付いていたらしく、椿は驚くことなく口を開いた。 「ごめんなさい、桜」 「えっ……」 「ごめんなさい」 小さく、無機的に放たれた予想外の言葉に、桜は一瞬聞き返す。 そしてもう一度椿が言った時、その声が少し震えていることに気付いた。 「私、だめ。桜を護ること、できてない」 「なっ……」 「桜の感情、まだ、理解できなかった。桜の正義は、私の正義なのに」 何を言っているのか分からない、といった様子で桜は椿の後ろ姿を見つめる。 二人の会話を見守るようにしていた零も、椿の言いたいことがよく分からずにいた。 返事を聞こうと思っていないのか、椿はそのまま淡々と言葉を続ける。 「全然、だめ。私、失格。桜の信条、守れなかった」 「信条……?」 「それを守らないと、桜も護れない。だから私、存在する、意味がない」 「椿!先程から、何を悲しいこと言っておるのだ!」 存在する意味がない、その言葉を聞いた途端、桜は怒鳴り椿に抱きつく。 思わぬ行動に、椿は反応できずに抱きつかれたままでいた。 「さ、くら……」 きゅうっときつく椿を抱き締める桜。 触れている部分から、桜の体温が感じられる。 その妙なあたたかさに、思わずこのまま身を委ねてしまいそうになる椿。 「誰だって必要なんだ!存在する意味がないとか、そんな悲しいことは言わないでくれ、椿……!」 強い気持ちで、真っ直ぐ自分の言葉を伝える椿。 だがその思いに伴うように、突然桜の周りを見覚えのある光が包んだ。 「!?」 桜はきつく目を閉じて話していたため何も気付いていないが。 零はそれが何なのか、すぐに分かった。 『珍種』特有の光。異能を消し去る、目映い光。 それには椿も気付いたようで、それらが一瞬自分を包んだと思うと、 「っやめて!!」 桜を突き飛ばすようにして、桜から離れた。 自分で何をしているのか全く気付いていない桜は、疑問符を浮かべて椿を見た。 そして、自分の行動が拒否されたと思い悲しそうに椿を見上げる。 「あっ……ちが……」 その切なく歪んだ表情を見て、椿は慌てて言葉を紡ぐ。 さっと立ち上がり、桜と零との間に一定の距離を空けた。 「あ、雨……雨で濡れてるから、だから、だめ……」 突き飛ばした行為を正当化するために言った誤魔化しの言葉。 その言葉に、桜はすぐに理解したのか困ったように笑い「気遣えずに済まぬ」と呟いた。 それに対して、また首を横にぶんぶんと振る椿。 零はその様子を見て、明らかな違和感を覚えた。 「椿さん、あなた……」 確かに、感情に突き動かされて行動していた。 『珍種』の力によってもたらされる、とある効果を恐れて桜を突き飛ばし。 それにより悲しそうな顔をした桜を見て後悔し、動揺し。 桜を慰めようとして、理由を話した気遣い、心遣い。 普段、あれだけ機械的に、その場の雰囲気を読んで会話をする椿とは、明らかに違っていた。 そのことに気付いた零は、驚いて椿へと視線を向ける。 何かを問いだそうという視線に気づき、椿はそっと零へ掌を向ける。 「ごめんね、零」 そう、確かな悲哀の気持ちを込めて……椿は零に自らの異能を使った。 音もなく光もなく、椿の異能は零を包み込む。 その瞬間、零はがくんと膝から崩れ落ちた。 「大神!?」 まさか椿が異能を使ったとは露とも思っていない桜は、どうしたのかと零に駆け寄る。 自分でも不思議そうに、零は頭を抑えて呟いた。 「なんでもありません……少し、眩暈がしただけで……」 「きっと、雨に濡れたから。……風邪かもしれない」 ほんの少しぼうっと地面を見つめる零に、椿はいつもと同じ無感情に言う。 その言葉に納得したのか、桜は頷いた。 「それもそうだな。大神、早速手洗いうがいをしに行くぞ!」 「べ、別にそこまで心配するようなことでは」 気にするなと遠慮しているものの、桜に引っ張られ洗面所へと連れて行かれる零。 その二人の後ろ姿を、椿は少しだけ寂しそうに見つめた。 |