保健室では、理由を聞いてくる先生の言葉を無視し、湿布だけもらってきた。
それを一番ズキズキ痛む足首に貼る。
……やっぱり、ノーバウンドで飛んでくるテニスボールの威力は凄い。
赤く腫れてきてしまった。


「ちっ……」


歩く度にやはり痛んでくるそれを見て、私は忌々しげに舌打ちをした。
何も、切原だけに向けたものではない。
あれだけ我慢して、耐えて……身体的にではない、精神的に。
それなのに何も得られなかった、結果について私はイラついている。
丸井さんさえ、勝手な行動を起こさなければ。
逃げるようにあのコートから立ち去らなければ……。
少しでもあいつらに罪悪感を持たせてやることができたかもしれないのに。
どうしてここまで耐えるんだと、僅かでもいい、違和感を与えられたかもしれないのに。
考えれば考えるほど苛々してくるため、私は頭を振ってその苛々を振り払う。
そしてテニスコートまで戻ってきた。
足を引きずって歩く姿を見られるのは癪なため、背筋を伸ばし、気丈な足取りで部室へと向かう。
コートではスマッシュ練習は終わっているのか、試合形式の練習をしていた。
そのため、神田はタオルを用意して応援している。


「………はぁ」


その能天気にも見える姿を見て、私は少しだけ脱力した。
だが部室から出てってくれたことは有り難い。
私はスタスタと、なるべく部員たちに気付かれないように部室へと向かう。
それでも数人の部員たちには気付かれてしまい、なんだかコソコソと話をしていた。
私は気付かない振りをして部室を目指す。
あと少し。あと少しで、私の安息が手に入る。
そういった気持ちで部室を目指していたが、途中で邪魔が入った。


「間宮」


部室のドアノブへ手をかけようとした瞬間だった。
そう背後からかけられた声に、私は一瞬眉を寄せたものの、振り返る頃には柔らかい表情を作った。


「なんですか、柳先輩」


目線が高い位置にある柳さんの目を見つめる。
落ち着いた声で私を呼び止めたのは、少し浮かない表情をしている柳さんだった。


「少し話をしたい。……ここではなんだから、中へ入ろう」


全く、次々と鬱陶しい……。
嫌ですと心が全力で拒否する中、私は笑顔を作って「はい」と頷いた。
再びドアノブへ手を伸ばすも、私より先に柳さんがドアノブを掴み、ドアを開けた。
そして入るよう促され、「ありがとうございます」と一礼して先に部室に入る。
私に続いて柳さんが入り、ドアが閉められると……部活の喧騒が少しばかり遮断され、静かな空気が流れた。


「……体が痛むだろう。座ってくれ」
「………では、お言葉に甘えて」


柳さんがそう口を開き、ソファに座るよう促す。
あいつらの使っているソファになんか座りたくもなかったが、辛いのは確かなため、諦めた。


「柳先輩もどうぞ」
「いや……俺はいい」


建前で言ってみると、柳さんは首を横に振ってそう言った。
遠慮しているというよりは、私に気を遣っている意が強い。
一応、怪我をさせてしまったという程度の認識はあるってことなんだろうか。


「……さっきはすまなかったな。予想以上に、手荒なことに……」
「いいんですよ。練習なんですから」


笑みを浮かべて言うと、柳さんの言葉が止まる。


「王者立海と呼ばれているんですから、練習もあれくらいしないと……」
「あれが練習だと、本気でそう思っているのか?」


今度は柳さんが私の言葉を遮った。
ちらりと見上げてみれば、不満なのか、不愉快なのか……柳さんは眉を寄せている。


「練習を手伝ってくれと言ってきたのは、先輩たちですよ」
「っ、それは……」


そう言うと、柳さんは困ったように口をつぐんだ。
私はさらに言葉を続ける。


「ごめんなさい。練習、最後までお手伝いできなくて……私が少し鈍くさかったせいで、丸井先輩に心配までかけてしまって……」


心にもないことをつらつらと紡ぐ。
そうするのは、もう得意になってしまった。
でも、この言葉に騙されてくれるほど柳さんは単純な人ではない。


「間宮、もう嘘を言うのはやめてくれ」
「………」


柳さんは真剣な表情で、私を見据えた。
私は表情から笑みを消して柳さんを同じように見つめ返す。


「お前の様子がおかしいことなど、とっくに分かっていることだ……。きっと、最初に見せていたお前の姿が偽りだったのだろう」
「………ようやく気付いてくれたんですね」


眉を寄せて言う柳さんの言葉に、私は無邪気に笑ってみせる。
だがすぐに表情を冷たくして、


「だから何だって言うんですか?」


睨むように柳さんを見つめた。
そうすると、柳さんは驚いたように目を開いて私を見た。
なんだ、ずっと閉じているわけじゃないんだね。


「私は私なりに、皆さんにわかってもらおうと態度を変えているだけです。言いましたよね?私が皆さんを正してあげますって」


昨日、切原を叩いた後にそう言った。
幸村さんその他にとっては、ただの強がり、言い訳にも似た言葉に聞こえただろうけど。


「私が変わったと言うのなら、それは先輩たちのせいですよ。私だって、前みたいに部活をしたいです」


勘の良い柳さんのことだ。
妙に態度を露出させて、嗅ぎ回られるのは気に障る。
なるべく姉との関係を悟られないような言動をとらなければ。


「俺たちのせいか……そうかも、しれんな」


ようやく発せられた柳さんの言葉は、どこか自嘲気味だった。


「今更言うのも意味のないことだが……さっきの練習にお前を呼んだのは、人手不足だからではない」
「……例によって、私をテニス部から追い出すためですよね」


そんな分かり切ったこと。
だが柳さんが言いたかったのは、そんなことではないらしい。


「その件については、本当に申し訳なく思ってる。すまない。……だが、俺が言いたいのは練習の真実などではなく……むしろ、お前に聞きたいんだ」


言うと、また真っ直ぐ私を見つめた。


「なぜ、さっきの出来事でお前は逃げようとしなかったんだ」


どこか責めるような態度を滲ませている。
私は無言で柳さんを見つめていた。


「ああいったことは、俺はしたくなかった。……だが、どうしても部活を辞めないお前が身を引いてくれるのならと、俺はそう願いながら……実際にお前を誘った」


確かに、私に手伝いを頼む時の柳さんは様子がおかしかった。
まさか、私の退部を願っていたとは知らなかったな。いや、テニス部全員、学校全体がそうすることを願っているのか。


「だが、お前は逃げなかった……。なぜだ?あそこまで傷つけられているというのに……どうして、逃げてくれないんだ……」


切なそうに呟く柳さんを、私は無表情で見上げていた。
これから起こる虐めによって傷つけさせないために、傷つくことを前提にした力ずくの方法で退部させるなんて……矛盾しているのだとこの人は気付かないのだろうか。


「逃げたらそれで終わってしまうじゃないですか」


復讐が。……なんて、そんなことは冗談でも言えない。


「何をしても無駄ですよ。私は逃げません。あなたたちが自分の間違いに気づくまでは……」
「っ……」


さらっと答える私の言葉を聞いて、柳さんは複雑そうに眉を寄せた。


「それでも追い出したいというのならご勝手に。どんな手を使っても構いませんよ。幸村先輩にもそうお伝えください」
「間宮……!」


冗談でもそういうことを言ってほしくないのか、真面目な柳さんは少々怒った様子で口を開く。


「どうして怒るんですか?柳先輩も、私を追い出したいんでしょう?」
「俺は、」
「柳先輩も梨花子先輩を守りたいと思ってるんでしょう?だったらもうこんなところにいないで、梨花子先輩に会いにいったらいいんじゃないですか?」


柳さんが無口だからか、自分でも驚くほど饒舌になる。
丸井さんと話している時は、こんなに喋っていないと思うんだけど。


「………間宮、お前は本当に、梨花子を虐めているのか……?」


それと似た疑問を、以前にも聞いたことがある。
神田がタオルをひっくり返した出来事が私のせいにされた時、柳さんがあとから言ってきた。
本当にお前がやったのか?と。
今言った疑問は、それと同じだよ。


「それは、先輩自身が思う結論を出してください」


だから私も、あの時と同じ返答をする。
そのことに柳さんも気付いているのか、切なそうに眉を寄せた。


「私は、皆さんに自分で気付いてほしいので」


言うと、私はすっと立ち上がりマネ室へと向かう。
柳さんは私にかける言葉が見つからないのか、はたまた絶句してしまっているのか……どちらにせよ、呼び止めることはなかった。
呼び止められても立ち止まる気はなかったため、私はさっさとマネ室に入る。
そしてようやく一人の空間に触れることができ、そっと溜息を吐いた。