「……遅いな、橘さん」
「…………」


神尾がそう呟くも、隣で小さくなるようにして座っている伊武は何も答えなかった。
元々暗い雰囲気だが、この合宿……いや、BRが始まり初日の悲劇を乗り越えてから更に元気がなくなっている。
それは神尾も仕方ないとは思っている。むしろ、そうなるのが普通だ。
だが、こんな時に輪を掛けるようにそんなに悲しそうな表情をされると、余計に不安になる。
気をしっかりしなければと決意した、こっちまで気分が重くなってしまうというのが本音だった。


「ちょっと、見に行ってみようぜ」


少しは気分転換になるだろうと、軽い気持ちで伊武を誘う。
最初は気乗りしなかった様子の伊武も、神尾がしつこく誘うので仕方ないといった感じでついていく。
歩くこと、十数分。人知れぬ森の茂みの中。
二人が見つけたものは、


「た……橘、さん……?」


大量の血を流して倒れている、尊敬してやまない先輩の姿。


「橘さん!?」


二人は急いでその姿に駆け寄った。
伊武も、先程の元気のなさとは打って変わり、大声で叫び走った。
周りに誰かいるかもしれない、という考えは二人にはなかった。
ただ、目の前で倒れている先輩を心配していた。


「橘さん……起きて、くださいよ……っ」


まだあたたかみのある橘の身体に触れながら、神尾が辛そうに呟く。
もうすでに絶命していることは、目に見えて分かっていた。
だがそれでも、信じられない。信じたくない。
どうしてこうなっているのか。誰が殺したのか。
ここまでくると、もうそんなことすら気にならない。
大好きな先輩が死んでいる。それだけで頭の中はいっぱいだった。


「っ…………そんな、どうして……」


伊武が絞り出すようにして言う。
ふと見ると、下唇を強く噛んでいるのが分かった。
じわじわと血が滲んでいく。
神尾はそれを見て、さらに心が痛んだ。

………そして、その場で悲しみ……どれくらいの時間が経っただろうか。
重い状況に耐えられなくなった神尾が、


「深司、行こうぜ」
「…………え?」
「早く、ここから離れるんだよ。ここに居て大分時間が経つ。もしかしたら誰か……」
「……そんなに不安なら、一人で行けばいい」
「!?」


言いながら立ち上がった神尾だが、伊武の言葉に驚きを隠せなかった。


「一人でって……お前はどうするんだよ!」
「俺はここにいる。……ここに、いる」


弱々しく繰り返す伊武。
その目は、寂しそうに橘を見つめていた。


「っ、ここに居ても辛いだけだろ……!?」
「だから、神尾は行けばいいって言ってるじゃん……」
「深司、お前!」
「橘さんを一人にしておけないんだよ!」


伊武のこんなにも感情的で苦しげな声を聞いて、神尾は一瞬言葉に詰まった。
その間にも、伊武は続ける。


「……一人で死んだ橘さんを、放っておけるわけない……」


仲間の大切さを教えてくれた先輩。
自分を、自分たちを……暗闇から救ってくれた。
そしてなお、全国という夢も作ってくれた……。
そんな先輩を一人にしておけない、そう伊武は強く思っていた。
だが神尾は、


「っ……だからこそ、俺は辛い……」


伊武の気持ちももちろん理解はしていた。
だが、余計に辛いことを神尾は知っていた。
あれだけ自分たちを大切に思ってくれた先輩の……こんな姿を見せられて。
今にも、発狂しそうだというのに。
ずっとずっと傍になんて……そんなの、気がどうにかなってしまいそうだった。
辛いから、傍に居られない。神尾の心はそうだった。


「……神尾の言いたいことも分かる。だから、一人で行けばいい。もう……皆で一緒に、なんて……無理だから……」
「…………っ」


たくさんいた仲間も、今ではもう二人だけになってしまった。
あれだけ自慢だった……団結力の強さも。
こんな状況になった今は、ただの思い出に過ぎない。
虚しい過去にしか過ぎない。


「わ、かった……。深司、」
「……ん?」
「元気で、な」
「……神尾もね」


そんな、いつも交わすような言葉で別れた二人。
もう二度と、会えることはないと思いながら。
二人はお互いの背を見送ることなく、別々の道を選んでいった。