「どうして………」


私は呟く。
今すぐここから逃げようと思った。
だけど、できない。
足に根が生えたかのように動かないのと、


「………」


隣の幸村くんが、私の手をいつの間にか握っていたから。


「あれは……」
「ひ、氷帝…!」


後ろに居たメンバーも、相手校がどこなのか気付いて、ざわめく。
……立海は氷帝と面識がないはずだけど……。
今はそんなことより、
心臓の鼓動がうるさすぎた。


「お?なんだよ、立海勢ぞろいで出迎えてんじゃん」
「もしかして時間に遅れたんとちゃう?」
「いえ、間に合ってますよ」


どんどん、私たちと氷帝の距離が縮まる。
そして――――――


「千鶴………!?」


氷帝は立ち止まった。
初めに私に気付いたのは、先頭を歩いていた景吾……。


「なっ、千鶴だと!?」
「本物……ですよね」


そして景吾の少し後ろで歩いていた岳人から、一番後ろを歩いていた若まで、私の存在に気付いた。


「お前っ……!」


景吾が少し怖い顔をして私に近づいてきた。
私ははっとして、景吾を見上げる。
だけど、すぐにそれは遮られた。


「っ仁王…!」


私と景吾の間に、仁王が立った。
景吾が少し眉を寄せて仁王を見る。


「……何だよ、そこをどけ」
「それはできんな。……本当なら、千鶴とお前さんらを会わせたくなかったんじゃ」
「……それならどうして俺たちとの合宿を受け入れたんだ」
「さぁ……それは俺たちの部長の独断じゃ。……千鶴から離れんしゃい」


仁王が私の腕を引っ張って少し後ろに下がる。
その時、仁王の後ろから見えた氷帝の表情。
――――――あの時と、同じだった。
切なそうに私を見て……。
どう声をかけていいのか、分からない表情……。


「千鶴……お前、なんでここに居るんだよ」


岳人が少し怒りにも似た口調で私に言ってきた。


「そうやで。……俺らに何も言わず、勝手に消えて……」
「俺たちが、どんなに心配したか……千鶴先輩、分かってるんですか……っ?」


侑士と長太郎もそれに続いて私に言ってくる。
私は何も応えることができなかった。
やめて。
何も言わないで。
立海の皆が聞いてる。
私の仲間が……。


「千鶴ちゃん、俺たち、何か悪いこと言った?」
「あれは事故なんだよ……それは千鶴だって分かってるだろ?」
「何度もこんな事言いたくないんですよ………真澄さんが、死ん――――――」


立海の皆に、私の弱みを知られてしまう?


「やめてやめてやめてっ!!」


私は若の言葉を遮るかのようにして叫んだ。
だめ、皆にだけは知られたくない。
知ったら、氷帝の皆みたいな顔をする。
――――かわいそう。
そんな同情の目なんていらないの。
私はただ……笑って欲しかったのに。

―――――――――あれは、直登のお葬式が終わった翌日。

私は泣いて、腫れてしまった目をこすりながら学校へ向かう。
まだ……直登が死んだなんて、信じられない。
いや、信じたくなくて、今でも私の心の中は直登でいっぱいなんだ。
直登はまだ生きてる。絶対に。
景吾たちもきっと同じだ。
直登のことを……生きてるって、信じてくれてるはず。
もう…直登の事件の事は学校中に広まってるんだろうな……。


「………」


その日は部活の朝練習もなく、そのまま教室へ向かった。
向かう途中……すれ違う人々、ほとんどが私を見ていた。
私と直登との関係は、結構知られていたから……。
その時は、やっぱり皆直登の事気にしてるんだ、としか思ってなかった。
私の教室は野次馬が入ってこれないようにか、ドアが閉め切られていた。
私は溜息を一つついて教室のドアをがらりと開ける。


「………!」


入って、教室に目をやって気付いた。
この視線の意味を。


「………秋月さん」
「…お気の毒に……秋月さん、」
「……相模くんと、あんなに仲が良かったのに……」


女の子たちは固まって、私を可哀想に見てる。
ひそひそと、話している内容も微妙に聞き取れた。
それは他の男子も同じだった。


「千鶴………もう平気か?」
「目、腫れてるな……」
「ずっと、泣いとったんか……」
「景吾……皆も、」


教室にはテニス部のレギュラーが集まっていた。
私の事はどうでもいいの。
皆、皆が変なの。
私のこと、可哀想って…………私、可哀想じゃないよね?
直登はまだ私の傍にいるよね?


「わ、私は大丈夫だよ。それより……」
「直登が死んじまったなんて、俺もめっちゃ悔しいぜ」


私の想いはあっけなく潰された。


「本当です。……まだ下剋上していなかったのに、」
「日吉、今はそんな事言ったらだめだよ。あっちにいる直登先輩が悲しむよ」
「えっ………みんな…?」


どうしてそんな事言うの?
まるで直登が……直登と……もう二度と会えない、みたいに。


「な、に言ってるの……?」
「?どうしたんや、千鶴」


直登は死んでない……しばらくしたら、またあの笑顔で戻ってくるよ…。
私たちに心配させちゃった、って、はにかんだような笑顔で、

「ごめんごめん、心配かけちゃったな。でももう大丈夫だよ」

あの柔らかい笑顔で言ってくれるんだ―――!


「皆して、直登がもう居ないみたいに……直登は帰ってくるよ。また……すぐ、私に会いに来てくれるよ……っ」
「千鶴……まだ受け入れられないのは分かる。だが、いつまでもそう言ってても前に進めないぜ」
「そうだぜ。本当に残念だけどよ……これが現実なんだ、千鶴……」


景吾と亮が私に一歩ずつ歩み寄り、切なそうな顔をして告げた。


「やめてよ、………直登だよ?きっとまた、笑って戻って……」
「来ぃひんのや。……千鶴、分かってや……」


侑士の言葉が、ひどく残酷に聞こえた。
信じたくない。
皆、直登のこと全然分かってないよ。
直登は強いもん……。
だから、あんなに血がいっぱい出ても……


「!」


はっと直登の机を見てみると、菊の花が飾られていた。
やめてよ。
そんな………直登を殺さないでよ!!


「っ!?千鶴!?」


私は皆の間を抜け、直登の机の菊を机から床に落とした。
青い花瓶は割れ、教室に破片が飛び散った。
その近くに居た少数の女の子が悲鳴を上げて机から離れた。


「何してんだよ千鶴っ!!」


後ろから亮が私の肩を掴む。
それを私は振り払って皆に向かって叫んだ。


「直登を殺したりしないで!!」


その言葉に、誰もが息を呑んだ。
何を言っているんだ、と思われても構わなかった。
私は真澄から貰ったペンダントを力いっぱい握りしめた。


「殺すって……直登はもう死―――」
「いや!やめて!!直登はっ……直登は……」


その時、再び気付いた。
皆の……あの視線。
同情している目。
何か言いたそうにしている目。
目が合うと、すぐ逸らして。
結局他人事としてしか見てなくて。
かわいそう?
かわいそう……
かわいそう……
私の気持ちなんて分かってくれないで、ただ切なそうに顔を歪めて私を見て。
その、
憐れむような目が怖かった――――


「っ……!!」


私は耐えられなくなって教室から飛び出した。
それから皆がどうしたなんか知らない。
立海への転校が決まるまで、私はずっと部屋に閉じこもっていた。
何度か、家を尋ねてくれる人が居た。
それでも、お母さんに頼んで帰ってもらうことにした。
皆には悪いと思ってる。
でも、嫌だったの。
私……ひとりは嫌いだから。
皆気付いている中、私だけおいてけぼりはいやだったの。
皆と気持ちが離れていってしまうのが。
皆と居て、いずれ直登が死んでしまったなんて気付かされるのが。
何より怖かったの―――――――

そして今、同じような目で私を見る皆。


「どうして……っどうして、皆そんな顔するの……?」


笑ってよ。
困ったように笑って、あたたかい言葉をかけて。
じゃないと………
私の心が気付いてしまう。
今までずっと信じてきたものが、
失われてしまう。


「っ千鶴……?」


様子がおかしいと気付いた仁王が私を振り返り見る。
私はごめんね、と小さく呟いて、


「私……また、氷帝の皆と会ったら……壊れちゃうと思った」


首から提げていたペンダントを外し、手に持つ。
懐かしい直登の面影が、今でも繊細に思い浮かんでくる。
その姿を消されると思った。
怖かった。
怖くて怖くて……離れようと思った。
皆からも、テニスからも。
それなのに、


「………千鶴ちゃん」


立海の、テニス部のメンバーと出逢ってしまった。
その時点で私は振り切ろうとしていたのかもしれない。
直登のことを全て忘れてしまいたいと。
思いたかったのかもしれない。


「………嫌いだよ、」
「千鶴……?」
「私から直登を遠ざけようとする氷帝の皆が、嫌いだったよ……」


私の為に、って。
そう思ってくれてるその優しい心が、逆に嫌いだった。


「誰でもよかった……。直登とまた会えるって言って欲しかった」
「千鶴……、その…」
「皆は悪くないの。私が我儘なだけ……だから、」


あの時の気持ちと同じだ。
この胸が締め付けられる、切ない気持ち。


「……やっぱり、会ってはいけなかったんだよ」
「っ千鶴ちゃん……」


ジローが少し泣きそうな顔で私を呼ぶ。
その呼びかけに私が応えることなんてできないよ。


「っごめん、少し一人にして……!!」


私はその場から逃げだした。
自分は強い。
だから一人でも大丈夫。
……そうやって、立海に来てからは思っていたのに。
やっぱり変われなかった。
私の心はあの頃のまま、直登の傍にあるんだ。





No side


「っおい仁王……!」


千鶴がその場を去ってから、動き出す人物が一人。
それを呼びとめたのは跡部だった。


「何」
「お前……追うのかよ」
「当たり前じゃ。今の千鶴を一人にはできん」
「っふざけんな……!俺たちのこと何も知らねえくせに!」


向日が叫ぶ。
それでも仁王は怯まず、


「だからって千鶴を一人ぼっちにするんか?……俺は、何も分かっていないからこそ、千鶴の傍に居たいんじゃ」


そう言って仁王は走り出した。
我慢できず、同じく千鶴を追いかけようとした向日や宍戸を止めたのは立海メンバーだった。


「……俺たちにも、少し教えてくれないかな」
「………何で、部外者に、」


忍足にそう言われてカチンと来た切原も、柳に押さえられた。
幸村は穏やかに話を進める。


「……こっちに転校してきてからの千鶴ちゃんは、どこか少しおかしかった」


静かに氷帝を見据えて話していると、氷帝も止めたりしなかった。


「テニス部≠怖がったり、歩道でブン太がブロックの上を歩いているのを見て取り乱したり……」
「「「…………」」」


氷帝は様々な表情を浮かべていた。


「……でも、それを乗り越えて千鶴ちゃんは俺たちテニス部のマネージャーをやってくれたんだ。……もう、部外者じゃないと、俺たちは思っているんだけど」
「………だが、」
「何も氷帝で起こったこと全て教えてくれ、なんて言わないよ。……ただ、千鶴ちゃんに失礼なことを言ってしまわないように、大まかでいいから………知りたいんだ」


立海は息を呑んだ。
今まで、違和感を持っても何一つ千鶴を問いただしたりしなかった。
本当は凄く気になっていた。
だけど、ある仮定≠ェ、行動に移させてくれなかった。


「……実は、俺たち……千鶴ちゃんの様子を見て、氷帝で虐められてたんじゃないかって…思ってたんだ」
「!?俺たちがっ?」
「ああ。……だけど、今の様子を見ると、どうも違うみたいだから。……ねえ、直登って、誰なんだい?」


幸村が落ち着いて聞いているも、口調は少し厳しかった。
立海が氷帝に向ける視線も、どことなく鋭かった。


「………分かった」


跡部が少々溜息を吐きながら、話し始めた。
内容はやはり短絡的だった。
直登とは千鶴の恋人だということ。
その恋人が事故で亡くなってしまったこと。
それを受け入れることができなかった千鶴が立海に転校してしまったこと。
跡部のぶっきらぼうな言い方からも、どれだけ心配していたかが分かった。


「………そうだったんだ」


時折千鶴が見せる寂しそうな表情は、直登を想ってのものだと幸村は気付いた。
他の立海のメンバーも、何となくだが、テニス部と関わりたがらない理由が分かった。


「こっちに来てからは……仁王が、近くに居たみたいだな」
「うん。同じクラスだったしね……。随分、気になってたみたいだよ」
「そうか……」


重い空気。
そんな空気を破ったのは芥川だった。


「……ねえ、千鶴ちゃんが心配だC。追いかけようよ」


その言葉で、ようやく氷帝と立海も動き出した。





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