仁王side


俺が教室に戻った頃には、もうすでに千鶴は席に座っていた。
俺はその、ひどく落ち着いた様子の千鶴を少しの間見つめ、自分の席に戻った。
……千鶴、もう俺は……引かない。
たとえお前さんがまだ、昔の恋人を好いていようと。
秋月のことが忘れられなくても。
そんなことはいい。
俺が、お前さんを幸せにしてやりたいんだ。
この気持ちを伝えたとして、お前さんの表情は簡単に予想がつく。
困ったような顔をして、なんて言ってこの場を逃れようか考える。
俺の気持ちはお前さんにとっては迷惑かもしれない。
だけど、俺は伝える。
俺の為に。
そして、千鶴の答えを聞いたら、
千鶴の為に、俺はその言葉に従う。
それがいいじゃろ……?
そしたらすぐに普通の部活仲間≠ノ戻ろう。
俺は詐欺師じゃからな。
自分の気持ちを抑えるなんて、朝飯前じゃ。
千鶴の迷惑にはならんようにするから……。

俺はお前さんを、本気で好いとうから。





午後の授業も終わり、放課後。
俺は誰よりも先に席を立ち、千鶴の席の前に行く。


「……?」


訝しげに俺を見上げる千鶴に、俺は短く言った。


「話があるんじゃ。教室から誰も居らんようになるまで、待っててくれんか」


千鶴は何も言わなかったが、席から立たなかったから受け入れてくれたと思う。
俺は千鶴から離れ、窓の外を見ていた。
これで部活に遅れたら幸村に怒られるかのう……。
告白を控えているのに、俺の心はやけに落ち着いていた。
自分でもよくわからんが、おかしくて笑った。
そして、ものの数分で教室には俺と千鶴の二人きりとなった。
先に切り出したのは千鶴。


「……話って何?」


立ち上がり、俺を見る。
俺も窓から千鶴へと視線を移す。


「……話の前に、一つだけ約束してくれんか?」
「……いいけど」


少し間をおいて、俺は言う。


「俺がこれから何を言っても……逃げないでほしい」
「?……」


千鶴は一瞬何を言われたのか分からないような顔をしたが、一拍置いて、


「わかった」


そう応えた千鶴の表情も、やけに落ち着いていた――――





千鶴side


仁王はいつになく、真剣な表情で私を呼び止めた。
一番初めに会った時の、好奇心だけの顔じゃない。
その表情を見て、私は心なしか、どきっとした。
少し細い目の中にある瞳が、私をしっかりと射ている。
言葉に詰まりそうになるのを落ち着かせて、私は答えた。


「逃げないでほしい」


その仁王の言葉が、少しだけ私の心に刺さった。
やっぱり…仁王は気付いていたんだね。
いや、気付かない方がおかしい。
ここ最近は仁王の事を避けてばかりいた。
自分の気持ちに気付きたくなくて。
気付いたら、今まで築いてきたものが崩れそうな気がして。
直登を裏切りたくなくて……。
それでも自分の気持ちに嘘はつけなかった。
氷帝を飛び出した私。
その無理な笑顔に気付いてくれた、この人。
再びテニスに触れたのも、氷帝の皆に会えたのも。
元を考えれば仁王のおかげ。
「騙してやる」なんて言われたけど、彼は嘘は一つもつかなかった。
だから、私も嘘はつかない。
仁王に何を言われても……私は正直に答える。


「千鶴、すまんかったな……」
「え…?」
「今からじゃ全部遅いが、辛い思いを抱えていたお前さんを、無理矢理テニス部に誘ったりしたこと、悪いと思っとる」
「…そんなこと、全然嫌に思ってないよ。むしろ、皆に感謝したいくらい…」


元々は私が弱かったために起きたいざこざ。
それでも、勇気を出すことができたのは、仁王や…立海の皆のおかげだもの。


「そうか……それならよかった」


そう言って仁王は少し微笑を浮かべた。
今、彼が何を考えているのかよくわからない。
だけど、こうやって向き合って話すのも久しぶりかもしれない。
………今日なら、言える。
私の気持ちを。
仁王にとっては、私の告白は失礼かもしれない。
未だに直登を忘れられていないのに、こんなこと言ったら……。
それでも、このままはやっぱり辛いよ。
だから、感謝の気持ちと、好きの気持ちを伝えよう。
仁王の話が終わったら。


「千鶴は覚えとるか?」


仁王はそう言って、窓の外を指差した。


「……覚えてるよ」


そこに見えたのは、テニスコート。
私と仁王が、初めて会話をした時の場所。
私はコートを見つめてて、仁王はそんな私を見つけた。


「あの時……まだテニス部に想いがあったんか?」
「……そう、ね。私、未練がましいみたいだから……つい、目で追っちゃうの」


まだ数週間前なのに、なんだか懐かしい。
やっぱりまだ私は氷帝のことを引きずってて。
それを自分でどうしようもできないまま、毎日のように窓辺に立って、上からコートを眺めてて。
それが、仁王と会って、話してからは変わった。
眺めるだけでなく、目の前で感じることができた。
……まさか数日会っただけの、しかも詐欺師≠ニ呼ばれるらしい男にやられるとは。
それでも私はよかったのかもしれない。
今もあの時も、仁王に対しての感謝の気持ちは変わってないから。


「……仁王」
「…ん?」
「見つけてくれてありがとうね。あの時……この場所で」


話を中断してしまったけど、なんだか急に言いたくなったから言った。
すると、仁王は少し目を開いて、


「……千鶴はすごいぜよ」
「え?」


一瞬口角を上げて笑ったと思えば、私を見つめて言う。
急なことに、訳が分からない、という顔をすると、


「俺も、お前さんの前では詐欺師になれんかもな……」


一歩、私に近づく。
その言葉の意味、仁王の気持ちがよく見えない。
仁王は何を言いたいの……?


「ただ、騙すだけと思ったのにのう……。こんなにも、お前さんにはまってしまうとは」


仁王は頭を掻いて、目を伏せた。
少し声が小さくなっていく……仁王は、緊張してるの?


「千鶴、これから俺が言うことは、お前さんにとっては迷惑なことかもしれない」


だけど、仁王はすぐに伏せた目を上げ、初めに見せたような真剣な瞳で私を見る。
私は一瞬どきっとして、その瞳に吸い込まれるように見つめていた。
同時に、とうとう仁王は話を切り出したのに緊張してきた。


「初め、俺がお前さんを騙すって言ったように、テニス部に誘ったのも、お前さんに付きまとったのも、全部俺の好奇心からじゃった」


分かってる。
私も、そのことを承知の上で仁王の提案に乗った。
これで少しでも何かが変わるなら。
それはそれでいいと思った。


「だがな、お前さんの近くに居て、弱さに触れ……だんだんと、千鶴を守ってやりたいって思うようになった」


その言葉は私には衝撃的だった。
確かに最近の仁王は優しかった。
でも、それは他の人たちと同じ同情≠ノ似た何かかと、少し思っていた。


「う、そ……」
「嘘じゃないぜよ。……だから、俺もこんなに切ない気持になるんじゃ」


そう言うと、仁王は少し眉を寄せた。


「気付いたらいかんとは、思ってた。この気持ちに気付いても……叶う望みは薄いって、分かってたから」


仁王の言葉一つ一つが私の心の中に入ってくる。
そうしているうちに、仁王が何を言いたいのか……少しだけだけど、予想ができてきた。
まさか、とは思うけど。


「でもな…、このまま引きずるよりは、言った方が楽になると思ったから、言うことに決めた。ちなみに、嘘でもなんでもないからな」


にこ、と私を安心させるかのように笑って、


「俺は千鶴が好きじゃ。どうしようもないくらい……好いとう」


仁王は、私が後で言おうと思っていたことを先に言ってしまった。


「……いきなりで悪いな。お前さんには、直登がいるってことは分かってるんじゃが……」
「………」


仁王は少し気まずそうに頭を掻いた。
私は何か言おうと思って、口を開く。
が、


「別に深く考えることはない。俺が言いたくて言っただけじゃからな」
「……仁王、」
「無理強いしたりせんから、今すぐ答える必要もないからの」


私に話をさせないかのように、仁王は次々と言葉を繋げる。


「……ねえ、」
「馬鹿じゃよな……。結果なんてもう分かってるのに、こう…言って、後悔するってのは……」


仁王は泣きそうな顔で、笑った。
その表情に、私の心は締めつけられた。
仁王がこんなことを想っていたなんて。
今、仁王は焦ってるみたいで…。
余計に本気なんだって感じてしまう。
さっきまで合っていた目も、合わなくなった。
……私だって同じだよ。
途中までは、仁王はただ私に興味を持った変な人、っていう存在だった。
でも……私に優しくしてくれて、過去の事も理解したうえで、包み込んでくれた……。
「騙されてるだけ」そう思うだけで少し悲しくなっていたのは……事実。
久しぶりに感じたぬくもりだったから。


「……全然馬鹿じゃないよ」
「え、」
「私だって、同じこと思ってたから」


仁王の眼が見開かれ、じっと私を見た。


「……もし、私が貴方の事を好きだって言ったら、貴方は嫌な思いをするだろうって……考えてた」
「…そ、れって……」


私は頷いた。


「私も今日、貴方に告白しようとしてた」


一瞬、二人の間の時間が止まったみたいだった。
私は恥ずかしくなって俯いてしまったから、仁王がどんな顔をしたかは分からない。
頬が熱い。
心臓がどきどきしてる。


「まさか……ほ、本当なんか…?」
「うん……」
「…絶対だめだと思って……めちゃくちゃ怖かったんじゃが……」


仁王は大きく息を吐いて、肩の力を抜いた。
ちら、と顔を覗いてみると、少し柔らかい表情で私を見つめていた。


「……ごめんね、」
「?どうして謝るんじゃ」


その表情を見て、私はどきっとしてしまう。
やっぱり私は仁王のことが好きなんだなぁって、思ってしまう。
でも、どうしても私の心から……あの人は消えないの。


「仁王の事は好き……。でも、やっぱり私に仁王のことを好きになる資格はないのかもしれない」
「……それは、直登のことか?」


仁王の言葉に、私は頷いた。
きっと、一生直登のことは忘れない。
交わした言葉も、
感じたぬくもりも、
……愛も。
そんな中途半端な感情で、仁王を見てしまうことになる。
そんなことを考えていると、私はふいに仁王に抱き締められた。


「っに、仁王……!?」


私は急なことにびっくりした。
だけど、そんなことはお構いなしに仁王は口を開く。


「言ったじゃろ……。お前さんの中に、まだ直登が居るのは分かっとる。その上で、俺は自分の気持ちを伝えたんじゃ」
「………、」
「千鶴、俺は……直登のことを一途に想い続ける、そんなお前さんも好いとうんよ」
「っ仁王…」


思わず涙が出てしまいそうになる。
仁王の優しい言葉に、ぬくもりに。


「……俺も、忘れてくれなんて酷なことは言わない。むしろ、お前さんが直登とできんかったこと……それを、一緒にしたい」
「……で、でも…」
「千鶴の心に開いた穴を、俺が埋めてやるから……」


私はいつも他人に甘えたばかりだ。
直登のことだって、自分で氷帝を飛び出したものの、結局は色んな人に迷惑をかけてしまった。
そして色んな人に支えられて、今ここにいる。
ついに私の目から涙がこぼれた。


「……っこ、んな……私で、いいの……?」


優しい貴方を傷つけてしまいそうで。
私は……気持ちを伝える、その先を考えていなかった。
まさか仁王も私の事を想っていてくれているなんて。
こんな……幸せなことあっていいのだろうか。


「当たり前じゃろ。俺は、千鶴だから好きになったんじゃ」


仁王は私の事をぎゅっと強く抱き締めてくれた。


「……仁王、優しすぎるよ…」
「はは…、それは、お前さんだからじゃよ」


仁王は耳元で囁いて、もう一度「好きだ」と呟いた。

……直登、ごめんなさい。
私……もう一度、幸せになりたいって願ってしまった。
でもね、貴方の事を忘れたわけじゃない……。
今の私が居るのも、全部直登のおかげ……。
だけど、こんなにしつこく貴方を想い続けてしまう私を…守ってくれるって、言ってくれる人が現れたの。
私、その人の事を好きになってしまった……。
こんな私を貴方は許してくれるかは分からないけど。
やっぱり独りでいるのは辛いの…。
貴方が居なくなって、思い知ったの。

だから、ごめんなさい。
私……今度は絶対に失わない。
願うだけじゃだめなのよね。
やっぱり、実行しなきゃ……。
だから、貴方にしてあげられなかったこと……貴方への残された愛を、
私の心の許した人に……捧げます。

直登、愛してるよ。


「千鶴……、愛してる」


直登、


「仁王……、愛してくれて、ありがとう」


本当に、ありがとう。

もう、安心するから。
貴方は私の心から消えないよ。
私が覚えている限り。
私が貴方に言えなかった言葉。
絶対に貴方の事を忘れない。
絶対に貴方の愛を忘れない。

ずっとずっと、私の心に残しておくから……。





END.

「取り戻せないと知りながら」完結です!
この作品を読んでくださった方、またこんなあとがきまで覗きにきてくださった方、本当にありがとうございます!!
強がりヒロイン、とっても好きなんです。ですがやっぱり心情とか難しかったですね……。
伝わっているのか、かなり不安なんですが、無事に完結できて一安心しています。
ラストで、「ヒロイン軽いだろ!」「心の二股反対!」とか思われた方、本当にすみません……。
でも、やっぱり最後はハッピーエンドで終わらせたいとか思ってしまい……しかも仁王くんも頑張ってくれたので……。
私のエゴですみません。
少し氷帝との絡みが少なかったかなーと反省点も多いですが、まぁメインは立海ですからね。
……立海も少ないぞ!とかは分かってます。ごめんなさい。
でも今回は少し雰囲気の違う仁王くんとヒロインの絡みが書けたので少し充実感があります。
本当はもう少しツンデレな仁王くんにしようかと思っていたんですが……逆にデレデレになってしまいましたね。でもそんな仁王も書いてて楽しかったです。
それでは、あとがきも目を通してくれてありがとうございます!
また別の機会でお会いしましょう!
2周年ありがとうございます!
20100923.


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