零が渋谷に弟子入りをし、渋谷荘に暮らし始めて3週間。
とうとう痺れを切らしたのか、桜と刻がこっそりと渋谷荘に忍び込んできた。
生憎の雨振りのため、夕方にしては暗い午後。
二人は探検でもするような気分で、渋谷荘の扉を開けた。


「いらっしゃい」
「「!?」」


扉を開けてすぐの玄関に、見覚えのある着ぐるみが立っていた。
渋谷荘の中は明かりが点いておらず暗いが、ランプの光を持つ『ひめまる』の姿は確認できた。
ランプの淡い光に照らされ、まるで幽霊のようにぼうっと浮かぶ『ひめまる』に二人は一瞬驚く。


「な……なんだ、椿チャンか」
「久しぶりなのだ」


正体が分かれば怖くない、と二人は安堵の息を吐いた。
引き止めることなくその場に立っている椿を見て言う。
何も言わない椿に、入って良いものだと思った二人は一言断りを入れて足を踏み入れる。
そしてあちこち探るように渋谷荘の中を見回した。


「ねえ、椿チャン、どうしてこんなに暗……」
「そこに誰かおられるのか!?」


暗がりで歩くのもやっとの状況に、刻がランプを持っている椿に声をかける。
だが、そのすぐ後に桜が何か発見したように前方を見る。
刻も同じように前方へ目をやると同時に、カッと雷が鳴り前方の様子が一瞬映し出された。
ぼうっと浮かび上がる二つの猫の影。
そのことに驚き刻が悲鳴を上げたすぐ後、渋谷荘に灯りが点った。


「おっ!!点いたね。いかにもいかにも、ブレーカーが落ちてしまっていたのだな」


よかったよかったとにこやかに言う渋谷の隣には、腹部に『百貫』と書かれた着ぐるみがもう一つ。
椿もほっとした様子で、ランプを持ちながら二人に駆け寄る。
桜と刻の目の前には着ぐるみが3体。異様な光景だ。
そしてお互いがお互いの姿を確認したと思いきや、3体のうちの1体、『百貫』着ぐるみはその場から逃走を試みた。
が、その決死の行動も報われず、桜によって正体が零だということが明らかになる。


「なんなのだ?この着ぐるみは……」


着ぐるみ姿の零をからかおうとした刻が、その着ぐるみによって床にめり込むほど潰されたのを見て桜が声を上げる。
それについて、渋谷がその理由やスーツの素晴らしさを語る。
簡略的に言えば、体力作りのために着ぐるみ姿でこき使っているというわけだ。


「……椿チャンも、ちょっと馬鹿らしいと思ってるんじゃナイの?」


続いての仕事へと、ふらふらした足取りで向かう零を見送りながら刻が呟く。
その言葉に椿はすぐに首を振り、無必要となったランプの灯を消した。


「零、頑張ってる。見てたら、刻も驚く」
「んー……そうは思えねえケドな。あんなの、使いっぱしりジャン」
「そういう言い方はよくないぞ、刻君」


両手を頭の後ろに回し、期待外れを見たように言う刻。
それを叱咤するように桜が言うが、刻はむすっとして何も言わない。


「桜の言う通り。刻、桜に謝って」
「なんで桜チャンに!?」


相変わらず桜第一主義の椿を見て、刻は思わず声を上げる。
その椿の隣で、いや私ではなく大神に謝るべきだ、と真面目に返答をしている桜を見て刻の肩から力が抜けた。
なんだか雰囲気が似ているなと思った刻は深く溜息を吐く。


「刻も頑張る」
「いや、俺はやらねえヨ。椿チャンがお顔見せてくれるンなら、頑張れるカモ」
「………それはだめ」


自分にも頑張るよう促す椿に、刻は顔を近づけながら言う。
期待せず、予想通りの返事を聞いた刻は「ですヨネ」と軽く言ってその場から帰ろうと視線を逸らした。
すると、またもや目の前に化け猫……いわゆる『にゃんまる』が数体現れた。
だがそれらは、すぐに正体を平家、遊騎、寧々音であることを明かした。
コードブレイカーだけでなく、寧々音の姿があることを知り刻は思わずその理由を聞く。
それをきっかけに桜や刻は、平家の口から渋谷荘ができた詳しい経緯を知ることとなった。





「さて、それでは。ここ3週間の大神君の修業の成果を試すよ!!」


ぽむっと楽しそうに腹を叩く渋谷。
その隣で燃え尽きたように落ち込んでいる零。
零の応援隊と化した桜、遊騎、寧々音の3人と子犬1匹。
その様子を見て笑いを抑えきれていない平家、刻。
全体をぼうっと見つめている椿。
これだけの集団が一つの部屋に集まり、零の3週間の成果を見守っていた。
本人にとっては恥晒し以外の何物でもなさそうだが。
悪ノリついでに、異能メーターなるもので零以外のコードブレイカーも異能値を測ることにしたようだ。
コードナンバーに伴うように、高い数値を残していく面々。


「ふむふむ。上がっとるな」


どうやら、一番数値の低かった零は数値『14』から数値『15』に上昇するという成果が出たらしい。
『1』という大きいとは言えない変化に、平家が口を挟む。
だが渋谷は自信満々に言い放った。


「……たかが『1』。されど『1』なのだ。この『1』が、大きな大きな異能パワーアップの第一歩なのだよ」


普段ふざけているような態度の渋谷がこう言い切り、平家も刻も黙りこむ。
零自身も、自らの拳を見つめ何かを思っているようだ。
3週間前……修業を始めた頃とは全く違う顔つきに、椿は思わずじいっと見る。
そしてふと異能メーターへ視線を逸らし、誰にも気づかれないままそれを手に握る。
コードブレイカーたちは握った瞬間に己の異能が一瞬溢れるように目に見えたが、椿はそうはいかなかった。
それは椿の異能の特性でもあるだろうが、一番の原因はメーターの数値が物語っていた。


「(………『1』)」


分かってはいたが、こう数値として見てみるとやはり悲しいものがある。
椿は着ぐるみの中、誰にも知られず眉を下げた。
だがそれもすぐ、いつもの無表情へと変わる。
先程零に言っていた渋谷の言葉を思い出したからだ。


「(たかが『1』。……されど、『1』)」


異能者であるにもかかわらず、これほど低い数値を叩きつけられた椿。
それでも、落ち込む必要などなかった。
『0』ではない。『1』なのだから。
確かにそれは、自らがゼロではないことを証明してくれるものだからだ。
自分はここに存在し、生きている。
そのことが分かっただけで、椿は十分だった。


「(私は『1』でいい。たった『1』でも……桜を、護ってみせる)」


それだけの力があればいい。
そう椿は心に思い、メーターから手を離した。


「椿、夕飯お邪魔させてもらうのだ!」


そして自分を呼ぶ桜を椿は見上げる。
明るい笑顔と声で、確かに自分を見る大きな目と目が合った。


「……桜」
「もう会長たちは行ってしまったぞ。私たちも一緒に行こう」
「……うん」


そうして差しだされた手を、椿はどこか嬉しそうに。
確かに感じるように、握った。