転入準備(1)




翌日の朝。珊里が寝ている部屋のドアの前で白石は困っていた。
自らは早くに起き、朝の体操を終えて少しの休憩を挟んでこれから朝食というところ。
さすがに朝の体操に珊里を付き合わせるわけにはいかず誘わなかったが、朝食は一緒に摂ろうと思っていた。それなのに、珊里は未だに起きてこない。
何時から朝食とは伝えていなかったため問題はないのだが、部屋に入って起こしていいのかを悩んでいた。


「んー……もう何度もノックはしたしなぁ」


呟きの通り、白石はとりあえずノックと声掛けで珊里を呼んでいた。だが反応はない。
眠りが深いタイプなのか、それとも朝に弱いタイプなのか。
分からないが、とにかくこのままの状態でいるわけにはいかないため、白石は意を決した。


「すまんけど、入るでー」


少し大きめの声で言いながら、ドアノブを回して部屋に入る。
入ってすぐにベッドを見るとやはり珊里はまだ眠っていた。
掛布団から腕を出し、横向きの体勢ですーすーと規則正しい寝息を立てていた。


「っ……」


白石はその寝姿にドキッとしてしまった。
普段から大人びた雰囲気の珊里だが、目を閉じていると余計に大人っぽさが強調されているような気がする。
昨日一日中笑みを絶やさなかった珊里の新たな一面が見られたようで胸が高鳴った。


「っと……起こさなな……珊里ー、朝やでー」


見惚れていただけだが、なんだか悪いような気がして白石は当初の目的を果たそうと声をかける。
だが珊里は身じろぎ一つしない。相当眠りが深いようだ。


「珊里ー!朝ご飯やでー!」


さっきより声も大きくして、言葉も付け足す。
遠山ならこれで一発で起きるのだが……珊里は相変わらず眠ったまま。


「……仕方ない。珊里、悪い……」


こうなったら奥の手だ。
白石は小さく珊里に向け謝りながら、そっと布団の上から珊里の身体に手を置き、優しく揺すった。
そして同じように珊里の名前を呼ぶと、ようやく珊里は「んん……」と声を漏らした。
びくっとした白石はさっと両手を上げ、変なことはしていませんとアピールをする。
起きるか?と珊里の顔を凝視していると、珊里はようやく薄く目を開いて何度か瞬きをした。


「なに、もう……まだこんな時間……」


目を擦り、言いかけたと思えば白石と目が合ったとたんに口を閉じる。
そして驚いた表情になり、凝視したまま何度か瞬きをした。
寝ぼけているのかと白石が改めて声をかけようとした時、珊里は状況を思い出したのか綺麗に微笑んだ。


「蔵ノ介……そう、蔵ノ介がいるんだった……」


その微笑があまりにも綺麗で。先ほどの不機嫌そうな表情とは全く違った。


「ごめんなさい。私寝ぼけてたみたいで……わざわざ起こしにきてくれたのね」
「あ、ああ……すまんな、部屋勝手に入って……」


自分をじっと見つめる珊里の目から思わず目を逸らしてしまう。
白石は人と目を見て話すことは苦手ではないが、珊里の場合は真っ直ぐ見すぎて少し戸惑ってしまうのを感じた。


「ううん、いいのよ。私も朝なかなか起きられない方だって……言っておくべきだったわ」
「そんな、ええんや。1日で全部説明なんてでけへんしな」


それに、こうして起こすのも全然嫌ではなかったし、むしろ……。
そこまで考えて白石は頭を振った。


「ありがとう。蔵ノ介に起こしてもらえるなんて、今日は今までで一番良い目覚めだわ」
「そ、それは大袈裟やろ……」


はは、と苦笑するが、珊里は冗談を言っているような表情ではなかった。
やっぱり何を考えているのか分かりにくい。が、それも別に嫌ではない。
これが珊里なのだと思うと、自分の方から少しずつ理解できるようになりたいと思うようになった。


「ふふっ、寝起きの姿を見られるのは意外と恥ずかしいわね」
「す、すす、すまん!」
「気にしないで」


とても恥ずかしそうに思っているようには見えない態度での言葉だったが、反射的に白石は珊里に背を向けた。
そんな反応も新鮮だと、面白そうに笑う珊里は微笑しながら言った。


「すぐに支度をするから、蔵ノ介は先に行ってて」
「わ、わかった……」


そしてなるべく珊里の方を見ないよう心掛けつつ、白石は部屋から出た。
ドアが閉められると、珊里はその方向を名残惜しそうに見て、ふうと息を吐いた。


「さすがに油断してたわ……。夢とは思っていなかったけど、本当に……」


自分が今いる世界が元いた世界ではないということ。現実味がなかったが、こうして一晩寝て目が覚めてすぐに白石の顔があった。
ああ、これは本当に現実に起きていることなのだと思うと、珊里は嬉しくて心臓が高鳴った。
こんな余裕のない気持ちになるなんて、きっとあの二人はびっくりするだろう。
そう自分でも可笑しく思いながらも着替え、白石の待つ食卓へと向かう。
相変わらず健康と栄養に気を遣った朝食を美味しく頂き、そろそろ学校へ向かおうかと立ち上がった頃、白石家のチャイムが鳴った。


「こんな朝早くからお客さんかしら」
「いや、これはもしかして……」


珊里が呟くと、白石は心当たりがあるのか眉をしかめた。
そして最後まで言い終える前に、


「白石ぃー!珊里ー!迎えにきたでーっ!」


と玄関から元気で大きな声が聞こえた。
声の主は誰か、なんて考えるまでもない。遠山の声だった。


「こら金ちゃん!ご近所迷惑になるやろ!」


続いて謙也の声も聞こえる。遠山を諫めようとしているようだが、その声も十分大きかった。


「……やっぱな。みんな、珊里に早よ会いたかったみたいやな」
「ふふっ、私じゃなくて蔵ノ介に会いたかったんじゃない?」
「や、やめてや……さすがの俺もそれは引く」


少し冗談を言ってみると、白石は少し嫌そうな顔をして呟いた。
その表情を見るのも楽しく、珊里はまたふふっと笑う。
しゃあないなぁと言いながら、白石は玄関に向かい、珊里もそれに続いた。


「珍しいなぁ、自分らが家まで来るんは」
「おはよう白石!珊里!」
「おはよう、金太郎。皆もおはよう」


ドアを開けると早々に遠山が飛び跳ねて迎える。元気に手を上げて挨拶をしたため、珊里も笑って挨拶を返した。
そして遠山以外のメンバーにも向かって挨拶をした。


「昨日何時に学校に行くか聞くの忘れてたからな」
「蔵リン家なら間違いないと思って、来ちゃったわ」


腕を組みながら言う一氏と語尾にハートマークを付けて言う金色。


「わざわざ皆で行く必要なんてないって言ったんスけど……」
「金ちゃんに朝早くに起こされたばい〜……」


自分から来ようとしたわけではないと主張する財前と、半分寝ているようにふわふわしている千歳。
どうやらこのハイテンションな遠山に声をかけられ連れ出されたらしい。


「なんやかんや言うてるけど、財前も千歳も嫌とは言うてへんねんで」
「ふふ、謙也も進んできてくれたのね」
「ワシらも珊里はんの手伝いをしよう思いまして」
「銀も。皆ありがとう」


こっそり補足する謙也の言葉に微笑で応える。
もっとも、補足されなくても財前と千歳の真意はなんとなく珊里には分かった。
四天宝寺の皆は誰しも例外なく仲間思いで優しい人たちだから。


「学校の手続きが終わったら買い物も必要でしょ?うちらが案内してあげる」
「小春がいれば百人力や!よかったな、珊里!」


にっこり笑う金色と何故か自分が偉そうな一氏。
その言葉を聞いて、白石は納得したように呟いた。


「確かに、服とかいろいろ必要やなぁ」
「生活に必要なものはたんとあります」
「うふふ、乙女心なら蔵リンよりうちの方が分かってるわね」


頷く銀と金色の言葉に、しまったとでも言いたげに頭を掻く。


「気にしないでいいのよ、蔵ノ介。あなたは完璧だけど、少し抜けてるくらいが可愛らしいわ」
「か、可愛いはよくわからんけど……」


完璧と言ったり可愛いと言ったり、珊里の言葉はからかいなのか誉め言葉なのか受け取り方がよく分からない。
あの白石も翻弄されるんだなと、静かにやり取りを聞いていた財前がちらりと珊里を見る。意外と侮れない。


「皆揃ったし早速出発や!ぱぱーっと終わらせてタコ焼きや!」
「金ちゃんはいつもそればっかばい」


珊里の手を引き先導する遠山の言葉に千歳も笑いながら言う。
その二人の後姿を見ながら、走ったら危ないでと白石が慌てて追いかけ、他のメンバーも後に続いた。