丸井side


「……ブン太、今すぐ行っておいで」
「えっ…」
「その子のところに。今日は部活、やらなくていいから」
「幸村、」


俺は驚いて幸村の顔を見た。
だけどその表情は優しくて。


「今の自分の素直な気持ちを……伝えるといい」


それが俺の背中を押してくれた。
なんだよ……結局、俺は一人では何もできないんだな。
ふと周りを見ると、全員が柔らかい表情をして俺を見てくれていた。
真澄がいなくなって……俺はもう一人だと思っていた。
いや、そう思うことで真澄への気持ちを忘れない為に。
でも結局…俺は仲間に支えられていたんだな。


「………わかった」


俺は幸村の言葉を受け取り、部室を出た。
……俺の、素直な気持ち。
今はよくこの気持ちが何なのかはわからないけど。
俺が、秋月に言えることは……。


「………あそこ、か」


部室を出て周りを見渡すと、遠くの茂みに人影が二つ見えた。
きっと…秋月と赤也のものだ。
俺は息を整えながら……ゆっくり近づく。
近づくにつれて、秋月の顔が見えてきた。
赤也と話して……落ち着いているのか、柔らかい表情をしている。
そしてもっと近づくと、赤也と目が合った。


「!……」


俺に気付くと、すぐに立ち上がり俺を凝視する。
あいつからしたら、何で俺がここに来るのか見当もつかないだろう。
そしてその赤也の視線の先に居る俺に気付いたのか、秋月も立ち上がった。


「………」


俺は立ち止まった。
微妙な距離感…俺から近づけるのはここまでが限界だ。
じっと二人を見つめていると、秋月が茂みから出てきた。
赤也は驚きながらも、秋月を見つめる。


「丸井先輩……」


俺の目の前に来て、真っ直ぐ俺の目を見た。
その瞳を……俺も同じように見つめ返した。


「さ、さっきは……ごめんなさい。急に怒鳴ったりして……」


俺が言葉を発する前に、秋月の方からそう言ってきた。
自分から話しにくいと思っていた俺にとっては……少し心が軽くなった。


「私、丸井先輩と真澄さんの間に入る事なんてできないと分かっているのに……あんな、生意気なこと言ってしまって……」


秋月は済まなさそうな顔で呟いた。
ああ……本当にこいつ、真っ直ぐだな。
あれは俺だって悪かったのに。
決して俺を責めない。
……それは俺に嫌われたくないためか?
さっきまでの俺だったら、そう考えていたかもしれない。
だけど、もう違う。
こいつの心の綺麗さも、気持ちも分かるようになってきた。
真澄の想いが……気付かせてくれたから。


「お前が……謝ることねぇよ」
「えっ」
「少しだけ、俺に話をさせてくれ」


そう落ち着いた声で言うと、秋月の緊張で強張った顔もだんだんと解されていった。
そして俺をじっと見つめ始めた。





千鶴side


私は丸井先輩の表情から目が離せなかった。
だって……あんなにも、優しそうな顔。
久しぶりに見たから。
私が急に謝っている時も、決して迷惑そうな顔しないで。
じっと私を見つめてくれていた。
そんなの、初めてで。


「俺は……今でも、真澄のことが好きだ。忘れることなんてできない」


話をさせてくれと言った丸井先輩の次の言葉は、それだった。
私は口を挟むことをせず、黙って先輩の話を聞く。


「……これからも、そうしていくつもりだった。一人で生きて……真澄だけを想い続けていくつもりだった」


切なそうに呟く丸井先輩。
後ろの方できっと、切原も黙って話を聞いている。
丸井先輩の、邪魔をしないために。


「だが、そんな俺を……周りに冷たく当たっている俺を、お前はしつこく接してきた」
「………」
「どんなに突き放しても、追いかけてくる。拒んでも、諦めなかった……」
「………」
「きっと、お前には分かってたんだな。俺が……周りに気付いてほしいと思っていたことが」


淡々と語り続ける丸井先輩。
先輩が、周りに気付いてほしかったこと……。
それは……表情や態度に出ていた、寂しそうな雰囲気だったのかな。
誰だって一人でなんて生きていけない。
支えてくれる人が必要なのに。
先輩は、あえて一人になろうとしていた。
それは……愛する人のため。
切原にその理由を聞かされた時、私はそんな先輩の気持ちを放っておけなかった。
そこまで人を想える丸井先輩が、どうして一人になる必要があるのか。
幸せになることができないのか。
そればかりを考えて……。


「初めは、本当に迷惑だと思ってた。俺と真澄の邪魔をするなと……何度も思った」
「………っ」
「だけど、いつの間にか……俺は、お前の笑顔に惹かれていた」
「!」
「こんな俺なのに、笑いかけてくれるお前に……心を、許してみたいと思ったのかもしれない」


まさか、
丸井先輩の口からこんな言葉が聞けるなんて……。
私は驚きで目を丸くしながら丸井先輩を見つめ続けた。


「………だけど、どうしても俺の心には真澄が居た。一人先にいってしまった真澄を……俺は見捨てることができなかった」
「………」
「それが間違いだと……ようやく、気付いたんだけどよ」
「……間違い?」
「ああ。俺がこんな意地張ってたって、真澄は喜ばない。一人でいたって、逆に真澄に心配かけるだけだ…」
「………」


先輩は、今にも泣きそうな顔で笑った。
……きっと、真澄さんはとても心が優しくて、丸井先輩を大好きだったんだ。
先輩が一人にならないように……今でも見守っていてくれているんですね。


「……真澄さんは、素敵な人ですね」
「………ああ」


そう言うと、丸井先輩は少し驚いたけど、優しく頷いた。


「今でもまだ、俺は自分が幸せになっていいのか……よく分からない」
「………」
「だけど、真澄が向こうで安心できるためにも…俺は、自分の気持ちに正直になることに決めた」


そう言った丸井先輩の顔は、確かに決心が込められたような顔だった。
私はその真っ直ぐな丸井先輩の目を見つめる。


「………俺は、お前に…秋月に、傍に居てほしいと思ってる」
「……っ!」
「その気持ちが恋なのか、甘えなのか、我儘なのかは分からない。だけど……そう思っていることは事実だ」
「っ先輩…」
「今まで酷いことたくさん言ってきて……それなのに急にこんなことを言って、混乱するとは思ってる」


今までの事を思い出したのか、丸井先輩は切なそうに顔を歪めた。
だけど私の気持ちは……相対して、どきどきと高鳴っていた。
丸井先輩の前でこんなことを思ってしまうのはいけないことだとは分かってる。
それでも……先輩の言葉がすごく、嬉しかった。


「だけど俺は、この未練を断ち切るためにも……お前に、傍にいてほしい……」


その言葉、私には勿体ない言葉だよ。


「……これで、俺の話は全部だ。図々しいとは思ってるが…お前の気持ち……教えて、くれないか」


不安そうな表情の丸井先輩に、私はすぐに返事をすることができなかった。
それは……この高ぶった感情のせい。
嬉しくて、嬉しくて……何から話していいのか分からない。
先輩が私を必要としてくれていたこと……信じられなくて。
さっきまで、先輩に嫌われていると思っていたのに……。
今目の前で起こっていることは、本当に現実なの?
そう疑ってしまうくらい……信じられない出来事。
今まで丸井先輩と関わってきて、辛い事の方が多かった。
何度も何度も拒絶されて、その度に諦めてしまいそうだった。
それでも……この想いは…決して捨てられなくて……。
どうしても先輩のことを考えてしまうから。
本当に、先輩の事が大好きだから。
だったら……今、私が先輩に伝えるべき気持ちは……。


「丸井先輩……私の気持ちは、初めから何も変わっていませんよ……」
「……!」
「入学式の時、先輩の明るい笑顔を見た時から……何も……」


そう、変わっていない。


「私は、先輩のことが今でも……大好きです。先輩が許してくれるのなら、ずっと傍に居たいです」


そう言った直後、先輩は私を強く抱き締めてくれた。
突然のことに驚いたけど……とても、あたたかいぬくもりを感じた。


「っ……本当に、こんな俺でいいのか…?」
「……そんな、大好きな先輩ですから…」
「秋月っ……今まで、辛く当たって……悪かった……」


耳元で聞こえる丸井先輩の泣きそうな声。
それにつられて、私も泣きそうな顔になる。


「………先輩、」
「ん…?」
「一つ……我儘を言ってもいいですか?」
「なんだ…?」
「私の事……一度でもいいですから、名前で……千鶴≠チて、呼んでください……」


一度でいい。
今日、この瞬間だけでいい。


「んなの、何度でも言ってやるよ……千鶴、」
「っ……」
「千鶴……今は何も返してやれねえけど……傍に、いてくれ…」
「……はい、丸井先輩……」


私の想いが届いた。
ずっと憧れだった丸井先輩に。
まだ……先輩の心の穴は埋められないけれど。
いつか…先輩の、明るい笑顔が見られる事を信じて。
私は、
先輩の傍に居たいと……強く願った。





丸井side


「私は、先輩のことが今でも……大好きです。先輩が許してくれるのなら、ずっと傍に居たいです」


そう言った秋月の言葉を聞いて。
俺は心から強く……こいつを離したらいけないと、本能のように思った。
手離したら、きっと俺はまた一人になる。
真澄に依存しているこの気持ちを……落ち着かせることができなくなる。
そう、強く感じた。
そしてそれは態度として表れ……衝動的に秋月を抱き締めた。
秋月の…名前で呼んでほしいと言う気持ちにも応えた。
俺が、千鶴から貰ったものは思っていたよりも大きい。
大きくて……俺の手じゃ収まりきらない。
その気持ちに…値するようなものを返すことはできないが……。
今まで素直に受取れなかった分の千鶴の気持ちを、これからは……。
受け取って…前向きに、千鶴にもいろんな仲間にも……接していきたいと思った。


「千鶴……お前に出逢えて、よかった……」


抱き締めている腕から感じるぬくもり。
久しぶりだ。
この高揚とした想いも。
今までは全て真澄に向けていたもの……。
だけど、真澄が許してくれるというのなら。
俺は、お前に与えたのと同じように……誰かを、愛していきたいと。
それでお前が望んだように、俺に幸せが訪れるのなら……。
お前が、それを安心して見守れるようになるのなら。
俺は自分の気持ちを隠すような真似、やめるよ。

だけどな、真澄。
俺は……決してお前を忘れるわけじゃない。
お前の事は、俺の心の奥に……そっとしまっておく。
大切な大切な思い出≠ニして。
ずっと……大事にしていくからな。
それだけは俺の我儘だから……許してくれな?

俺は一旦ここで、お前への想いにさよならをするけど。
時には思い出して、空を仰ぎ見るかもしれない。
その時は……お前も、空から俺を見つめてくれると嬉しい。
きっとそうしている俺は、心が澄んでいると思うから。
大事な奴が隣に居て、笑い合って……その日々を、今まで以上に大切にできる奴になってると思うから。
だから、真澄も安心してくれ。
俺はもう一人じゃない。
そして、お前も一人じゃない。

真澄……
俺はお前の事、すげえ愛してたぜ……。





千鶴side


丸井先輩に私の想いが届いて1ヵ月。
私はなるべく丸井先輩の傍にいようと、毎日部活の応援に行き、お昼も先輩と一緒に過ごした。
……と言っても、もちろん二人きりとかじゃなくて、


「お、今日はクッキーを焼いたんか」
「うまそー!千鶴、意外と料理上手いからなぁ」


仁王先輩や切原も一緒に、屋上でお昼を食べるのが日常になっていた。
そして、二人がそう言いながら私が作ったクッキーに手を伸ばす。


「おい。それ、俺が頼んだクッキーなんだけど」
「ほーう?大事な千鶴が作ったクッキーだから手を出すなと?」
「できればそうして欲しいんだがな」
「ま、丸井先輩……」


口を尖らせている丸井先輩に、私はどう落ち着かせたらいいのか少し困る。
だけど丸井先輩は、


「……なんてな。千鶴がお前らの分まで作ってるのは分かってる。別に食っても怒ったりしねーよ」
「そりゃあ、千鶴は優しいッスからね!」
「お前が偉そうに言うな」


なんて冗談を言いながら、その場の雰囲気を和ませている。
私はその様子にほっと息をついた。
あれから丸井先輩は、どんどん元の丸井先輩に戻りつつあった。
まだ完全に戻ったとは言えないけど……それでも、テニス部の仲間と関わっている時は楽しそうにしている。


「でも、一番乗りは俺だかんな」


そう言いながら先輩は、クッキーを手に取り口に運んだ。
もぐもぐと食べる先輩を見ながら、私は何て言うのかドキドキしながら待つ。


「ん、うまい!」
「んなこと知ってるッス!んじゃ、俺ももーらい!」
「俺もいただくかのう」


そう言って二人がクッキーに手を伸ばす。
私は……丸井先輩の表情から目を離すことができなかった。


「………千鶴?」
「あっ、な、なんでもありません」


その視線に気付いた丸井先輩が、私の顔を覗きこむ。
私は気恥ずかしくなって、目を逸らした。
1ヵ月経っても……未だに見惚れてしまう、先輩の笑顔。
太陽のように明るくて、周りの人を自然と惹き付ける……笑顔。
ようやく見られたから。
その笑顔を見る度、私の心は嬉しさに飛び跳ねる。


「そっか?それならいいけど」


なんでもないと答えると、先輩は安心したのか顔を遠ざける。


「……でも先輩、本当に元気になったッスね」
「そうじゃなあ。今の丸井は、幸せそうに見えるぜよ」
「なっ…なんだよ急に」
「いや……まさかこんな風に、全員で笑い合える日が来るとは思わんかったからな」


仁王先輩がしみじみと呟く。
その言葉に切原もうんうんと頷き、


「そうッスよ。俺も千鶴がこんな楽しそうに笑ってると、幸せになるし」
「……丸井先輩じゃなくて、私なの?」
「えっ」
「(やっぱり千鶴、気付いてないんじゃな……)」
「(赤也も何かと可哀想だな……)」


どうしたんだろう。
切原はわざとらしく視線を逸らして誤魔化そうとしてるし。
仁王先輩は私を見て、困ったように笑ってるし。
丸井先輩は切原と私を交互に見て、どことなく慈悲深い視線を送る。
………私、何か変なことでも言ったのかな。


「赤也よ、俺は今からでも遅くないと思うんじゃが」
「え!?」
「例え届かなくても、伝えておくことは……「わーわー!な、何を言うんスか仁王先輩!」


今からでも遅くない……?
伝えておく……?
一体何のことだろう。
何か私に隠していることでもあるのかな?


「あ、もしかして!」
「!?」
「英語のテストの追試のことでしょ!私でよければ教えるよ!」
「へっ?」
「追試は明日だし、今からでも遅くないって……そのこと?」


前にも切原には英語を教えたことがあるし……よくノートも見せてあげてる。
何度も何度も私に頼るのは気が引けているのかと思ってそう言ってみたけど……。
切原と仁王先輩の表情は、どうも違うと言っているようだ。


「まぁ、別にいーじゃねえか。赤也のことは」
「なっ!!」
「とにかく、今さら赤也に渡せないってこと」
「……?」


そう言うと、丸井先輩は私の肩を引き寄せた。
今の丸井先輩の発言もよく分からなかったけど、それよりも引き寄せられたことへのドキドキでいっぱいだった。


「ま、丸井先輩……!」


切原が驚いたような顔をした。
でもすぐに、わざとらしく深い溜息をついて、あたたかい表情で私たちを見た。


「俺はその方が安心ッスよ。二人が幸せなら、俺は何も言うことがないッスから」


そしてそう……囁くように言った。


「ほう。赤也も大人になったもんじゃな」
「ちょっ!頭撫でないでくださいよっ!」


巻き起こる……皆の笑い声。
この時が永遠に続いてしまえばいい。
そう思えるくらい……今、私は幸せだった。
このまま…丸井先輩の傍に居られたら。
……なんて、それは我儘すぎるかな?
だけど、
私のこの想いは、決して変わらないですよ。
1ヵ月前、何度も挫けそうになりながら……先輩への想いを諦めなかったように。

ねえ、先輩。
これからもずっと、丸井先輩を愛し続けてもいいですか?





End.

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます!ようやく完結いたしました!
今まで更新が停滞して……完結がこんなにも遅くなってしまいましたこと、お詫びします…。
月日は経ちましたが、当初私の書きたかった内容に沿って書き終えることができたのが
今の私にとって一番嬉しく、やり遂げたことになったと思います。
このお話は、「君に、祈る」の続編でしたが……皆様、どうでしたでしょうか?
一途な想いを大切にするがあまり、素直になれなかった丸井くん。
その丸井くんを支えたいと願い、一途に想い続けるヒロイン。
そしてそんなヒロインのことを一番に考え、支え続けた切原。
メインは大体、この3人でしょうか。
「切ない恋」ということでしたので、全く甘い雰囲気はありませんでしたね。
ですが、ラストの後日談で少しでも楽しげなシーンが書けて嬉しかったです^^
誰もが一途に誰かを想っているのに、すれ違って…その想いが届かない。
そんな内容が書きたかったのですが……うまく表現できたかどうかは私も不安なところです。
ですが、一途な丸井くんが幸せになれたと…ただそれだけを書くことができて、私は本当にうれしいです。
それでは、あとがきまで読んでくれた皆様、ありがとうございます。
「蜜色ロジック」はこれからも頑張っていきます!
3周年、本当にありがとうございます!!
20110919.