最悪だ。この環境。
日を追うごとに……この森も、俺の心もどんどん壊れていく。
亜久津さんと別れてからというもの、木陰で休んでは歩き、休んでは歩きを繰り返した。
それでも、なかなか人には会えない。
生きている$l間にはな。
……死んでる$l間なら、何度か見た。
それを見つける度に、俺の心がひどく荒んでいく。
恐ろしい。そう強く思った。
そして同時に、言葉にし難いほどの悲しさが胸をえぐる。
どうしてそこまでして、強く生きたいと願うのか。
他人を殺してまで……どうして。
俺は普段、下剋上の精神を掲げているが、こんなところでそれを貫くつもりはない。
俺がしたいのは、そんな惨めな下剋上じゃない。
正々堂々と、大好きなテニスで……。


「……日吉」
「!?」


立ち止まり一人で考えに耽っていると、背後から誰かに呼びかけられた。
俺ははっと我に返り後ろを向く。
するとそこには、見慣れた人物。
いや……見飽きるくらい、背中を追い続けた人物。


「跡部さん……」


無意識に、その人物の名前を呟く。
そんな様子の俺を見て、跡部さんは笑っていた。
怪しい笑み。でも、決して狂気や殺気は感じない。
だが……既に跡部さんの服は血のようなもので汚れていた。
……その血は最近のものではなく、少し前のものだと分かるくらい色褪せて、遠目で見ると黒色のようにも見えた。
そんな俺の探るような視線に気付いたのか、


「お前はまだ人を殺してないのか?」


跡部さんははっきりと聞いてきた。
俺は言葉に詰まる。
あれだけ憧れていた……いや、目標にしてきた跡部さん。
きっとこの人なら、人を殺せると思っていた。
殺せると言っても、それは勇気ではなく覚悟という形で。
俺は生唾を呑んだ。思ってはいても、実際目の前にすると妙な気持ちになる。


「ふっ、その様子だと殺してないみたいだな」
「……俺は、誰も殺すつもりはありません」
「ほう。じゃあ死ぬのか?」
「…………」


俺の気持ちなんか既に見透かしているくせに。
跡部さんはからかうかのように、飄々と聞いてきた。
誰だって死ぬのは怖い。だから死ねない。だからここまで生きている。
そんなこと、跡部さんはお見通しだ。


「そう怖い顔するな。俺は、お前を殺すつもりはない」
「………どうしてですか」
「お前が狂ってないからだ。俺が殺すのは、このゲームに心奪われた馬鹿だけだ」


俺の問いかけに即答する跡部さん。
狂っていない、か。
俺はじっと跡部さんの服に染みのように残っている血の跡を見る。


「……跡部さんは違うんですか」
「……俺か?」
「はい。人を殺している時点で、このゲームに乗ったと同じことじゃないんですか」


俺は眉を寄せながら跡部さんを見つめ、そう言った。
何も跡部さんを責めているわけじゃない。
この人の……BRに対する見方が知りたかった。


「……ふっ、面白いこと言うな」


だが跡部さんは特に気にした様子もなく、そう笑った。


「俺には、今の跡部さんは狂っているようにしか見えません」


俺は更に言う。さっきよりも強い口調で。
すると跡部さんは笑みを崩し、


「……こんな世界で、綺麗なままで居られる方がおかしいだろ?」


そんなことを言った。
綺麗……それは、人を殺さずに生きることか?
確かに、そんなことは難しい。
最後の一人になるということは、少なからず一人は殺さなくてはいけない。
それを考えると跡部さんの言葉は正論だ。


「それでも、俺は人を殺めたりはしません」


跡部さんが最後まで生き残りたいと思っているかは別として。
この人と俺のBRに対する考え方が明らかに違うことは分かった。
俺は最後の一人になりたいなんか思ってない。
ただ俺は、人殺しになりたくない。
例え相手が見知らぬ誰かでも。
例え自分が殺されそうになっても。
ここには……自分と同じ、テニスで高みを目指そうとした仲間ばかりだから。


「……相変わらず、他人に流されることはないんだな」


俺の意思を受け取ったのか、跡部さんはそう呟いた。
そして、


「だが、最期まで綺麗なままでいられるか?」


俺を見据えるような目で見て言った。
そんな、いつもより眼力の強い視線を俺は同じように見返して、


「俺は自分の人生が終わるその瞬間まで、この手を汚したりはしません」


そう、強い口調で答えた。
一点の曇りもなく、また偽りもなく。
自分の正直な気持ち、正しいと思うことを告げた。
すると跡部さんは何だか満足げな顔をした。


「そうか……。ま、楽しみにしておくぜ」


そう言ったと思えば、俺に背を向けて別の方向へと歩いて行った。
……一体、跡部さんは何を言いたかったんだ。
俺に声をかけたのも、俺に殺す気がないことが分かっていたから……?
跡部さんも、俺を殺す気はなかったみたいだが。


「――――くそ、」


あの人の考えていることが、全く分からない。
俺は眉を寄せ、吐き捨てるようにして呟いた。
そして跡部さんが進んだ方向に背を向け、反対方向を歩いていくことにした。