「おっ、ここが立海か」
「へえー、結構広いじゃん」
「全国区やもんなぁ。設備もきっちりしとるんやろうな」
「丸井くんに会えるCーっ!」
「ジロー、朝からそればっかだよな」
「いいじゃないですか。昨年優勝校の人たちと練習できるのは俺も楽しみでしたから」
「ふん……下剋上だ」
「おうよ!俺らの実力も見せつけてやろうぜ!」
「あーん?お前ら、力みすぎて氷帝の名を汚すなよ?」
「んなヘマしねぇって!」
「どうだか。まぁ、全国大会前にここと試合できるのは確かに良い機会だ。気合い入れて行くぜ」

「「「おーー!」」」

静かに
創り上げた境界線が
解け始める―――――――





それは今日の朝のことだった。


「皆、話がある」


そう言って幸村くんに呼ばれた。
レギュラーは全員部室に集合した。
昨日は結局、放課後に雨が降ってしまい部活は中止となった。
仁王ともそれきり。
視線をちらちらとこちらへ向けてくるものの、私は気付かない振り。
辛かった。
でも、仕方がなかった。


「………今日、ある学校がウチに練習試合をしにやってくる」
「…ある学校?」
「どこッスか?」
「秘密だよ。来てからのお楽しみ」
「えー気になるぜぃ」


ある学校……どこだろうか。
立海は全国区。
そんなところに練習試合をしに来るくらいだ。
結構な強豪なんだろう。
……というと、やはり関東大会で優勝した青学だろうか。
でも……流石に再び試合をしに来るとは思えない。
千葉の六角だろうか?
あそこも強豪だと聞いている。


「でも、俺らとやり合うんスよね?強いんスか?」
「もちろん。それに、相手からの直々のお願いだったしね」
「へえ。珍しいな」
「何にしろ、来るからには帰り打ちにしなければならんな!」


それぞれが気合いを入れている。
そんな中、あの人はじっと幸村くんを見ていた。
……そのことが少し気になったけど。
朝部活は放課後についてのミーティングで終わった。
もし
万が一、
あの学校が来たら……
私はきっと、逃げ出してしまう。
だけど、
そんな可能性をかなぐり捨て、私は教室に戻った。

帰る時、教室が同じ階の丸井と桑原に誘われたから、一緒に行った。
仁王はいなかった。





仁王side


「…………おい、幸村」


各自着替えて、教室に向かった後。
俺は幸村の後ろ姿に声をかけた。


「……何だい?」


当人はいつもの微笑を絶やさないで振り向いた。
俺は訝しげに見て、言葉を続ける。


「どういうつもりじゃ」
「……何のことかな?」
「練習試合のことよ。……まさかとは思うが、」
「そのまさかだったら、君はどうするかな?」
「…………」


それは、肯定の言葉だと俺は受け止めた。


「……お前さんの神経を疑うぜよ」
「ふふ、君ならそういうと思ったよ。だから真田にも柳にも相談しないで、俺が決めた」
「………。どうしてじゃ。何故、今さら千鶴を、」
「彼女を苦しめる気はないよ。……逆に、彼女を救ってあげたいんだ」
「………?」


幸村は微笑を止め、真剣な眼差しで俺を見た。
静かに見据えられたその瞳に俺が移る。
俺はとっさに目を逸らした。


「……仁王は、彼女の事が大切なんだね」


俺は答えない。


「……でもね、やっぱり過去の事でも解決をした方がいいと思うんだ。あのままの彼女を見ているのも……辛いだろう?」


問いかけるように俺に話す。


「それは………」
「……君は気付いていないみたいだけど、君も、千鶴ちゃんも……二人とも傷ついてる」


俺が?
千鶴は分かるが……。
何故俺が傷ついていると?


「……お前さんの言いたいことが分からんのじゃが」
「……俺は、君に素直になってほしいだけだよ」
「…………」
「とにかく、俺はこの練習試合を実行する。
安心してよ。相手は千鶴ちゃんがこっちに居ることなんて知らないから」


幸村は初めのように微笑した。
俺の表情は、始終眉間に皺を寄せていたと思う。


「………納得いかんが…。奴らが変な動きを見せたら、俺は容赦せんぜよ」
「いいよ。……仁王の好きにしたらいい」


幸村は何も企んでなどいない。
表情で分かる。
だが、どうしても納得いかない。
どうして幸村が千鶴を傷つけたかもしれない氷帝をすんなりと招き入れるのか。
千鶴の考えや、本心も誰も知らないというのに。
………考えてもしょうがないようじゃ。
とりあえず俺は、千鶴を守ろうと思った。
……そういえば最近千鶴の様子がおかしい。
目を合わせてくれない。
いや……ちらちら俺の事を気にしてくれとるのは分かるが。
目を合わせないよう、努力しているようにも見える。
一体何があったんじゃ?
誰かに何か吹き込まれたか?


「……千鶴、」
「…………なに?」


名前を呼んでも、俺の十数p下にある顔は俺を見上げてくれない。
少し切れ長の、真っ黒な瞳で俺を見てくれない。
心なしか、素っ気ない気もする。


「飯、食わんか?」
「………今日は、友達と食べるから…」


友達、というのはあの3人のことだろう。
あの3人は何かと千鶴を気にかけているからな。
……友達、か。


「だめじゃ」
「えっ?」


俺は千鶴の腕を掴む。


「ちょっと仁王!千鶴ちゃんをどこに連れてくのよ」
「すまんの。今日はこいつ、借りるぜよ」
「借りるって……」


3人組は放っておいて、俺は千鶴の手を引いた。
ようやく千鶴は俺を見てくれた。
目をいっぱいに開いて、俺を見てくれた。
何故か少し安心した。


「……なんなのよ」
「千鶴と昼食が食べたかった」
「……そんな…の、」


屋上で強制的に座らせる。
俺は猫背じゃから、丁度俺の目線と千鶴の目線は同じくらいの位置にあった。


「嫌なんか?」
「……そうじゃ、なくて…」


歯切れの悪い千鶴の言葉。
やっぱりおかしい。


「……今日は、あの3人と約束してたのに…」
「いいじゃろ?ちゃんと断ってきた」


友達。
友達。
さっきの言葉が俺の心に突き刺さる。
千鶴はもう一人じゃない。
そう強く思わされた。
テニス部の奴らとも仲良くなっている。
前は、男と喋ってるのなんて俺くらいだったのに。
今では幸村や丸井、後輩の赤也まで。
千鶴の周りには色んな奴がいるようになった。


「………私、は」
「ん?」


悔しい。
……なんで、こんな胸が締め付けられるような思いになるんじゃろ。
それは言葉にならず、千鶴の髪に触れるという行動になって現れた。


「……っ、」


何故か、千鶴は悲しそうな顔をした。


「…………やめて、」


千鶴が切なく呟くもんだから、俺は手を引っ込めた。


「……こういう事は、恋人同士がすることだよ」


その言葉の裏の……千鶴の感情が見えない。


「……ごめん、私、やっぱり教室戻る…」


そう言って立ち上がり、屋上から出て行く千鶴の後ろ姿を追うことはできなかった。
追いかける気がなかったわけではない。
ただ、胸に何か重いものが乗っかって、動けなかった。
やっぱり、そうなのか?
俺は―――
千鶴の髪に触れた指を見つめると、
無性に千鶴を抱きしめたくなった。





千鶴side


そして放課後。
私は席を立って、部室へ向かおうとする。


「千鶴、一緒に行かんか?」


いつものように仁王が声をかけにくる。
だけど、それは昼の時とは雰囲気は違った。
柔らかくて、どこか優しげで。
少し前の仁王みたいだった。


「………うん、いいよ」


今日は他校が来る……。
だから、一人だと心細い。
私は仁王の誘いを受けた。
部室に行くまで、特に話すこともなく、私たちは二人並んで歩いた。


「やあ、早かったね」


部室に入ると、幸村くんが居た。


「幸村こそ」
「今日は、朝言ったようにお客さんが来るからね。先に用意しておかないと」


そう言って幸村くんはユニフォームを翻し、コートへと出て行った。


「部長さんが動いとるんじゃ。俺らも急がんとなぁ」
「そうだね」


私は特に着替える必要がないから、先に部室を出る。
仁王も着替えてから行くと言った。


「お、千鶴」
「先輩早いッスね〜」


途中で他のメンバーともすれ違った。
私がコートの準備をしに行くと言うと、皆もすぐに着替えて手伝うと言ってくれた。
逆に、急がせてしまったかと心配したけど、柳くんが気にするなと言った。
皆優しい。
このまま、静かに時が流れてくれたらいいのに。
何も起きなくて良い。


「千鶴ちゃん、こっちこっち」


幸村くんが手招きをして私を呼ぶ。


「どうしたの?」
「もうそろそろ来るみたいだから、待ってるんだよ」
「……そうなんだ」
「おーーーい、幸村ー」
「ぶちょー!ここに居たんスかー!」
「レギュラーは着替え終わったみたいだね」
「ああ。……もうじき来るんだろう?」
「……うん」



幸村くんの言葉通り、遠くから人影が見えた。
その人たちの会話する声が微かに聞こえる。
私は目を細めて、その人影が何者かを見た。

そして、
何かが少し崩れる音がした。





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