転入準備(1) 翌日の朝。 早起きな跡部は、軽く身支度を整えてから隣の部屋で未だ眠っている壱加を起こしに向かう。 本来ならば使用人の役目だが、それも壱加だと怯えかねない。 何をそんなに怯える必要があるのかと、跡部は溜息をつくが、仕方がないと割り切ってドアをノックした。 「壱加、俺様だ。起きてるか?」 呼びかけるも、返答はない。どうやらまだ寝ているようだ。 「……気苦労もあったろうから、仕方がないか」 昨日突然、別の世界からこっちの世界へやってきて。 周りを囲むのは見知らぬ男たちばかり。 泣いて笑って、驚いて困ってまた泣いて。 まるで百面相のような壱加の昨日の態度を思い出し、跡部はふと顔を上げる。 そして失礼を承知の上で、部屋へと入った。 「……壱加」 もう一度控えめに呼びかけてみる。やはり反応はない。 中央にあるベッドに近づくと、やけに掛布団が盛り上がっているのに気付いた。 「もう夏だってのに、頭までかぶってるのかよ」 少々驚きつつも、まぁ人それぞれ寝相というものがあると思い、そっと掛布団に手を掛けて揺らす。 「壱加、もう起きろ。朝食の用意をさせている」 「………ん、」 壱加の顔があるであろう位置まで顔を近づけ言うと、ようやく壱加は動いて反応を見せた。 「その声は、景吾くん……?」 もぞもぞと布団の盛り上がりが動きを見せ、声もしっかりとしてきたのを感じて跡部は布団から手を離す。 じっと様子を見つめていると、壱加が布団から顔を出した。 「あ……おはよう、景吾くん」 「疲れはどうだ?起きられそうか?」 「うん、大丈夫……。起こしに、来てくれたんだ」 跡部の問いに壱加はこくんと頷き、寝ぼけ眼を擦りながら跡部を見上げて微笑む。 その姿に、跡部は思わずドキッとしてしまった。 気だるげな目、程よく乱れた髪、大人びた微笑み、そして少しはだけている寝巻のローブから見える谷間……そこに視線を向けた瞬間、はっと跡部は慌てて別の方向を見た。 「ありがとう。私、寝坊しちゃったかな?」 「いや、そんなことはない。そろそろ朝食が用意できる頃だから起こしに来ただけだ」 「そっか……やっぱり、景吾くんは優しいね」 にこっと笑う壱加の表情に跡部は目を奪われる。 だがすぐに、壱加と目が合ったことで跡部は思い出したように口を開く。 「あ、頭まで布団をかぶってたが、暑くないのか?」 「あ……うん……暑いけど、癖みたいになっちゃって……」 その指摘に、壱加はばつの悪そうに下を向いて呟く。 「そうか。まぁいいが、汗をかいたのなら朝食の前に風呂に入ってもいいぜ」 「お風呂……。じゃあ、景吾くんは先に朝ごはん……」 「俺様はいい。お前が出てくるまで待ってる」 どうやら寝汗で気持ちが悪いところがあるらしく、風呂に入る意思を見せる壱加。 遠慮がちに言う壱加に、跡部は首を振って答えた。 「でも……そんなの、悪いよ……」 「悪いだとか思うなと言ってるだろ。まぁ、壱加が一人で朝食を食べたいって言うなら、俺も先に頂くが」 「そ、そんなことない……っ、一緒に、食べたい……」 はっきりとしない態度の壱加に、跡部はわざと素っ気ないような態度をとる。 そうすると、壱加は慌てて否定をし、自分の本心を告げた。 手荒にも思えるが、跡部は壱加に本心を言わせようとしたのだ。 「ったく……最初からそう言え」 「ご、ごめんなさい……」 「謝らなくていい。ゆっくりでいいから、俺には遠慮をするな」 眉を下げて呟くように謝った壱加に、跡部は極力優しく壱加に告げる。 その優しさは壱加には伝わったらしく、最初は驚いたものの、嬉しさから表情を緩ませた。 「ありがとう。……じゃあ私、急いでお風呂、入るね」 「そう急がなくていい。風呂の入り方は覚えているか?」 「うん。ライオンさんの横にあるボタンは押さない!」 「よし。じゃあ先に着替えを用意させておくから、風呂が終わったらそれを着て俺の部屋に来い。そこにいるから」 「わかった!」 すっかり眠気の覚めた壱加は元気を取り戻し、また子供のように笑った。 それを安心したように跡部は見つめ、また自室へ戻った。 「景吾様、ご友人がいらっしゃったので、客室へご案内いたしました」 壱加が風呂を終え、二人での朝食を終えた直後だった。 執事のミカエルからそうお達しを受けたのは。 それを聞いて跡部は面倒そうに眉を寄せ、壱加はぱあっと表情を輝かせる。 なんとも対照的な反応だと、ミカエルは微笑んだ。 「ご友人って、きっと昨日の皆のことだよね!」 「……だな。あいつら、本当についてくる気か……」 大人数でぞろぞろと行動するのも嫌なため、先に準備をしてとっとと学園へ行ってしまおうと思っていた跡部は、先回りをされたことに若干不服そうだった。 だが壱加にとっては大切な友達。嬉しいようで、ちょんちょんと跡部の肩をつついた。 「皆迎えに来てくれたんだね!早く、皆のところに行こうっ?」 わくわくがこっちまで伝わってきそうな表情で言われ、それを断ることは跡部にはできなかった。 来てしまったものは仕方がないし、どうせ先に二人で学園に行っていたとしても、いずれは合流するはめになったと思い、重い足を進めた。 跡部に案内される形で向かった客室は、とても広くテニス部のメンバーが全員待機していた。 ドアを開けると一斉に向けられる皆の視線。 昨日までは恐怖でしかなかったが、今の壱加にとっては大切な友達で、嬉しいものとなっていた。 「壱加ちゃんおはよーーっ!」 「昨日ぶりだな!」 「おはようございます」 「ウス」 真っ先に飛んできたのは芥川、向日、鳳、樺地の4人。 皆壱加だけに挨拶を向けているが、樺地だけはきちんと跡部にも挨拶をした。 そしてもちろん他のメンバーもすぐに壱加の元へと向かった。 「皆おはようっ!来てくれて嬉しい!」 「昨日約束したからな」 「……約束を破るのは性に合わないだけです」 「まぁ、約1名は約束守る気無さそうやったけどなぁ」 宍戸がにかっと笑いながら言い、日吉も言い訳のようなものをし、忍足は怪しげな笑みを跡部へと向けた。 「ふん。お前らなら置いてこうがどっちにしろついてきただろうが」 「その通りや。ここにおらんかったら学園へ向かってたわ」 やっぱり、と跡部は本日何度目かの溜息をついた。 「にしても……んん、壱加ちゃんええ匂いするなぁ」 「おい侑士、朝っぱらからセクハラすんなよ」 壱加の傍に寄り、目を閉じたと思えばそんなことを言い出した忍足。 隣にいた向日は軽く忍足を小突いた。 「あ、本当ですね。髪から良い匂いがします。壱加さん、お風呂に入られたんですか?」 「うん、えっと、寝汗かいちゃったから……」 忍足の言葉を聞いて、確かめるように近づいた鳳が壱加の髪を一束掬って匂いを嗅ぐ。 フローラルな香りがしたために、爽やかな笑顔で聞くと壱加も素直に答えた。 「……なあ、俺は駄目で鳳はええのん?」 「すげえ。軽くボディタッチしてんのに、全然爽やかで違和感がねえ」 「長太郎はナチュラルにできっからな、ああいうの」 忍足が眉を寄せて鳳を指差すと、向日は言うことなしと感心し、宍戸は苦笑しながら呟く。 「天然というか、考え無しというか……」 「あれ〜、もしかしてひよC〜はジェラC〜?」 「違います。それと、とんでもなくウザい風に言うのやめてください」 にこにこ顔で言う芥川に、ぴしゃりと否定する日吉。 からかいが大半だと気付いている為に、日吉は至極鬱陶しそうに溜息をついた。 「朝から元気な連中だな……」 「そういう跡部かて、朝からご機嫌良さそうに見えるけど?」 「アーン?」 「どうやった?壱加ちゃんとの初お泊りは」 こちらも、からかいたがりの忍足が跡部を標的に定め始めました。 また始まったと、忍足の性質は知っているのか跡部は忍足を睨む。 「別に普通だ」 「普通なぁ。あの壱加ちゃん相手に普通でいられんのか、疑問やけど」 鋭い視線を向けられても、にやにや顔の止まらない忍足。 「こんなに可愛くて美人さんな壱加ちゃんやからなぁ」 「はいはーい!俺だったら、一緒に寝ちゃうC〜!」 「ジローは欲望に忠実だなー」 忍足たちの会話が聞こえていたのか、芥川が挙手をしながら自分の気持ちを正直に言う。 それに少し驚いた風を見せるも、芥川らしいと向日は言う。 「ったく、何の会話してんだあいつら……」 「ふふっ……皆、朝から仲良しさんなんだね」 「あれが仲良しと言えるかはよく分かりませんが……」 「壱加さんもすぐに、もっと仲良しになれますよ!」 「ウス」 額に手を当てて、呆れたように言う宍戸。 壱加は微笑ましそうに、そしてどこか羨ましそうに呟く。 その発言に首を傾げつつ日吉が言い、にこりと笑顔で鳳が壱加を励まし、樺地も賛同する。 朝から賑やかな空間になりつつある。 「ちっ……いい加減にしろ。今日の目的は壱加の転入手続きと買い出しだ。こんなことしてる暇ねえんだよ。さっさと行くぞ」 「あー、強引に誤魔化しよった」 「まぁまぁ。早く壱加さんを氷帝生にしてあげたいですし、跡部さんの言う通り向かいましょう」 「ようやくか……。壱加、出るらしいが大丈夫か?」 「うん、大丈夫だよ」 こいつらの相手をしていたらキリがないと、跡部は早々に切り上げて部屋の外へと向かう。 それを少し残念そうに、少し面白そうに忍足が言うが、鳳が宥めたために跡部の後をついていくことにした。 宍戸も壱加を気遣いながら歩き出し、壱加もまた、その気遣いを嬉しそうに受け取り、皆と同じように歩き始めた。 |