俺は1日中歩いても誰にも会わなかったから、仕方なく木の枝に座って下を見下ろしていた。
すぐにでも、またあの光景を見たかったんだ。
だが、歩き回ってもすれ違いになって時間の無駄だと分かった。
押してだめなら引いてみろ……ってな。
しばらく待っていても、誰も通ってこなかった。さすがに、そんな早く巡り合えるとも思っていなかったけど。
短く息をついて上を見上げると、晴天が俺の視界に飛び込んできた。
清々しいそれは、俺の視界に入ると全く清々しく思えない。
俺はいつだってこの目の裏に焼きつけてあるから。初日の、目の前で見た初めての惨劇を。
あれを思い出すだけで、全身の血流が逆になるんじゃないかってくらい興奮する。やべえ。
もう一度あれを見たいと思う俺にとって、この何も進展のない現実は物足りなかった。


「……あ〜あ、つまんねえ」


残り数の少なくなったガムを噛みながら、ふと下を見下ろす。
すると騒がしい足音と共に、誰かが歩いてきたんだ。
ビンゴ。そう思い思わず口角を上げた。


「っいやだ……怖いっ」


キョロキョロと周りを見て歩いている奴。
その目は、絶望を見ているようだった。怯えて、全身が震えてる。
表情からして……このゲームに悪い意味で振り回されている奴だと分かった。
……ここに良い悪いもあるかは知ったこっちゃねえけど。


「……あいつ」


それにしても、あいつの挙動は不審すぎる。
見てるこっちが心配になってしまうくらい。
あんなに無茶苦茶に棒振り回して大丈夫なのか?
俺の中の僅かな面倒見の良さが動き出した。


「……最初は、その気の奴をやってみたかったけどな」


そして俺はあいつに話しかけようと思ったんだ。
あいつにはこの狂気の中を生き抜くことができないと悟ったからだ。
だったら、早くにでも殺された方がいいだろぃ?
俺は優しいから、お前を救ってやろうと思ったんだぜ。
この醜い……狂気の世界から。
俺がお前を楽に退場させてやるよ。


「よう、六角の葵だっけ?」





そして今現在、俺の目の前に葵が死んでる。
俺が殺した。この手で。
ああ……返り血がついちまったな。べっとりと、生温かい。
でも、それも悪い気がしない。
というより、すげえ満たされた感じがする。


「……っはは。俺、狂っちまったか?」


手についた血に見惚れてるくらいだからな。
だが、こうして実際に人を殺してみて……一つだけ、はっきりと分かったことがある。
俺は人が死ぬことを快感としているわけじゃない。
殺した感触だけを求めているわけじゃない。
この手に纏わりつくようにして付着する、赤い赤い血。
俺はこれを見たかったんだ。ずっと、あの時から。
人が苦しむ姿なんかじゃない。この綺麗で癖になる……血の匂い。
それを俺は感じたかったんだ。
俺の自慢の髪と同じ、色鮮やかな赤を。


「………」


俺はしばらく、その赤を存分に感じた。
辺りに充満する血の匂いを全身に浴びるようにして。
そして俺の中に少しばかり残っていた正気が戻ると、俺は手に持っていた短刀を見つめた。
……短刀って思ったよりやりにくいな。
どうしても近距離になってしまう。それは結局は体力勝負だし、俺に向いてねえ。
どうせなら、銃とか……遠距離で使えるやつが良かったな。


「はぁ……誰か、持ってねぇかな」


そこら辺にいる奴の武器でも奪えば、当たりがあるかもな。
俺は器用に短刀を弄びながら呟いた。


「……そういえばあいつ、何してっかな」


ふいに、脳裏にとある人物が思い浮かぶ。
同時にガムを膨らませようとしたが、上手くできなかった。
ぱちんと情けなく割れてしまったガムを、もう一度口に含み噛み始める。


「……味、無くなっちまった」


あいつなら、何か持ってるかな?


「ジャッカル……」


自分でも知らないうちに、名前を呼んだ。
こうして一人になってよくよく考えてみれば、あいつには結構苦労かけたな。
テニスではいつも我儘ばかり言う俺のサポートをしてくれた。
俺が何か催促すると、文句を言いながらも奢ってくれた。

………会いたい。
会って……今までのことの礼を言いたい。
そういや一度も、改まって礼とか言ったことないしな。
恥ずかしい気持ちももちろんあったし、俺とあいつの仲ならあえて言葉にしなくてもいいとも思っていた。
こういう状況になり、初めてあいつの有り難さを感じたし、感謝もしようと思えた。
だから会って、しっかりと伝えたい。ありがとうなって。

そんで………
俺の手で殺してやりたい。

どうせ一人しか生き残れないんだ。
あいつは優しすぎる。人を殺して、生きようなんて絶対考えねえ。
だから、せめて。
俺の手で……あっちへ送ってやりてえんだ。
他の奴に殺られんなよ?
俺を、捜し出せよ?

ずっと、待ってっからな。