「それにしても、ドリンクを取りに行く時間が長かったように思えたのだが……何かあったのか?」 輪の中に丸井さんも加わったところで、柳さんが心配そうな表情で聞いた。 神田を心配しているというよりは、私のことを心配している……と思うのは、私の思いこみがすぎるかな? まあ、ただ単に自分たちの状況が変わるかという点を心配しているんだろう。 「あ……ううん、何でもないよ……」 その柳さんの言葉に神田は、何でもなさそうな表情には見えない表情を浮かべた。 浮かない表情をしている神田の頬に、仁王さんが手を添える。 「そんな顔しとらんぜよ。何かあったんじゃな?」 「っ………」 優しく聞くと、神田は眉を下げて俯いた。 仁王さんの行動には胸糞悪さを感じるけれども、私も神田が何て答えるかに集中した。 「……夏姫ちゃん……さっきの練習で怪我しちゃったでしょ……?」 「ああ、あれは俺たちが不注意だったからね……」 神田の前でわざとだと認めるわけにはいかないのか、幸村さんがそう口を挟んだ。 「それで、大丈夫?って声をかけたんだけど、無視されちゃって……」 「何だと……?」 悲しそうに笑う神田を見て、真田さんがぴくりと眉を寄せる。 礼儀正しい真田さんには聞き捨てならないことだったみたい。 「あ、でも…喉にも当たったって聞いたから、喋るのが辛いのかとも思ったんだよ」 「梨花子さんは本当に心優しいですね……」 神田の健気な言動に、柳生さんが感嘆する。馬鹿みたい。 「だから無理しないでって言ったんだけど……っ」 ここで辛そうな顔をする。 するとジャッカルさんが放っておけないと言いたげに神田の肩に手を置いた。 「……大丈夫か」 「あ…ありがと……でも、大丈夫だよ……」 そのジャッカルさんの優しさを笑顔で受け取ると、神田は話すことを決めたのか口を開いた。 「自分が帰ったら、部活が回らないって……私がっ、仕事できないからって……」 震える声で言うと、いつもの泣き真似が始まる。 私ですら見飽きたというのに、姉の頃から見ているあいつらは飽きないのだろうか。 それにしても驚いた……神田の言っていることは大まかだが合っている。 話だけを聞くと私もれっきとした虐めっ子なんだと錯覚してしまう。なんて、冗談。 そんな錯覚するのは……前しか見てない猪突猛進の馬鹿だけ。 「っあいつ、また……!」 それを聞いた馬鹿No.1の切原は怒り心頭といった様子で眉を寄せ、拳を握る。 また昨日みたいに私を殴りに行くのかと思った丸井さんが切原の腕を掴む。 すると切原はその手を乱暴に振り払った。 「っ……!」 驚いた丸井さんは思わず切原を見る。 切原は……あまり表情は見えないけど、丸井さんを睨んでいるようにも見える。 どうやら切原は相当な神田信者みたいね。 未だに丸井さんを味方≠フ認識にできないでいる。 「……別に、あいつんとこには行かねッスよ」 そして何か小さく呟いた。 あまりにも小さいため、私のところまで声は届いてこない。 でも丸井さんは少し安心したような表情だから、落ち着きを取り戻したと思える何かを言ったんだろう。 「……………今は」 切原は丸井さんだけではなく、他の先輩にも背を向け、ラケットを手に持つとコートに入った。 丸井さんは驚いたように切原を見て、その背中を見送る。 一体何を言ったのか……それは比較的近くに居た神田にも聞こえていなかったのか、きょとんと切原を見ている。 「もう休憩終了時間だね。それじゃあ、練習再開しようか」 切原の行動を受け、幸村さんが時計を見るとそう声をかけた。 それを聞くと、各々がラケットを持ち体を解し始める。 後半の練習に移ろうとする大勢の姿を最後に、私は視線をマネ室内へと向けた。 せっかくの休憩時間だというのに、無駄に神経を使ってしまった。 ……まあ、切原に言わせてみればずっと部室にいる私は休憩三昧なんだろうけど。 大きく溜息をつくと、掃除ロッカーを見る。 さっきは神田に邪魔されてできなかったし……やっぱり掃除でもしようかな。 神田はしばらく外で応援してるだろうし。 あいつらのお望みどおりソファでふんぞり返って寝るのもいいけど、部活中は気を緩ませたくはない。 そう決めると、私は掃除ロッカーに向かう前に自分のロッカーに向かった。 「……待たせちゃってごめん」 そして鞄の中に大事にしまった、姉からもらったネックレスを取り出す。 スマッシュ練習の時に、念のために外しておいたもの。 陽に当たってきらきら綺麗に光るネックレスをしばらく見つめ……また首につけた。 目ざとい神田に見つからないよう、ユニフォームの中に隠して。 「お姉ちゃん、私頑張るから……」 そっと服の上からネックレスに触れる。 やっぱり、つけていると安心する。姉がついてくれているのだと心強くなる。 しばらく優しい気持ちになると、見たくもない現実を直視するようにして視線を逸らした。 掃除ロッカーから掃除用具を取り出し、時間を潰しがてら掃除をし始めた。 「ふう……」 あれから1時間30分後。……部活終了まであと30分。 私は誰にも邪魔されることなく、ゆっくりとマネ室で過ごすことができた。 平日の部活と違って、あまり時間に追われることなく練習できるからか、部員たちはめいっぱい練習に打ち込んでいる。 まあ、腐っても王者立海といったところかな。 それにつられるように、神田も日陰からとはいえ、休まず応援をしている。 ……応援以外にやるべきことはいくらでもあるのに。まあ…部長の了解済みだからいいんだろうけど。 そんなあいつらのための、練習後のドリンクも既に冷やしてある。 だけど……うん……神田もドリンクのことは忘れていないのか、きっと近いうちに部室に戻ってくる。 ドリンクを作る時間を考慮しての、アリバイ工作をしに。 私が作ったドリンクを神田が運び、あいつらは美味しいと感想を言う。 私の作ったドリンクを美味しいと言わされてると思うと、なんだか皮肉にも思えた。 ま、あいつらは神田が運びさえすれば何でも神田の味≠ネんだろうけど。 そんなくだらないことを考えていると、部室のドアノブが回される音が聞こえた。 ふと窓の外を見ると、さっきまであった神田の姿がない。 やっぱり、戻ってきたんだ。 「……はぁーあ、暑かった」 マネ室に入ると同時に、そう愚痴を漏らす。 ぱたぱたと手をうちわ代わりにしながら、神田は私には目も向けず冷蔵庫へと向かった。 そしてドリンクが冷やされてあるのを確認すると、神田は同じように冷蔵庫で冷やしていた自分の飲み物を取り出し数度口をつける。 「こんな陽の当らない部屋で、のうのうとしていられていいわね」 飲み物を再び冷蔵庫にしまうと、神田は汗を拭きながらそう言った。 陽の当らないと言っても、クーラーのついていないこの部屋の温度も結構高いんだけど。 私は汗かきなほうではないし、今もそんなに汗をかいていないから、神田には快適に過ごしていると思われたらしい。 「それほどでもないですよ。梨花子先輩も効果のない無駄な応援をして汗をかくより、ドリンクを作ったり洗濯したりして実用的な汗をかいたらどうですか」 神田の言葉に、私も意地の悪い笑みを浮かべて答える。 その態度にムッとしたのか、神田はじろりと私を睨むと、すたすたとソファに移動して座った。 「ちょっと前まで、猫被ってた時からは想像できない台詞よね」 そして頬杖をつきながら私を見上げて言う。 神田のその言葉は、私でも確かにと思った。 私が、穏やかで気の良い人物を演じていた時……つまり、姉。 姉は今みたいなことを絶対に言わない。 誰よりも仲間のことを応援していた姉が絶対に言わない台詞。 そんなこと神田に言われなくても百も承知だ。 「猫を被ってるだなんて、そんな……私は、今の方が心を鬼にしているだけですよ」 「そんなくだらない冗談、もういいから」 薄い笑みを浮かべて言うと、食い気味に神田は言った。 そしてわざとらしく溜息をつく。 「ここで逆ハーレムを狙いにきたって素直に言えばいいのに。それが上手くいかなかったからって、言い訳が見苦しいのよ」 ふんと鼻を鳴らし、神田は目を細めて私を見上げる。 それが狙いなんかじゃないと、いつになったら気付いてくれるのか……。 神田が気付く頃には、私の復讐が終わってる、なんて想像が安易にできて……なんだか笑えない。 「私に言う前に、梨花子先輩が素直になるべきですよ。私の逆ハーレムを守るために間宮夏姫を追い出して、って」 言うと、神田は不愉快そうに眉を寄せ……でも何も言うことなく私から目を逸らした。 何かを言えば何か不快な言葉が返ってくる。 ようやく神田も学習したのかと、私も神田から視線を逸らした。 そしてしばらく、ゆっくりと時間が流れるのを感じた。 神田という嫌な存在が居るからか、一人でいる時よりも時間の流れが遅く感じ、大変不快だった。 結局部活終了間際まで神田はマネ室に居座ってた。 何を話すわけでもなく……途中から、何やら携帯をいじっていたから暇を持て余してたわけじゃなさそうだったけど。 「さてと、じゃあそろそろドリンク配りに行こうかな〜」 ぱたんと携帯を閉じ、立ち上がり伸びをする。 ようやく視界から神田が消えてくれると思うと、早く出て行けと、思わず心の中で吐き捨ててしまった。 神田は宣言通り、ドリンクをいつものようにトレイに乗せると何も言わずにマネ室を出て行った。 その姿を見届けると……私は緊張の糸が解けたように息を吐く。 「終わった……」 とりあえず、今日という1日が終わった。 この嫌な空間から解放される……しかもこれは、今一瞬だけの解放感ではない。 丸井さんも部活後はあいつらと帰るみたいだし……正真正銘、私一人だけの時間がもう少しするとやってくる。 それを思うと、本当に気持ちが軽くなった。 外では幸村さんが部活終了の号令をかけ、各々が片付けを始めている頃。 私はレギュラーたちが来る前に着替えを済ませてこの場から去ろうと思い、急いで着替える。 しばらくはコートの片付けや備品の確認があるため、部室には来ない。 それに、あいつらにとっても私はいない方がいいだろうから。 着替えを済ませると、私はさっさと部室から出た。 そしてあいつらに気付かれないようにテニスコートを離れる。 移動中、少し前と同じようにレギュラーたちの輪に居る丸井さんを見つけた。 ジャッカルさんや仁王さんに話しかけられ、未だあのことを引きずっているように見えるけど、何とか笑っていた。 ……やっぱり、丸井さんにはその中に居るのがお似合いだった。 見て見ぬ振りをして、ぬるま湯につかっているような場所で、何かを忘れようと必死な笑顔を浮かべる……それが、あなたにはお似合いだよ。 無理して私を助けようとしなくていい。私の邪魔なんかもうして欲しくない。 「あんたも……私に復讐されるの、ただじっと待ってればいいよ……」 能天気に笑っていられる、あんたの大切な大切なお仲間と一緒に。 ×
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