午後の授業が終わるり放課後になると、どこからか切原が戻ってきた。
切原は溜息をつきながら席に座る。


「……午後の授業、さぼったのね」
「仕方ねーじゃん。仁王先輩が帰してくれなかったんだからよ」
「仁王先輩と一緒に居たんだ?」


私が丸井先輩を追いかけた後、切原は仁王先輩と一緒に居た……。
それがどうしてかは分からないけど、あまり干渉しない方がいいかな。


「それで、あの後丸井先輩とはどうなったんだ?」
「………わかんない」
「え?」
「私…自分のしてることが、分かんなくなっちゃった……」


丸井先輩に関わろうとすればするほど、私の心が苦しくなる。
ぎゅっと……締めつけられる。


「丸井先輩の悲しい顔を見ると…私も悲しくなる。泣きたくなる…」
「………」
「私が話しかけると、怒ってるような、そんな顔をする…。もしかして、私が……私が、丸井先輩の笑顔を奪っているのかな…って」


笑顔を見たい。
そう思って、つきまとって。
迷惑ばかりかけて……。


「…それは違うぜ、千鶴」
「え…?」
「千鶴は頑張ってる。今の丸井先輩は、誰かの支えがないと前の明るさが取り戻せないのも事実だ」
「切原…」
「本来なら、一番近くで事情を知ってる俺たちがするべきことかもしれないのに……俺たち以上に、千鶴は丸井先輩のことを心配してる」


こんなに真剣な切原の顔、初めてみた。
真剣で…どことなく切なそうで。
切原も、丸井先輩のことを心配しているんだと分かる。


「千鶴の行動は間違っちゃいないし、いつか……その想いが先輩に届くって、俺は思ってる」
「………ありがとう」
「ああ。……へへっ、だったら早く部活行こうぜ。俺、完璧に遅刻だけどな」
「あっ…ご、ごめんね。私のせいで」
「いいって。サボりに付き合わされた仁王先輩のせいにしてやるって」


そう言っていつものように笑う。
……そうだよね、丸井先輩に関わるごとに落ち込んでたらだめだ。
切原のように生きよう。
相手に笑ってもらうためには、まず自分から笑うこと。
今の…私みたいに。
どんなに落ち込んでいても、笑顔で励ましてくれたらそれに応えようと思ってしまうように。
私も、丸井先輩に笑いかけよう。





「赤也!遅刻とはたるんどる!!」


昨日みたいにテニスコートのフェンスにしがみついていると、なんだか怖い怒号がコートに響いた。
恐る恐る部室付近を見てみると、案の定、遅刻してしまった切原が黒い帽子をかぶった人に怒られてる。
えっと……確か、テニス部の副部長だったっけ……。
あれだけ怖いのに、副部長なんだ……。


「ちょっと待ってくださいよ。俺、さっきまで仁王先輩に付き合わされて…」
「プリッ。俺は遅刻してないぜよ」
「なっ、」
「遅刻した上に、人の所為にするとはたるんどる!お前は今日のメニューを2倍をこなせ!」
「そんなっ!ひどいっすよ〜」
「赤也は要領が悪いんじゃ」


ああ……どうやら、仁王先輩のせいにもできなかったみたい。
少し不貞腐れた表情で仁王先輩を睨んでる。
対する仁王先輩はにやにやと笑ってるけど。


「あっ…」


切原のことも気になったけど、それ以上に気になる存在。
丸井先輩がコートで試合を始めた。
しかも、私がしがみついているフェンスに一番近いコート。


「頑張って……っ」


周りの女の子たちが黄色い声を送っている中、私はそう呟いて応援することしかできなかった。
でもそう言ったすぐ後、


「っ………」


丸井先輩が、こっちを見た。
驚いているように…目を少し大きくして。
そして私の思い違いかは分からないけど、目が合っている気がした。
その時、パートナーを務めていた桑原先輩が、丸井先輩の方に飛んできたボールを打ち返し、それが得点となった。


「おいブン太、どうしたんだよ。ぼーっとして…」
「あ、ああ……悪い、ジャッカル」


そして試合は続行した。
それ以降は目が合うことはなかったけど……あの時のは、一体何だったんだろう。





No side


「ブン太、」
「……仁王か」


部活も終わり、今は部室で着替えている頃。
仁王が丸井に話しかけた。


「そういやお前だろ。あいつに余計な事言ったの」
「あいつって、誰じゃ?」
「………秋月だよ」


分かっているくせに、わざと聞いている仁王を少し睨みながら言う。
その視線に気付きながらも仁王は気にしていないようで、


「ああ、なんか悪かったかのう?」
「お前な……」
「女の子の誘いを断るなんて、男らしくないぜよ」
「………あいつは別だ」


ぼそりと呟く丸井の言葉を、仁王は聞き逃さなかった。


「そういえば、今日ダブルスの試合ん時、ギャラリーの方を気にしとったな」
「………気のせいだろ」
「もしかして、秋月がおったんか?」
「!?」
「そんな意外そうな顔せんでも。俺からも見えとったよ。ブン太の視線の先がな」
「………」


仁王の言葉に、丸井は黙る。
また頑固だなと仁王は溜息をついた。


「俺は別に、秋月の肩を持ってるわけじゃない。だから、お前さんに真澄を忘れろと言うつもりもない」
「………だったら、」
「じゃが、秋月の気持ちにも気付いてやってもいいんじゃなか?」
「…あいつの、気持ち?」
「ああ。あの態度を見たら分かるじゃろ?本気なんだって」
「………」
「秋月は凄いな。一途で、頑固で……素直じゃ。お前さんも、心動かされてきたんじゃなか?」
「…馬鹿言うなよ。俺はそんなこと、」
「じゃあどうして、秋月の声に反応したんじゃ」


仁王のきっぱりと言った言葉に、丸井は言葉に詰まった。
仁王は、知っている。
自分が…あの時、ギャラリーの黄色い声の中から秋月の声が聞こえ、思わず姿を見つけてしまったことを。
聞こうと思って聞こえたわけじゃない。
見ようと思って見つけたわけじゃない。
全部無意識に、してしまったことだと。


「……知らねえよ…」
「…お前さんは、秋月のことが本気で嫌いか?」


それは自分でも分からない。
あいつが自分の中でどの居場所にも存在していないこと。
それが更に、自分を混乱させる。


「はぁーっ、終わったぁーーー!」


ここで、切原が戻ってきた。
真田に言われたメニューを今終わらせてきたらしい。
それに気付いた丸井は、


「………ああ、俺は、あいつのことが嫌いだよ」
「……?」


切原に言うつもりで、そう言い捨てた。
その言葉だけを聞いた切原は訳が分からなさそうな顔で丸井と仁王を見た。
そんな切原を丸井は一瞬だけ見て、部室から出て行った。


「……な、何なんスか…?」
「いや、な…。ブン太は、素直になれないらしい」


何もかも自分の心に秘めるんじゃなく、
素直に誰かに吐きだしてしまえば楽なのに。
秋月のことも。
真澄のことも。





千鶴side


私はまだ、テニスコート付近で待っていた。
丸井先輩の姿が見たくて。
あの時…どうして丸井先輩が私の方を見たのか知りたくて。
そう思ってじっと部室を見ていると、切原が入ったのと入れ替わりに丸井先輩が出てきた。
私は急いで丸井先輩の元へと走る。
でも、


「丸井くん、お疲れさまっ!」
「お菓子作ったの。もらってー!」


この時間まで残っている少しのファンが丸井先輩を取り囲んでしまった。
丸井先輩は少し複雑そうな顔をしていたけど、笑顔を作ってお礼を言って差し入れをもらっている。
そしてまた、ふと目が合った。


「………」


その時はすぐに目を逸らされ、再び女の子たちの対応に戻った。
私は少し心が痛んだけれど…そんな想いを振りきって、


「丸井先輩っ」


声をかけた。
瞬間、ファンの子も私を見て、丸井先輩も驚いたようで私を見た。


「部活…お疲れさまです」


精一杯の笑顔でそう言った。
さっき私が決めた事。
丸井先輩に笑ってもらう為に…私がまず、笑わなきゃ。


「……なに、この子」
「丸井くんの知り合いー?」


周りの女の子たちが不思議そうに聞いているけど、丸井先輩は何も答えなかった。
でもしばらくして、


「…悪い。ちょっと、席外してくんねぇ?」


そう周りの女の子たちに告げた。
一瞬きょとんとしていたけど、仕方ないと思ったのか私たちから離れていった。


「……何のつもりだよ」
「えっ……あ、私はただ……そう言いたかっただけで…」
「っそうじゃなくて…!」


丸井先輩は眉を寄せ、なにか難しそうな顔をしていた。
私は先輩がそんな表情をする意味が分からなかった。


「…………んで、笑ってんだよ…」


小さく呟いた言葉は、私には聞こえなかった。


「丸井先輩……?」
「っ、」


心配そうに声をかけてみたけど、丸井先輩は何も答えずに走って行ってしまった。
私は驚きながら、その後ろ姿を見つめる。

……どうしたんだろう。
私、何かおかしなことをしたかな?
こうやって自分から声をかけたのが…おかしかったのかな…。
でも、そうでもしないと丸井先輩に近づくことはできないし……。
何か……怒らせちゃったかな……。


「おーい、千鶴ーっ」


そう考えながら立っていると、切原が走ってきてくれたのが見えた。





切原side


「どうしたんだ?またそんな暗い顔して」
「えっとね……私、また丸井先輩怒らせちゃったみたいで……」
「…何か話をしたのか?」
「……お疲れさまって…声をかけただけなんだけど…」


目の前の千鶴の顔を見てみると、不思議そうに首を傾げていた。
その仕草に、思わずどきっとしてしまう。


「そっか……もしかしたら、丸井先輩も千鶴のこと意識してんのかもしれないぜ」
「えっ!ま、まさか……有り得ないよ」
「そうしょげるなって。何事もポジティブに考えないと、本当に運下がるぞ?」
「う……そうかな?」


自信な下げに呟く千鶴に、そうだと笑って言う。
そうすると、安心した表情になる。


「……千鶴、さ、」
「ん?」
「なんか……変わったよな」
「…そう?」


ああ、変わった。
前までは、そんなに自分の意見を主張するわけでもなかった。
すぐに人に流されそうで、大人しそうな奴だと思っていたのに。
……今の千鶴は、違う。
一途に頑張るひたむきな強さを持っているし、一言一言にちゃんとした意思がある。


「………それも、先輩のおかげなのかもな…」
「切原?なんか言った?」
「いや、なんでもね」


恋と向き合うようになってから、千鶴は変わった。
丸井先輩のことを心配して行動している千鶴は、なんだか可愛いし、綺麗だ。
……卑怯だぜ。
俺が恋の応援をするようになってから、またそうやって惚れるようなことをするのは。


「……それよりね、私、決めたよ」
「なにを?」
「丸井先輩の前でたくさん笑う。そうしたら、いつか丸井先輩も笑ってくれるかもしれない」
「……いいんじゃねえ?」


その考えをいくら振り切ろうとしても、その気持ちが消えることはない。
俺は確かに千鶴のことが好きなんだ。
そして、きっと千鶴はそれ以上に丸井先輩のことが好きだ。


「もう、何よその返事。ちゃんと聞いてた?」
「はは、聞いてるって」


当たり前じゃないかよ。
俺だって、お前と同じなんだ。
叶いそうで叶わない……そんな恋をしてるんだからさ。
俺だって真剣に、お前のこと応援してる。


「笑うの、いいと思うぜ?千鶴の笑顔はもったいないくらい綺麗だからな」
「……またそんな調子のいいことばかり言って」
「なんだよ。俺が嘘つくとでも思ってんのかよ」
「そうじゃないけど…」


そんな膨れたような顔するなよ。
抱きしめたくなる。


「だろ?じゃあほら、帰ろうぜ」
「うん…」


でも今は、千鶴の傍に居られるだけでいい。
恋を応援する立場でいいんだ。俺は。
そうすることで千鶴の笑顔が見られるなら。
傷ついた千鶴を癒せるなら。

丸井先輩の笑顔を守りたいと思っている千鶴のように。
俺も、千鶴の笑顔を守るだけの立場でいてやる。





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