私が部室に入り、マネ室でドリンクを作ろうとしたとき、丸井さんらしき人物が部室へと入ってきた。 その足音は少し躊躇いながら、私のいるマネ室のドアをノックした。 「間宮、いるんだろ?開けるぜ」 既に外に神田その他が揃っていることは確認したのか、そう言ってドアノブを捻る。 ……無視をしても問答無用で入ってくるなら、ノックなんかしないでよ。 「はぁ……なんですか、丸井先輩」 大きな溜息をつき、嫌悪感丸出しで丸井さんを出迎える。 それに気づいてはいるものの、怯もうとはしない丸井さんはじっと私を見た。 「遅刻ですよ。さっさとコートに行かないと、真田先輩の鉄拳とやらが飛びますよ」 しれっと言い、丸井さんを無視するようにドリンクを作り始める。 「………ドリンク、作ったところで梨花子に利用されるだけだろ」 「作らなかったら『仕事してない』の一言が返ってくるだけです」 材料の分量を確認しながら、丸井さんには目を向けることなく言葉を放つ。 本当は会話なんてしたくもないけど、黙っていた所で丸井さんがここに留まる時間が長くなるだけ。 そうするとおかしいと思ったジャッカルさん辺りが部室に様子を見に来るのが予想できて、余計面倒なことになる。 だから仕方なく、口だけで丸井さんの相手をする。 「お前がどうしてもマネを辞めないってんなら、俺も手段を変える」 何かを決意したように、私から視線を逸らさずに言う丸井さん。 私はちらっと一瞬だけ丸井さんを横目で見て、手を休めることなくドリンク作りに専念する。 「部活の間、絶対に部室から出るな」 「……それだと洗濯ができないんですけど」 「あ、いや……違うな。テニスコートには、入ってくるな」 冷たく言い返すと、丸井さんは少し困ったように言葉を変える。 ふうん、なるほど。 手段を変えるっていうのは、そういうことね。 私をテニス部から遠ざける、という根本的な解決を図るのをやめたんだ。 それで、次に起こり得る可能性から消していこうとしているんだ。 「部活の邪魔をするなってことですか」 その丸井さんの小さな親切を、私は歪んだ解釈をして返事をする。 すると丸井さんは大きく首を振って否定した。 「コートに出ると、その……いろいろと、危険だからよ」 詳しく言いたくないのか、言葉を濁す丸井さん。 でもそれは私にとっては無意味だった。 何故コートに行ったら危険なのか、その理由を私は知ってる。 まあ、その理由が何なのかは後にするとして。 「わかりました。わかりましたから、早く出て行ってください」 ドリンクを作り終えたところで、丸井さんを一瞥してそう告げる。 表だけの納得を一緒に添えればこの人も安心するだろう。 案の定、自分の忠告を受け入れてもらったと思った丸井さんはすぐに引き下がった。 「あ、ああ。頼むな」 少しばかり安堵したような表情。 単純だなぁと思いつつ、私は出来上がったドリンクを一つずつ冷蔵庫に冷やしていく。 「それと……最後に一つ、」 ようやく出て行くと思っていたら、丸井さんはそう言った。 面倒に思いつつ、仕方なく丸井さんを見る。 「お前……は、俺のこと、嫌い、か?」 それは全く予想外の言葉だった。 思わず「はぁ?」と言ってしまいそうになるのを堪え、無表情を貫いた。 急に何を言っているんだこの人。 好かれているとでも思っていたんだろうか。 「好きにでもなって欲しいんですか?」と憎たらしいことを言って丸井さんを困らせてやろうかとも思ったけど、話が長くなりそうだからやめた。 「ええ、嫌いです。自覚されていたんですね」 迷わせることは言わず、はっきりと結論を述べた。 すると丸井さんは若干傷ついたように眉を寄せる。 「……どうして、だ?」 「………」 「俺が以前の虐めで秋乃を助けてやれなかったと知ったからか?それだったら、俺はもう逃げない。絶対にお前を助けてやる。お前を守りたい」 「………」 「確かに、前回のことがあるから俺を信じられないのも分かる。それで、俺を疑って……拒絶するのも分かる」 切ない表情で、必死に私に伝えようとする丸井さん。 「だけど、俺はもう繰り返したくない」 その覚悟を、無言で無心で聞いている私。 「お前が信じてくれるなら……俺はすぐにでもあいつらの輪から外れる。声を大にして、お前が悪くないって叫ぶ。それでお前を助けられるのなら、俺はなんでもする」 拳を握り、切に語る言動。 「だから、頼む。俺を信じてくれ。俺を嫌ったままでもいい。俺に、お前を守らせてほしい」 その言葉一つ一つ。 どれも、私の心を1oたりとも動かすことはなかった。 「丸井さんの嫌いなところ、一つ教えてあげましょうか」 「………?」 「善人面して言う口だけの言葉。それに、過去の過ちを私という材料を使って自分勝手に罪滅ぼしをしようとするところです」 「っ!」 「あ、二つになっちゃいましたね。すみません、つい」 ここまで言っているんだから、いっそのこと素の私を嫌いになって神田側の揺るぎない味方になればいいのに。 何も言えなくなってしまった丸井さんをしばらく見ていたけど、ふと予感がして窓の外を見る。 すると部室に神田が向かってくるのが見えた。 多分、丸井さんの様子でも見に来たんだろう。 それにコートを見るとアップが終わって本格的に練習を開始しようとしている。 その為のタオルも、ついでに取りに来たっていうところかな。 「神田が来ましたよ。ここに居たらまずいんじゃないですか?」 「………っ」 「あなたは何もしなくていいです。言いましたよね?何も期待していないって」 悔しそうに唇を噛む丸井さんから目を逸らす。 すると丸井さんは何か言いたげに、でも何も言わずマネ室から静かに出て行った。 しばらくして、神田が部室に入ってきた。 「ブン太!もう、遅いよ〜!」 「わ、悪い……ちょっと寝坊しちまってよ」 「もう、じゃあもしかして、寝惚けてるの?まだ着替えてないなんて」 「あ……そう、だな。ちょっと寝不足でよ、あんま頭働いてねえんだ……」 「寝不足、かぁ……。じゃあやっぱり、雅治の予想が当たってるのかな?」 「え?予想……?」 「うん……。ブン太は私のことが心配で、寝られなかったんじゃないかって」 「っ……!」 「心配、かけちゃってごめんね。だからはいっ、優しいブン太にエネルギー補給!」 「っえ……」 「ブン太の好きなガム!これ噛むと、少しは元気になるでしょ?私のことも、そんなに心配しなくても大丈夫だから」 「お、おう……」 「ふふっ、じゃあ早く着替えてコートに行ってね。弦一郎が怒ってて、ジャッカルが少し心配してたから」 「……わかった」 そんな会話が聞こえ、神田らしき足音がマネ室へと向かってくる。 それにしても、ポジティブというか思考が単純というか……。 丸井さんの様子がおかしいのに気付いていないのだろうか。 それとも、そのおかしいことすら、私に対する不満が原因だと思っているのだろうか。 ま、どっちでもいいや。 私はマネ室に入ってきた神田を静かに迎え入れる。 隣に丸井さんがいるからか、勝気な表情を見せるだけで何も言わない。 そして少しして丸井さんが着替え終わり、部室を出て行ったのを見計らって……神田は静かに口角を上げ、私への攻撃を始めようとしていた。 丸井side 部室から出て、少しばかり清々しい外の空気を吸う。 そしてそれを溜息として、全て吐き出した。 落ち着いたところで先程の間宮との会話を思い出す。 冷めた表情から次々と出てくる冷めた言葉。 目も合わせようとしてくれない。例え目が合ったとしても、眼鏡のレンズの向こうには氷のように冷ややかな瞳しかない。 間宮に「俺のことが嫌いか」という言葉を投げかけた時。 本当は答えなんて分かってた。間宮が俺を嫌っていないはずが無い。そんなの、今までの言動を見れば分かる。 だが、何故そこまで俺を嫌うのか、理由があまりよく分からなかった。 俺は……自分で言うのはあれだが、間宮には親切にしてきたつもりだ。 虐めを恐れて忠告をしたり、案の定虐めが始まりそうになると「守る」と言ったり。 全部、間宮が傷ついたりしないようにと……そう思った俺の親切心だった。 それなのに、間宮はその全てを拒絶した。 最初こそ、俺の忠告には意味が分からないという素振りをしていた。 でもその態度とは一変、しばらく経ってからあんな冷たい態度に、あの時の穏やかな間宮の印象は全くなくなってしまった。 それが何故だか、考えても全く分からない。 ……俺たちが虐めをして人を一人自殺に追い込んだと知ったからか? そして、秋乃が悪くないと知りながら……俺は何もできないでいた。 確かにその事実は変わらない。俺が弱かったからこうなってしまった。 ……間宮の言う通り、あの時の後悔から今回こうして間宮を助けようと動いていることは否めない。 罪滅ぼし……そう思われても、仕方のないことだと思う。 だが、それはそんなに悪いことか?そんなに拒絶されるようなことか? どうして間宮は……差し伸べる手を掴んではくれないんだ? 間宮は一体、何を考えているんだ……。 思考が深くなっていくことに気付いて、俺ははっと頭を振る。 間宮の考えていることなんて、俺がいくら考えたって分かるわけが無い。 違う人間なのだから。 それよりも、俺はこれからについて考えないといけない。 間宮を虐めから救う術を……。もう、虐めを止めることはできない。間宮が転校でもしない限り。 だったら俺は、少しでも間宮が傷つく可能性を少なくしたい。 例え間宮に嫌われていようとも、俺は間宮を嫌ってはいない。 酷いことを言われようと、俺はもう間宮から目を背けたりしない。 あれはきっと、間宮の強がりだから。 転校してきて友達もまだ作れていないだろう環境に、間宮は今一人きりなんだ。 誰かが味方になってやれねえと。……俺が、味方になってやらねえと。 本当に間宮は一人ぼっちになってしまうから。 「………っ」 自分の決意を確認するかのように、拳をきつく握る。 そして真っ直ぐ正面を向いて……俺は、テニスコートに向かった。 |