丸井side


急に俺の前から走り去った秋月。
俺はその姿を呆然と見つめるだけだった。
何があいつにそうさせるようにしたのか…よくわからない。
だが、俺が言いたいことは言った。
追いかけようかと思っても、そうする理由がない。
だから俺はそのまま部室へと向かった。


「お、遅刻寸前やのう」


部室に入ると、普段と変わらない仁王の姿。
昼間の事なんかまるで気にしてない素振り。
俺は何も返さず、自分のロッカーの前に立った。


「何をやっとったんじゃ?もしかして、秋月と話でもしとったんか?」


どきり。
突然確信を突くような言葉に、俺の心臓が鳴った。
その口調はいつもの冗談を言う時と同じもの。
だけど……俺は図星だと態度で表わしてしまった。


「まさか……当たったか?」


本人も本当にそう思って言ったわけではなく、驚いている。
だがすぐに表情が明るくなり、


「そうかそうか。丸井も謝るということを知ったようじゃな。何て言ったんじゃ?」
「そ…そんなの関係ねーだろ」
「気になるじゃろ。仲直りしたん?それとも、告白でもしたんか?」
「ばっ!んなことねーよ!っ、はっきり言ってやったんだよ」


仁王の、大袈裟なからかいの言葉に俺はわざとらしいと思いながらも反論する。


「もう二度と俺に近づくなってな!」


少々ムキになりすぎた俺の声は、部室に響いた。
しんと静まる部室。
中にはレギュラーが全員揃っていた。
もちろん、


「……今の話、本当ッスか?」


赤也も。
少しの驚きと、見ただけで分かる不機嫌さを兼ねて。
俺を睨んだ。


「……ああ、本当だよ」


大嘘だ。
だが、これでいいんだ。
俺がこれから何をしても、きっと秋月は俺から離れていくだろう。
人として……最低な事をしてしまった俺に。
もう二度と、関わろうとも思っていない。


「っんなの……ひどいじゃないッスか!千鶴が、どんな思いで…!」
「どう思おうが俺には関係ねーんだよ。大体、そっちが勝手にまとわりついていただけじゃねぇか!」
「なっ…!どうして、先輩はそう頑固なんスか!いい加減、意地ばかり張らず自分に正直になったらどうなんスか!」
「っ……はぁ?」
「丸井先輩だけッスよ?切なくて辛くて苦しいのに、頑固に意地張ってるのに気付いてないのは…!」


赤也の言葉に、少し胸が苦しくなる。
だが…そんなのはこいつが勝手に思っていることだ。
俺は。
苦しいなんてそんな素振り、見せちゃいねぇ…!


「てめーに何が分かるんだよ!俺の気持ちが、分かるっていうのかよ!」
「分かんないッスよ!俺は、俺はっ……」


すると赤也はなんだか辛そうに顔を歪め、


「大好きなやつに、振り向いてすらもらえてねぇんスから……!」


絞り出すように呟いた言葉。
ああ……そうか。
赤也は、秋月のことが好きなんだな。
どうしてそこまで秋月のことを庇ったり応援したりするのかと思っていたら。
秋月を想っての行動だったのか……。


「……先輩は、ずるくて卑怯ッスよ」
「…あ?」
「こんなにも誰かに想われているのに、それをわざと無視して……ただ、逃げてる」
「……!」
「先輩は一度でも、千鶴の気持ちを受け取ろうと思ったことはないんスか!?」


赤也は泣きそうな顔で、


「誰も好きになれとは言ってない…!ただ、千鶴の優しさを、少しでも感じてほしいだけなんスよ……?」


それだけ言ったと思うと、赤也は握り拳を作って部室から出た。
俺はまた……その姿を呆然と見つめるだけ。
……逃げていたのか?
秋月から?
誰もが…部活の仲間すら、俺の気持ちにはそっとしておこうと決めた中で。
真っ直ぐに、俺を真澄から立ち直らせようとする、一人の女から。
ただ俺だけを見て、俺のために笑ってくれた……秋月から。
俺はただ、逃げたかっただけなのか?





切原side


丸井先輩の言葉に、ただただ俺の気持ちは掻き回された。
腹が立ったとかいうわけじゃない。
………悲しかったんだ。
あれだけひたむきに…先輩に関わろうとしていた千鶴に。
自分のことなんか後回しで、さっきだって、丸井先輩のことを想って退こうとした千鶴に……。

「もう二度と俺に近づくなってな!」

そう言ったのだと思うと。
切なくて。
あまりにも報われなさすぎて。
千鶴の気持ちも。
…俺の気持ちも。


「千鶴っ……」


きっとまだ、近くに居るはず。
どこにいる?
泣いて…いるのか?


「………いた!」


草の茂みの中。
千鶴は……一人しゃがんで、肩を震わせていた。


「千鶴!」


近づきながら名前を呼ぶと、千鶴の肩が驚いたように動いた。
そしてゆっくりと振り向く。


「千鶴……」
「切、原?」
「ああ…」


俺も茂みの中に入り、隣でしゃがむ。
千鶴は泣きはらしたのか……目が赤かった。


「ご、ごめんね……こんなところ、見せたくなかったんだけど…」
「……謝るなよ」
「私、丸井先輩にひどいこと言っちゃった…」
「え?」
「丸井先輩の心には、真澄さんが居るって分かってたのに……」


千鶴は、ぽつぽつと呟きだした。
俺は黙ってその話を聞くことにした。


「昼の事を謝ってくれた丸井先輩に……私と、真澄さんを重ねないでって……怒鳴って、」
「……!」
「私に、そんなこと言う権利なんてないのに…っ」


その言葉に、俺は驚きを隠せなかった。
今の言葉が本当なら。
さっき部室で聞いた丸井先輩の言葉は……嘘?
丸井先輩は昼の事を謝ったが、ふと真澄さんと千鶴を重ねてしまい…それに千鶴が傷ついて怒鳴った?
てことは丸井先輩は…二度と近づくな、なんてこと言ってない……?


「どうしよう……私、今すごく…私が嫌い……」
「っ……千鶴、」


なんで丸井先輩はそんな嘘をついたんだ?
近くに俺がいるってことは…ああやって食ってかかるってことくらい予想できたのに。
もしかして…わざと俺の前で言ったのか?
俺がこうやって千鶴と接触して、自分を諦めさせるように?
どうしてそんなことを……。
いや、その前に、丸井先輩が千鶴に謝ったってどういうことだ…。


「…本当に、丸井先輩の方から謝ってきたのか?」
「っうん……私が無理して笑ってくれているのに気付いてくれて……」


千鶴の笑顔……。
そして、さっき部室で言い合っていた時の、辛そうな丸井先輩の顔。
もしかして、
丸井先輩は…千鶴のことが嫌いというわけじゃなくて。
それとは別の想いがあって、千鶴を遠ざけようとした?
それはやっぱり、真澄さんの存在があって……。


「っそうなのか……」
「?切原……?」
「なんでもねえ…。なぁ、千鶴」
「ん……?」


そんなの、あまりにもすれ違いすぎだろ…!


「もう一度だけ、丸井先輩と話してくれないか…?」
「えっ」
「もう少しなんだ…もう少し、千鶴の気持ちを正直に伝えたら……!」
「切原…」
「辛いことは分かってる。だけど、俺はそうしてほしい…」


カミサマ、頼むよ。


「……でも、迷惑になるよ…」
「っそんなことは気にするな!俺が全部、支えてやっから…!」
「き、りはら……。わ、わかったよ」


俺の恋を終わらせてくれ。


「もう一度だけ…。私も、さっきのことを謝りたいから」


千鶴の想いが届くことを最期に。





千鶴side


切原がどうしてそこまで頼むのか分からなかった。
今更、どんな顔して丸井先輩に会えばいいのか分からないのに。
だけど…こんなに切に願う切原の言葉を断るなんて私にはできない。
たとえ結果がどうなろうと、私のために協力してくれた切原のためにも……私も全力を尽くしたい。


「……いつもごめんね、切原」
「…どうして、また謝るんだよ」
「こういう辛い時、いつも慰めてくれるから」
「はは……んなの、当り前だぜ。俺は千鶴の味方だからな」


少し落ち着いた私は、そう気持ちを伝える。
切原も表情が和らぎ、私を見つめた。


「部活、戻らなくていいの?」
「ああ……きっと、怒られるな」
「それって大変なんじゃ…」
「大丈夫だって。ビンタが飛んで、メニュー倍にされて、1週間部室掃除されるだけだからよ」
「だ、だいぶ大変だよね…」


でも切原には慣れたことなのか、平然としている。
私は申し訳ないと思いながらも…今こうやって傍にいてくれることを嬉しく思っていた。


「俺、初めてだぜ」
「え?」
「こうやって、誰かの恋を全力で応援したの」
「……切原」
「どうしてだか、分かるか?」


言葉では軽く言っていても、表情を見ると……真剣だった。
私は思わずその目を見つめてしまう。


「えっ……」


答えに詰まる。
そんな私を見て、切原は優しく笑った。


「千鶴の笑顔が見たいからだよ」
「!」
「お前が、丸井先輩を想っているのと同じくらいな」
「切原……」
「だから、千鶴にはずっと笑っててほしい。丸井先輩と、仲直りしてほしい」


切原の言葉に、私はどう感謝の気持ちを伝えていいのか分からなかった。
少しの気恥ずかしさを感じながら、


「あ、ありがとう…切原」


私は少し笑って、そう言うことしかできなかった。


「…ああ。その顔だ」


切原も同じように笑ってくれた。
その顔に、いつも私の心は励まされて。
私は何もしてあげられなかったけれど。
次……丸井先輩と話しを終えた時は、
泣き顔じゃなくて、笑顔を見せよう。
たとえ嫌いだと言われても。
近づくなとか言われても。
切原の前では、
いつもの私みたいに…笑ってあげよう。

だから……カミサマ。
この恋を、最期まで見守っていてください。





丸井side


赤也が出て行った後、皆の視線は俺に集まった。
俺は少し気まずい空気を感じながらも、黙って立っていた。
そしてどこからか溜息が聞こえ、


「やはり、まだ仲違いしたままだったのか」


柳がそう言ったのが分かった。
この前も、皆の前で赤也と喧嘩したばかりだもんな。


「全く……相変わらず、たるんどるな」


真田も続けて呟く。
だが、その言葉にいつもの迫力がなかった。
それはやっぱり、


「……ブン太、赤也が言ってたことだけどな…」
「私たちも、若干気付いてはいたんですよ」


真澄のことを気遣っているからなんだよな。
赤也が言った言葉。

「丸井先輩だけッスよ?切なくて辛くて苦しいのに、頑固に意地張ってるのに気付いてないのは…!」

俺だけ。
ああ、知ってたさ。
皆……真澄のことばかりを求めている俺に、気遣っていたこと。
誰もが現実を見ろなんて言わないで。
俺の一途な想いを断ち切らないでいてくれた。
それが仲間≠ニしての優しさだと思って。
俺はその気持ちに甘えていたんだ。
真澄はもういない。
いくら求めたって、見返りなんて無い。
だが、俺は忘れられないから。
何もかも、記憶に鮮明に焼き付けている。
真澄の髪の匂いも…抱き締めた感触も、誰よりも綺麗な笑顔も……。

現実を見て、記憶が薄れてしまうのを恐れていただけなんだ。


「だが、ようやく……お前さんを引っ張り出そうとする奴が現れたんじゃ」


仁王が隣で言う。
それが、秋月だってことか。


「だから俺も、いろいろと手を回したんじゃがな…」


仁王は頭を掻きながら呟いた。
やっぱりな。
表では面白がっているような態度だったけど……。
仁王も、俺に真澄を忘れさせようとしていただけなんだよな。


「っ余計なお世話だっつっただろ……」


俺は弱く呟く。
だが……これでいいんだ。
こんな姿を見せれば、もう誰も俺に真澄を忘れようとなんてさせない。
俺も……真澄を忘れられない。
これで、いい。
俺はもう恋なんかしない。


「だが丸井、赤也の奴は……」
「いいんだよ!…もう、その話はすんな……」


恋なんかしたくないんだよ。
俺は、
真澄への想いを抱いたまま、生きて……。


「まだ、素直になろうとしなんだな」


今まで黙っていた幸村が、口を挟んだ。
背中に鋭い視線を感じながら……。
俺は、少しの間息を止めた。


「ブン太、君はもう気付いているはずだよ」
「……っ幸村、」


俺は背後にいた幸村に視線を向ける。
すると、腕を組んで…俺を強く見据える幸村の目と目が合った。


「自分の気持ちに。今、何を考えているのかを」
「………俺の考えてること?んなもん、何も変わっちゃいねーよ…」


俺は幸村と1秒でも長く目を合わせていられなかった。
俺はすぐに視線を逸らしたが、幸村はじっと見つめたままで。


「俺はよく事情は知らないけど…。今の君の表情を見る限りじゃ、気持ちくらいなら分かるよ」
「………」
「赤也が話していた子のこと、気になっているんだろう?」
「……!」


どうしてこうも、幸村は人の心を読み取るのが上手いのか。


「でも、真澄ちゃんの存在が邪魔をする」
「幸村……!!」


邪魔≠ニ言った幸村に、俺は一瞬で頭に血がのぼるのが分かった。
きっと睨んだ俺を見ても、幸村は表情を変えず、


「だってそうだろう?真澄ちゃんが心にいなければ、ブン太は自分の気持ちに正直になれる」
「っそれ以上言うな!」
「そのブン太の気持ちの邪魔になりたくないから、真澄ちゃんはあの手紙を残したんだろう!?」


幸村の言葉に、俺は何も反論できなかった。
逆に…言葉に詰まらされる。
真澄の、手紙……?


「……ブン太のものとは別に、俺にも手紙が届いていたよ」


驚いている俺に説明するように、幸村は言い出した。


「内容は、前半は俺と過ごした病院でのことだったけど……後半は、ブン太のことだった」
「お、れの……?」
「ああ。…『もし、ブン太くんが私のことで悩んでいたり、誰かの好意を受け取れなかったりしたら、その時はブン太くんに私の事を忘れさせてあげて』と……そう書いてあったよ」
「……!」
「きっと、ブン太がもらった手紙にも似たようなことが書いてあったんじゃないかな」


俺はふと、手紙の内容を思い出す。
ぽつぽつと…涙の染みのあった手紙。
一文字一文字…力強く書かれた内容。
その中にあった言葉、


『ブン太くん……どうか私のことは忘れてください。
 貴方の中から存在が消えるのは……それは本当の意味での私の死≠セと思います。
 でも、それが一番いいと思うの。
 私はブン太くんに愛されたまま、安らかに息を引き取ることができたと思います。
 でも、残されたブン太くんは辛いと思うの。
 ……できれば、次の恋愛をして欲しい。
 あなたの愛を…私以外の人に与えて、本当の意味での幸せを、ブン太くんに掴んでほしいの。
 大切な人が傍に居て、笑ったら笑い返してくれるような……そんな、日常的幸せを、感じていて欲しいの。
 だから、私の事は忘れて……。

 私はいつでもあなたの傍にいるから。
 見守ってるから。

 お願いだから……あなたはずっと笑顔でいて。


 愛してます。これからもずっと、永遠に』



真澄の、最期に伝えたかった想い。
俺が、真澄のことで辛くならないように……。
悲しまないように。苦しまないように。―――幸せになれるように。
真澄は手紙の中で……俺に後押しをしてくれた。
だけど、俺はその気持ちを受け取ろうとしなかった。
どうしても真澄のことを忘れたくなくて。
どうしても真澄を愛し続けたくて。
その気持ちを……最期の願いを、見て見ぬ振りをした……。


「っでも、俺は……」
「真澄ちゃんは…いつまでも、自分のことを想って、強がって、悩んでいるブン太を見て……喜ぶのかな」
「っ!」
「そんなブン太を見て、安心して……眠ることができるのかな」
「………」
「真澄ちゃんは最期まで不幸な顔は見せなかったよ。それは、ブン太に愛されたまま……眠りにつくことができたから」


幸村は、語りかけるように……優しく呟いた。


「だから、真澄ちゃんはきっと誰よりも強く…ブン太の幸せを願ってる。そうでしょ?」
「………」
「なにも、真澄ちゃんのことを全て忘れることはない。ただ……自分の気持ちに嘘はつかないでほしいだけ。他人の好意を受け取ることも、それに応えることも…何の罪もないから…」


そう言うと、幸村は微笑んだ。
俺は、胸が熱くなるのを感じた。
人を想うことは罪じゃない……?

真澄……。
お前は、本当に俺が幸せになることを望んでいるのか?
俺が…幸せになっても、許してくれるのか?
お前を一人にした俺を。

カミサマ、
この……俺の気持ちを、
本当に許してくれるのか――――?





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