出逢い(2)



部室に正レギュラー全員が入り、樺地の腕の仲で気を失っている少女……壱加は横長のソファに寝かされた。
流れるような手さばきだったため、壱加が目を覚める様子はない。
静かな寝息を立てている壱加を、全員が覗き込む。


「………人、だよな」
「アーン?これが人以外に見えるのかよ」
「しかも、ものごっつ美人さんやで」


空から降ってきたため、まずはそこから確認に入る向日。
だがその疑問は跡部と忍足によって一蹴された。


「確かに、お姫様みたいに綺麗ですね」
「なんだか眠り姫って感じだC〜!」


気持ち良さそうに眠っているその寝顔を見て、鳳が微笑を浮かべて呟く。
未だ興奮が冷めやらない芥川もにこにこ顔で言った。


「……起こした方がいいんじゃないですか」
「そうだな……落ちてきた経緯とか、激気になるもんな」


眉を寄せながら、でも少し興味をそそられている日吉。
宍戸も何だかんだ気になるのか、ちらっと跡部を見る。
どうやらこういう状況でも権限は跡部が握っているようだ。


「いやでも、こんなに気持ち良さそうに眠ってるんやで?起こすの可哀想やん」
「それもそうですね……」


完全に壱加の寝顔に魅入られてしまっている忍足と鳳が壱加から目を離さずに言う。
すぐ傍でじっと見ていた芥川はつられて眠ってしまいそうになっている。


「だけどよ……」
「待て宍戸。……どうやら、起こす必要はなくなったぜ」


反論しようとする宍戸を跡部が止める。
そしてインサイトポーズをとり、壱加を見るように促す。


「ん………」


跡部の言葉に宍戸以外も壱加に注目する。
すると壱加は小さな声を漏らして身じろきをした。
その様子をドキドキしながら見ているメンバーを余所に、壱加はゆっくりと目を開けた。


「…………?」


しばらくは焦点が合わず天井を見ていた壱加だが、すぐにここかどこか確認するために視線を泳がす。
天井。ソファ。自らの手。そして―――見知らぬ数人の男たち。


「!!」


あからさまに驚いた壱加。
気配で壱加が起きたのを知ったのか、再び目を覚ました芥川がソファに手をついて壱加に近寄る。


「すっげーすっげー起きた!なぁなぁ、お前、なんで落ちてきたんだ?」
「ジロー先輩、寝起きの人に大声はやめてあげてください」
「そや。それに近い。失礼やろ?」


芥川の肩を掴み、壱加から距離を置かせる忍足。
突然のことに壱加は未だ目をまん丸にして芥川を見ている。


「ふっ、まだ頭冴えてねえか。お前、空から降ってきたんだぜ。それくらいは覚えてるだろ」
「そこはかとなく偉そうですね、跡部さんは……」
「だーっもう!いっぺんに喋ってたらこいつも喋らんねえだろうが!」


壱加が喋る人次々に視線を送り、あたふたしている様子を感じ取ったのか、宍戸がそう言う。
それもそうかと今度は全員が黙った。そしてじっと壱加を見つめる。


「(あ、あう……知らない人がいっぱいいるよ……)」


知らない人に囲まれているこの状況。


「(それに、なんでこの人たち私のことじっと見てるの……?)」


そして更に、多くの目が自分だけを見つめているという違和感。


「(どどど……どうしよう、どうしよう、どうしたらいいの……?)」


元々人見知りな壱加は、この状況を打破する術を見つけ出すことができなかった。


「っ、ふえぇ……」
「「「え?」」」


困惑、焦り、不安、恐怖……それぞれの感情が一度に押し寄せ、そしてそれを吐きだすことのできない壱加は途端に眉を寄せ目を細める。
そしてその綺麗な瞳に涙が溜まっていくのを見て、氷帝メンバーは驚きを口に出す。


「うう……うあああああん!ここどこぉ……!?仁菜ちゃん、珊里ちゃああん……っ!」


端正に整った綺麗な顔を台無しにする勢いで歪められた顔。
そして子供がするように大きく口を開け大声で泣く壱加を見て、その場に居た誰もが目を点にして言葉を失った。
頭を真っ白にした壱加は大量に零れ落ちる涙を両手で拭いながら泣きじゃくる。


「え、えっ……?ちょ、な、泣くなよ……!」


いち早く正気に戻った向日が困ったように壱加に声をかける。
傍にいた鳳はどうすればいいのか分からずあたふたしている。
忍足もこれには驚いたようで、壱加を凝視したまま動かない。


「うえっ、うええっ……怖いよ……一人、やっぱり怖いよぉ……」


ひっくひっくと言いながら呟く壱加。
その言葉を聞いた跡部は大きく溜息をつき、ポケットから何やら取り出す。


「ったく、とんだ泣き虫だな……。ほら、これで涙を拭け」
「ううっ……」


差し出された白いハンカチを涙目で見つめる壱加。
そしてびくびくしながらその差し出し人の顔を見つめた。
壱加にはその人物の顔に見覚えがあった。
少し控えめになったしゃくりをしつつ、そのハンカチを受け取り目をごしごしと擦る。
そしてもう一度、「そんなに強く擦るな」と指摘する人物を見上げた。


「………。アーン?なんだよ」


潤んだ瞳で見上げられた跡部は眉を寄せて壱加を見つめ返す。
その屈託のない純粋な瞳を見ると、何故か親鳥にでもなったような気持ちになった。


「泣き黒子……」


壱加は弱々しく呟いた。
トリップする直前、仁菜から手渡された本に描かれていた人物。
なんとか特徴だけ覚えようと、壱加が必死になって記憶に刻み込んだのはそれだった。


「あなたが、あとべ、けいごくん……?」


涙の影響で震えた声音で呟く壱加。
名前を呼ばれた跡部は驚き、目を見開いて壱加を見た。


「……どうして俺様を知っている」


訝しむように問う声は低く、壱加を怖がらせるのには十分だった。


「ご、ごめんなさいっ……」


ほぼ反射的に両手を顔の前に置き、跡部との間にせめてもの砦を作る壱加。
そのか弱い姿を見て、忍足が跡部を振り返る。


「跡部、あんま怖がらせるようなことしたらあかんて」
「は?俺様は別に……」
「だから、その顔が怖えんだって!もっとフレンドリーにしろよな!」


忍足向日に責められる跡部。
理不尽に思いながらも、仕方なさそうに溜息をつき、目をきゅっと瞑り怯えている壱加を見る。


「……おい」


そう声をかけるだけで、目に見えて壱加の肩が震えた。
ここまでくると、自分は何もしていないのに何故か罪悪感を感じるまでになった。


「(フレンドリーに、か……)」


一瞬不機嫌そうに舌打ちをしたが、次の瞬間跡部の手は壱加の頭に移動した。
跡部の大きな手が壱加の頭を撫でる。


「!………」
「そんなに怯えるな。別に、お前を怖がらせたいわけじゃねえ」


自然と目線を合わせる形になる跡部。
ゆっくりと目を開いた壱加は、少しばかり表情から威圧が抜けた跡部と目が合う。


「………」
「これで落ち着いたか?」


ゆっくり、優しく壱加の頭を撫で続ける跡部。
それが心地良いのか、壱加の瞳から涙が引っ込む。


「………仁菜ちゃんの言う通り………」
「?」
「……優しい……あとべけいごくん」


拙く繰り出されるその言葉はもう震えてはいなかった。
そしてまだ赤みの残る瞳と頬のまま、壱加は微笑む。
先程の泣き顔とは全く違う、綺麗な表情にその場に居た全員はしばらく視線と言葉を奪われていた。