出逢い(8)



「あう………」


跡部邸にあった客人用の寝巻に身を包んだ壱加は力無しに自室のベッドにうつ伏せで倒れ込む。
それを見て跡部は呆れたような疲れたような、そんな溜息を漏らした。


「壱加……お前の全てが想定外だ」
「……だ、だって」


呟く跡部に、壱加は涙目で跡部を見上げる。
壱加が目に見えて疲れているのは、跡部邸の夕食や入浴に手間取ったからだ。
すぐ傍に使用人が控え、一品ずつ運ばれる夕食。
人見知りな壱加には緊張しか感じられない空間のようで、目の前にいた跡部も顔色が悪いことに気付き、明日からは使用人は席を外し、料理も全て出させるように手配させた。
それが終われば大浴場かと見間違えるほど大きな浴場での入浴。
ようやく一人になれた壱加は興味津津でいろいろ見て回り、間違えてジャグジーを作動させてしまい壊れたと勘違いをして一騒動起こしてしまい、今に至る。
……一概に壱加だけが悪いとは言えないような気がするが、そのことに気付く人物はこの跡部邸にはいなかった。


「まぁ、初めてなら仕方ねえか。誰も気にしてないから気を落とすな」
「……うん」


いろいろと休まらなかった時を過ごし、壱加はただでさえトリップで疲れていたというのに、全然リラックスできないでいた。
そのことをちゃんと察している跡部はそうフォローの言葉を充てた。


「……でも、ありがとう」
「?なんだ急に」
「私……ご飯の食べ方もお風呂のことも何も分からなかったのに、いろいろと教えてくれてありがとう」


一般的な作法ならともかく、正しいテーブルマナーを知らなかった壱加に、跡部は一つ一つ丁寧に教えていた。
お風呂も、ジャグジーは故障ではないと、女性の使用人では緊張してしまうために跡部直々扉越しに説明をしてくれた。


「……別に、大したことじゃない。お前は客人だからな。当然だ」


素直に礼を言われて照れたのか、跡部は少し顔を逸らしながら言った。
その様子がだんだんと「素っ気ない」ではなく「照れ隠し」だと分かってきた壱加も優しく微笑する。


「ったく……いいからもう寝ろ。明日は朝から忙しいからな」
「………わかった」


言いながら部屋を出ようとするも、返ってきた壱加の声が暗いことに気付いて跡部は振り返る。
視界に入ったのは、ベッドの上に座り枕を抱きかかえて不安そうにこちらを見る壱加。
体や顔つきは立派な大人そのものなのに、何故か子供や小動物を連想させる姿だった。


「………お、おやすみなさい、景吾くん」
「………(全然休めそうな顔じゃねえな)」


震える声で察したのか、跡部はまた溜息をついて壱加の傍に近寄る。


「……寝つけるまで、傍に居てやろうか?」
「えっ!……う、ううん、私なら大丈夫……これ以上、景吾くんに迷惑かけたくない……」
「まだ迷惑なんて言ってるのか。そのことなら気にするな。お前の身元を引き受けた以上、俺はお前の全ての面倒を見る気でいる」


力強い言葉と表情に、壱加は一瞬何かを言おうと口を開いたが、


「……やっぱり、大丈夫。ありがとう景吾くん。今度こそおやすみなさい……」


首を横に振り、微笑と共にそう告げた。
その態度に不安を拭えないでいるも、無理強いをすることもできず跡部は「おやすみ」と返して部屋を出ることにした。
最初案内された部屋よりは多少狭くなったとはいえ、壱加にとってはまだまだ広いだけのこの空間。
一人でいると思うと余計不安になり、壱加はすぐに電気を消して頭の上まで布団を被った。


「………っ」


そして自分を囲む暗闇から逃げるように強く目を瞑り、必死に、懸命に、眠ろうとしていた。


『………』


そんな壱加を見ていた、姿が見えないままの神様は。


『もっと甘えて頼って、困らせてやればいいのに、こいつは』


どこか哀愁を纏わせたそんな表情で。


『友達を作れ……なんて、少し漠然としすぎたか』


かたかたと震えの止まらない壱加を見つめながら。


『………友達の作り方なんて、知らないのにな』


小さく小さく、呟いた。