出逢い(7) 「………」 跡部はベンツの中で、緊張しているのかカチンコチンとなっている壱加を見つめる。 ただ車に乗るだけなのにこんなに緊張するものなのかと呆れながら。 そんな壱加は、跡部と樺地に挟まれながら座席でじっとしていた。 「……そんなに固くなるな。ほら、こいつでも飲め」 「!?」 少しでも壱加の緊張を解してやろうと、跡部はコップを取り出し車の中に装備されていた冷蔵庫に入っていたお茶を注いでやる。 壱加は突然現れたコップとお茶を見て目を見開いた。 その更に隣では樺地が、他人のためにお茶を注いだ跡部を見て驚いていた。 「く、車の中からお茶が出てきた……」 ぽつりと呟きながら、両手でお茶を受け取る。 目をぱちくりとさせながら跡部を見つめると、跡部は肘をついて「アーン?」と言う。 「当たり前だろう」 普通の車には冷蔵庫は内蔵されてはいないが……跡部にとっては常識なのかさらっと答えた。 そのことに驚いた壱加はぱっと表情を一転させる。 「すごいすごい!ここの世界の車は長くて冷蔵庫がついてるんだね!」 「そういうことだな」 子供が何かを発見した時のようなはしゃぎようで言う壱加と、壱加が笑ったことに上機嫌になった跡部はふっと笑う。 その知識が間違いだということをいつ教えようか、むしろ空気を呼んで何も言わないでおくべきかと樺地は一人悩んでいた。 樺地が苦悩し、結局何も言えないまま3人の乗った車は跡部の自宅へと到着する。 跡部宅の敷地内に入ってからも長い道を通り、ようやく大きな家が見えたところで車は止まった。 「ついたぜ」 跡部が先に車から降り、続いて降りようとする壱加に手を差し伸べる。 ありがとうとお礼を言いながらその手をとり壱加も車から降りた。 「崇弘くんは降りないの?」 「樺地はこのまま、車で送り届けるからな」 「また明日……会えます」 少し寂しそうに見つめてくる壱加の視線に気付いたのか、樺地はそう呟く。 それを聞いて少し安心したのか、壱加はにこりと笑った。 「そう、だよね。崇弘くん、また明日……」 そして手を振って、樺地の乗る車は再び跡部宅敷地内から出て行った。 「さて、じゃあ早速お前の部屋に行くか」 ぼうっと車を見送る壱加に声をかける跡部。 壱加はそんな跡部を振り返り、こくりと弱々しく頷いた。 「………ほら、貸せ」 「あっ……」 不安そうに両手を胸の前で組んでいる壱加の片手を掴み、先を歩き出す。 その力強い行動力に、壱加も自然と歩を進めた。 「け…景吾くんのお家、すごく大きいんだね……」 「他が小さいだけだ」 さすがに家の大きさの常識は持っているのか、壱加は手を引っ張られながら呟く。 だが残念なことに跡部は常識を持っていなかったのか、ふんと鼻を鳴らしながら答えた。 そうなのかなと首を傾げる壱加は、勝手に開く玄関から跡部邸へと入った。 「「「お帰りなさいませ、景吾様」」」 すると視界に入ったのは、綺麗に整列した身なりの良い使用人たち数名の姿。 普通では有り得ない光景に、驚いた壱加はそっと跡部の背後に身を隠した。 「景吾様、そちらのお嬢様が先程おっしゃられていた方ですか?」 「ああ、そうだ。もう出迎えはいい。すぐに用意させた部屋に向かう」 「かしこまりました」 跡部から鞄を受け取ると、スーツ姿の初老と思われる男性が丁寧に頭を下げて他数名の使用人を引き連れてその場を離れる。 「………えっ…と、」 「今のがミカエルだ。困った事があれば何でも言うと良い」 状況が良く理解できていない壱加だが、跡部に手を引かれているため歩くしかない。 しばらく歩きながら跡部邸を目だけで探索する。 埃一つない綺麗な廊下、何の用途かは分からないが多数ある部屋、そしてすれ違う使用人と思しき姿をした人々は跡部に深々と頭を下げてすれ違って行く。 その光景一つ一つを目にした壱加は、自分の目の前を歩く跡部の背中を見上げた。 「あの……景吾くんのお家って、すごくお金持ちなの……?」 シンプルに、ストレートに聞いた壱加。 それを本人に聞くのはどうかと思うが、言葉を選ぶことが苦手な壱加はそれが精一杯だった。 「ま、そういうことだな。これで分かっただろう、お前を養うことなんて軽いってことが。何も遠慮することはない」 壱加を振り向きながら言う跡部の表情は、どこか優しげだった。 今まで緊張しっぱなしの壱加を気遣うように。 「………ありがとう」 そんな跡部の表情を見つめ、壱加も安心したように微笑んだ。 「ここが今日からお前の部屋だ」 ようやく辿り着いたのか、とある一つの部屋の前で跡部が立ち止まった。 ぱちぱちと瞬きを何度かして、部屋を見つめる壱加を一瞬見て、跡部は扉を開ける。 「うわぁ……」 部屋の中を見た途端、壱加は目を大きく見開いて感嘆の声を漏らす。 その表情を見て跡部は満足そうに笑った。 「客間の中でも一番広い部屋を用意させた。家具類は一通り揃えてあるから、不便もないだろう」 跡部の元から離れ、きょろきょろと部屋の中を見回す壱加。 表情には冒険する子供のような無邪気さを滲ませている。 今まで自分が見たことのない世界全てが詰め込まれているような光景を見て、しばらく面白そうに部屋の中を散策する。 「気に入ったようだな。この部屋はもう自由に使っていいからな。じゃあ、俺は自分の部屋に戻る」 「えっ」 言って、その場から離れようとした跡部だが、途端に壱加の表情が暗いものに変わる。 なんだか嫌な予感がして、跡部はその場に踏み止まった。 「景吾くんもこのお部屋じゃないの…?」 「そんなわけないだろうが」 自分が予想していたよりも大分ぶっ飛んだ言葉に思わず眉が寄り、即答してしまう。 無意識のうちに冷たい態度になってしまった跡部は一瞬してはっとし、難しそうな顔をして涙目の壱加に近寄った。 「わ、悪かった…。壱加、この部屋が不満か?」 「そういうわけじゃないけど……景吾くんのお部屋はどこなの?」 「大体、この部屋の真上だな」 「私、景吾くんのお部屋の近くがいい」 子供が駄々をこねるように言う壱加。 跡部は困ったように壱加を見つめる。 「一人は寂しいから……こんなに広いと、余計に寂しくなっちゃう……」 「………壱加」 「一緒の部屋は無理でも、せめて……景吾くんの近くの部屋がいい……」 ぎゅっと跡部の服の裾をつまむ壱加。 ただの我儘だと跡部は最初思っていたが、その壱加の手が震えていることに気付き、少しばかり表情を真剣なものにする。 「……俺の部屋の隣は空室だが、ここよりもずっと狭いぞ?」 「いい。それに、狭い方が落ち着くと思う……私の部屋は、もっとずっと狭かったから」 苦笑しながら言う壱加を見て、跡部は少し溜息をつくとパチンと指を鳴らす。 するとどこからともなく先程の初老の男性、ミカエルが現れる。 「何でしょうか、景吾様」 「俺の隣の部屋をこいつの部屋にする。用意させろ」 「で、ですが景吾様、あの部屋はお客様をお泊めするには……」 「気にしなくていい」 ミカエルも驚いてはいたが、跡部の問答無用の態度を見てすぐに頭を下げた。 そして急いでどこかへ向かって行くのを見て、跡部は再び視線を壱加へと向ける。 「これでいいか?」 「うん……景吾くんと近い方が、私も落ち着く」 にこりと笑いかける壱加を見て、多少の苦労をさせられたものの、なんだか悪い気はしなくなってきた跡部。 「……準備ができるまで、案内しがてら俺の部屋に行くか」 「うんっ」 そして柔らかく呟くと、壱加も嬉しそうに笑った。 跡部のすぐ隣まできて、端正な顔を緩めた笑顔で跡部を見上げる。 跡部はそんな気の抜けた壱加の表情をしばらく見つめ、また壱加の手を取って歩き始めた。 「あれ……?」 トイレや浴室といった、生活する上で欠かせない場所を案内し終え、先程の客間よりも大分広い跡部の部屋で落ち着いていた二人。 隣から模様替えの騒音が少しばかり聞こえている中、壱加はふとポケットの中で何かが震えているのに気付いた。 「どうした」 「携帯が……」 不思議な顔をした壱加に声をかける跡部。 壱加は自分が携帯を持っていることを知らなかったため、ぱちぱちとその携帯を見つめた。 だが画面を開くと、新着メールが2件入っていたことに気付く。 どうやら、今のメールが届く前に1件届いていたようだった。 跡部は壱加の手にある携帯が気になってはいるが、勝手に見るのも気が引けるために壱加の反応を窺っている。 壱加は恐る恐る、一番最初のメールを開いた。 差出人: 仁菜 宛先: 壱加 ――――――――――――― 件名: 必読! ――――――――――――― ちゃんと怖がらずにメール見 てるかな? この携帯は神様からのプレゼ ントらしいから、何も心配い らないよ☆ あたしたちの大切な連絡手段 だから大事に持っていなきゃ だめだよ! ☆仁菜☆ ----END---- 「仁菜ちゃんからだ!」 「仁菜…?一緒にこっちの世界に来たっていう友人か」 「うん……!」 これで、どこにいるか分からない仁菜や珊里と連絡が取り合えることがわかり壱加は安心したように笑う。 そして携帯を大切に両手で抱えた。 さらに壱加は先程来たメールも開いた。 差出人: 仁菜 宛先: 壱加,珊里 ――――――――――――― 件名: やっほ! ――――――――――――― 二人ともどう?トリップ楽し んでる? 私は、なんと今赤也の家にい ます!超幸せ!赤也天使! ってなわけで、二人は誰の家 に泊まることになったのか教 えてね! こういった情報交換もこれか ら大切にすること! ☆仁菜☆ ----END---- 「えへへ……」 「メールでも届いてたのか?」 「うん。仁菜ちゃんね、すっごく楽しそうだった」 メールを見てつい表情を綻ばせる壱加を、跡部もどこか楽しそうに見る。 そして嬉しそうに笑う壱加は返信をするのか、両手で携帯を支え、どこか慣れない手つきでぽちぽちと文章を打つ。 途中、珊里の返信メールが届き驚いたが、焦らずにメールを打つ作業を続けた。 「……不器用だな」 その様子を見て跡部はぽつりと呟く。 それを聞いて、壱加は情けなさそうに笑った。 「うん…少し苦手……携帯、使ったことないから……」 「持っていなかったのか?」 今時珍しいなと跡部は少し目を開く。 壱加は控えめに頷いた。 「仁菜ちゃんと珊里ちゃんが教えてくれたから、少しくらいはできるけど……やっぱり難しい」 ようやくメールを送り終えた壱加はふうと息を吐いて跡部を見つめた。 「でも、こうやって傍にいないのにお話ができるのって、なんだか嬉しいな」 携帯を大切に胸に抱き締め、にこりと微笑む壱加の表情を跡部はしばらくじっと見つめていた。 |