その次の日。
私は少しすっきりとした気分で学校に向かうことができた。
昨日のことが少し夢みたいだったけど、現実なんだ……。
なんだか少し、緊張する。
氷帝でのことが知れたら、皆の私を見る目が変わるかもしれないと思った。
でも、皆は変わらなかった。
それどころか、私の過去を聞いて、皆もすっきりしたみたいに笑ってくれた。
それだけで私は……こんなに胸がどきどきする。


「おはよう、千鶴」


教室に行くと、いつもの笑顔で迎えてくれる仁王。
私も笑っておはようと言った。
昨日までは気まずくて……話すことができなかったけど、今はもう大丈夫。
私の心の整理は終わったから。


「……顔色はいいようじゃな」
「うん。皆のおかげだよ」


今でもあの時の言葉が響く。

「仁王って千鶴ちゃんのこと好きだよね」
「千鶴ちゃんにその気はなくても、仁王はどうだかねぇ……」


あれが、事実じゃなければいい。
……だけど、それが事実かどうか言う前に、私の心が気付いてしまいそうになった。
だから私は仁王に告げた。

「……ずっと直登を求めていたの」
「本当に、直登が好きなんだなって……痛感した」


自分の心と、仁王に言い聞かせるように呟いた。
こんな私だから。
もう傍に居ない恋人のことを、未練たらしく思い続けるような女だから。
私なんかを好きにならない方がいい。
私も恋はもうしない方がいい。


「昼は一緒に食えるか?」
「………ごめんね、私、今日は一人で食べようと思って」


だから、私たちはもうあまり近づかない方がいいよ。
私と貴方は、ただのクラスメイト、部活仲間。
異性と二人きりでお昼を過ごす、なんて……少し恋人みたいでしょう?


「……そうか、それなら残念じゃ」


仁王は笑って言ったけど、少し瞳が揺れていた。
……ごめんなさい。
そのあとすぐ担任が入ってきたから、私と仁王は何も言わず席についた。

そして昼休み。
私はすぐ席から立って、教室から出る。


「あれ?千鶴ちゃん、今日は一人?」
「うん……先生に呼ばれてるから、別のところで済ますことにしたの」
「そっか。大変だね」
「じゃあ、また…」


嘘をついてしまったけど、少しの間許して。
あの教室には居たくない。
……あの人がこっちを見てる気がして。
私は何故か逃げようとしてしまう。
友達≠ネらこんなことしなくていいのに。
どうしてだろうね…。
……ああ、そういえば行くところ決めてなかった。
適当に歩きながら屋上に行こうとすると、幸村くんに会った。


「やあ、千鶴」
「幸村くん…」


目の前で、綺麗に笑った。


「どうしたの?仁王と一緒じゃないんだ」
「……なんで、仁王と…」
「だって、いつも一緒に居るから」
「別に……あれはたまたま、」


言い訳をしようとして幸村の顔を見ると、さっきの微笑とは違って、鋭く私を見ていた。
私は思わず言葉に詰まり、目を逸らす。


「どうして目を逸らすの?」
「っ……どうしてって、」
「……俺はね、人より洞察力がいいんだ」


そう言って、少し表情を穏やかにして、


「俺が何の為に氷帝を呼んだか、分かる?」
「………私と氷帝を仲直りさせる為…?」


仲直りという表現が合っているかは分からないけど、他にいい表現が見当たらなかったからそう言ってみる。
すると、幸村くんは首を振って、


「それもあるよ。だけど、俺が一番千鶴ちゃんに気付いてほしいと思ったのは……」


一瞬間を開けて、私をじっと見据え、


「千鶴ちゃんに、自分の気持ちに素直になって欲しかったんだ」
「………」
「仁王から聞いたよ。無理に笑ってたり、テニスから離れようとしていたこと……」
「……それは、」
「氷帝の所為、とは言わないよ。だけど、過去の何かを解決すれば、千鶴ちゃんの気持ちが楽になると思ったんだ」


私は何も言えなくなった。
ここまで私のことを考えてくれているのも嬉しいと思う反面、申し訳ないとも思った。
だけど……今では普通に笑えているし、テニス部のマネージャーとしても頑張ろうと思ってる。
幸村くんは何が言いたいの……?


「初めに言ったけど、俺は洞察力には自信がある。だから千鶴ちゃんと仁王の様子を見ていて、気付いてないわけじゃないよ」
「………」


まさか、


「千鶴ちゃん、君は仁王のことが好きなんでしょ?」


私が気付きたくなくて、今まで逃げてきた言葉を、
この人は気付いていた――――
一瞬の沈黙。


「……そ、そんなことないよ。私は、」
「ほら、また逃げようとする」
「っ……」


幸村くんの一言一言が重く伝わってくる。
それは的を得過ぎて。
私はなんだか苦しくなってきた。


「……君の心の中に、まだ愛しい人が残っているのは分かってる」


そんな私を見て、幸村くんは優しい口調で言った。


「だけど、まだ千鶴ちゃんは縛られてる。もう無理しなくていいんだよ」
「……そんなこと、言ったって…」


私には直登が、
私が忘れてしまったら、直登は本当に死んだことになってしまう……。
そんなのは嫌だ。
だけど………

「……辛いんなら、泣けばいいじゃろ」
「心配いらんよ」
「………それは、いけない事なんか?」


どうしても、あの優しい言葉が忘れられないの。
本当は心のどこかで、彼に助けを求めていたのかも……しれないと。
私の気持ちにはストレートに言ってくれて、救ってくれたのに。
自分のことは何も言わないで。
私が貴方を拒否しても、怒りもしなかった。
貴方の腕の中で、別の愛しい人の名前を呟いても、貴方は……。
そんな私を慰めてくれた。


「別に、余計なお世話だとは思ってる。だけど、本当の意味で千鶴ちゃんには幸せになってほしいから。……勿論、仁王も」
「……幸村くん」
「ごめんね、変なこと言って。それじゃあ……また、部活の時に」


幸村くんは最後にもう一度笑うと、逆方向を歩いて行った。
私はしばらくそこに立ちつくし、思い立ったように屋上に向かって昼ごはんを食べた。
だけど、その間ずっと考え事をしていた。

私は今のままでいいの?
――だったら直登を忘れてしまうの?

それは嫌だ。だけど、もう一度人を愛してはいけないの?
――でもそれだと罪悪感が残らない?

分かってる。だけど私は……やっぱり、自分の気持ちに気付いた方がいいのかな?
――気付くってことは、もう答えは決まったの?

決まったよ。
きっと……随分前から心の奥にあったかもしれない。
私は、仁王の事が―――――――――――





仁王side


千鶴が、俺から逃げるように教室から出て行ったのには気付いていた。
だけど、それを追いかけることが俺にはできない。
いや……もう追いかけなくても、いいのかもしれない。
千鶴はもう一人じゃない。
女友達だっているし、部活の仲間とも相当打ち解けた。
俺が行かなくても……千鶴は誰かが支えてくれることになるだろう。


「………よ、っと」


ここに居ても仕方がない。
俺は隣のクラスへに行くことにした。





「あ、どうしたんだよ仁王」
「んーたまにはお前とも一緒に弁当食べようと思ってな」


目の前に居る丸井が、少し訝しげな顔をした。


「ふーん。珍しいな。…ってことは、千鶴も一緒か?」
「………なんでそこで千鶴が出てくるんじゃ」
「へ?だってお前らいっつも一緒じゃん」
「…そうだったかのう」


少しとぼけてみるが、丸井の言う通りだ。
俺は、事あるごとに千鶴の傍に行った。
千鶴を一人にしたくないという気持ちと、俺が千鶴の傍に居たいという気持ち。
そのふたつを抱えていた。


「つーか、お前ら付き合ってんだと思ってたし」
「……はぁ?丸井、それは冗談が過ぎるぜよ」
「冗談じゃねーよ。だってお前、千鶴の前だと妙に笑ってるし」
「………」


失礼な奴じゃ。
だけど何も言わないことにした。
そして、それ以上言うな、と態度で示す為に目を逸らした。


「あー俺の勘違いなら悪かったよ」
「………」
「おい、そんなに怒らなくてもいいじゃん」
「………」
「?仁王……」


目を逸らした先にあったものは、千鶴と幸村が話している姿。
幸村は優しげな表情で千鶴を見つめていて。
千鶴も、何pも上にある幸村の顔をじっと見つめていた。
まるで、
傍から見たら恋人同士みたいに。


「………お前、」


丸井が俺の視線の先のものに気付いたのか、一つ呟く。


「……なんでもなかよ。ただ、あの二人は珍しいなって…」


ぱっと視線を二人から逸らす。
あれ以上見たくない。
俺以外を見ている千鶴なんて……。
って、なんじゃ?
誰を見ていようが、千鶴の勝手なのに。
俺が悔しがったり、嫉妬したりする意味なんてないのに。
どうしてこんなに……
今すぐにでも千鶴の手を引き寄せて、抱き締めたい、だなんて。
思ってしまうんだろうか。


「お前、やっぱり千鶴のこと好きなんだろ」


俺の中で色んな思いが巡っている時、丸井がそんなこと言った。


「……俺はつまらん冗談は嫌いじゃが」
「だから、冗談じゃねえって。お前の今の顔見てたら誰だってそう思うぜ」
「………。どんな顔、してたかのう」
「大好きな奴が、誰かに取られそうになった時の顔」
「分かりやすい例えじゃな……」


少し苦笑いをする。
だが丸井は少し真剣な顔をして、


「俺、千鶴の話聞いたけど……別に、お前が気にすることないと思う」
「……直登を忘れろ、とでも言えって言うか…?」
「そりゃあ千鶴は辛いと思うけど、もうあいつは…自分でも分かってると思うぜ」
「………」
「お前が気付かなければ、千鶴は今でも素直に笑えなかったと思う。それだけで、十分お前の気持ちを伝える価値はあると思う」


……一人前に言うのう。
まさか、丸井にまで言われるとは。
確かに俺は……初めは興味に近い感情を持っていた。
だけど、今は違う。
好きなんじゃ……千鶴が。
自分でも笑ってしまう。
「騙してやる」と言ったのは俺の方なのに。
結局千鶴にはまったのは……俺じゃ。
こんなに誰かを守りたいと思ったのは初めてだし、
誰かと話しているのを見て苛々したのも初めて。
そして、自分の気持ちを精一杯伝えたいと思ったのも……


「……だから、俺はちゃんと千鶴に伝えた方が…」
「はぁ、丸井にそこまで言われるとはのう」
「っな、なんだよ……俺だって真剣に言ってんのに」
「それはどーも。じゃが、俺らの事ならもう心配せんでもよか。……自分で何とかするぜよ」


そう言って俺は丸井に俺の結論を言われる前に教室に戻った。





「……ったく、詐欺師のくせに、こういうことには臆病なのかねえ」





俺は千鶴に好きだと言う。
例え困った顔をして、断られても。
俺のこの気持ちは変わったりしない。





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