大きな木の根元。
そこで俺は、木々の間から覗く朝日を眺めていた。
……俺は自分が、まさか4日目の朝まで生きていられるとは思っていなかった。
かといって、自分が死んでしまう未来も予測してはいなかったけど。
結局俺はその場その場を生きているんだ。
先のことを考えていないわけじゃない。今のことを考えるので手いっぱい頭いっぱいだった。


「っ……深司」


とりあえず、放送で深司の名前が呼ばれなかったことを安堵していた。
そして別れた時の深司の様子を思い出す。
思い出したからといって、俺がどうすることもできないのは重々承知している。
だが、自分も切羽詰まった状況を一瞬忘れることができるくらい、深司のことを心配していた。
俺は、最後の最後で深司を、橘さんを……裏切るような行為をしてしまったから。
朝日の眩しい光が俺の目を焼くようにして飛び込んで来た。
俺はそれを避けようと、立ち上がり少し場所を移動しようとする。
そうして数歩歩きだした時、


「あ……」


立海のジャッカルさんと、目がばっちり合ってしまった。
一瞬、俺の全身の毛が逆立つような錯覚に陥った。
見慣れた、忘れることのできない、まるで悪夢のような出来事の発端である……立海のユニフォーム。
俺がジャッカルさんを凝視する形で固まってしまっていると、ジャッカルさんは慌てて両手を肩よりも上に上げた。


「悪い、驚かせたか?だが、俺には争う意思はねえから」


困ったようにぎこちない笑みを浮かべて、おろおろと俺を見る。
……この人は、馬鹿なんだろうか。
そんなに軽々と両手を上げちまって。
もし俺が……あいつみたいな気違いだったら、一瞬で殺されてた。


「……俺も、その気はないッスよ」


無意識に低くなった声で言うと、ジャッカルさんは安心したように口元を綻ばせた。


「よかった。実は俺、今初めて誰かと会ったから、ちょっと緊張してたんだよ」


運が良いのか悪いのかわかんねえよな、とジャッカルさんははにかみながら言った。
……ああ、だからか。
だからそんなに警戒心が薄いのか。
まだ、人の狂気に触れていないから。だからそうやって簡単に笑えてしまうんだ。
ゆっくりとこちらに近づいてくるジャッカルさんを上目で睨みながら、俺は口を開いた。


「あんた、馬鹿なんですか?」


少し責めるような口調で言うと、ジャッカルさんは驚いたようで目を見開き、足の動きを止めて俺を見た。


「もし俺が今鞄から武器を取りだしたらどうするんですか。ずっとポケットに突っ込んでる手に、武器が握られていたら?あんた、すぐに死にますよ」


ジャッカルさんの無警戒とも言える笑顔を見て、俺は少なからず苛々していた。
まるで……1日目の自分たちを見ているようで。
仲間と一緒にいて、安心して。
そしてその安心を……一瞬にして奪われるなんて知りもしないで。


「………っ、ああ、悪い……」


ジャッカルさんは何故か謝り、困ったように頭を掻いた。


「でも、お前はそんなことするような奴に見えなかったからさ」


弁明するように言われた言葉は、俺の心の中を怒りで満たした。
頭で考えるよりも先に、俺はジャッカルさんの胸倉を掴んでいた。


「よくこの状況でそんな呑気なこと言ってられますね!?この島で、人殺しとは縁のないような奴ばかりが集められて、実際に半数の人間が死んでるんですよ!?」


怒りに任せて、早口になって口から出る言葉。
ジャッカルさんは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、俺を見ていた。


「俺だって、敵うならぶっ殺したい奴がいる!!大勢の仲間を目の前で遊ぶように殺されて、なのにそいつは笑ってて……!腸が煮えくりそうなのを堪えて、俺はこうして生きてんだよ!仲間に、生かしてもらったんだよ!」


叫んでいると、ふいに目頭が熱くなった。
今思い出しても……自分の弱さに眩暈がする。気持ち悪くなる。
俺は吐き気を感じ、ジャッカルさんの胸倉を掴んでいた手を離し口を押さえる。
うっと声が出るのを我慢し、俺はその吐き気を何とか呑み込んだ。


「………そう、か……不動峰……」


ジャッカルさんは何かを思い出したのか、申し訳なさそうにそう呟いた。
きっと、1日目終了時の放送を思い出したんだろう。
あの地点で……不動峰は4人も死人を出してしまったから。


「っ……悪い。俺の、失言だ。配慮が……足りなかった」


心から申し訳なさそうな表情を浮かべ、ジャッカルさんは頭を下げて謝った。
俺は、未だ荒れている息を必死に整え……正面からジャッカルさんを見据える。


「…………それに、あんたを見て腹が立つ理由が、もう一つある」


何を言おうとしてるんだ、俺は。


「忘れることなんかできない……その、立海ユニフォーム……」


自分の非を認めて、素直に頭まで下げて謝ってくれている人の良いジャッカルさんに。
これ以上追い打ちをかけようとしてるのか?


「立海の、悪魔……」
「!!」


呟くと、ジャッカルさんははっと頭を上げて俺を凝視した。
そして次の言葉を待つ。その表情には、予想を裏切ってくれと言わんばかりに切なげだった。


「俺の仲間を楽しそうに殺しやがった、切原のもんだから……」


俺は、最低だ。
ジャッカルさんはただ同じ学校のテニス部だというだけなのに。
思った以上に優しい人だったから……行き場の失っていた俺の怒りを、ジャッカルさんにぶつけてしまっている。


「そんな……っ赤也、が……!」


絶望したように眉を寄せるジャッカルさん。
俺は、自分の気持ちをただ吐きだす場所が欲しかっただけなんだ。
そのためにジャッカルさんを利用している。なんて、卑怯で最低なんだ。
だけど、言葉が止まらなかった。
それは俺自身、あの時のことを悔やんでいる証拠だった。


「なあ……どうして俺たちだったんだ?」
「………っ」


引き攣った顔で、自嘲気味に笑いながら言葉を繰り出す。


「あんた、部活の先輩なんだろ……?あいつに、聞いてくれよ……。俺たちじゃなきゃだめだったのか?どうして、お前は何の躊躇いもなく人を殺せるんだよ……」


どんどんと声が小さくなっていく。
きっと、ジャッカルさんはひどく困った顔してんだろうな。
責めたいのか愚痴をいいたいのか、どっちなんだよって。
俺も、自分が何を言いたいのか分からずにここまで喋ってる。
とにかく……何でもいいから吐きだしたかったのかもしれない。
それは俺にも、本当によく分からなかった。
やっぱり俺にはあいつらが……仲間がいないとだめだな……。
こんなにもリズム、狂っちまうなんて……。


「神尾、」


力無しに俯き、震える拳を握っている俺にジャッカルさんはどこか優しげに名前を呼んだ。
見上げようとするより先に、ジャッカルさんの頭は地面に擦りつけられるくらい低い位置にあった。


「本当にすまない!申し訳なさすぎて、お前にかける言葉が何も見つからない……こうして謝ることしか、俺にはできねえ……」


両手を地につけて、ようやくジャッカルさんが土下座をしているのだと気付いた。


「どれだけ謝っても償えるもんじゃないってのは百も承知だ!これでお前の気が収まらないってんなら、俺をいくらでも、殴ってくれ」


俺が何も言わずにいると、ジャッカルさんは地に這いつくばった姿勢のまま頭だけを上げて俺を見上げた。
その目に、嘘偽りはないように見えた。
なんとかこの場を凌ごうというわけじゃない。きっと、本心で……自分が面倒みていた後輩の罪を償おうとしている。


「……もちろん、それだけで許せる罪じゃない」


ジャッカルさんは腹を括ったような声音で言う。
そして、


「命の代償は命で……。お前が望むなら、俺はこの命もお前に委ねる覚悟だ」


揺るぎない目で更に言った。
俺は、そのジャッカルさんの覚悟に触れ、目を丸くしてジャッカルさんを見つめた。
その突き刺さるように真っ直ぐな視線から逃れたくて、俺はふいっと目を逸らした。


「……あんたの命で、切原の罪が消えるとでも思ってんスか」
「………俺一人の命じゃ、とても償いきれねえよ……」


辛そうな表情で言うジャッカルさん。
俺はそんなジャッカルさんを睨むように見て、拳を握る。
それに気付いたジャッカルさんが、殴られると思ったのかきゅっと目を閉じた。
そして俺は腕を振り上げた。

ガッ


「っ………、……?」


鈍い音が耳に聞こえる。
が、特別痛みを感じていないのかジャッカルさんは恐る恐る目を開いた。
そしてすぐ横にあった木に拳を叩きつけた俺を、不思議そうに見る。


「……あんたを殴って殺したところで、仲間は帰ってきてくれねえし、切原が反省するわけでもない」


ひりひりと痛む拳を俺は元の位置まで引っ込めた。
ジャッカルさんは言葉を失っているのか、俺を見上げたままだった。


「立海テニス部の全員の命を差し出すって言われても、俺は人を殺したりなんかしない。あいつと……切原と同じにはなりたくねえからな……」


今にも泣きそうな顔で言うと、ジャッカルさんは心配そうな表情で俺を見つめた。
……なんだよ、その顔。
俺のことまで、心配してんじゃねえよ。


「……悪かったよ、あんたに八つ当たりして。あんたは何も悪くない……そんなの、わかってたんだ……」
「っでも、お前にそうさせてもおかしくないことを赤也は……!」


切なげに言うジャッカルさん。
俺はそんなジャッカルさんをどこか優しい目で見つめた。


「……あんた、その優しすぎるとこ、直したほうがいいッスよ」


言うと、また茫然としたようにジャッカルさんは言葉を出せなくなった。


「あんたに……死んで欲しくないって、思っちまう……」


相手は仲間の仇が慕っていたであろう先輩。
それなのに、こんな気持ちになってしまうなんて。


「神尾……」
「……俺、もう行くッス。なんかいろいろと、すんませんでした……」


言いながら、ポケットに手を突っ込んでジャッカルさんに背を向ける。
何度か呼び止められたが、俺は振り返ることなく歩き続けることにした。


「………なん、だよ……」


残されたジャッカルは、苦しそうに呟いた。


「優しいのは、一体どっちだよ……」


言いながら、拳を地面にたたきつける。
その衝動で目から涙が数粒零れた。
仲間を大勢……理不尽に殺されておきながら。
その原因である人物と近しい……自分に何も咎を与えないなんて。


「っ………」


神尾に捧げるつもりだったこの命。見逃して、助けてもらった、とは思っていない。
だが、どこか……心のどこかを、神尾に助けられた。
こんな状況なのに。
他人のあたたかさに触れ……心が奮えるほど、嬉しくなった。


「最初に出会えたのがお前で……よかったよ」


この絶望的な環境とも言える中。
まだ、人の優しさを失っていない人物がいる。
それが分かっただけで……ジャッカルは、少しでも先の未来に希望を抱くことができた。