出逢い(5)


「お家………」


跡部の言葉を愕然としたように繰り返す壱加。
今までは目の前のことばかりに戸惑っていたためか、これからどう生活していくかまで思考が回らなかったようだ。


「仁菜ちゃんと珊里ちゃんはどこにいるかわからないし……」


いつも頼りにしてきた二人はもう傍にはいない。
震える声で小さく呟くと、放心状態になってしまいそれからの言葉が紡げなくなる。
そんな壱加を見て、どうやら予想していた通りだったのか跡部が壱加に聞こえるようわざと深いため息をついた。


「どうせそんなことだろうと思ったぜ……。壱加、心配することは何もない」


涙目で跡部を見上げた壱加に、跡部が少しばかり得意そうな顔をする。
次の言葉の予想がついた氷帝メンバーは、お互いに顔を見合わせ、苦笑いをする。


「行く当てがねえなら、俺様のところに来い。お前一人くらい軽く養える」
「……下手したらちょっとしたプロポーズだよな」
「せやな。完っ璧な亭主関白やけど」
「跡部、かあっこE〜」


だが跡部なら納得の発言のため、誰も大きな声で他の意見は言わない。
小声で向日と忍足が呟き、拍手しながら芥川が跡部を称えた。


「景吾くんの、お家……?」
「びっくりするぜ。跡部ん家見たら」
「俺たちもたまにお邪魔しますけど、なかなか慣れませんよね」


思わぬ言葉に壱加が驚いたように丸い目で跡部を見る。
そんな壱加の肩に手を乗せ、宍戸が耳打ちした。
鳳も苦笑しながらそう言った。


「っ……でも、迷惑、なんじゃ……」


行く当てのない壱加にとっては嬉しい提案だったが、自分が自宅というプライベートな場所に邪魔をすることで迷惑になるんじゃないかと心配する壱加。
その遠慮気味なか細い声に、跡部はふんと鼻を鳴らした。


「別に迷惑なんかじゃねえよ。帰る場所のねえお前を一人放っておくほうが心配だ」
「………景吾くん」


そして偉そうに、腕を組んで跡部は言った。
有無を言わさない、その自信満々な態度に壱加は自然と心が惹かれた。
それは異性としてというものではなく、人間として。
跡部の持つカリスマ性に壱加は惹かれたのだ。まるで憧れを見るような、純粋な心で。
今まで周りにはいない、特殊な人物だから余計にそう思ってしまうのかもしれない。


「跡部ん家っちゅーんが俺らにとっちゃ心配やけどな」
「でも、妥当なところじゃないですか。他に人一人養える人なんていないでしょう」


軽く冗談を言うような忍足。
だが他に選択肢がないのか、日吉は納得したように言った。


「ほ、本当にいいの……?」


周りの誰もが反対するわけでもなく、むしろそうした方が良いとでも言うような態度をとっているため、壱加はすがる思いで跡部に聞いてみた。
すると跡部は大きく頷いた。


「当然だ。早速今日から俺様の家へ来い。客間の一つをお前の部屋にするよう伝えておく」


有言実行するように、跡部は携帯を取り出して自宅に連絡を入れ始めた。


「……相変わらずの行動力ですね」
「跡部は言ったこと全部実行できちまうからな」


凄いを通り越して呆れてしまうその行動に、日吉と宍戸が呟いた。
そして跡部が連絡をし終え、携帯をパタンと閉じる。


「決まりだな。壱加、これからの予定としては、明日転入の手続きと必需品の購入、月曜からは氷帝生としてここに通う……それでいいか?」


てきぱきと物事を決めていく跡部の言動を、壱加はぽーっと見惚れるように見ていた。


「壱加?聞いてるのか?」
「……あっ、う、うん……」


跡部にもう一度声をかけられ、はっとした壱加はこくこくと頷いた。


「って、必需品の購入ってなんだよ」
「アーン?服とか生活用品とか、色々あるだろ。壱加はこの身一つでこっちに来たみたいだしな」
「確かになぁ。よし、ほな俺も買い物付き合うで」


納得した忍足が、面白そうな笑みを作ってそう発言した。
この言葉を聞いて黙っていられない人たちは他にもたくさんいます。


「侑士、抜け駆けは禁止だぜ!俺だって行く!」
「おい、お前たちが来る必要はないだろうが」
「まあまあ跡部部長、人手は多い方がいいじゃないですか」
「長太郎もついてく気かよ」


不機嫌そうに眉を寄せる跡部を宥める鳳。
宍戸は呆れたように溜息をついた。


「宍戸さんも行きましょうよ。明日は部活もお休みですし」
「あ?まあ……特に用事はねえけどよ」
「俺も行く行くC!な、樺地も日吉も来るだろ?」
「ウス」
「何で俺まで……」


樺地は跡部が行くのなら当然ついていく為即答する。
だが反対に日吉は跡部と同じように眉を寄せる。


「俺は遠慮しておきます。部活はなくても、俺は道場で身体動かすので」
「A〜?そんなのいつもしてるじゃん!たまには人付き合いも大事だよ〜ひよC!」
「………皆さんが行くなら俺は別にいらないでしょう」


あまり大勢で壱加の買い物に付き合うのも、なんだか馬鹿馬鹿しいのか日吉は首を横に振る。
どうせならレギュラー全員で遊びに行きたい(目的が変わっている)芥川は口を尖らせてぶーぶー言っていたが、何か良いことを思いついたのかふと壱加を見る。


「ね、ね、壱加ちゃんは皆で行く方がいいよね?」
「えっ……わ、私は……」
「だって俺たち友達だもんね!友達は、たまの休日に一緒に過ごすものだC〜」


壱加に対する友達#ュ言。
それがこれから先どうなることを意味するのか、想像すると日吉は苦い顔になった。


「と、友達………。若くんも、友達……」


ちらっと日吉を見つめる壱加。
その目が若干の輝きを持っていることに、日吉は気づいてしまった。


「だから、一緒……」


気付いたからには、日吉は自らの良心を裏切ることができず渋々と口を開く。


「っ……わかりましたよ。付き合います。付き合えばいいんでしょう」


投げやりに、少し早口になって言う日吉。
だが芥川は満足なのか、にかっと笑って壱加に「よかったねー」と声をかける。
壱加も全員での買い物という夢のようなシチュエーションに嬉しそうに頷く。
どうやら芥川は、壱加を喜ばせたいという気持ちもあって日吉を誘ったようだ。


「ふふっ、なんだか、壱加さんの笑顔を見ると凄く良いことをしているような気持ちになるね」
「………。別に」
「(本当、嘘つけないなぁ、日吉は)」


少しの間が、日吉の気持ちの全てを物語っていた。
付き合いが比較的長い鳳には分かりやすい日吉の態度に、微笑ましげに日吉を見つめた。


「ちっ……仕方ねえな。じゃあ明日、午前中に手続きを済ませ、午後から買い出しに行くぞ」
「はい」
「わかったぜー」


どうやら予定が決まったのか、跡部が改めて確認すると、鳳と向日がすぐさま返事をした。


「さて、と……じゃあ大分遅れちまったが、練習を再開するか」
「おっけー!俺、今日はすっげー頑張れる気がするC!」


跡部がそう切り出すと、芥川は嬉しそうに両手を上げて気合を入れる。
宍戸も待ってましたと言わんばかりに軽くストレッチをし始めた。


「練習……?」
「おう、壱加は気ぃ失ってたから知らなかったと思うけど、ちょうど今は部活時間なんだよ」
「緊急事態やったからな、外の他の部員には今自主練してもろてるんや」


空から降ってきた少女を蔑にし、部活を続けることはできませんからね。
部活、練習という言葉を聞いて、壱加は何か思いついたのかそっと口を開いた。


「………テニス?」
「あ、よく分かりましたね。そうですよ、俺たちはテニス部なんです」
「しかも、すっげー強えんだぜ?」
「岳人、自分で言うなよ……」


爽やかな笑顔で言う鳳に、向日が自慢するように壱加に言葉を付け足した。
その言葉には、宍戸が呆れたように溜息をついたが。


「やっぱり、テニス、なんだ……」
「なんだ、テニスに何かあるのか?」


壱加の呟きが引っかかったのか、跡部がそう聞いてみる。
すると壱加は薄く笑った。


「私が、この世界について分かってる情報の一つなの」


そしてゆっくりと紡がれる言葉。
急に大人びたように話す壱加に、一同はしばらく茫然と見つめていた。


「テニスが強くて、面白くて、皆かっこよくて、泣いたり笑ったり、いっぱい青春してる世界……」


その表情には、あの子供のように大泣きしていた面影はどこにもなかった。
ただただ優しく、囁くように言う。


「仁菜ちゃんと珊里ちゃんが、大好きな世界……」


結局、自分がその二人と同じようにその世界に触れることはなかった。
そのことを壱加は今少しだけ後悔している。
もしも自分がこの世界についてよく知っていたら。
もっとスムーズに、皆に溶け込むことができていたかもしれない。


「………壱加さん、そのお友達のことを話す時、すごく優しい顔をしますね」
「えっ……」


同じくらい優しい笑みを浮かべている鳳が言う。
それに驚いた壱加が、その鳳を見上げた。


「余程大切なんですね、そのお友達のこと」
「……うん、すごく、大切。二人は、私の………親友、だから」


透き通るような透明感を持つ壱加の声。
だがその言葉には、しっかりとした強い意志、芯があった。


「………そうか」


跡部は何故か、その壱加の言動を見ると心があたたかくなるのを感じた。
自分でもおかしいとは思ってる。
泣き虫で、子供がそのまま成長してしまったような壱加が。
こんなにも優しくあたたかな表情で語れる友達を持っていることに。
こうも安心してしまうなんて。


「壱加、テニス、見ていくか?」
「え……いいの?」


跡部の誘いに、壱加が嬉しそうに目を輝かせる。
だんだんと壱加の表情の移り変わりに慣れてきた跡部は、面白そうに笑った。


「いいぜ。俺様の美技を見せてやる」
「へえ、壱加ちゃんが見とってくれるんなら、俺も頑張ろかな」


忍足も賛成なのか、嬉しそうに言った。
そして今までずっと座っていた壱加に跡部が手を差し出し、壱加がそれを受け取り立ち上がる。
そうして跡部が先頭になって部室のドアを開けると、


「「「氷帝!氷帝!氷帝!氷帝!氷帝!氷帝!」」」


という200人という数の部員のコールが巻き起こった。
自主練習も区切りがついたのか、部室から部長が出てくるのを待っていたんだろう。
それもいつものこと、と跡部がそのままテニスコートに向かおうとすると、ふと握っていたはずの壱加の手がなくなっていることに気付いた。


「………?」


不思議に思い部室内に視線を戻すと、ソファの背もたれの裏側に壱加が小さくなって座っていた。


「ふえ……ひっく、いっぱい人がいる……っ」


どうやら未だ大勢の人に慣れないのか、驚いて隠れてしまったらしい。
そのことを察した氷帝レギュラーメンバーは、呆れたように全員が深い溜息をついた。


「……壱加さん、人がたくさんいるのはまだ怖いみたいですね」
「まあ、そう早よ慣れるもんちゃうやろ。苦手なんは仕方ないわ」
「こればっかりは、無理矢理慣れさせるのも酷か」


涙目でびくびく震えている壱加を見て、半ば諦めた様子。


「んもー!本当、空気読めない部員たちだC〜!!」
「……いや、本来ならあれで試合の良い空気を作ってくれてんだけどな」


折角壱加が練習を見てくれると思っていた芥川は、口を尖らせて文句を言う。
それに宍戸が落ち着かせながら冷静に部員たちを庇った。


「ご、ごめんなさい……っ、テニス、見たいけど……あんなにいっぱい、怖くて……不安で……」


皆の態度から、空気が悪くなったことに気付いたのか壱加がまた謝る。
もう聞き飽きたと言わんばかりに、日吉がぽろぽろと涙を零す壱加に向かって言った。


「別にコートまで行かなくても、部室から見ればいいじゃないですか」
「ああ、そうだな。この窓からでもコート見えるか。良いこと言うじゃん日吉!」


ナイスアイディア!と向日が笑いながら日吉の頭を撫でる。
その行動の真意が褒めることではなく、からかいが大半を占めていることを知っている日吉は嫌そうに向日の手を振り払った。


「それもそうだな。樺地、壱加の面倒を見ていてやれ」
「ウス」
「誰か傍に居た方が安心するだろ?壱加、何かあったら樺地に伝えろ」
「………う、うん」


跡部の言葉にありがたく思いつつ、申し訳なさそうに樺地に「ごめんなさい」と謝る壱加。
だが樺地は無表情のまま、特に気にしていないのか普段通り「ウス」で返した。
そして少し気残りがあるものの、樺地以外のメンバーは練習に向かうため部室を後にした。