「亮、明日こそは付き合ってもらうからね」
「うぐ……わ、わかってるよ」


夏。もう蝉がうるさく騒ぐ時期。
その蝉に負けないくらい怒った様子の千鶴に、強くつつかれ、俺は渋々頷く。
すると、まだ疑ってはいるが千鶴は溜息をついて俺のクラスから出て行く。
ったく……いくら何でも、教室まで来ることはなかったのに。


「聞いたで宍戸……自分、とうとうくっつくんやな」
「は?」
「長かったね。俺、ちゃんと応援するよ〜」


千鶴が去った後、会話を聞いていた忍足とジローがにやけ顔で言う。
俺は全く内容が理解できずに首を傾げる。


「しらばっくれよって。付き合うんやろ?」
「……ああ、買い物の話か」
「A〜?買い物なの?」
「それしかねえだろ」
「……なんや、期待して損したわ」


冒頭のあの会話、付き合うというのは買い物の話。
随分前から千鶴に誘われていたが……俺は気が乗らなくて断っていた。
いや、普通の買い物ならいいんだよ。今までも散々付き合わされてるからな。
だが……千鶴が少し前から行きたい行きたいとうるさい店は、ピンクでファンシーでメルヘンな感じだから気が乗らなかった。


「つか、お前らは何を期待してたんだよ」
「そら…自分たちが付き合うことやん?」
「そうだよー、一体いつになったら付き合うの?」
「………あのなぁ、俺と千鶴はただの幼馴染だぞ?」


忍足とジローのつまらなさそうな表情に向かって言う。
そう、今言った通り千鶴と俺は本当に小っせえ頃からの幼馴染だ。
それ以外の何物でもない。むしろ、腐れ縁とでも言うべきか?
ただ家が近くて、親同士の親交があって、学校もずっと同じってなだけの関係。
それなのにこいつらは一方的に妙な期待を抱いている。とてつもなく心外だ。


「付き合うも何もないだろ?」
「そう?それにしてはすっごく仲が良いと思うんだけど」
「せやな。ただの幼馴染にしては仲良すぎとちゃう?」
「普通だ。あいつも良い奴だからな。友達として傍にいるだけだからお前らと同じだよ」
「……いやいや、同じにしちゃあかんやろ」
「千鶴ちゃんが可哀想だよー」
「可哀想?」


二人が何を言いたいのかさっぱり分からねえ。
幼馴染を友達と言って何が悪いんだ?
二人が盛大な溜息をつくのを、俺は首を捻って見つめた。


「やけど実際、宍戸は千鶴ちゃんのことどう思っとるん?」
「千鶴のこと?」
「俺も気になる!千鶴ちゃん可愛いし優しいし、俺好きだよ〜」
「ジローのことは聞いてへん。宍戸は、可愛いとか思ったことあるん?」
「可愛い?あいつが?あの猫被りで我儘で頑固で短気で悪戯好きの千鶴が?」
「わぁ……」


若干ジローが困ったような笑みを作った。
正直、千鶴の悪いところを挙げろと言われたらもっとたくさん出てくる。


「宍戸…自分はもうちょい、女心を分かった方がええわ」
「よく分かんねえけど……まぁ、そんなあいつでも大切な幼馴染だからな。別に嫌ってねえよ」
「それは分かるよー。宍戸は、千鶴ちゃんのことよく見てるもんね」
「ばっ……見てねえよ!あいつがちょこまか視界に入ってくるだけだ!」
「そんなこと言うて。3年になってクラス離れた時ショック受けとったやん」
「受けてねえ!」


……まぁ、クラスが離れるのなんて初めてだったから、違和感があったけどな。
でもそれは別に普通のことで、特別なものがあるわけじゃねえ。
いつも一緒だったから、少し驚いただけであって……。
ああもう、どうして俺はそう弁解みたいなこと考えてるんだ?


「あの時の宍戸、寂しそうだったもんね〜」
「んなことねえよ!」


何でか、こうつつかれると否定したくなる。
千鶴とは…ただの幼馴染なのにな。





そして放課後。


「約束、ちゃんと守ってよね」
「…まだその話かよ。別に逃げねえって」
「そう言って亮はあの店から3回逃げた」
「………そ、そうだっけ?」


わざわざHRが終わったと同時に教室に乗り込み、とどめを刺すかのように言う千鶴。
……全く疑り深いというかしつこいというか。
だが、そうだな…逃げたのは事実だもんな。
どうも、あの店の雰囲気は苦手だし慣れねえ……。


「もし次逃げたら針千本飲ますんだから」
「はいはい。分かったから、部活行かせろよ」
「私もついてく」
「お前も?」


俺がそう首を傾げると、千鶴が「悪いのか」とでも言いたげな目で俺を睨む。
ただでさえ目つき悪いんだから、そんな顔するなって言ってるのに。


「……嫌なの?」
「別に、嫌なんか言ってねえだろ。ついてきていいから、んな顔すんなって」
「どんな顔?」
「餌を取り上げられた猿みてえな顔」
「…………」


少し意地悪のつもりで言ったら無言で足を踏み付けられた。


「ってえ!……お前な…」
「今のは宍戸が悪いな」
「そうだC〜!女の子に向かって猿なんて言ったらだめだよ」
「……お前ら、聞いてたのかよ」


部活行く準備ができた忍足とジローが会話に入ってくる。


「忍足くんも慈郎くんももっと言ってやってよ!」
「宍戸は酷いやっちゃなー。やけど、千鶴ちゃんは可愛えから安心してええからな?」
「そうそう!宍戸は馬鹿で口悪いからしょうがないC〜」


ぷんすかと怒ってる千鶴と、それを慰めようと気の良い言葉をかける二人。
ったく、あんまり甘やかすからこいつも調子に乗るのに……。


「こんな可愛い幼馴染捕まえて、猿はないよねっ」
「可愛い?……だったら、怒ってばっかじゃなくて可愛い顔してろよ」
「………へ?」
「お前は笑ってれば若干可愛く見えるんだから、もう怒るのやめろよ」


世間一般で言えば、千鶴は顔はまだ可愛い方だからな。
性格はさておき、だが。
俺が呆れたように言うと、千鶴は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていた。
だがそれもすぐに顔を俯かせ、


「……わ、わかった…」


もごもごと呟いた。
これで少しは機嫌直ったか?
千鶴の買い物から逃げるようになってから、千鶴は少し機嫌悪かったからな。
ま、それは俺も少しは悪いと思ってるけどよ。


「…………亮の馬鹿。そんなの…不意打ちだよ……っ」
「何か言ったか?」
「…何でもないよっ」


お、笑ってる。
笑ったと思えば、今度は俺の手を掴んで先を歩こうとしてる。
何だ?機嫌が直ったというかむしろ少し良くなった気がするな。


「……あれで宍戸の奴、無自覚やからなぁ」
「ほんと、見てるこっちがやきもきするよね〜」


後からついてくる二人が何か話していたが、そんなこと気にする余裕もなく俺は千鶴に引っ張られながら部室へと向かった。


「……今日も#NAME1##が一緒か」
「うん、見学してもいい?」
「いいぜ。相変わらず、お前も健気だな」


すると部室付近で跡部と出会った。
跡部は俺そっちのけで千鶴に声をかける。
……そういや、3年ではこの二人同じクラスだっけか。


「ちょっ、亮の前でやめてよ!」
「悪い悪い」


俺にひっついてこうして関わりもあるとはいえ、大分仲良くなったな。
女で跡部と普通に話せるのは千鶴くらいなんじゃないか?
俺の幼馴染ってのは皆知ってることだし、テニス部との仲も公認みてえだしな。


「今日は暑くなりそうだから、日陰にいろよ」
「うん、ありがとう。亮、今日も頑張ってね」
「おー」


俺は適当に返事をして部室に入る。
その後に続くように、忍足、ジロー、跡部も部室に入った。


「宍戸」
「んあ?」
「お前、もう少し千鶴に優しくしてやれ」
「……優しく?」


着替えの途中、跡部がそんなことを言い出した。
なんだ、どうした?あの跡部が優しいなんて単語を出すなんて。


「なかなか居ねえぞ?千鶴みたいな奴」
「あー…そうか?あいつはテニス好きみたいだし、普通じゃね?」
「かもしれないが、たまには礼でも言っとけ」
「はぁ?千鶴はただの幼馴染だぜ?今更礼なんか言う必要ねえだろ」
「(ただの幼馴染が毎日暑い中応援しに来るかよ…)」


跡部は呆れているような、何とも言えない複雑な表情で俺を見た。
そして溜息をついた。何だよ…今日はやけに溜息をつかれる日だな。


「諦めや、跡部。宍戸のこれは治らん」
「むしろこれが宍戸だし、仕方ないC〜」
「………そうだな」
「おい、勝手に納得してんじゃねえよ」


なんだか詳しくはよく分からねえが、俺が納得いかない。


「宍戸さん」
「どうした、長太郎」


跡部が諦めたところで、先に部室で着替えていた長太郎が声をかけてきた。


「俺は宍戸さんの味方ですからね」
「………だから、何をだよ」
「もちろん、千鶴先輩の味方でもありますからね」
「訳わかんねえよ」


長太郎は爽やかな表情でそう言った。
俺は何一つ理解できなかったが。


「とにかく、たまには千鶴を労ってやるのも幼馴染だろ?」
「……そうなの、か?」
「せやなぁ。そうしたら千鶴ちゃんも喜ぶやろうし」
「うんうん!応援も張り切ってしてくれるよ!」


3人はそう言って、先に部室を出て言った。
労う……か。
そういや最近…つうか、3年になったくらいからか?
千鶴も気が立ってて前にも増して短気になったような気がするし。
俺も部活のこととかで余裕がない時が多いしな。
前までは…喧嘩してもすぐに笑い合えるような幼馴染だったのにな。
…俺も、少し意地張ってきつく接してるとこがあったかもしれねえな。
元はと言えばあのファンシーショップに引きずり込もうとする千鶴の所為なんだが。


「……ま、喧嘩なんかいつものことだしな」


俺は帽子を被り、部室を出る。
そして屋根の下にあるベンチに座っている千鶴の元まで行く。


「あ、亮。遅かったね」
「……千鶴」
「ん?」


千鶴が小首を傾げて俺を見上げる。
その表情にはさっきのような怒りとかは全然感じられない。


「ようやく、機嫌直ったか?」
「え?機嫌?」
「おう。さっきまですげえ怒ってただろ」
「あれは…まぁ、確かに怒ってたけど…」


まだ少し猿呼ばわりしたことを気にしてるのか口を尖らせて小さく言う。
俺はそんな千鶴の頭に手を乗せ、


「悪かったって。明日なんか奢るからさ、もう怒るなよ?」
「っ亮……」
「俺も、変に意地張るの止めるからよ。ちゃんと腹くくって、あのきらきら眩しい店に入ってやるから」
「ほ、本当…?」
「おう」


そう言って笑うと、千鶴の顔も見る見るうちに嬉しそうになっていくのが分かった。
そして、久しぶりに見せる満面の笑みで、


「わかった!じゃあ私、今日はいつも以上に頑張って亮のこと応援するね!」
「ああ、さんきゅーな」


まるで子供みたいに言った。
あの頃、俺たちがまた小さくて本当の子供だった時のように。
そして思った。ああ、やっぱり俺…千鶴のこんな表情好きだな。
喧嘩してる時とかは…本当に憎たらしく思えるけど。
こんな風に笑ってくれるから…俺は。
何年経った今でも、こいつのこと大切な幼馴染として傍に居たいと思えるんだなと思う。





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