千鶴side


次の日。
私はどきどきする心臓を抑えて、学校へ向かう。
そして行く先は教室じゃない。テニスコートだ。


「おっ、来たなー千鶴」
「あ…切原」


テニスコートに着くと、もうすでに練習は終わって皆が部室に向かっている頃だった。
普通ならタイミングが悪いと思うけれど、私は実はこれを狙っていた。
朝は放課後よりはギャラリーも少ないし、部員の人たちに差し入れしようとする人も少ない。
だから……私はこの時を狙って丸井先輩に会おうと思った。


「先輩は先に部室に行っちゃってるから、もう少ししたら来るかもしんねえぜ」
「うん、分かった」


普通なら…しつこい女だ、と呆れるくらいの私の行動なのに。
切原はそれでも応援してくれる。
嬉しいよ。そして心強い。
だから私も諦めない。
昨日……もう一度心に誓った。
私、後悔する恋なんてしたくないから。


「………あ、来た…っ」


前方から赤い髪を揺らしながら歩いてくる丸井先輩を見つけた。
隣には、えーと…丸井先輩のダブルスパートナーの人……。


「!………」


私が声をかける前に、先輩は私に気付いたみたい。
一瞬立ち止まった。


「……お、おはようございます、丸井先輩」
「………」


丸井先輩は不機嫌そうな顔をして、無視して私の前から去ろうとした。
その態度に私の心が痛む。
でも、くじけない。


「丸井先輩っ!」


呼びかけてみたけど、丸井先輩は止まってくれなかった。


「おいブン太、あいつ……知り合いか?」
「……知らねえよ」
「でも、呼んでるぜ」
「ほっとけ」


追いかけたいけど……さすがに朝は時間がないな…。
それに、丸井先輩も私が付いてこないように早歩きしている。
隣の人にも迷惑をかけてしまうかもしれないし…。


「千鶴ー!」


私が立ち止まっていると、切原が走ってきた。
練習後で疲れているんだから、別に走らなくていいのに。


「丸井先輩、どうだった?」
「……無視されちゃった」


そう言って、ははっと乾いた声で笑うと、切原は少し悲しそうな顔をした。


「そうか……」
「でも大丈夫だよ。まだ始まったばかりだもん…まだ時間はあるから」
「………」


私が微笑むと、同じように切原も微笑んだ。


「そうだな。んじゃ、教室行くか!」
「うん」


切原のその笑顔を見ると、さっきまで少し落ち込んでいた私の心もすっきりする。
まだまだ頑張ろうって思えるよ。


「……丸井先輩、何か言ってた?」
「いや、別に何も」


今は昼休み。
今日も切原と一緒に屋上でお弁当を食べている。


「そっか…」
「そう気にすんなよ。千鶴のことも俺のことだって何も言ってなかったからさ」


それならいいんだけど…。
でも少し心配。
私のことは……別にどう思ってくれてもいい。
でも何も悪くない切原が嫌な風に思われていたりしたら…。
そっちの方が心配だった。


「ほら、んな顔すんなよ。笑ってねぇと、心配になっちまうだろ?」
「あ……ごめん」
「俺、お前の笑顔が好きなんだからさ」


一瞬、今の切原の顔にどきっとしてしまった。
そんな言葉と一緒に、優しく笑うから……。


「ふふ…ありがとう」
「……じゃ、食べ終わったことだし、ちょっと探検に行こうぜ」
「えっ、探検…?」
「そろそろ弁当食い終わった頃じゃねえの?丸井先輩も」
「!」


そう言って少し戸惑っている私の手を掴む切原。
今切原の言いたいことが分かった。
私を…丸井先輩のところに連れて行こうとしてる。


「でもっ…」
「これくらい積極的になんなきゃ、丸井先輩に好きになってもらえねーぜ?」


強引に引っ張られ、私たちは屋上から降りた。
そして、丸井先輩がいるらしい教室の前に来る。


「ねえ切原、やっぱりこれは……」
「ちょっと待ってろ。今見てくっから」


き、聞いていない。
切原はたまに人の話を聞かないで行動することがあるから……少し困る。
私は諦めて、覚悟を決めることにした。


「あ、居た!おーい、丸井せんぱーい!」


そういえば、切原って昨日丸井先輩と喧嘩したんじゃ…?
私の姿が先輩に見つかると、きっと先輩は来てくれないから私はドアの後ろに隠れた。
丸井先輩の表情も声も聞こえないけど……どうしてるのかな。


「ブン太、赤也が呼んどるよ」
「…どーせくだらねえことだろ。無視だ無視」
「それでええんか?あいつならそのうち教室にまで乗り込むぜよ」
「………。んじゃあ仁王が行けよ。俺は嫌だ」
「まったく…意地っ張りやのう」


隣の切原を見てると、なんだか不満そうな顔で前方を見ていた。


「なんで仁王先輩が来るんスか」
「あー、今な、ブン太不機嫌じゃからなぁ。用は俺が聞いちゃるきに」
「仁王先輩じゃだめなんスよ!丸井先輩連れてきてくださいよー」


どうやら、丸井先輩は切原にも会わないみたい。
……やっぱり、私は迷惑かけちゃってるんだ。


「………で、そっちの子は…」
「あ、仁王先輩には関係ないッス!」


ふと顔を上げると、仁王先輩と目が合った。


「久しぶりじゃな」
「………はい」


仁王先輩は、たまに切原と話していると会ったりした。
よく切原をからかっていたりして、切原も油断できない先輩だと言ってた。
と言っても、二人きりで話した事なんてないし、お互い顔に見覚えがあるくらいしか思っていない。
私は少し俯き気味で答えた。
その間、仁王先輩は難しそうな顔で切原を見つめていたことは私には分からなかった。


「………屋上の、給水塔の裏」
「え?」
「多分、そこにブン太はおるよ」
「でも……丸井先輩は教室に、」
「俺がお前たち二人と話してる間に、とっくに姿を眩ませたぜよ」


仁王先輩の言葉にはっとして、私と切原は教室の奥を見る。
確かに、どこにも丸井先輩の姿がなかった。


「……でも、どうして?」
「おまんらが、あまりにも真剣じゃったからな。それにブン太にはおかずを一品取られた。その腹いせじゃ」


そう言って、にこりと私を見て笑った。
切原は意外そうな顔をしているけど、私はその仁王先輩の言葉に従うことにした。


「……あ、ありがとうございますっ」


そう言って私は仁王先輩に背を向け、屋上に向かった。
そこに丸井先輩がいる……はず。
仁王先輩の言葉に確証はない。
ただ私をからかっただけかもしれない。
それでも……丸井先輩に会いたかった。





「……仁王先輩、どういうつもりッスか?もしかしてペテンとか…」
「はは、いくら俺でも頑張っとる奴に嘘はつかんよ」
「………」
「信じてないな」


千鶴が去った後の二人は、その場でお互いを睨んでいた。
切原は少し不満そうに。
そして仁王も同じ顔をしていた。


「……赤也、ちょっと来んしゃい」
「えっ?」


仁王はそう言って、切原の肩を抱える。
切原は突然のことに少し間抜けな声を漏らした。


「たまには中庭でゆっくり語ろうぜよ」
「は、はあ!?っていうか、授業は…」
「こういう時は黙って先輩に付き合うべきじゃ」
「お、横暴ッスよ!」


言いながらも、切原は逆らうことができず仁王に連れて行かれた。





私はようやく、屋上手前のドアに着く。
仁王先輩の言葉が本当なら、この先の……給水塔の裏に、丸井先輩がいる。
私は手を前で組んで、深呼吸をする。
そして、


「………」


ゆっくり、ドアを開けた。
そこには先程となんら変わらない青空。
心を落ち着かせて……横を向く。
そして一歩ずつ歩いて……、


「………なんだよ、またお前かよ」


丸井先輩を見つけた。
……本当に、居た。


「ま、るい先輩……」
「誰だ?仁王が言ったのか?」


怒っている風にも見える。
眉根を寄せて……私を睨むようにして見上げた。
私は見下げているのは悪いと想い、しゃがんで目線を同じにした。


「ご、ごめんなさい……」
「何なんだよお前は。俺の後を追って……そんなことしたらもっと嫌われるとか、思ってねえの?」


丸井先輩の言葉に、返す言葉がなかった。
そんなの、思っていますよ。
でも……そう考えるより、丸井先輩が心配だから。
丸井先輩に、また笑って欲しいから……。


「わ、私はただ……」
「赤也なんか利用してさ、そうまでして俺に会いたいわけ?」
「利用してるわけじゃ…切原は、ただ私が頼んだだけで…」
「………」


すると、丸井先輩は目線を地面にやって、


「むかつくんだよ。お前も、赤也も……俺に構うな…」


少し苦しそうに、呟いた。
私は…胸がきつく締めつけられる感覚に襲われた。


「………丸井先輩、」
「っ…なんだよ、迷惑なんだよ!俺の前からさっさと消え…」
「お願いです!」


丸井先輩の言葉を遮るように、私が声を張り上げた。
それが予想外だったようで、丸井先輩は驚いて黙った。


「……私のことは、どう思ってくれても構いません…。でも、切原のことは悪く言わないであげてください……」
「………は?」
「切原は、私の事を心配してくれているだけなんです……。全部…私の我儘ですから…」


だから、二人が仲違いする必要なんてない。


「お願いです……」
「……っ」


そう言うと、丸井先輩は言葉に詰まっているのか、何も言わなくなった。
私が不思議そうに見上げていると、


「だったら……お前がさっさと諦めればいいだろ…!」


すごく切なそうな顔で…先輩は言った。
そして立ち上がり、すぐに私の視界から消える。
足音で…早足で屋上から出て行ったのが分かった。


「………」


私は少し熱くなった頬に触れた。


「はぁ………何してんだろ、私…」


丸井先輩との距離を縮めたいと思っているのに。
私が丸井先輩と会話をすると……どんどんと距離が離れていく。
近づいても、遠ざけられる。
それは仕方のないことなのに。
もともと…私が自分勝手なことをしているだけなのに。
こんなにも苦しい。


「っ………」


やっぱり迷惑なだけなのかな。
私が丸井先輩の笑顔を取り戻すだなんて……。
好きだけじゃ……どうにもならないことなのかな。
こんなにも好きなのに…、伝わらないのかな……。





No side


「………で、こんな所に連れてきて、何のつもりッスか」


不満そうな顔をする切原。
仁王に連れられ、中庭についた切原。
その時にはすでにチャイムが鳴り、授業が始まってしまっていた。
だが着いたのはいいものの、仁王は黙ったままで少し妙な空気が流れる。
切原は訝しげな表情で仁王を見た。


「………さっきの、秋月じゃろ?」
「え……そ、そうッスけど」


確認しなくても分かっているはずなのに、と切原は更に疑問を浮かべた。


「何のつもりか、聞きたいのは俺の方じゃ」
「え……?」
「俺は知っとるぜよ。お前が、秋月のことを好きなんは」
「………」


その言葉に、切原は切なそうに俯いた。
そうだ、仁王は知ってる。
自分はそのつもりはないと否定をしたが……仁王には通用しなかった。
千鶴と自分が話している姿を見て、気付かれたこの気持ち。
仁王しか知らない事実。


「はぁ…。昨日言っとった、丸井に告って振られたっていうのも、秋月やったんか」
「……そうッスよ」
「じゃあ、何で」


切原の様子を見て不満に思った仁王が、少し厳しく問う。
そんな仁王を目の前にして、切原は、


「………でも、俺の気持ちなんかはいいんスよ」


珍しく弱々しい声で呟いた。


「あいつが、丸井先輩のことが好きだから……俺は、あいつが幸せになれる方がいいから、」
「……秋月のことは」
「本気で好きッスよ」


仁王は目を見開いて、目の前の切原を見た。
今まで見たことがないくらい……真剣な顔をして言う切原。
その言葉が本物だと分かる。


「でも、それ以上にきっと…秋月は先輩のことが好きだから、俺は何も言えないんス」
「………お前はそれでええんか?」
「いいんスよ」


仁王は確かに切原が千鶴のことを好きだとは知っていた。
でも、まさかここまで本気だとは思っていなかったみたいだ。
切原が千鶴と話している時、本人でも気付いていないくらい楽しそうな顔していたから。
これから先の展開を……応援していたのに。
だから今の切原の返答に、仁王は悲しげに視線を落とした。


「今の千鶴は、すっげえ真剣だから。俺が応援してやんねえと、あいつ一人になっちまうから」
「……それが一番辛いと分かってるんじゃな」
「そうッスよ。……俺が千鶴のことを好きでいても、千鶴は幸せになれないッスから」


だから我慢するのか。
仁王はその想いを汲み取ったように、溜息をついて、


「お前は恋愛が下手くそじゃな」
「なっ……に、仁王先輩には関係ないじゃないッスか」
「まあいい。気持ちはよう分かった」
「………?」


目の前で訳が分からなさそうに首を捻る切原。


「俺が何とかブン太を落ち着かせてやる」
「へ?」
「その間、お前さんは秋月を元気づけてやればいいじゃろ」
「で、でも……なんで仁王先輩が?」
「………皆が皆、見てて痛々しいからのう」


丸井も、切原も、千鶴も。
届かない想いにもがいてる。
人を想う力は強いのに。


「ん…?な、なんかよく分かんないスけど…」
「まあ気にするな。丁度ブン太とは同じクラスやし、ジャッカルよりは役に立つじゃろ?」


くく、と冗談ぽく言い、いつもの空気になった。
切原も、悪い状況ではない事が分かり、安心したようだ。


「ま、仁王先輩がそう言うくらいなら、心強いッスね!」


そう言って二人はそのまま授業をサボった。





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