千鶴side


もう泣かないと決めたはずだった。
二度と、弱音なんか吐かないって。
それでも……切原の優しい言葉を耳にすると。
そんなやせ我慢、できそうになかった。


「……落ち着いたか?」
「うん……」


あれから午後の授業が始まったけれど、私は屋上で泣き続けた。
悲しいのか苦しいのか、分からなくなるくらい。
ただ本能のままに泣いた。
それを切原は……何を言うわけでもなく、ただ黙って傍に居てくれた。


「ありがとう、切原。授業までさぼらせちゃって…」
「俺は大丈夫だぜ。慣れてるしな」
「………」


少し腫れぼったい眼を擦りながら切原を見ると、にこっと笑ってくれた。
それだけで幾分か、私の心が軽くなる。


「……ごめんね」
「?どうして謝るんだよ」
「だって…あれだけ、頑張るって言っておきながら……」


私は強くなんてなれなかった。
結局、強がっていただけだった。
丸井先輩の前で。
切原の前で。
自分の弱い部分を見せられなくて……。


「……うまくいかねぇもんだよ、こういうのは」
「そう……だよね」
「だけど、俺は嬉しいぜ?千鶴が…こうやって泣いてくれて」
「え?」
「俺を頼ってくれてるんだって……伝わってくるからよ」
「……それは切原が優しいからだよ」
「はは……そっか」


だから、こうやって気兼ねなく泣くことができた。
自分の弱いところを見せられた。
いつの間にか、切原の存在は私の中で大きくなっていた。


「まぁ、さっきのは深く気にするなよ。……って言っても、難しいか」
「………」
「だけどさ、めげずに、また放課後……」
「切原、」
「……?」
「私、今日の放課後で……丸井先輩に会いに行くの、止めようと思う」
「えっ…!?」


私の言葉は、すごく衝撃的だったと思う。
だけど、私は淡々と話す。


「私の存在が、迷惑なら……むしろ悪影響を与えるくらいなら、先輩の前から消えた方が良いと思うの」
「っなんでだよ…!」
「それが先輩の為なら……」


そう言うと、切原は私の両肩を掴んだ。
そして必死の形相で、


「どうして、丸井先輩の気持ちばかり優先するんだよ!じゃあ、千鶴の気持ちはどうなるんだよ!」
「………切原、」
「少しくらい、自分の気持ちに素直になって……」
「私が望んでいるのは、丸井先輩が幸せになることだから」
「!」
「そのために……私の存在が邪魔をするなら、私はもう、」
「っ……」


切原には悪いと思ってる。
勝手に巻きこんで。
相談ばかりして。
元気づけてもらって。
それなのに……私は何もしてあげられなくて。


「ごめんね、応援してくれたのに」
「………千鶴」
「でも、私後悔してない。今までのことも、丸井先輩を好きになったことも」


それは本当だよ。
だから、こうやって決心したことも……。
全然、悲しくなんてない………。

それからは時間を見計らって教室に戻り授業を受けた。
その間、切原は何か複雑そうな顔をして……。
それが私の所為だと思うと、少し胸がきりきり痛んだ。
切原からしたら、私のさっきの言葉は裏切りも同然だよね。
あれだけ……協力してもらったのに。
何度も心の中で謝った。
そして、放課後。


「……じゃあ、行くか」
「うん…」


少し元気のない切原に誘われ、私たちは部室へと向かう。


「本当に、いいのかよ…」
「……決めたことだから」


私では丸井先輩を笑顔にすることはできない。


「………」
「………」


私たちは無言で、フェンス付近で別れた。


「おい、」


そして………


「ちょっと、いいか?」


そう呼びかけられた。
それは全く予想外の人物。


「丸井、先輩……」


無表情で。
でも少し、ばつの悪そうな顔で。
私の大好きな人が………。





「ど、どうしたんですか……?」


あのあと丸井先輩は私に背を向けてどこかへと向かった。
私はそのあとを追いながら、初めて丸井先輩に告白した校舎裏まで来た。
丸井先輩が振り返る。


「昼のこと、一応謝っておこうと思っただけだ」
「え……」
「勘違いするなよ。少し気になってただけだから」


そう言うと、丸井先輩は頭を掻いた。
私は全く予想もしていない展開に、何の反応も返せない。


「……急に怒鳴って悪かったよ。あれから考えると、少し俺も大人げなかった…そう思って」
「あ、いえ……」


いつぶりだろうか。
丸井先輩が、こんなにも話してくれるなんて。
最初の告白ぶり?なんて……そんな、酷いよ先輩。
今から……諦めようと思っている時に。
そんなこと言わないで。
私の決心が、鈍ってしまうよ。





丸井side


それは気まぐれだった。
……そう言うには、少し無理があるかもしれねぇけど。
仁王から逃げた後、俺は中庭で一人過ごしていた。
そして考えていた。秋月のことを。
あいつの笑顔が…俺の脳裏から離れなかったから。


「………」


今になると、もう苛々もなくなって冷静に考えることができた。
秋月の笑顔が真澄と被って見えたわけを。
そして一つの共通点に気付いた。
どちらも、絶対に手に入らないものを想いながらの微笑だと。
だから……あんなに儚くて、綺麗に見えたんだ。


「……手に、入らないもの…」


俺だったら笑えない。
秋月の立場でも、真澄の立場でも。
自分が死ぬと分かって、好きな奴の前で笑う事なんてできない。
自分が嫌われていると分かって、そいつの前で笑う事なんてできない。
だから、か。
そんな切ない笑みに……俺が惹かれてしまうのは。


「っ馬鹿だ……俺」


今更気付くなんて。
俺は、秋月のことを気にしているって。
態度ではそういう風を見せていなくても、心のどこかで……秋月のことを考えているって。
本当に、馬鹿だ。
そんな気持ち今更気付いたって、どうしようもできないのに。
俺はもう恋なんてしない。
……真澄との記憶を捨てたくない。消したくない。
誰かとまた笑い合って……真澄の笑顔を忘れたくない。


「………」


ふと、自分が屋上で秋月向かって言った言葉を思い出す。

「そんなふうに、笑ってんじゃねぇよ…!!」

いくらなんでも、言いすぎたか?
あいつは、笑いたくもないのに……俺の為に、笑ってくれているのに。
そう、自分だって辛いのに。
あの時の真澄のように。


「………っ」


そう思うと、急に罪悪感が押し寄せてきた。
いくら鬱陶しいと思っていた奴でも傷つけてしまったと思うとばつが悪い。
そう思って、俺は秋月に謝ることを決意した。
だから……


「……急に怒鳴って悪かったよ。あれから考えると、少し俺も大人げなかった…そう思って」


俺は秋月を呼び出して、謝った。
そう言った時の秋月の顔は、なんだか複雑そうで……。


「お前が無理して笑ってくれてるって、分かったからよ」
「あ…」
「だから、もうそんなことしなくていいぜ。辛いだけだろ」
「そ、そんなこと思ってません…!私は、丸井先輩のことを想ってるだけですから…」
「………。そういうとこ、ほんと真澄に似てるな」
「えっ」
「あいつもそうだった。俺の前ではいつも笑ってて……お前みたいに、俺の事を真っ直ぐ見て」
「………」


それは何気ない言葉だった。
俺も、なんで突然こんなことを秋月に言ったのかよくわからない。
ただ、少し心が落ち着いていたのを覚えている。
だけどその言葉を聞いて……秋月が泣きそうな顔になったことに気付いた。


「……私の笑顔を見て、真澄さんと重ねたんですね…」
「………?」
「今謝ってくれたのは……私ではなくて、同じ笑顔をした真澄さんに対してなんですか?」
「なっ、」
「私は…っ真澄さんの代わりになりたくて笑っているわけではありません!」


目に溜まっていた涙が、一粒零れた。
でも秋月はそんなこと気にしないで、


「丸井先輩は、真澄さんしか見えてないんですか…?私がいくら笑っても、私自身を見てはくれないんですか……?」


そう言って、走り去った。
俺は珍しく秋月が強くはっきり言ったことに驚きを隠せなかった。
そしてこの心臓の伸縮は、それだけのせいじゃない。





千鶴side


丸井先輩の前から走って離れ……大分場所を離れた所で私は立ち止まった。
少し荒れた息を落ち着かせて…。


「っ……」


どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。
言うつもりじゃなかったのに。
言える権利だってないのに。
でも……どうしても抑えられなかった。
私を、
大好きな真澄さんと重ねている丸井先輩に。


「私はっ…」


丸井先輩に嫌われてもいいと思った。
だけど、さっきの会話で、もしかして嫌われていないんじゃないかと思った。
嬉しかったのに……。
先輩が私の事を嫌わないのは、その姿に真澄さんを重ねているから?
そんなの……嫌われるより、辛くて苦しいよ。
私自身の決意で、精一杯……丸井先輩に見せた笑顔。
それはただ、真澄さんを思い出させるだけになってしまったの?


「うっ…う…」


丸井先輩は一度として、私自身を見てくれたことはなかったの?


「あっ……」


そう思うと、涙が止まらない。
悲しいとかじゃなくて…なんだか寂しい。やるせない。

「あいつもそうだった。俺の前ではいつも笑ってて……お前みたいに、俺の事を真っ直ぐ見て」

そう言った丸井先輩の表情は、とても柔らかかった。
その顔はすごく綺麗で…以前の丸井先輩のものと似ていた。
だけど、それは。
真澄さんを…愛しい人を想っての笑顔。
私の力じゃない。
やっぱり…私では丸井先輩を元気づけることはできない。
何より、
真澄さんの死から立ち直らせることなんてできない……。


「っ………なんだろう、この気持ち…」


悔しい。
どうして?
もしかして…真澄さんに嫉妬しているの?
傍にいなくてもなお、丸井先輩に想い続けられている真澄さんを。
私は、すごく羨ましいと思うんだ。
そうか……私が今まで思っていたことは、全て綺麗事だったのかもしれない。
丸井先輩の笑顔が見たい。
丸井先輩の支えになりたい。
口ではそう言っているつもりでも、頭ではそう考えているつもりでも。
心のどこかでは……
丸井先輩に私を見てほしい=B
そう思っていたのかもしれない。


「っだめだよ……」


丸井先輩には真澄さんが居る。
先輩が……一番愛した人。
最初で最後と言えるほどの、愛を与えた人。
そんな人に、
私が敵うわけがない。


「丸井先輩……」


好きです。
心から、あなたを想っています。
だけど……私がどう頑張っても、あなたの瞳に映るのは私ではないから。
私は、あなたの心にまで触れられるような人じゃないから。
だから、
やっぱり私は、
今まで通り、
あなたを遠くから見つめる存在で居た方がいいのかもしれない。





Next...