昨日は結局、一人で家に戻った。
多分、他の奴は幸村んとこに居たと思うけど。
俺は戻る気になれなかった。
幸村には悪いことしちまったかな……。


「あ、丸井くん!」


朝練に顔を出すと、真っ先に柳生が声をかけてきた。
わ、怒ってる。
その柳生を落ち着かせるかのようにジャッカルも一緒に居る。


「昨日はどうしたんですか。急に居なくなるなんて、聞いてませんよ」


そりゃ言ってねーし。
俺だって、まさか一人で帰るようなことになるとは思ってなかった。


「まぁ、ブン太も忙しいんだろ」


ジャッカルがフォローをしてくれてるけど、柳生は聞く耳持たずだな。
相変わらず、ルールとかに厳しい奴だなぁ。
その二人に続いて、仁王や柳も俺に近寄り、


「迷ったんじゃなか?あそこ、結構広いしのう」
「ばぁーか。んなことねーよ」
「幸村も少々気にしていたぞ」
「う……。わ、悪かったよ」


流石に何も言わずに帰ったのはやばかったかな。
ろくに挨拶もしてねーし。


「たるんどる!」
「う、わっ」


急に後ろからバカでかい声が聞こえて、思わず耳を塞いだ。
後ろを向くと、真田の厳しい表情。
耳を塞いでいても聞こえる声。
真田の後ろで赤也が笑いを堪えてる。
あいつ、自分が怒られてる時はあれだけど、人が怒られてると喜びやがって。
後で殴ってやる。


「まぁまぁ落ち着けって。んじゃあ、今日謝りに行くからよ」
「今日は見舞いに行く日ではありませんよ」
「だから、部活返上で謝りに行くんだよ。昨日の取り戻し」
「ふーん。丸井にしては珍しいの」


仁王が意味ありげな顔で俺を見てくる。
それから目を逸らし、俺は真田を見た。


「な、いいだろ?」
「むむ……まぁ、しょうがない」


真田も幸村絡みだと弱くなるな……。
部活<幸村って感じだな。


「んじゃ決まり!放課後はシクヨロ〜」


朝の練習の時間ももう終わりだというのに気付き、俺は部活をすることなく教室に向かった。
さっと真田の後ろに行って赤也の頭を小突いてからな。





放課後。
あっという間に日が傾いた。


「ジャッカル、俺行ってくるわ」
「おー。機嫌損ねてくるなよ」
「分かってるって。んじゃな」


同じクラスのジャッカルに行くと伝え、俺は一人で電車に乗った。
そして病院を目の前にして、腕時計を見た。
まだ時間も早いな……。
いつも部活終わりに行くからなぁ……。
先に屋上に行ってみるか。
屋上に行ってみると、昨日と同じ場所に彼女は居た。
彼女は俺を見つけると、微笑んで礼をした。


「来てくれたんですね」
「まぁな」


軽く言葉を交わして、同じベンチに座った。


「本当に来てくれるなんて思いませんでした」
「そうなのか?」
「だって、ほぼ無理矢理、私が頼んだことだし」
「気にすんなって。俺だって好きで来たんだしよ」


本当にそうだ。
来たくなければ、俺は何かと理由をつけて約束を破る。
そういう性格だからな。
だから、自分から部活まで休んで病院に来ることが、自分でも信じられない。


「……ありがとうございます」
「おう。……つか、何で敬語使うんだ?」
「ああ……少し、癖になってるんです」
「癖?」
「はい。いつも病院で、自分より年が上の人と話すことが多くて……だから、いつもこんな感じです」


彼女は笑いながら、そう零した。
普段敬語なんて使うこともなければ使われることもないから、かなり違和感がある。
………後輩はいるけど、俺の周りにロクに敬語使う奴なんていねぇしな。


「じゃあ、俺と話す時はもうちょっと肩の力抜いてもいいぜ」
「え……」
「敬語を使うな、ってまで言わねぇけど、友達感覚で話してくれればいいし。同い年なんだからさ」
「はい……頑張ります」
「おう」
「……あの、丸井くん」


彼女は恐る恐る俺の名前を口にした。


「ほら、それだよ」
「……?」
「俺の事は名前で呼んでいいんだぜ?」
「でも……」
「その代わり、俺も名前で呼ばせてもらうけど」


そう意地悪っぽく言ってみると、彼女は案の定きょとんとした顔になった。
一拍して、恥ずかしそうに、嬉しそうに顔を綻ばせた。


「ふふ、ブン太くんとこうやって話せて……良かった」
「俺も来てよかったぜ。千鶴と話すの楽しいしな」


名前を呼ぶと、まだ少し慣れていないのか、違和感を感じている様子の千鶴。
だけど、顔はどこか楽しそうだった。


「……そういえばブン太くん」
「ん?」
「この病院に誰かお友達がいるの?」
「ああ、居るぜ。……大事な奴がな」
「え……」


幸村は部活をまとめる上で大事な存在だしな……。
あいつがいねぇと、何か物足りない。
つーか、真田が言ってるみたいにたるんでしまう。
他の部員もそう思ってるんじゃないか?
特に、赤也とか。


「そ、そうなんだ……」
「千鶴?具合でも悪いのか?」
「……ううん」


急に千鶴の顔が暗くなって、俺は覗き込んで見た。
だけど、すぐ目を逸らされた。


「……その人、どんな人?」
「あーどんな人、かぁ……。そうだな、顔はすげー綺麗なのに、怒るとマジ怖いんだよ。真田より怖い」
「真田さん……?」


聞いたことのない名前が出てきて、千鶴は首を傾げる。


「ああ、テニス部の副部長なんだ」
「へぇ……じゃあ、ブン太くんはテニス部なの?」
「おう。これでもレギュラーで強いんだぜ?」
「ふふ、凄いですね。……そういえば、聞きました。今度、関東大会の決勝だって」
「そうそう!相手は東京の奴らでさ、そこの部長がまた厳しいらしくって」
「厳しい人ばかりなんですね」


千鶴は口に手を当ててくすくすと笑う。
その笑顔を見ると、つい何でも話してやりたくなる。


「だから、俺たちテニス部は部活の終わりにこの病院に来てんだよ」
「………入院されている人の為に、ですか」
「ああ。約束したんだよ。決勝当日には、必ず優勝っつー手土産を持ってく、ってな」
「そう……なんですか……」


ふと千鶴を見てみると、悲しそうに微笑んでいた。


「どうした?」
「………私、その人が羨ましいです」


さっきまで俺の顔を見て楽しそうに話題を聞いていたのに、今は自分の膝を見ていた。
ぎゅっと、服の裾を握っているような気もする。


「たくさんの人に想われて……。約束、も……ブン太くんたちなら、守ってくれる……」
「………」


長い髪が、風に揺れる。
緩く結ばれた三つ編みがゆらゆらと。


「……千鶴も、一人じゃないんだろ?」
「……一人みたいなものだよ。学校にも行ってないから、誰もお見舞いになんて来ないし……」
「………」
「ブン太くんみたいな人がお見舞いに来てくれて、約束もして……」


千鶴の手の甲に、一つの滴が落ちた。
それが涙だと気付くのは数秒もいらなくて。


「じゃあ、毎日来るよ。俺も。千鶴の為に」
「っえ……」
「で、約束もする」
「だ、だめだよ……!私なんかとしたら、その……」
「何か問題あるのか?」
「………だって……ご、誤解されますよ……か、か……彼女さんと……」


俺は一瞬、何を言われているのか分からなかった。
が、すぐ千鶴が誤解していることに気付いた。


「違う違う。俺に彼女なんていねーよ」
「……へ?」


千鶴は一瞬気の抜けた声を出した。
そして俺は、優しく千鶴を見る。


「俺が言った大事な奴、ってのは、テニス部の部長のことだよ」
「あ……そ、そうだったんだ……」


自分の誤解に気付いた千鶴は、恥ずかしそうに俺から顔を逸らした。


「俺に彼女が居ると思って、暗くなってんだろ」
「ち、違うよ、そんな事……」
「いいって、俺も、好きだしよ」
「……え?」


千鶴は目を丸くして、俺を見つめた。


「何て言えばいいんだろうな……放っておけない、ていうか、一人にさせたくない、っていうか……そんな感じがするんだよな」
「………私も、ブン太くんは好きだよ」


千鶴は少し頬を赤くして、小さく呟いた。
小さくと言っても、俺には十分聞こえた。


「じゃあ、付き合う?」
「え?」
「恋人だよ。俺も、お前の事好きだからよ」
「………嬉しい」


千鶴は目を細くして、そう言った。
だが、


「でも、だめだよ……」
「?何で?まさか、さっきの冗談とか」
「ううん。そうじゃなくて……私、あと少ししか……生きられないし」
「………」


千鶴の余命は1ヵ月。
そう医者に言われた、って……初めに言ってたよな。


「そう思うからだめなんだよ」
「………でも、」
「じゃあさ、お前自身はどうなんだよ」
「……私、自身……」
「生きたいんだろ?」


強く、俺は千鶴に問う。
俺の望む答えが返ってくるように。
俺がそう願っているように。


「……生きたい……」


確かに、千鶴は呟いた。
俺は少しほっとする。


「だから、約束。俺はこれから毎日見舞いに来る。で、お前が良くなったら、一緒にどこか行こうぜ」
「え……いいの?」
「ああ。部活があるから、この時間には来れないかもしれねーけど」
「……充分、嬉しいよ」


千鶴は瞳に少し涙を滲ませながら言った。


「な、どこ行きたい?」
「え?」
「だから、元気になった時、千鶴の行きたい場所連れてってやるよ」
「行きたい所……」


千鶴は少し考える風に口元に手を当てた。
そして、思いついたように俺に告げる。


「海に行きたい」
「海?」
「うん。……小さい頃、一度だけ連れてってもらったの。だけど、遠くから見るだけで……」


千鶴は寂しそうに零した。
生まれつきの心臓病で、海になんか入れないからか……。


「でも、凄く綺麗だった……。夏の太陽に照らされて、ピカピカ光ってて……こんなに綺麗なものがあるんだ、って……」
「………」
「また、見たいな……」
「……よし分かった。絶対俺が連れてってやる。海なら遠くないしな」
「ありがとう」


千鶴は微笑んだ。





「もう夕日になっちゃったね」
「そうだな」


しばらく空を見つめて他愛もない会話をした後、千鶴は呟く。
そして俺は気付いた。


「!?やべっ!!」
「ど、どうしたの?」


急に立ち上がった俺に驚いたように千鶴はこっちを見る。
俺は目を見開いて自分がこの病院に来たもう一つの理由を口にした。


「幸村の見舞い!やっべーもうこんな時間!」
「幸村……?」
「さっき言ったテニス部の部長!幸村にも用事があったんだよなー」
「………ねぇ、私も行ってもいい?」
「え?いいけど……」


同じ学校だし、会っておいても損はないと思い、俺は千鶴を連れて病室まで向かった。





「えーっと、ここか」


部屋の前の名前を確認して、ノックをする。
中から「どうぞ」という落ち着いた声が聞こえ、俺は病室に入った。


「ゆ、幸村……」
「やあブン太。真田から聞いてるよ」
「う……。ま、まじか」


真田の奴……余計なことを……。
幸村の笑顔が怒ってるようにも見える。


「まさか、ずっと待ってた……?」
「いや、さっきまで検査だったんだ。だから、丁度良かったよ」
「そ、そっか……」
「千鶴ちゃんと話していてくれたみたいだしね」


ほっとしたのも束の間、幸村の口から千鶴の名前が出た。
びっくりして千鶴の方を見てみると、


「やっぱり幸村くんだったんだね」
「うん。じゃなきゃ、ブン太は病院には来ないよ」


俺の横に出て、楽しそうに話す千鶴。
幸村も同じように話してる。


「え、ちょっと待てよ。もしかしてお前ら……」
「うん、知り合いだよ。と言っても、この病院で初めて会ったんだけどね」
「屋上で一人で居る所を、話しかけられたの」


そこで少し二人が出会った経緯を聞いた。
幸村も、昨日の俺みたいに一人で居る千鶴に話しかけて、顔見知りになったらしい。
同じ学校ということですぐ打ち解け、同じく一人だった幸村も千鶴とよく話すようになったらしい。
勿論、お互いの病状を知りながら。


「そうだったのか……」
「ごめんね、ブン太くん。名前を聞いた時、もしかしてとは思ってたんだけど……」
「いや、俺の方も初めから幸村のこと言ってなくて悪い」


あんな誤解することもなかったのに。
今少しだけ後悔した。


「で、ブン太も屋上で千鶴ちゃんに会ったわけだね」
「ああ」
「クス、本当に屋上が好きなんだね」
「うん……。広くて青い空が好きだから……」


千鶴は小さく微笑んだ。


「そっか。昨日ブン太が急に居なくなった理由は分かったよ」
「あ、あはは……」
「ブン太」


急に呼ばれて、怒られるかと思いながら恐る恐る幸村の近くに行く。
すると幸村はこう俺に耳打ちした。


「千鶴ちゃんの事、頼んだよ」
「っ!ばっ何言ってるんだよ!」
「?」


何かを察したような幸村の一言に、俺は声を上げる。
千鶴には幸村の声は聞こえてないみたいで、首を傾げている。
その時、ノックが聞こえた。


「あ、どうぞ」


また幸村が声をかけると、ドアがゆっくり開く。
そこには看護師さんが立っていた。


「あ、やっぱり千鶴ちゃんここに居たのね」
「もしかして、もう戻らないとだめですか?」
「そうね、夕食はもう運んであるわ。あ、今日は親さんも来てるわよ」
「え……そうなんですか?」
「うん。だから、もう戻りましょ」
「はぁい」


千鶴は俺たちを振り返って、「ごめんね」と言って看護師さんと一緒に病室を出た。
コツコツと二つの足音が遠ざかるのを確認してから、


「で、今日も俺に会いに来るのは口実で、千鶴ちゃんに会いに来たんでしょ」
「う……何で、そう思うんだよ」
「だって、千鶴ちゃんが同年代の人を名前で呼ぶのは初めてだから」
「え?そうなのか…?」
「うん。だから俺のことも『幸村くん』なんだよ」


幸村には悪いが、純粋に嬉しいと思った。


「一目惚れ?」
「……まぁ、そんな感じ、かな」
「ブン太にしては珍しいね」
「そうか?」
「うん。ブン太はそういうの、しそうにないと思ってたから」
「………」


確かに、俺も自分が信じられない。
一目惚れなんて一度もしたことないし。
これといって好きになった奴もいない。
男友達からもそっち関係には冷めた奴だとよく言われる。
ま、今は部活で精一杯だと言い訳してるけど。


「ブン太も知ってるよね。千鶴ちゃんの病気」
「……ああ」
「……俺のは手術して、リハビリしたら完治できるよ。でも、千鶴ちゃんのはそうもいかない」


今まで数えきれない程検査を行って、その度に余命について言われて、精神的にもきついだろう。
その医者の宣告をいくつも乗り越えて、今まで生きてきた。
正直、俺が傍に居ても変わらないとも思う。
だけど……あの時の言葉、

「ふふ、ブン太くんとこうやって話せて……良かった」

あの時の千鶴の顔は、本心からの笑顔だったと思う。
残り1ヵ月の命というのはこの際置いておいて。
俺は、どう彼女を幸せにさせてやれるかを考える。

これからずっと。





Next...