「本当に椿さんは何も食べなくていいんですか?」 夕食を食べ終えた零は、片付けをしながら(実際はさせられているだけだが)渋谷に聞いた。 何故本人に聞かないのかといえば、その本人がこの場にいないから。 夕食を食べるために途中までついてきた椿だが、準備を終えた頃にはいなくなっていたのだ。 「いかにも。椿ちゃんは椿ちゃんで、部屋に専用の食事があるからね」 零に片付けをさせているためか、食後のくつろぎタイムを過ごしている渋谷はのんびりと言う。 だが、その言葉に少しのやりきれなさが含まれていることに零は気付いた。 「椿さん、大分細いと思うんですが」 『捜シ者』と椿が対峙し、それを止めるために後ろから椿の腕を掴んだ時のことを思い出す。 あの時は必死で驚く間もなかったが、明らかに椿の腕が標準よりも細かったことを覚えている。 普段着ぐるみで隠されているため、他の誰も気付いていないだろう。 「うむ……確かにそうだけども、本人が食べたくないものを無理強いはできないし……」 困ったように首を捻り呟く渋谷。 自分には礼儀だ体力作りだと雑用をやらせているくせに、と零は目を細めて渋谷をじとっと見る。 そんな視線は見ない振りで、渋谷は零に背中を向けた。 「私も食べて欲しいとは思っているよ。だけど、彼女の意志も尊重してあげたいのだよ」 能天気気分が欠片もない、どことなく切なげな声。 そんな渋谷に、零は何も言うことのないまま片付けを終わらせた。 そして風呂を終わらせ、傷に新しく包帯や湿布を貼った零。 あとは寝るだけと自らの部屋に足を踏み入れる。 「!?」 そこには見慣れた着ぐるみが1体。 自分を待っていた様子の椿が堂々と座っていた。 予想外の光景に、疲れから少しばかり緩んでいた気持ちが一気に引き締まる。 「ど……どうしたんですか、椿さん」 「零にお話があるの」 柔らかく聞く零に、椿は相変わらず変化のない声音ですぱっと言った。 決して動こうとしない様子に、零は諦めたのか椿の目の前に座った。 着ぐるみのせいで表情の掴めないままの椿をじっと見て、言葉を待つ。 「あの時、いっぱい桜を護ってくれてありがとう」 何を言うのかと思えば、椿の口から飛び出したのは前と同じく感謝の言葉。 またかと少し呆れた様子の零も、仕方なく同じ言葉を返す。 「いえ、桜小路さんを護るのがオレの仕事ですから」 「すごく、驚いた。でも、嬉しかった。やっぱり、零は優しい」 「オレは優しいとかではなく……」 「そんな零を見て、『捜シ者』も驚いてた」 椿の口から再び『捜シ者』の名が出たからか、零は続きを言えず固まる。 零の表情が険しくなっていることにも気にせず、椿は言葉を続ける。 「きっと、初めて見たから。びっくりして、悲しくて、いっぱい傷つけたの」 「……やっぱりあなたは、『捜シ者』について何か知っているんですか」 まるで『捜シ者』の気持ちを代弁するかのように言う椿を見て、零は言う。 その表情は、拒絶というよりは疑い。 説明を求める視線を、強く椿に向けた。 そうしてじっと耐えて見ているだけの零に、椿も不思議に思ったのか口を開く。 「リリィの時みたいに、首絞めたりしないの?」 「!?」 その言葉に、零は目を見開いて椿を見た。 話を逸らされたことに憤っているわけではない。 椿と出逢う前の出来事のことを、どうして椿が知っているのかという疑問を強く感じた。 だがそのことを問い詰めるよりも先に、零は唇を噛み締めながら呟いた。 「居場所……知ってるんですか」 低く、責めるような声になっていることには零本人も気づいていた。 だがこれを自分で制御することはできない。 『捜シ者』が絡むとこう熱くなってしまうことは、自分でもよく分かっている。 そして、目の前にぼうっと突っ立っている椿は一体何者なのか。 一度は無理に消し去った疑問が、再び胸の中を渦巻く。 また無意識に睨むようにして椿を見ている零に、椿は機械的に首を振った。 「眠ってたから、分からない」 疑惑の眼差しを強くし、椿を見ていた零はその言葉に拍子抜けする。 先程は、『捜シ者』と一緒に居た自分を問い詰めないのかと言っていたのに。 悪びれた様子など微塵もないまま答えた椿。 すっかり居場所を知っているものだと思っていた零は、力が抜けたようにしてもう一度椿を見て口を開いた。 「それなら、いいです」 はあ、と疲れたように溜息を吐きながら言う零。 敵意剥き出しにも思えた先程の目や表情から一変したことを椿は感じた。 「……首締めないの?」 「締められたいんですか?」 問いかけるように呟く椿に、零は呆れたように返す。 そのことに一瞬、椿は零との会話を全て思い出した。 立場は違うとはいえ、同じく桜を護ろうとしている者同士。 それなのに、わざわざそれらを崩してまで吐かせようとはしないのだと椿は気付いた。 よくよく思えば、『捜シ者』に出逢った時も、零は桜だけでなく自分も護ってくれた。 零にとって、自分は敵ではないということが分かったようで、椿は少しだけ安心した。 「……怒らないの?」 「怒られたいんですか?」 それならば、怒って問い詰めたりしないのかと、再び疑問を投げる。 だがそれにも、零は同じように呆れた言葉を返すのみ。 ますます椿の中に疑問が広がった。 思わず、首を横に振る。 「怒りませんよ。怒る理由がない。……それよりも、どうしてリリィとのことを知っているのか教えてください」 「………ひみつ」 「椿さん、ふざけるのはやめてください」 偶然居合わせた、なんていう嘘や誤魔化しは期待していない零。 真っ直ぐ椿を見つめて聞き出そうとする。 「他にも、『捜シ者』の攻撃が効かなかったことや着ぐるみを脱がないわけ……あなたについて知りたいことがたくさん……」 「零が知っても、仕方ないこと。だから、言わない」 真剣に言う零の言葉を遮り、椿は首を振って答える。 無感情に、機械的に。 本当ならそうした態度でいる理由も、零は問いただしたいところだ。 「椿さん……」 「私は、桜を護るためにいる。ただ、それだけ」 「……どうしてそこまで、桜小路さんに」 出逢った時から不思議に思っていた、桜へのその執着心。 まるで依存でもしているように常に心配をし、護ろうとしている。 細くか弱いその身一つで。何にも頼ろうともせず。 ほぼ無意識のうちにそんな疑問を口にした零。 それを聞き、椿はしばらく沈黙を貫いた。 「『存在しない者』への暗黙の了解……」 そして若干悲しそうな声音で呟く。 コードブレイカーであれば、誰もがそれらを守っている。 身の上の詮索はしないこと。余計な干渉はしないこと。 自分でもそれを徹底してきた零は、暗黙の了解と聞いて言葉を詰まらせた。 「だから、だめ。……おやすみ」 明確な答えを言わないまま椿は挨拶をして、すっと立ち上がる。 待つように呼び止めたい。 だが、そう行動に移せないまま、零は無言で椿のその姿を見送った。 体が動こうとしなかった。呼び止めることを拒絶するように。 いや違う。拒絶していたのは椿の方だ。 背中が物語っていた。止めないで、触らないで、聞かないで。 それが直接脳に届くようにして感じたため、零は何もできずにいた。 だが数ある疑問は消えない。全てあやふやで心残りがあるばかり。 一瞬、暗黙の了解を無視してしまいそうになった自分を落ち着かすように、零はゆっくりと息を吐いた。 その後、零は何か諦めたように目を閉じた。 「………」 零はそのまま何も言わず布団に横になり、短い夜を過ごした。 |