No side



なるべく音を立てずに、それでも急ぎながら彼は移動していた。
手には月夜に照らされギラギラ光っている獲物を持って。
その狂気に満ちた光を初めて見た時に起きた眩暈。
ああ、これで人を殺せるんだという、嫌な実感。
だが今彼は無心で走る。迷うことなく一直線に進む。
彼が果たすべき目的のために。
自然と息が上がる。忙しくも規則正しい自分の呼吸音しか聞こえない。
それが走っているからか、これから自分がしようとしていることの緊張なのかは分からない。
知る必要もないと思い、彼は考えると言うことをやめた。
そろそろだと思い、彼は歩みを控えめにした。
夜の森には音が少なく、少しの足音でも敏感な者にはすぐに気付かれる。
息も整え、辺りに気を遣いながら歩みを進める。
すると、前方に夜の森には不釣り合いな金髪を見つけた。
その瞬間、彼の心臓が大きく跳ねる。
それが恐怖なのか緊張なのか興奮なのかはどうでもよさげに。
彼は自分に背を向けている金髪の持ち主に気付かれないように静かに近寄る。
彼の大切な相棒を殺した人物。
この合宿にいる金髪を持った人物は一人しかいない。
その人物は―――――





芥川side



千石と別れてから、俺は一歩一歩を踏み締めながら歩いた。
夜は活動する人物が少ないからか、すごくつまらない。
その退屈さから眠気が襲ってくる。
何度も欠伸が出るけど、寝る訳にはいかない。
寝たら死ぬ。なんて、冬山みたいだなぁ。
って言っても、ちゃんとこの3日間睡眠もきっちりととってるんだけどね。
それでもこの状況への興奮がなかなか冷めず、普段よりは起きていられる。
………でも、そろそろ寝た方がいいかなぁ。
まだ明日もあるし。まだまだ、この森に人はいっぱいいる。
俺は自然と口角が上がってしまうのを感じながら、今夜の寝床を探す。
草葉の陰とか木が密集している地帯とか。
そういう人に気付かれなさそうな場所を探すのは得意だ。
俺は再び大きな欠伸をして、辺りを見回す。そしてふと、何気なく後ろを見た。
そして、目を見開いた。


「っ………!」


そこには誰かが立っていた。
見た瞬間は月が雲に隠れていて誰か確認するのは難しかった。
だけど、雲から月が顔を出した時、月明かりに照らされて相手の顔が見えた。


「お前っ……や、ぎゅう……!?」


見覚えのある七三分け。
月明かりできらりと光る眼鏡。
そして特徴的な、立海のユニフォーム。
確かに、3日目へと日付が変わる前に殺した相手だ。
その相手が急に目の前に現れて、俺は目を見開いて思わず呟いた。
前会った時は悲しそうな顔で何度も何度も無駄な説得を試みていた柳生。
だけど今回は、にやりと笑みを浮かべて俺を見ていた。獲物をちらつかせながら。


「死んだんじゃ……!」


この時俺は、あまりに突然なことに放送で柳生の名前が確かに呼ばれていたことを忘れていた。
まさか殺し損ねたのか、と嫌な予感が過ぎる。


「あなたに復讐するために、地獄から蘇って参りましたよ」


目の前の柳生はすました声と表情で告げる。
有り得ないと思いつつも、目の前に柳生がいることは事実だ。
この際、何故どうしてという疑問は投げ捨てる。


「っ……まあいいCー。もう一回、殺せばいいだけの話だもんね!!」


俺は言いながら、剣を振りかざす。
心臓を一突きされるのだけじゃ足りないなら、今度はちゃんと死んだのを確認するまで切り刻めばいいだけ!
そうしてまずは肩からと狙いを定めると、柳生はナイフを持っている手とは反対の手を俺に向けて振った。
その手の中には砂が握られていて、無数の砂が俺の目の中に入ってきた。


「ぐああっ!!」


多くの異物感に俺は思わず目を瞑り、剣を持っていない方の腕の袖で何度も目を擦る。
瞬間、ドスッと思い衝撃が俺の身体に伝わる。
途端に息苦しくなる。息が、上手く吸えなくなる感じ。
目からはとめどなく涙が溢れてくる。まだ少し砂の混じった目を薄く開いて、自分の胸を見た。
そこには刃物が深く、俺の胸に突き刺さっている光景。
ああ……これ、見たことある。
俺が柳生を……初めて人を殺した時に、見たなぁ。
相手は刃物から手を離し、数歩後ろに下がった。
俺は自分の武器である剣を持つ握力も失い、カランと地面に落とす。
震える手で、今度は相手の武器である刃物の柄に触れる。


「っ………う、っ……」


ああ、苦しい。苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
そういえば昔誰かに教えてもらったなぁ。
人にしたことは、必ず自分に返ってくる。それが良いことでも悪いことでも。
分かっていた、はずだったんだよなぁ……頭では、理解していたつもりなんだ。
だけどどこか他人事のように考えていた。そして今の今まで忘れていた。
こんなにも苦しいものだったんだね。柳生も、同じくらい苦しかったんだね。

「こんなことをしても、あなたも苦しいだけです」

……死ぬ直前まで俺をこう説得していた柳生の言葉を思い出す。
その通りになるなんて……皮肉、だね。
意識が朦朧としている中、こう思い返している時間は1秒となかった。
俺は膝から崩れ落ち、地面にうつ伏せになる。
そしてどんどんと意識が遠のいていくのを……若干の後悔を感じながら、受け入れるしかなかった。





No side



目の前で、復讐相手……芥川が息絶えたのを間近で見ていた柳生の姿を模した仁王。
暗闇のおかげもあって変装もばれていなかった様子。
復讐を果たしたとはいえ、仁王の表情は浮かない。
元々人を殺す意思が無かった仁王にとって、これは確かに喜ぶべき結果ではない。
だが、若干の達成感なら感じていた。これも仁王の自己満足に過ぎないが。


「柳生……やったぜよ、見とって、くれたかのう……」


夜空を見上げ、仁王は悲しそうに寂しそうに呟く。
するとそんな仁王の背後から、足音が一つ聞こえた。


「あ、見つけられたみたいだね。おめでとう」


そこには柔らかい笑みを浮かべた千石の姿があった。
どうやら、芥川の居場所を教えたのは千石らしい。
芥川の会話の後、芥川が来た道を引き返したのは仁王に出逢うため。
ダブルスパートナーが死んだとなれば、復讐という行動に出るだろうというただの予測だった。
………ダブルスの相方への信頼は、どの学校でも同じらしい。
一度は目の前でそれを実感していた千石は、仁王に助太刀しようと思ったわけだ。
それでも、実際に仁王に巡り合えたところは彼の運の強さも影響しているだろうが。


「………ああ」


決して飄々とはしていない、淡々とした祝福。
それを素直に受け取れない仁王は、沈んだ声で応えた。


「武器、役に立ったぜよ。ありがとさん」


そう建前を言いながら、仁王は芥川の胸に刺さっていたナイフを抜きとる。
そして一振り、血を払うとそっと千石へ返した。


「……そのまま、俺を殺そうとはしないんだね」
「いくら俺でもそこまで恩を仇では返さんよ」


素直にナイフを受け取った千石に、仁王は自嘲気味に呟く。
そして去ることなく、じっと正面から千石と向き合った。


「………行かないの?」
「俺にお前さんを殺す理由はないが、お前さんは違うじゃろう?」


目を細めて、仁王は千石のユニフォームを見つめる。
生々しい血の跡。千石も生き残るためにこのゲームに参加していると、出会った当初から思っていた。
そして自分を利用して芥川を殺すように仕向けたことも。
詐欺師として、利用されることに若干の引っかかりはあったものの、それでも仕方が無い。
こうして芥川に出会い、復讐を果たせたのも千石のおかげだからだ。


「もう俺は用無しじゃろう?さっさと殺してくれて構わんよ。元々、最後の一人になるつもりはなかったし。死ぬなら、今日でも明日でも変わらん」


もうすでに覚悟はできているのか、仁王は饒舌に話す。
それをしばらく無言で聞いていた千石だが、人を安心させるような笑みを仁王に向けた。


「俺は君を殺さないよ」
「………」
「結果的に、君を利用したみたいになっちゃったけど……俺は君の無念を晴らしたかったんだよ」


優しく言いながら、千石は自分の鞄の中にナイフをしまう。
それを仁王は無表情のまま見ていた。


「それに俺はもう、正常な人を殺したくない」


悲しげに瞳を曇らせ、千石は呟く。
その呟きを聞いた仁王は、ふっと小さく笑った。


「お前さんは、俺を正常と言ってくれるのか」
「……うん。大切な人を殺されて、怒れるのは大切なことだよ。この状況で、怒りや悲しみを感じられるのは至って正常さ」
「怒りや悲しみで人を殺しても、か」
「………」


その言葉に、千石は何も言わず、頷きもしなかった。
それを仁王は無言の肯定と受け取ったのか、目を伏せた。


「わかったぜよ。俺はもう少し自分の死に様を考えることにする」
「うん。本当は、死んで欲しくないんだけどね」
「それは酷な話じゃな」


そう言葉を交わすと、お互いは薄い笑みを浮かべる。
この場に相応しくない表情だと知りつつも、二人はその表情を残したまま、互いに背を向けて歩き始めた。
二人が別れてから数分としないうちに、ザザーと聞こえた機械音。
そこから聞こえたのは、もう嫌に慣れてしまった冷めた声。


『諸君、大分疲れが溜まっているようだな。だが油断をすることなく、このまま4日目を生き抜けるよう努力をしてくれ。
 それでは、3日目の死亡者の報告をする。
 …青春学園、海堂薫。
 …不動峰中、橘桔平。
 …山吹中、亜久津仁、壇太一。
 …聖ルドルフ学園、木更津淳。
 …六角中、木更津亮、佐伯虎次郎。
 …氷帝学園、芥川慈郎。
 残り25名。以上だ。』


その放送を、木陰で聞いていた千石は眉を寄せ、切なそうに夜空を仰ぐ。


「そっか……亜久津に、壇くん、死んじゃったのか……」


二人がいなくなってしまったことに気を落としたが、あまり深く考えないことにした。
考えたところで、悲しみが増すだけだからだ。


『このバトルロワイヤルも残りたったの2日だ。もう様子見をしている場合ではない。生き残りたいものは本気で、この現実を突破してみせろ』


毎度同じように、放送の主は参加者の闘志を煽るようなことを言ってぷつりとその声を遮断する。
4日目となった森の空気を感じながら、千石は一人呟いた。


「……生き残ってみせるよ。皆の命を、背負ってね」


命を背負うなど、おこがましいことかもしれない。
だが今の自分にできることはそれくらいしかないから。
千石は拳を作り、目を閉じ、束の間の休息をとることにした。










死亡者:芥川慈郎

残り25名。