その日の部活は、特に変化はなかった。
強いて言えば……忍足たちの視線が鬱陶しかったくらいか。
ちょっと俺が本音を打ち明けた途端にこれだ。面白がるようにして俺たちを見やがって。


「亮、帰ろ」
「おう」


そんな忍足たちをほとんど無視するようにして着替え終え、部室付近で待っていた千鶴に声をかけられる。
にこっと笑いながらのその表情に、俺も似たような柔らかい笑みを返した。
そして隣を歩き始める。
そういや、恋人は登下校を一緒にするものだったよな。忍足も、冬とか一人で帰るのは何か寂しいとかぼやいてたっけ。
てことは、俺と千鶴が二人で歩いていることによって少しでも恋人らしく………。


「………」


なるわけねえよな。
俺たちは幼馴染だから、小さい頃から一緒に登下校するのは当たり前だし。
今更なんにも特別なことはない。むしろ、帰り道に千鶴が隣に居ないことの方が違和感がある。
俺は途端、頭を抱えたい気持ちになってしまう。
……好きだからできること。昼休み言われた言葉を思い返す。
はっとして、俺は隣を歩く千鶴に声をかける。


「千鶴、手ぇ繋いで帰ろうぜ」
「?急にどうしたの」
「どうもしねえけど……何となくだ」


わざわざこうして許可を取ることが珍しいのか、千鶴が少し疑問を感じているような表情になる。
だがそれもすぐ何かに気付いたようで、笑顔になった。


「分かった。仲直りの印だね。はいっ」


そう言って、俺にその小さな手を差し出してくる。
………何か違う気がする。もっとこう……恥じらいというか。
とりあえず千鶴の手を左手に収めると、すぐにその理由が分かった。
別に千鶴と手を繋ぐことが特別なことではないことに。
そういや、昨日も不良から逃げてるときに手を引っ張ってきたしな……。
手を繋ぐことは普通だ。うん、そうだ。


「(じゃあどうしたらいいんだよ!?)」


思えば、幼馴染としてとはいえ、幼い頃から一緒にいる千鶴とは色々なことをしてきた。
こうして手を繋ぐこともしょっちゅうだし、千鶴が怪我をした時とかはおんぶもしてた。
本当に小さい頃、まだ物心つく前には風呂も入ったことがあるみたいだし、ほっぺにチューとかしてる写真とかもアルバムにあった。
やべえな。この年になってほとんど忘れてたけど……俺、千鶴としてないことの方が少ないんじゃねえのか?


「亮、どうしたの?さっきから黙ってて」
「へ?あ、な、何でもねえけど……」
「そう?何か考え込んでるみたいだけど」
「大丈夫だって。気にすんな」


全然大丈夫じゃない。
今、千鶴と手を繋いでいる……この距離はとても近い。
だけどそれは幼馴染としての関係のため。
こんなに近くにいるのに。
距離は、0pなのに。


「(近すぎて、逆に遠く感じる)」


ちらりと横目で千鶴を見る。その横顔は、少し見慣れないものだった。
いつも正面から見てるせいかな……。
それはとても、綺麗で小さい頃との面影とはやはり違っていた。
俺はそんな横顔の千鶴と、これ以上どうやって近付けばいいんだ?
昨日まで、心地良くて安心できたこの距離。
それじゃあ足りない。もっと近づきたくなる。
こんな欲求、一体どこから出てくるようになったんだ?
この距離を……千鶴は一体どう思ってるんだ?


「………なあ、千鶴」
「ん?」
「お前さ……好きな奴とか、いるか?」
「好きな人…………って、ええ!?」


聞くつもりはなかった。俺から少しずつ、アピールをしようと思った。
だが、どうしたらこの幼馴染の距離を変えられるかさっぱり分からない。
結果……こうして聞くことしかできない。
初めて俺がこんなことを聞くからか、千鶴は立ち止まり目をまん丸にして俺を見つめた。


「き、急にどうしたの……?やっぱり亮、今日おかしいよ」
「い、いいだろ。気になったんだからよ……」
「………もしかして、亮好きな人いるの?」


こういった色恋沙汰を千鶴に聞いたりするのはもちろん初めてだ。
だから珍しく思ったのか、千鶴は逆に俺に質問を返してきた。
ここで俺が黙ってるのはずるいよな。さっきも、そんなようなことで喧嘩しちまったし。


「……ああ。最近、気付いたんだけどな」
「っ………」


そう困ったような笑みを浮かべながら答えると、一瞬千鶴が眉を寄せて悲しそうな顔をした気がした。
おかしいと思いもう一度見つめるも、その表情はなくにこりと笑ってた。


「……私は、いないよ。好きな人なんか」
「………そう、か」


いない……か。まあ、そうだろうな。
俺は大抵のことなら千鶴について知ってるつもりだ。
だけど、今まで一緒に居てそんな素振りを見たことも、噂を聞いたこともない。
それに好きな奴ができたなら、幼馴染は相談しやすいポジションだろうしな。
……だめだ、言ってて少し切なくなってきた。


「じゃあ、もしもの話だけど……。恋人ができたら、何をしたいもんなんだ?」


お前が誰も好きじゃないって言うんなら、俺はまだ頑張れる。
これからどれだけ時間をかけても、お前の恋愛対象になれるようにする。
その参考にするために、俺の想い人本人である千鶴に聞いてみた。
そうすれば、手を繋ぐとかいう失敗アピールも改善できるだろうしな。


「……それ、私なんかの意見でいいの?」
「え?」
「そういうことは、やっぱり本人に聞いた方がいいよ」


私じゃ力になれないよ、と細く呟く千鶴。
俺はそんな千鶴に首を振って答えた。


「いや、お前の意見が聞きたいんだ。……っほら、同じ女だしな……」


また余計なことを言ってしまった気がする。
だけど、素直にお前がどうしたいかを聞きたいだなんて聞けない。
そんな勇気はさすがに……持ってねえ。


「………。私は、傍にいてくれるだけで幸せだよ」
「傍に……?」
「うん。好きな人と具体的にどうしたいかなんてどうでもいい。どんなことでも好きな人とすることなら幸せだもん」
「………」


千鶴のこんな表情、初めて見た。
穏やかで優しげで、少し疲れた微笑に……若干の悲壮感が漂う表情。
だがそれよりも驚いたのが千鶴の言った内容。
つまり、特別なことをしなくてもいいということか?
好きな人が傍にいるなら……それでいい。
………俺も、そうかもな。千鶴がいるなら。こうして歩いてるだけでも。


「そう、か。ありがとな」
「……うん。それに、」


少し安心したように呟く千鶴。
そして、


「相手が笑ってくれるだけで、幸せだよ」


そう付け足し、またにこりと笑った。
この時俺は、自己完結した問題のことで満足していた。
千鶴がどんな思いで俺の質問に答えたのか。
どんな気持ちで笑ったのか。
どんな目で俺を見つめたのか。
また俺は独りよがりに一人歩きして。
大切な、千鶴の感情に気付くことができなかった。





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