転入準備(1) 「んむむ……」 翌朝になり、仁菜はベッドの中でみじろぎをする。 なんだかいつもと枕の固さが違うことに違和感を覚え目を開けると、そこは見覚えのない部屋。 一瞬思考が止まりぼうっと考えるが、すぐにここが赤也の家だということに気が付いた。 「夢じゃなかったんだ!」 がばっと勢いよく起き、周りを見回す。やっぱり、昨日案内された赤也の家の一部屋で間違いない。 念のため頬もつまんでみるが、やっぱり景色は変わらない。 仁菜は嬉しくなってベッドから飛び起きた。 「ビバ!トリップ初の清々しい朝!」 朝からやけに元気なのは、トリップが夢ではなかったということもあるが、仁菜は朝から活動できる人間なのだ。 そしてぐぐっと伸びをすると、満面の笑顔で叫んだ。 「そして私にはとあるイベントが用意されている!はず!」 言いながら、仁菜はパジャマ姿のまま部屋から出て、隣の切原の部屋へ向かう。 ノックもせずにドアを開けると、ベッドには布団が半分ほど落ちているのにも気にせず、気持ちよさそうに眠っている切原の姿が。 「やっぱり!赤也はお寝坊さんなんだから!」 うふふと仁菜は切原に駆け寄る。 大好きな切原が朝に弱く、寝坊の常習犯なのは知っている。 ここは自分が率先して起こさなければ誰が起こすと、るんるんと切原の身体を揺さぶった。 「あかやーん!起きて、朝だよー!」 上機嫌で言うが、切原は小さく呻くだけで起きる気配はない。 これも予想の範囲内だったのか、仁菜は笑顔のままだ。 「赤也―!愛しの仁菜ちゃんが起こしにきたよー!」 これを普通の状態の切原が聞いていたら、家族に聞こえるからやめてと顔を赤くして怒っただろう。だがまだまだ夢の中から戻ってくる様子はない。 「むむう、なかなか手強いな。立海の皆が苦労するのも分かるかも」 そして真田が怒号を飛ばすのも。 だが仁菜にとってはそこも切原の可愛いところの一つに過ぎなかった。 もう一度大きく揺さぶり切原の名前を耳元で呼ぶと、ようやく切原は声を漏らしながら目を開けた。 「赤也、起きた?あたしのこと分かる?」 わざとらしく聞いてみる。ほんの悪戯心だ。 朝起きたら目の前に可愛い女の子がいて驚くかなとか。 無防備なパジャマ姿に恥ずかしがって慌てるかなとか。 いろいろな予想を立てて楽しんでいた仁菜だが、 「んん……?あれ……俺に妹なんて、いたっけ……」 まだ頭が半分以上眠っているのか、ふわふわした声でぽつりと呟いた。 もちろん切原に悪気はない。だが、仁菜はそんなことは関係ないようだ。 「赤也?今すぐ頭から水を被って私に詫びな」 布団をがばっと剥ぎ取り、切原の胸元を掴んでの一言。 にっこり笑顔なのに言っている言葉は恐ろしいもので、切原は寒気と共に目も冴えた。 「っ仁菜、さん……!す、すんませんっした!!」 寝ぼけていたため自分が何を言ったのかは分からないが、仁菜が怒っているということで十分だった。 すぐさま謝り、上目で仁菜を見る。 「き、急なことにびっくりして……わ、悪気はないんスよぉ……」 とにかく仁菜を刺激しないようにと、苦笑しながら誤魔化してみる。 仁菜はしばらく無言だったが、ぱっと切原を離した。 「全く、もっとこう、可愛い寝ぼけ文句を言えないのかな?」 その話口調はいつもの仁菜だった。 怒りは収まったかとほっとし、切原は改めて仁菜を見る。 「起こしてくれたんスね、ありがとッス!」 「いいのよいいのよ、赤也のところに来た時から、これはあたしの使命だと思ってたから」 「し、使命ッスか……」 自分がなかなか起きられないこと言ったっけと切原は一瞬考えたが、そういえば自分たちのことを色々と知っていることを思い出す。 考えるだけ無駄だということに気付き、切原は考えることをやめた。 「仁菜さんは朝強いんスね」 「まーねっ。ばりばり動けるよ!」 そう言って拳を突き上げる仁菜を見て、切原は元気だなぁとやっぱり少し子供っぽいと思ってしまった。 口に出したらきっと半殺しにされるため、言わないように努める。 「でもおかげで助かったッス!もう副部長たちに怒られるのは勘弁ッスからね……」 余程怒られたことがあったのだろう、切原は言いながら暗い顔をした。 仁菜はまぁまぁと肩を叩き、大丈夫だよと言う。 「仁菜ちゃんがいるからにはもう安心!あたしが毎日、愛しの赤也にモーニングコールをしてあげるから!」 「い、愛しのとかは聞いてないッスから……でも、嬉しいッス!」 「うぐっ、相変わらずの年上キラースマイル!」 困ったように言いながらも、笑顔で喜びを伝える切原の表情を見て、仁菜は心臓を押さえた。 切原のこの笑顔は天性のものだなと、これも立海の先輩たちから可愛がられる所以だと思い知らされる。 「ほんと、赤也は可愛いなぁ。あたし、こんなに幸せな朝初めてかも」 「大袈裟ッスねぇ」 しみじみと言う仁菜を見て、切原は苦笑しながら言う。 だが決して仁菜は大袈裟に表現したのではなく、本心だった。 このままもう少し、お互いパジャマのままで朝をゆっくりと過ごしたいと思っていた矢先、切原家のチャイムが鳴る。 どうやら朝早くから客人のようだ。 「誰ッスかね、こんな早くに」 珍しいなと思って切原が呟くが、仁菜はむすっと不機嫌そうに唇を尖らせた。 また何やら機嫌を損ねてしまったかと慌てた切原だが、どうやら原因は自分ではないらしい。 「誰って、この気配は精市だよ。多分、他の皆もいる」 どうして分かったのか、そして気配とは……。 聞きたいことはたくさんあったが、怖かったため切原はあえて聞かないでいた。 「昨日約束したのは覚えてるけど、こんな朝早くにッスか?」 「うーん、皆のことだから、赤也が寝坊するのを予測してじゃない?起こして準備させるためにこの時間に来たとか。それでも8時は早いと思うけど」 きょとんと首を傾げる切原だが、仁菜の言葉に納得し何も言えなくなった。 「それにしても、あたしと赤也の時間を邪魔するなんて……絶対に精市はタイミングを見計らってたと思うの」 「……そ、そッスかね……?」 別に邪魔されたとも思っていなければ、タイミングを見計らうことも無理ではと思ったが……きっと、自分には分からない何か通じるものが二人にはあるのだろう。 自分は常人で良かったと心から思いながら、切原は口を開く。 「さすがに先輩たち待たせるのもあれッスし、俺、一応出てきます」 「わかった、じゃあその間にあたしは着替えちゃおうかな」 立ち上がった切原が部屋から出ようとすると、仁菜も立ち上がりそう言った。 そしてあてがわれた部屋に戻り、パジャマから着替える。 昨日のうちに切原の姉の服を少し借りていたのだ。 若干サイズが合わないことにはまぁ目を閉じることにしよう。 そして1階に降り、未だ玄関にいる様子の切原の元へ行く。 そこにはやっぱり立海の先輩たちが勢ぞろいしていた。 「皆、おはよう。早すぎるんだけど」 「悪いな、仁菜。幸村からこの時間でって指定されててよ」 「早いのは確かだが、赤也と仁菜が寝とるじゃないかと思ってのう」 「どうやら我々の心配は無用だったようですね」 少し棘を含ませて挨拶をしてみたが、皆はさして気にしてないようだった。もうすでに慣れてきているのだろう。 ジャッカル、仁王、柳生が言い、仁菜は大体の状況を察した。やはり自分が予想していた通りのようだ。 「聞いてくださいよ、仁菜さん!俺、真田副部長に褒められてたんス!」 パジャマ姿のまま飛び跳ねる切原。その姿が何とも可愛らしく、仁菜はきゅんきゅんしていたが、自分が起こしたことよりも喜んでいるその姿に一瞬むっとし、真田を睨む。 「な、何故そんな怖い顔をしているのだ……」 「赤也を一番愛しているのはあたしなんだからね!」 「そんなことで張り合うなよぃ……」 戸惑う真田にびしっと人差し指を向けて宣言する仁菜に、呆れたのか丸井が呟く。 だが仁菜は警戒を解かない。切原がなんだかんだ言って真田に懐いているのは知っているからだ。 「ふふっ、仁菜ってば、俺を無視するなんて朝から良い度胸じゃないか」 「ふん。朝からあたしの至福の時を邪魔した精市が悪い」 腕を組み、ぷいっと顔を逸らす。 対して幸村は、そんな表情を見るがためにしたことだったのか、笑ったままだ。 「……ああ、ですからしばらくチャイムを鳴らさなかったのですね」 合点がいったと、柳生はぽんと手を打つ。幸村が確信犯ということが決定した。 「俺は、可愛い後輩の身を守っただけだよ」 「その可愛い後輩の五感を昨日奪いすぎたくせに、何を言ってるんだか」 それは切原にとって嫌な記憶だったのか、朝から思い出させないでくださいよーと不貞腐れる。 「おいおい、長々と立ち話してたら迷惑だろい。話は買い物しがてらにしよーぜ」 「あれブンちゃん。珍しくまともなこと言うじゃん!」 「俺、この中では大概まともだと思ってんだけど」 切原の家の玄関ということや朝早い時間ということ、諸々を考慮したうえでの丸井の発言。 驚いた仁菜の言葉に、逆に驚いた丸井が溜息をつきながら言った。 「でも、ブンちゃんの言う通りだね。赤也、早く着替えてご飯食べて、初デートの準備しよっか」 「だっ、だからデートじゃないッスよね!?」 腕を組みながら言ってくる仁菜の言葉に、きっちりと否定をする切原。 「君みたいな子に可愛い赤也を渡すことはできないな」 「幸村部長まで保護者みたいなこと言わないでくださいよ!」 幸村の悪乗りのような言葉にも切原は突っ込んだ。朝から大忙しだ。 切原に関しては、いつもこちらが振り回されることが多いため、珍しい光景だと仁王は面白そうに見ている。 ジャッカルは不安要素が増えて胃が痛そうだが、隣にいた丸井に頑張れよと他人事のように応援されている。 そして仁菜と切原は、しばらく皆を玄関に待たせて着替えと朝食を摂ることにした。 |