初日に南部長、東方先輩の死を目の前にしてからというもの、俺の心に何かがぽっかりと空いたような喪失感が生まれた。
しかもその二人は……千石先輩の為に死んだ。
千石先輩が生き残ることができるように。
千石先輩が迷いを捨てられるように。
そう希望を託したんだ。そして千石先輩はそれを受け入れ、俺と別行動をとる結論に至る。
まだ名前は呼ばれていないから、何とか生き残っているんだろう。
きっと、あの人のことだから心配はいらない。
すぐに死んでしまうような、弱々しい目をしてはいなかった。
千石先輩のことはいいとして、俺は自分がこれからどうするかを決めかねていた。
俺はBRのことを聞かされた時点から、自分が生き残ろうなんてことは考えてはいなかった。
南部長と東方先輩の思いを聞いて、それは大きくなるばかり。
でも、あの場で千石先輩に殺してもらうなんてことはできなかった。
少しでも怖いと思っていた。死ぬことに。目の前で二人が殺されて。
自分も同じようになってしまうと思うと……やっぱり、怖くて言葉が何も出てこなくなった。


「はぁ………」


長い溜息が出る。
千石先輩と別れてから、俺は誰かに出逢わないかと昼間は動き回っていた。
だが運が良いのか悪いのか、誰にも出逢わない。
それも何だか寂しい気がする。
初日から何十時間と一人で考える時間があり、俺はやっぱりこの場所に長くいたくないと思えた。
端的に言うと、死ぬ覚悟ができた。
そのため早く誰かに出逢わないかとばかり考え、行動している。
弦に、今も当てもなく歩き回っていた。
でもどうせ、今日も誰とも出逢わずに終わるんだろうな、と考えていた。


「っ、」


木の幹に寄りかかっている、青学の海堂の姿を見るまでは。
俺は思わず身を隠し、遠くから海堂の様子を観察した。
おかしいな。俺は自分を殺してほしいって思ってるのに。
誰かがいると思うと、急に死が怖くなる。あの時の二の舞になる。
息を潜めて、海堂を見る。
だが海堂の奴はぴくりと動く気配すらない。
もしかして死んでいるのではないかとも思ったが、息はしている。
だが目は虚ろでどこか遠くを見ていた。
俺は様子がおかしいと思い、隠れるのを止めて海堂に近づくことにした。


「……おい、海堂」
「…………」


ゆっくりと姿を見せ、声をかけても何の反応もしない。
俺は眉根を寄せ、海堂の目の前まで来た。
そしてもう一度声をかけようと思ったところ、別のことに気付いた。


「(ブーメラン……?)」


海堂の手元にあったのは武器として配布されたらしいブーメラン。
だがそのブーメランの持ち手には、血が滲んだような跡があった。
俺はぎょっとして、海堂の手元を見る。
右手の掌の皮膚が擦れて、そこから血が滲んでいることに気付いた。
そのことから、ブーメランに付いている血は海堂のものだと分かる。


「…………おい」
「!?な、んだ……」


突然、海堂が声を発した。
それは俺の記憶にあるものよりもずっと低く、力の無い音だった。
そのまま海堂は続ける。


「……テニスは、いつになったらできる」
「……は?」
「俺は、テニスをするために来たんだ……」


虚ろ気な目で俺を見上げ言った。
普段マムシと呼ばれ恐れられている威厳は、もうその目に宿ってはいない。
そして手元にあったブーメランを握る。
一瞬、攻撃されるのかと驚いた俺は一歩後ずさった。
だがそんな心配は無用なものだった。


「もう……こんなもので練習なんかしたくねえんだよ」
「……!」


その言葉で俺は気付いた。
海堂はこのブーメランで……練習をしていたのだと。
初日から、3日目となった今まで。
掌が擦り切れて血が滲むくらい、こいつは。
テニスに意識を注ぎ……この世界から逃避していたんだ。
そんな海堂を見ると、俺はなんだか心が切なくなってきた。
思えば……俺はBRの話を聞かされた時からテニスをやりたいなんて気持ち、すっかりと抜けてしまった。
今をどう生きたらいいのか、それだけで頭がいっぱいになって。
希望なんて捨てた方が楽だって。楽しい事なんて忘れた方がいいって。
その方が、全てを諦められるから。


「……テニスなんか、もうできねえよ」
「!…………」
「わかってんだろ。……海堂」


俺は辛い気持ちを抑えて……言い聞かせるように言う。
目を覚ませ。もうここは、現実世界とは完全に切り離されている世界。
あの楽しかった日常はもう戻って来ない。
どれだけ願ったって。
どれだけ欲したって。
もう、戻れはしない。


「…………俺は、」


今までずっと現実から目を逸らしていた海堂は、その目にじんわりと涙を浮かべた。
俺の言葉で……ようやく目の前の世界を直視したみたいだ。


「ただ、テニスがしたい……!」


その切々と絞り出すような声音。
俺はもう聞いていられなかった。
そんな希望、持っていたって虚しいだけだ。


「テニスができねえんなら……こんな、ところ」


俺が何も言えずにいると、海堂はさらに呟くように言葉を発した。
居る意味がない。確かにそう言った。
今まで俺たちが青春の全てを捧げてきたテニス。
海堂の情熱は、きっと他の誰よりも強いんだな。
きっと誰よりも……テニスができないこの現実に絶望している。


「……安心しろ、海堂。こんな世界見なくていい」

震える声で、俺はようやく言葉を紡いだ。
そしてバッグから武器である包丁を取り出す。
その様子に海堂は驚いた風もなく、ただ俺をじっと見た。


「室町、」
「なんだ……?」
「……悪いな」


何もかも理解した海堂は、そう小さく呟いて目を閉じる。
海堂はただ、テニスがしたかっただけなんだ。
人を殺すつもりなんか全くない。
ただ、この悪夢のような世界を見たくないだけなんだ。
……そんな、悲しい奴なんだ。
そして俺は……そんな海堂を救ってやりたいと思った。
同じ志を持った、仲間として。


「…………っ!」


俺は覚悟を決めて両手で包丁を構え、海堂の心臓に突き立てた。
海堂はその重い衝撃に、かっと目を見開いて自分の胸を凝視した。
悲鳴を上げる間もなく……海堂は口からごぼっと赤黒い血を吐く。
それが俺の手にかかるが……そんなことを気にしている余裕はない。
まさか、殺されるどころか逆に殺すはめになるなんてな。
嫌な……感触だ……。
海堂はというと、一瞬は刺された苦しさに顔を歪ませたが。
意識が朦朧とし出すと……この世界から逃れられることに安心を覚えたのか、どこか安らいだ表情になった。

数秒して力尽きたのか、海堂は薄ら目を閉じた。
両手はだらんとして、ぴくりとも動かない。


「………ごめんな」


こんな救い方しかできなくて。
でも俺には、こうするしか他に方法が思い浮かばなかったんだ。
俺は包丁をゆっくりと抜く。
何とも言えない感触を刃物を通して感じる。
この手に一生残ってしまうような、強烈で不快な感触。
抜いた包丁に血が滴っているのも気にしないでバッグに入れた。
そして、楽になった海堂の表情を見て。
俺も早く……楽になりたいと思った。








死亡者:海堂薫

残り31名。