出逢い(4)


「そういえば、栄倉さんはこれからどうするんですか?」
「………名前」
「え?」
「お友達……だから、その……名前で、呼んで……欲しい」


日吉に問われるも、呼び方に引っかかりを覚えたのか弱々しくも言葉を返す壱加。
どうやら友達は名前で呼び合うもの、と思っているための抗議らしい。


「はあ……友達だからって必ず名前で呼ぶとは……」


不思議に思った日吉がそう言い返そうとするも、跡部に肘でつつかれてその言葉は途絶える。
何事かと跡部を見てみれば、視線で何かを訴えてきた。
その意味がなんとなく分かったのか、すっかり保護者のような立場になってきた跡部を呆れたように思いながらもう一度壱加を見た。


「分かりました。じゃあ改めて、壱加さん、あなたはこれからどうするんですか?」


名前で呼ばれ、より友達感を感じたのか嬉しそうに壱加は笑う。
しばらくは日吉の問いに答えず、友達を実感していた壱加。
だが、いざ問いに答えようと思った時、壱加の顔は青ざめた。


「私……どうしたらいいんだろう……」


トリップは仁菜と珊里が勝手に決めてしまい、何をするのかも言われないままこちらに来てしまった壱加。
新しく友達が増えたことに喜んだものの、自分はこれから何をすればいいのかお先真っ暗だった。
はっと、氷帝の皆の視線が再び真っ直ぐ自分を見ていることに気付いた。


「あうっ……ご、ごめんなさい、私、何もわからなくて、そのっ……」
「あーあー泣くなって!誰も責めてねえだろうが!」


泣き虫の癖は治らないのか、不安でいっぱいになった壱加は何度目かの涙を瞳に溜めていく。
それを見て慌てて泣き止むように促す宍戸。周りも大変である。


「ったく、要はお前は俺たちと友達になりたいんだろう?」
「………」


こうも泣かれては話が進まないと思い、跡部が仕切りに入る。
その言葉に、壱加はやや気圧されたように頷いた。


「だったら話は簡単だ。氷帝に転入すればいい」
「なっ!跡部、それ本気かよ」
「俺は賛成だC〜!壱加ちゃんと一緒に学校生活送りたE!」


跡部の提案に向日は驚いたように、芥川は喜んで言った。


「ああ。友達になるには手っ取り早い。手続きなんかは俺に任せろ」
「……跡部が言うと、凄い説得力やんなぁ」


跡部なら何でもできる。
極端な話だとは思うが、今まで何度も跡部の横暴っぷりを目にしてきた氷帝のメンバーにとっては肯定せざるを得ない実績だった。


「そうですね、俺も賛成です!壱加さん、俺たちと一緒に氷帝に通いましょう!」


壱加と一緒に通うことになるのが嬉しいのか、鳳が嬉々とした表情で壱加に言う。
だが、対する壱加の表情はあまり優れたものではなかった。


「私が、学校に……?」
「ま、俺も反対じゃねえぜ。それに向こうの世界でも学生だったんだろ?だったらこっちでも勉強とかした方がいいんじゃねえか?」
「お?宍戸のくせにもっともなこと言ってるじゃん」
「おいそれはどういう意味だよ岳人」


宍戸の至極全うな意見に、向日がからかうように言う。
真面目に言った分、向日の言葉に少しかちんときた宍戸。
そんな二人の会話には耳を傾けず、壱加は俯き加減で「学校」という言葉を繰り返していた。


「学校……皆以外にも、生徒はたくさん、いるんだよね……」
「?当然だろうが。学校だぜ」
「特に氷帝はマンモス校やもんなぁ。そこらよりは生徒数多いんとちゃうか」


忍足の言葉に、更に表情を憂鬱なものに変える壱加。
その壱加の異変に気付いたのは、その場に居た全員だった。


「……学校、嫌なのか?」
「そ、そんなことないよ!……ただ、ちょっと……」


目を細めて、皆の顔が見られないまま小さく呟く壱加。
だが続きで言おうとされていた言葉は発せられず、振り切ったように皆を見上げた。


「でも、皆が居てくれるんだよね……」


哀愁さが残ったままの表情ではあるが、真っ直ぐ、自分たちを見上げる視線。
その瞳に何か強く思うものを感じた跡部は、大きく頷いた。


「ああ。俺がついてる。任せておけ。お前が心配ならクラスも俺と同じにしてやるぜ」
「……なんか甘くねえか、跡部」
「でも気持ちは分かります。俺も、父親になったらきっとこんな気持ちになるんでしょうね……」
「………感情が飛躍しすぎてるぞ」


跡部の発言に呆れる宍戸と、むしろ跡部に便乗する鳳。
鳳のどこか恍惚とした表情を恐ろしいとでも言いたげに見つめながら、日吉が思わず呟いた。


「あ、でも、景吾くんは3年生……だよね」
「そうだが」
「私2年生だから……景吾くんよりは、後輩、に、なっちゃうかな……」


どこか寂しげに呟く壱加。
その言葉に驚いたのは、忍足や鳳だった。


「ほんまか?壱加ちゃん年下には見えへんねやけど」
「そうですね……すごく綺麗で大人っぽいですし、むしろもっと年上かと……」


例え泣き虫で子供っぽくても、初めて会った時、眠っている壱加を見た時。
突出した美しさに言葉を失ったのは今でも覚えている。
あたふたする壱加と驚きを隠せない他の面子とを見て、インサイトポーズをした跡部が何かに気付いたように壱加に問いかける。


「……壱加、お前年はいくつだ」
「えっ………と、17……だけど……」


そんなこと聞くまでもないのでは、と思った壱加だが、跡部のギラギラしたインサイトを目の前にしては答えないという選択肢はなかった。
ほぼ言わされているという形で応えた壱加。
そして、ようやく壱加と氷帝メンバーとの誤解が解けた。


「17歳で3年ではないってことは、壱加さんは高校2年生だったんですね」
「あ、やっぱりぃ〜!絶対おかしいと思ってたんだー俺!」
「なんだそういうことかよ!……って、じゃあ俺らよりずっと上じゃん!」
「…………?」


どうやら日吉、芥川、向日など氷帝のメンバーは全員気付いた様子。
だが壱加は未だよく分かっていないのか、疑問符を浮かべたままだった。


「壱加、俺たちは中学生だぜ」


そんな壱加を見かねた跡部が結論から先に言った。
跡部にそう言われても実感が沸かないというか疑いが晴れないというか、むしろ疑いしかないような気がするとは思うが。
それでも壱加はその言葉を信じたのか、ようやく目を開いて事を理解したようだ。


「じ、じゃあ……景吾くんたちは、中学3年生だったんだ……!」


大人っぽい、というよりは大人そのものの見た目に壱加は勝手に彼らも高校生だと思っていたようだった。
お互い、外見だけで判断してはいけないということですね。


「なんや、壱加ちゃん年上やったんやなぁ。それなら、その色っぽさも納得やわ」
「………色っぽいか?」
「分かってへんなぁ岳人は。例え泣き虫さんでも、見た目とか仕草が色っぽいやん」


忍足の言葉に全く納得できない向日はそう言われても首を捻るだけだった。
だが鳳は物凄く同意したのか、激しく首を上下に振っている。


「そうですよね。やっぱり高校生は違います。俺たち中学生にはない独特な雰囲気、オーラを持ってます」


それをあなたが言いますか。……っと、どうやら鳳は鳳で高校生にはそういうイメージを持っていたようですね。
一気に、鳳年上好き説が浮上しました。


「まあ、高校生だっつーと納得だな。でもそれだと、転入の話は難しいんじゃねえか」
「何言ってんだ、宍戸は。俺の手にかかれば不可能なことはねえ」
「………そうだった、跡部がいたんだった」


その存在が証明と胸を張って言えそうな人物が口を挟む。
もはや宍戸は頭を抱えるしかなかった。


「ふん、丁度明日は日曜だ。榊監督に掛け合ってもらう」
「なんだ、榊監督にも伝えに行くのか」
「教師側の理解者も必要だからな」


向日が呟くと、当然だと跡部が言葉を返した。
転入の件についてはどうにかなりそうなのか、跡部は壱加を見やる。


「ということだ。明後日の月曜からは氷帝に通えると思うが……どうだ?」


通え、と命令形ではないあたり、跡部の優しさが垣間見える。
その優しさを感じたのか、壱加は口元に手を当て、しばし考える。
学校という場所にあまり良いイメージを持っていない壱加。
だがそれは今までの世界での話。
気の許せる友達も、理解してくれる人物もいなかった、前の世界での話。
この世界では違う。自分を友達だと言ってくれる人物がこんなにもたくさんいる。
まだ不安は拭えないが、心配も消えてはくれないが。
一歩踏み出さなければ何も変わらない。
自分は、胸を張ってこの優しい人たちを友達と呼べるようになりたいから。


「………う、ん。私、行く。氷帝に……」


言葉は弱々しいものだったが、後悔はなかった。
跡部もそれを感じたのか、「よし」と言いながら壱加の頭を撫でる。
その優しい手付きに、壱加も心地が良いのか思わず目を細めた。


「っつーか跡部、年上なんだからあまりそういう態度はよくねえんじゃねえのか」
「アーン?確かに年上かもしれんが、明後日からは同学年だ」
「そうだC〜!それにそれにっ、壱加ちゃんもその方がいいよね〜!」


にこにこ笑顔で壱加の顔を覗き込む芥川。
その言葉に、壱加はまたにっこりと微笑んで「うん」と呟いた。


「お友達は……敬語なんて使わない、から。だから、長太郎くんも若くんも崇弘くんも……」
「俺たちは後輩なので、そんなことできませんよ」
「そうですね、そこはしっかりしておきたいです」
「ウス」


言葉は嬉しいが、さすがに躊躇われるのか遠慮する2年。
壱加の想像する友達とは少し離れてしまったが、先輩後輩という新しい関係を受け入れることができたようだ。


「後輩……じゃあ、私が先輩……」
「そうだな。ま、なかなかそうは見えねえけどな」


今までの会話を思い返し、苦笑しながら言う宍戸。
だが壱加は後輩という響きが気に入ったのか、少しキラキラした目で2年たちを見る。


「私、後輩初めて……。先輩、頑張る……」
「細かく言えば俺たちも後輩だけどな」
「そこはええやん、岳人。なんや、年上な同級生もドキドキする響きやん」


何が面白いのか、微笑しながら言う忍足。
多分、忍足の好きそうなラブロマンスを思い描いての微笑でしょう。
事が良い方向へと運んで行くことを満足そうに見ていた跡部だが、ふと気付いたように、先輩への意気込みを静かに注入している壱加へと目を向けた。


「あー……何度も質問ばかりで悪いが」
「?」
「壱加、住む家は決まってるのか?」


投げかけられた跡部の言葉。
それはまた、壱加の思考をフリーズさせるのに十分な内容だった。