「部室でくつろいでる中、悪いね」


微動だにしない幸村さんの笑み。
その口から放たれたのは、若干の嫌味を交えた歓迎の言葉だった。


「いえ……。ちょうど私も、見える形で皆さんを手伝えたらと思っていたのでよかったです」
「今更何を言った所で、言い訳にしか聞こえんぞ」
「そう思ってもらっても結構です。球拾いは氷帝でもやったことがあるので、いくらかお役に立てるかと思います」


真田さんの切り捨てるような発言にも、穏やかに返してみる。
内容は全くの嘘だけど。
氷帝には腐るほど部員がいるのだから、わざわざマネに球拾いをやらせる必要なんてない。
どうやらそのことには頭の良い柳さんは気付いたのか、少し眉を寄せていた。


「へー。ま、氷帝の温そうな球拾いやってたからって何の自慢にもなんねえよ」


切原が冷めたように言う。
だが、次の瞬間どこか鬼畜さを滲ませた笑みになり、


「すぐに根を上げんなよ?立海の球拾いはきついぜ?」


舌なめずりをしながら言った。
はあ……。ただの球拾いで何を言っているのやら。
なに?球拾いハード自慢でもしたいわけ?
と私は馬鹿にしたような言葉を心の中で並べながらも、無言で切原を見つめた。


「まあまあ赤也、そろそろ休憩は終わりじゃきに。さっさとコートに入りんしゃい」


そんないきり立つ切原にどうどうと声をかけたのは仁王さん。
仁王さんは特に代わった様子はなく、いつも通りという感じだった。
そして練習をする者、球出しをする者と分かれてコートにスタンバイする。
神田は幸村さんに言われて丸井さんと一緒に倉庫からボールを追加で持ってくるように頼まれたようだった。
丸井さんが相手に選ばれたのは、やはり遅刻のペナルティなんだろう。
球拾いをする部員たちもスタンバイをする。
私も同じだった。ただ、図られたように私が拾う球は切原が打つものだったけど。
でも、こんなの予想通り。


「それでは、開始だ!」


真田さんの合図により、スマッシュ練習が始まる。
ラケットを持って構えた部員が、球出しする部員から放たれたボールを打ちコートにある印を狙うという練習。
威力でなく、コントロールを鍛えるための練習だった。
私が拾うテニスコートの練習者するのは2組。切原とジャッカルさんと、知らない部員同士。
対する球拾いは1組に対して2人。私と、他の部員。
開始してから数分、切原は球出しをするジャッカルさんの球を、多少の誤差はあるものの印に向けて鋭いスマッシュを突き刺す。
流石は立海の2年生エースなだけある。私はそう思いながら転がった球を拾っていた。
そして、適度な数ボールが転がり出した時、あいつは動き出した。


「うらあっ!」


バコンッと良い音を鳴らして放たれた球が、しゃがんで球を拾っている私の真横を通って言った。
シュッと音が聞こえてしまうくらい、近くを。
私がしゃがんでいたのは印とは離れた場所だったから、切原は印を大きく外した場所に球を打ったことになる。


「っと、しまったー。的外しちまったぜ」


まるで悪びれていない様子の切原は、へへっと笑いながら言う。
……的、ねえ。


「今度こそっ!」


言いながら、渾身の力で放たれた切原のスマッシュ。
それはまた印とは離れた場所に到達する。
そしてそのバウンドした球は、何の遠慮もなく私の左肩に直撃した。
私は思わず、集めていた球を全て落としてしまった。
切原の奴……急にコントロールが悪くなった。………というわけでは、決してない。
いやむしろ、コントロールは良いままだ。


「おー悪いなー間宮、当たっちまったな」


今の切原にとって、私が的なんだから。


「全く、赤也はコントロール悪いのう」
「すんまっせーん。俺、細かい作業苦手なんで」
「しょうがないな、赤也は……。赤也はそのまま練習続行だね」
「うえーマジっすかー」


本来ならば、球出しをしているジャッカルさんと交代するはず。
だが、わざとらしく理由をつけて、幸村さんは切原に練習続行の命令を下す。
それに対して切原はほぼ棒読みで悔しさを表現していた。
本当は全て思惑通りのくせに。
私を痛めつける、レギュラーだけではない、他の部員を含めた公開虐め。
……丸井さんが私にコートに来るなと言った理由はこれ。
姉の時も、同じようなことがあった。
……まあ、姉の時は球拾いなんて名目はなく、苛々していた切原が突然やったみたいなんだけど。
虐めの内容のバラエティの少なさ……姉と同じようなことをすると思ったから、私も覚悟の上でテニスコートに来た。
目だけでテニスコート全体を見てみる。切原のしていることに気付いた部員たちは互いに顔を見合わせつつも、練習を続けている。
心配しているような表情を浮かべる奴はいなかった。全員、「またか」「自業自得だろ」といったような表情をしてる。
そして、噂を確信へと変える。
新しく入ってきた2年マネージャーは神田を虐めていた。だからこんなことになっているんだと。


「でりゃあっ!」


勢いづいたのか、更に力を増した切原のスマッシュがコートに、私に突き刺さるようにして届く。
……幸いなのが、バウンド後に直撃することかな。
これがノーバウンドだったら、きっと痣になるだけじゃ済まされないような気がする。


「うっ……」


スマッシュが手首に当たり、私は思わず小さく声を漏らして手首を支えた。
ただでさえ硬式のテニスボールは硬いっていうのに……スマッシュの勢いがプラスされると本当、凶器みたいだ。


「あーまた当たっちまった。ちゃんと避けろよなー。俺が悪いみたいだろー?」


言いながら、にやにや笑ってる。
そんな切原を無言で睨みつけながら、ふとジャッカルさんを見る。
突然目が合ってしまったジャッカルさんは、すぐに目を逸らした。
……どうやら、切原と違って少しばかり罪悪感のようなものがあるみたいね。
監視している幸村さんを見ても、当然の報いだと言わんばかりに見て見ぬ振りだった。
真田さんは、ずっと難しい顔をしている。多分、やり方に不満があるんだろうね。それでえも止めないってことは、認めていると同じこと。
まあ、実際のところスマッシュ練習なんだから少しばかり球が当たっても仕方がない。
しようと思えば避けられる。それをしないお前が悪い。……もし私が文句を言っても、そんなことをのたまうんだろう。
そしてそんな二人の隣でデータを取っている柳さんを見る。やはりその表情は優れず、深く眉根を寄せて私を見ては、何か言いたげにしていた。
心配ともとれる表情をしている柳さんに向けて、私はささやかな笑みを送る。
柳さんは驚いていた。何故笑うのかと、今にも声を大にして問いただしてしまいそうな、そんな様子にも見えた。


「っ!!」


ふと柳さんにばかり気を取られていたからか、急に足首に激痛が走った。
……切原のスマッシュが、ノーバウンドで直撃したからだと、すぐに分かった。
私は痛みで立っていられなくなり、思わずしゃがみ込む。
ずきずきと、鈍い痛みが響く。


「おいおい、お前、どんだけ球拾い下手くそなんだよ。やっぱ氷帝の練習って生温いんじゃねーの?」


ネット付近まで歩み寄ってきた切原が、嘲笑いながらそう言い放つ。
その挑発にはかちんともこなかった。でも、氷帝についてまで悪く言われたことについて、少しばかり自分のさっきの発言を後悔した。
だが、今はそれを嘆いている暇はない。
私は足首の痛みで滲む汗を悟られないように、切原を見上げる。


「……そう言う切原くんも、さっきから印外してばかりだよ。コントロール、思っていたよりも悪かったんだね」
「っ何を……!」


私の挑発には簡単に乗ってくる切原。ネットを越えてこようとする切原を、それはやめろと言いたげにジャッカルさんが止めた。
ふうん、直接攻撃は止めさせるんだ。まあ、こんな目立つ場所だもんね?
やっぱり問題になるのが嫌なんだろう。そんな気持ちが見え見えだ。
やるなら、部室の中でこっそりと。……それが立海男子テニス部のやり方だ。


「っ、はぁ……」


何とか痛みを紛らわそうと、ふっとコートの外を見る。
そこにはいつから居たのか……丸井さんがきゅっとフェンスを握り、私を見つめている姿があった。
……どうやら球の補充は終わったのか、神田の姿はない。
この光景を見せないために、幸村さんが球を運び終えたら部室に居るようにとでも言っていたんだろう。
神田はレギュラーたちと触れ合いたいのだから、傍に居させておけばいいのに。


「間宮……!」


丸井さんの悲痛な叫びが聞こえる。
その声を、私はあっさり無視してゆっくり立ち上がり、近くに転がっていた球へと手を伸ばす。
するとその球は、新たに放たれた球によってビリヤードのごとく遠くへとはじかれた。


「……どうだよ、コントロール、悪くねえだろ?」


狙っていたのか、切原が怒りを押さえた声でそう言ったのが聞こえる。
私への攻撃は止めないままでも、舐められたままというのも嫌だったみたい。
とんだ負けず嫌いだ。そして、面倒な性格をしてる……。
でも、負けず嫌いは私も負けていないから。
それから数分、互いに負けず嫌いの戦いを続けた。
そんなに長くない時間の中、何度球に当たっただろうか。
球の全てを私にぶつけているわけではない。偶然を装えとでも幸村さんに釘を刺されているのかは知らないけど。
これがか弱い普通の女の子だったら、いつ当たるか、どこに球が来るのかという恐怖でたまったもんじゃないだろうね。
私は特に避けもせず怯えもせず、当たる時に当たり当たらない時には当たらないという気まぐれな行動に移った。
そのせいか、一度だけだが頬にも当たった。その時に歯が頬の内側を噛み血豆ができた。
それでも私は球を拾う。
もうスマッシュを打つ切原も疲れているように見える。
はあ、はあと息を荒げるのが遠くからでも聞こえた。


「なんで、そこまで……」


丸井さんはいつの間にかコート内に入って、茫然と立ちつくしていた。
その隣では、仁王さんが怖い顔をしている。
その更に隣では、柳さんが俯き、真田さんと幸村さんが眉を寄せて私を見ている。
数回当たれば逃げるとでも思っていたんだろう。茫然としているその顔は見ていて少し面白い。


「………っこの!」


ここまできたら切原も意地のようで、自分勝手にやめることはしなかった。
そして放たれた球。私も球が当たった場所がところどころ痛むが、絶対に逃げたりはしない。
姉だって逃げなかったのだから。


「っ!!」


今までは、急所は避けようと球の当たる位置を微妙にずらすことができていた。
だけど疲れからか球の速度を見誤り、避ける前に球は私の喉元の少し下……鎖骨の少し上にバウンドした球を喰らった。


「っ……けほっ……!」


その衝撃が、今までの球の打撲の痛みと重なり私は思わずコートに膝をつく。
喉元に近いところに当たったというのもあり、呼吸が苦しくなり何度かむせた。


「(……ああでも、やっぱりペンダント、外しておいてよかった)」


少し前まで首に提げられていたペンダントのぬくもりに触れるように、そっと首元を撫でる。
そしてげほげほと何度もせき込み、立ち上がろうと力を込める。
このままコートでじっとしていたら、それこそ都合の良い的になってしまう。
一方的な攻撃になる前に、立たないと……。
そう思って震える手をコートにつけると、急に辺りが暗くなった。


「もう、やめろよ……!」


でも一瞬にして、それは丸井さんが私と切原の間に立ったからだと分かった。
庇うようにして立っている丸井さんは、切原の視線だけでなく日差しからも、私を守っていた。
日差しに当たって、丸井さんの赤い髪がキラキラと眩しい。
自分がしゃがんでいるからか、何故か大きく見える丸井さんの背中を私は鬱陶しげに見上げた。


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