「俺ね、すごく嬉しかったんだよ。この合宿に参加できるって聞いた時」 少し高い位置まで上がった太陽が俺たちを優しく照らす。 まだ朝に近い時間だからか、日差しはそう強くなかった。 俺は隣で穏やかに呟く滝の言葉を静かに聞いた。 「俺はもう正レギュラーじゃないから、関東大会も全国大会も試合はできなかった。でも、またテニスができる……榊監督から声をかけられた時、本当にびっくりしたよ」 思い出しながら滝ははにかんだ。 俺はふと隣に座っている滝を見つめる。陽の光が当たって髪がきらきらと輝いていた。 それを、俺は見惚れるようにじっと見つめる。 2日目に滝と出逢ってからずっと、俺たちはこの木々が密集している場所に居た。 あまり動くと誰かと出逢ってしまうかもしれないからと、滝がそう提案してきたから。 俺はその提案を素直に受け入れた。滝は、俺の仲間だから。 俺を守ってくれると言ってくれたから。 「だから俺、すごい張り切っちゃってさ。宍戸に借りを返してやろうと思って、宍戸のこと調べ回ったりもしたんだよ」 「ははっ、なんだよそれ、データマンにでもなるつもりかよ」 滝は普段と何ら変わらない口調で俺に話をしてくれた。 優しい滝の、最大限の気遣い。それは馬鹿な俺にもわかった。 俺が目に見えて不安がっているから。滝はそれを少しでも取り除こうとしてくれてる。 だから俺も、なるべくその気持ちに応えようと笑って返事をする。 「しかも他校との親善試合だから、宍戸と対戦できるわけじゃないのにね」 「確かに。滝、お前って結構抜けてるよな」 「岳人ほどじゃないよ」 たまに沈黙が訪れたりもするけど、滝と会話している間は、ここがどこなのか…自分たちが今何をやらされているのか……それらを忘れることができた。 ほんの一瞬でも忘れられる。そのちょっとした解放感が、なんだか嬉しかった。 何にも縛られることなくすんなりと手に入れることのできていた、前のような日常≠ノ戻れている気がして。 「馬鹿にするなよなー」 「岳人たちの試合見てたら分かるよ。岳人は好き勝手やってるのを、忍足が立て直したりしてるって」 「うぐっ……」 滝の言葉がなんだか図星のような気がして、俺は眉を寄せる。 「そ、それは侑士のやつが勝手にやってんだよ。俺は、考えるプレイじゃなくて本能でプレイしたいんだ」 「ふふっ、でもそれを全国大会で日吉とやって、自滅しちゃったよね」 思い出したのか、滝は笑いながら俺をちらりと見る。 その、なるべくなら思い出したくない出来事を言われ、俺はむすっと口を尖らせた。 「それはそれ!あれは相手が悪かったんだよ、マムシとデータだぜ!?」 「名前で呼んであげなよ」 少しムキになって言う俺に対して、滝は苦笑する。 「でも、岳人は本当に油断ばかりするからなぁ。だから氷帝ダブルス最強の座が宍戸と鳳ペアに奪われそうになるんだよ?」 「なっ……!お前だって宍戸にボロ負けしたくせに、人のこと言えねえだろうがっ」 にやりと言う滝に、俺は少し不機嫌そうに言い、滝の肩を掴んでぐらぐら揺らした。 何も本気で怒っているわけじゃない。 よく友達同士でやるおふざけみたいなもんだ。 滝も俺の力が本気のものではないと知り、「ごめんごめん」と笑いながら謝った。 ああ、懐かしい。 これだ。 この感覚だ。 日常≠感じさせる、これが欲しかったんだ。 ずっと。 ずっと求めていた。 「でも、ボロ負けって言うのはひどいよ?」 謝りつつも、滝は滝で気になっていたようでそう言葉を漏らすと、お返しと言わんばかりに俺の肩を掴んだ。 そして同じようにぐらぐら揺らす。 「わ、悪いって!つい口が滑ったんだよ!」 「ふうん?謝ってる割には、顔が楽しそうだけど?」 滝の言う通り、俺は滝に責められながらも笑顔になってしまっていた。 純粋に嬉しかったんだ。 信頼できる仲間と、こうしてふざけあうことができて。 それすら、許されないような場所にいるのだから。 滝も同じことを考えているのか、「これでもくらえっ」と面白そうに言いながら俺の肩をギリギリ掴む。 よく休み時間に友達とやるプロレスごっこみたいなのを思い出し、互いに笑みを滲ませながら戯れていた。 「痛え!食い込んでるっつの!」 「岳人が真剣に謝るまで許してあげないよ〜」 「痛い!いたたたたっ!」 滝がぐっと力を強くするのに比例して、俺も大袈裟に声を上げる。 実際にめちゃくちゃ痛いってわけじゃない。わざとやってるだけだ。 それが乗りってやつだし、オーバーリアクションなほど笑いも生まれる。 「滝っ!もうギブギブ!」 「ギブじゃなくて、ごめんなさいで―――」 滝の言葉は途中で途切れた。 途切れたというよりは、無理矢理遮断されたと言ったほうが正しい。 パンパンと、連続した銃声がやけに近くで聞こえ……木霊するように俺の鼓膜に響いた。 「えっ……」 俺は目を見開き、目の前で俺の肩を掴んでいた滝を見る。 滝は滝で驚いているのか、目を見開きながら俺を凝視していた。 ―――――赤く染まった腹部を、片手で押さえながら。 「た……滝ぃいいいいいっ!?!?」 ずるっと、俺の肩にあったもう片方の滝の手が地面につく。 そして辛そうにぜえぜえと息をする滝を見て、ようやく、さっきの銃声は滝に向かって撃たれた銃の音だと気付いた。 「岳人を手にかけようとするなんて、ええ度胸しとるやん」 そして嫌に冷静な声が聞こえ、耳がぴくりと動く。 嫌だ……すごく、嫌な感覚だ。聞き覚えのある、低い声。 「が、っ……岳、人………逃げ……っ」 口からも血を垂らし、必死に呼びかける滝が、固まったままの俺の膝に手を置く。 その悲痛そうな声も……やけに俺の頭の中に響いた。 嫌だ嫌だ嫌だ。脳が警鐘を鳴らしている。 ―――銃を撃った人物を見るな、と。 「岳人、大丈夫か?俺が来たからには、もう安心やで」 唇がかたかた震える。 無意識に、唇の形が変わる。 滝を撃った人物の名前の形に。 「ゆ………」 逃げろと何度も何度も繰り返す滝の言葉に動けない、弱い俺は。 泣きそうな顔で、声のするほうを見上げた。 「侑士………」 そしてほぼ無意識に名前を呼ぶ。 「ああ、岳人。会いたかったで……」 嬉しそうに、俺を優しく見つめる侑士。 その手には滝を殺したと思える……銃のようなものを持っていた。 「あ、ああっ……」 侑士がいつも浮かべる、優しげな微笑には似つかわしくないそれを見て。 俺は、たとえ模造品だとしても感じることができていた日常を、幸せを。 一瞬にして壊される音が聞こえた。 |