出逢い(5)



「意気揚々と見送ったはいいものの……」


部活が終わり、部室へと戻ってきたレギュラーメンバーの顔を一人ひとり見て、仁菜ははぁと溜息交じりに呟く。


「どうしてあたしの愛しの赤也が廃人になってるの?」


そしてぽきりと指を鳴らしながら、若干脅迫めいた言葉を向ける。
小さいながらも妙に威圧感のある態度に、苦笑する幸村以外の一同。
仁菜の言うように、赤也はジャッカルと柳生に肩を支えてもらってようやく部室につき、ソファに座るなりガタガタ震えて唸っていた。
今も、「うううううう」と苦しそうに呻いている。


「いやぁ……それが、赤也の最初の対戦相手が幸村になっちまってよ……」
「精市も最初の試合だったためか、気合いが入りすぎてしまったようでな」
「やっぱり精市、あんたのせいだったのね」


ぎろっと幸村を見る仁菜。
だが、対する幸村はにっこり笑顔だった。


「仁菜の居住権がかかっていると思うとね……ちょっと手に力が入りすぎて、五感を奪いすぎちゃったみたいなんだ」
「さり気なくあたしのせいにするのやめてくれる?」


その幸村と同じくらいの胡散臭い笑みを仁菜も浮かべる。
また例のやり取りが始まると思い、こういう時のためのジャッカルが動き出した。


「ま、まぁまぁ仁菜……今はそんなことより、赤也を気遣ってやってくれよ」


ぎこちない笑みで二人の間に割り込むジャッカル。
その行動を、柳や仁王は褒め称えるような目で見送った。
そしてジャッカルの言葉ではっとしたのか、仁菜はぶるぶる震える切原を振り返る。


「それもそうだよね!ごめんジャッカル!精市の相手はジャッカルに任せた!」
「俺かよっ!」
「ふうん、ジャッカルなんかに務まるかな?」
「(お、俺ってこんな役回りばっか……)」


幸村の相手を任されたジャッカルが既に後悔でいっぱいなのはさておくとして。
仁菜は助走をつけて切原へと抱きついた。


「赤也!しっかりして!あたしだよ、愛しの仁菜ちゃんだよ!」
「うっ……仁菜、さん……?」


蹲る切原を力づくでこじあけ、両手で顔を掴んで自らへと向ける。
どうやら五感は戻りつつあるようで、仁菜の声も切原には届いていた。
ゆっくり目を開けると、確かに目が合っているようで仁菜は安心した。


「よかった!魔王の呪いが解けたのね!」
「誰が魔王だって?」
「まーまぁまぁまぁ」


ゴゴゴと怖いオーラを纏っている幸村をなんとか宥めるジャッカル。
そんな苦労を知ってか知らずか、仁菜は切原の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「もう大丈夫だよ!ここは部室!あたしは仁菜!もう怖い精市はいないからね〜」


言いながら、にっこりと笑う。
その笑顔を見てようやく状況を理解しはじめたのか、切原はゆっくりと周りを見た。
そして幸村の顔を見つけると、


「げえっ!幸村部長!」
「悪霊退散!悪霊退散!」
「ふふっ、部長に対して『げえっ』はないだろう。仁菜も俺を悪霊扱いするとは良い度胸だね」


傍にあったテニスボールを手に取り、ぐぐぐと力を込めまるでこんにゃくのように形を変える幸村。
どれだけテニスボールが犠牲になればいいのかとジャッカルは額を抑える。


「わわっ、すんませんッス!幸村部長があんまり手加減してくれないもんスから……」
「手加減なしでってお願いしてきたのは赤也の方だよ?」


それは周りの先輩たちが証人なのか、うんうんと揃えて首を縦に振る。
ぐっ、と反論できなくなった赤也がちらっと隣にいる仁菜をすがるように見た。


「だろうね〜」


だが仁菜はけらけら笑って頷いた。


「ちょっ、仁菜さん!?」
「だって赤也らしいじゃん。大丈夫だって、精市に勝てるなんて思ってなかったから」
「……お前は赤也を慰めてるのか突き離してるのか、どっちなんだ?」


赤也より大分小さいというのに、赤也を翻弄している仁菜を見てジャッカルは複雑な思いで聞く。
すると仁菜は何の迷いもない笑顔で、


「もちろん慰めてるよ。赤也のこと好きだもん。だけど、青学の1年ルーキーに負けちゃうんだから、さすがに精市には勝てないよね?」
「「うっ」」


意地悪を言うような仁菜の言葉に心当たりがあるのは二人。
話題の中心の切原はそうだが、真田までも思わず帽子を深く被った。


「……なんじゃ、幸村のイップスより仁菜の一言の方が心臓にくるのう」
「ええ。当事者ではない我々でも、ドキッとしますね」


関東大会の雪辱を思い出したのか、表情を苦くする仁王、柳生。
その節は幸村に大層なお叱りを受けたようだ。
それも仁菜は把握済みなのか、あははと笑った。


「でもいいのいいの!いずれ下剋上!あたしは赤也のこと応援してるから!」
「仁菜さんっ……」


底なしに甘い、仁菜の切原に対する態度に、すっかり懐いてしまっている様子の切原。


「赤也のやつ、すっかり仁菜に懐いちまってるな」
「ふむ。赤也は自分を甘やかせてくれる人物にはめっぽう弱いからな。ジャッカル然り」
「俺が例なのかよ!」


二人を見て笑っている場合じゃないと悟ったジャッカル。
切原も立ち直ったところで、仁菜は気になっていたことを聞くことにした。


「それで、試合結果はどうだったの?」


自らの居住場所はかかっていた試合。
その質問は全員予想通りだったのか、皆揃えて口を開いた。


「「「赤也の全戦不戦敗だ」」」


もちろん、不貞腐れて口を尖らせている切原以外だが。


「あーやっぱり!初っ端から精市とだったんだもんね、仕方ないよ」
「ずるいッスよ……俺が真剣に戦ってたら、ブン太先輩あたりが怪しかったのに」
「ほー。俺を名指しするとは良い度胸じゃねえかバカ也」
「いちちちち!」


ぶつぶつと言う切原の声が聞こえたのか、丸井が口元を引くつかせながら切原の頬をつねる。


「あはは面白そうあたしもやる!」
「って、お前は俺の腹をつまむな!」


仁菜も楽しそうに笑いながら参戦するも、どうやら切原の応戦のようだ。
その呑気とも思える光景を見て、幸村はようやく肩の力を抜いた。


「ふふっ、やっぱりわざとでも負けた方が面白かったかなぁ」
「それはやめとけ。仁菜とお前さんが一緒になったらこの世の終わりじゃ」


相性が良いとは言えない幸村と仁菜の様子を思い出したのか、仁王が溜息交じりで言う。


「じゃが、面白そうというのは同感ぜよ」
「確かに…普段受けられない刺激を感じることができそうだな」


面白そうな笑みで仁菜を見つめる仁王と柳。
そんな視線には気付くことなく、ジャッカルの頭をつまみはじめた仁菜。
つるつると滑ってつまめない!と騒ぐ仁菜、切原、丸井の3人と困っているジャッカルを見て、真田は呆れたように溜息をついた。


「……そうか?言うのもあれだが……俺は少しばかり、馬鹿馬鹿しく思えr」
「え?なに?誰が馬鹿だって?」


最後まで言うより先に、仁菜がぐるんと真田を見てにっこり怖い笑みを作る。
その笑みを見て、真田は失言したと口をつむぎ視線を逸らした。


「ほう……あの真田が目を逸らすとは、仁菜の目力は相当なもんやのう」
「参考になるな」
「ただ単に真田のメンタル面が弱いだけじゃないかな」


その珍しい行動に、仁王、柳、幸村はそれぞれ呟く。
真田を問い詰めることはつまらないと判断したのか仁菜はそれ以上何も言わず、ふうと息を吐いた。


「さてと、赤也を虐め……いじるのは飽きたし、」
「仁菜さん?今虐めるって……」
「小学生かよぃ……」
「うっさいブンちゃん。小学生のあれは好意であって、愛ではないのよ」
「ふ…深いことを言っているような気がするが……虐めてることを肯定しているよな……」


堂々と言う仁菜の言葉に違和感を感じたのか、ジャッカルは難しそうに呟く。


「どうでもいいでしょ、そんなこと。それよりも、皆明日暇?」


突然切り出された話題に、一瞬静まる部室。
だがすぐに柳が答えた。


「ああ。明日は部活も休みで、全員が暇だ」
「……なんで柳くんは我々の予定を知っているのですか……」
「なんでって、マスターは何でもお見通しなのよ比呂士!」


ぐっと親指を立てて言う仁菜。
恐ろしいのは幸村や仁菜だけではないと改めて思った柳生。


「暇なら、あたしの買い物に付き合ってよ。着替えとか買いたいし、皆で行くと面白そうじゃない?」


にっと笑う仁菜。
その我儘と思える口振りにも、幼く見える容姿が相まって憎たらしく思えない。
むしろ、父性のようなものをくすぐられる感覚になった。


「断る理由はないな」
「困っているのならば、助力しよう」
「そうだね、皆で休日出かけるのも久々だし」


柳、真田、幸村がそう答える。
3強がそう言うのならば、他のメンバーが断れるはずもなく。


「ま、どうせ暇だったしな」
「お付き合いしましょう」


丸井と柳生も言うが、どうやら他の皆も賛成のようだ。


「俺もいいッスよ!」
「あらら?赤也は強制参加だから返事しなくてもいいんだよ?」
「俺だけ扱いひどくないッスか!?」
「んー?特別扱いの間違いじゃないの?」


ぐいっと切原の腕を取るように組み、頬ずりをしながら笑う。


「っ……たくもう、なんだか妹ができた気分ス……」


しみじみと呟く切原だが、直後仁菜が切原の腕から手を離し両手で切原の頬をつまみ引っ張る。


「赤也、今 何 て ?」


そして威圧感のある笑みでこの一言。
数文字の言葉だが、とてつもなく重い一言だった。


「な……なんへおないっふ……」


ぎりぎりと摘ままれる痛みに涙目で耐えながら、何でもないッス、と答える切原。


「「「(特別扱いの赤也でも容赦ないのか……)」」」


好き好きオーラ全開の切原に対しても、あの禁句ワードは絶大な効果をもたらすということを学習した面々。


「仁菜……そのくらいにしてやれよ。あれだよ、可愛いって言いたかったんだろ、赤也は……」


見ていられなくなったのか、ジャッカルがフォローを入れる。
こういう優しさが、切原が懐く要因なのだと柳がじっと見つめる。
ジャッカルもわかっていながら、でも見捨てることはできなかった。


「そうなの?赤也ってば、意外とツンデレなところがあるのね!」
「お、おう……」


ぱっと切原の頬から手を離し、もう一度腕を組み直す仁菜。
どうやら機嫌が直った様子の仁菜を見て、切原はほっと胸を撫で下ろした。


「よーし、親睦も深まったところだし、」
「「「(どこが!?)」」」


そして何やら謎な一言を呟く仁菜を、驚きながら見つめる一同。


「早く着替えて帰ろうよ。いざ、我が家に!」
「……って、それ多分俺ん家ッスよね!?」


びしっとどこかを指差してご機嫌に言う仁菜。
方向は違うものの、仁菜がこれから自分の家に住むことになると分かっている切原はつっこまずにはいられなかった。
そしてレギュラーたちの着替えのため仁菜は先に部室の外に出て待ち、もう陽の傾いてきた街を皆で一緒に帰ることにした。